丁寧に暮らせなくてもいいじゃない?人がキラキラしていても、それってほんの一部…かもしれないよ!
サッカーのワールドカップが盛り上がっていますね~。
私も「流行に乗っかって」、昨晩はNHKでの試合を20分遅れで見始めた途端、ドイツの先制点に「あぁぁぁぁぁ!!」と悶絶しました。
前半終了間際のゴールがオフサイド(ってどういうことかはよく分からないけれど)だったことで得点にならずだった時に、凄くホッとしたなぁ。
そして、後半になると同点からの逆転に、びっくり!!
サッカーどころかスポーツにあまり詳しくない私ですが、ドイツは過去のワールドカップでも優勝経験がある強豪国(だというのをワイドショーで仕入れました)だからこそ、そのドイツに勝利するってすごいことなんですよね。
ギンちゃん、仁くんがこたつ布団の上で丸くなって寝ていたのですが、逆転ゴールが入った瞬間「ひゃだ!!すごーーーい!」と感極まって声が出た私を怪訝そうに見つめてくれました。
感動を共に分かち合うパートナー、大募集中DEATH!!
* * *
突然ですが、タサン志麻さんというお料理上手な家政婦さんのこと、ご存じですか?
私は普段あまりテレビを見ないので知らなかったのですが、実家で母が「志麻さんのレシピは美味しい」と言っているのを聞き、先日テレビで志麻さんが出る番組があるのを教えてもらって視聴しました。
その時に見た「レンコンのステーキ」がとってもおいしそうで(しかも難しい工程もなくてありがたい)、レンコンを買ってきて作ろ~っと、ちょっと大きいレンコンを選んで用意しておきました。
が…
レンコンとベーコンを使うお料理なのに、うっかりベーコンを買い忘れてしまったので、冷蔵庫に入っていた「あらびきウインナー」で代用しましたが、それでもちゃんと美味しくて感動しました。
仕事が終わるより1時間前にオーブンを予熱し、200度のオーブンの中にアルミホイルに包んだレンコンを入れて60分加熱。
オーブンで焼くとどんな感じになるんだろう??
と焼き上がったばかりのレンコンのアルミホイルをはがして包丁を入れると、ムチッとした感じにビックリ。
レンコンはシャキッとした歯ざわりの食品のイメージでしたが、じっくりホイル焼きにすると繊維の多い少し硬めの里芋のような感じのモッチリ・むっちりになるのが新鮮な発見でした。
適当な厚さにスライスしたら、オリーブオイルを敷いたフライパンで焼き色を付けつつ、隙間でベーコン(私はウインナー)を焼いて出来上がり。
ハーブで香り漬けをするといいようでしたが、我が家にはないので省略。
もはや志麻さんのレシピを結構な感じで無視した感じはあるものの、オリーブオイルで焼いた焼き目がパリッとカリカリしていて、レンコンの内側はホックリした感じの食感が、すごくすごくおいしかったです。
こんな風にお料理を考えられるって、すごく素敵だなぁ~。
私はお料理をするのは決して嫌いではないけれど、いつもワンパターンというか、お料理に関しては想像力がないので、オリジナルのメニューなんて思いつかないので、本当に羨ましい限り。
あっ!!!
それと私は、お料理の技術自体も「普通」なうえに、凄く残念なのが…
盛り付けのセンスが1㎜もない
ということ。
とにかく、味は普通だけれど見た目が全く映える要素がありません。
なんなら、買ってきたお惣菜やパンを盛り付けてみても「あ、あれ??なんかおいしそうに見えない??」と首をひねる始末。
食器の選び方とか、器の中の余白とかバランスとか彩とか、そういうセンスがないんDEATH!!!
お料理を習うというよりは、盛り付け教室とかないのかなぁ~?と思うくらい、本当に料理への美的感覚が欠落している自覚があるのですが、世の中には素敵に盛り付けて食卓がレストランみたいに見える人もいっぱいいるんですよね。
はーー、羨ましい。
特に今は、SNSで素敵な生活を垣間見れると、自分とはあまりにも違うキラキラした世界に羨望の眼差しを向けると同時に、自分はあんなに素敵に生きていないなぁ…と、勝手に落ち込んだりしちゃうこともしばしば。
丁寧な暮らし、ゆとりのある生活。
くはーーーっ。
私にはないものばかり。うらやますぅぃぃぃぃぃーーー。
* * *
私は「丁寧な暮らし」とか「手仕事」に憧れがあります。
家はいつも清潔でオシャレで、季節の花を飾り、季節のものをちゃんと手料理して、それも美しく盛り付けて、夜にはヨガをして体を労わって…
って、メチャクチャ憧れますが、まったくもって憧れの「丁寧な暮らし」はできていません。
家は不潔ではないけれど、隅々まで完璧に掃除ができているわけではないですし、季節のものはスーパーでお安く帰るので摂取できているけれど、それをオシャレにアレンジして…なんてできていません。
お紅茶にケーキ♡みたいなこともやれていませんし、ヨガは体が硬いうえに、ポーズを取ればクラクラして気持ち悪くなって楽しめません。
うーん、思っているのとは違うけれど、でも私は「自分の暮らし」を愛しています。
丁寧な暮らしへの憧れはあるけれど、そこには及ばないながらも、私なりに自分を笑顔にできる「背伸びのない範囲」で、私なりに丁寧に暮らしています。
とはいえ、丁寧になんて余裕がないときの方が圧倒的に多いのですが、ほんのちょっとだけ「お湯を沸かしながらドリップパックのコーヒー」を淹れたりできる余裕のある日は
インスタントじゃなくてドリップパックで、私に丁寧にお茶を用意していて素敵♡
うふ♡
とニヤニヤします。
私サイズの、私が喜べる、私を頑張らせすぎない肩の力の抜いた「ゆるい丁寧暮らし」が私には合っています。
* * *
今はSNSもありますし、手軽に身近な「素敵」「いいなぁ」が目に入ってきます。
丁寧な暮らし以外にも、リア充な人、オシャレな人、自分とは違う星に住んでいるかのように見える輝いている人の情報に、自分が取り残されたような気持になったり、羨ましく思ったりすることもあると思います。
実際、見ているだけで素敵だなぁ~とため息が出るようなものもありますし、こんなやり方があるんだ!と思ったり、参考にすることもあります。
私もたまにTwitterにお出かけの様子などの写真をUPしたりすることがありますし、こうやってブログを書く時にも写真を載せています。
が…
散らかっていてベットメイキングすらしていない写真とか、寝起きのスッピンでむくんでいる自分とか、全くラクチンが最優先の部屋着の姿とか、疲れ切ってゾンビみたいになっている姿…って
ブログにもSNSにも載せていません。
今日の私、飲み過ぎで顔が1.5倍ですぅ~
ネイルを塗り替えようと思っているけれど、ちょっとバタバタしてて、結構はげちゃってま~す
洗い物を積み重ねたままのキッチンでーーす!って、
公開しようとは思わないですよね?
えぇ、基本的にはズボラで通っている私ですら、やっぱり「良く思われたい」「良く見られたい」って思う意識がありますから、ブログやSNSに載せる写真は、数枚撮った中から「一番よく見えるであろう」ものを選んでいるんです。
外に向けた情報って、それがSNSじゃなくて会社に行くにしたってメイクをしたり洋服を選んだりするにしても、ちょっとでも「良く見えるように」ってするのが普通なことですよね。
だからね、誰かの外側を見て「あぁ、いいなぁ」って思うことがあって、それで自分が苦しみを感じていたら、自分のことを少しだけ思い返してみてください。
私も今日、ちゃんと顔洗ったよね?
私は今日、ちゃんと着替えて私なりに鏡で見て「よし」って思ったよね?
私は今日、家にいる私じゃない私を外に見せてるよね?
目の前の情報や、目の前の人も「外向けの姿」を見せているだけです。
私がメイクをしたり、着替えたりするのと同じように、私たちは外に向けられた姿を見ているだけで、その人のキラキラの一部しか見ていないんだよね、って。
また、スマートフォンで情報がすぐに手に入ることから、「こうしたらいい」「これが大切」といった情報に触れることも増えました。
それが一般的に「そうした方がよさそう」なものであれば、より影響を受けて自分にも当てはめななくちゃ!!と頑張らせてしまうこともあるでしょう。
そうそう、心理学の知識にも似たようなものがあって、せっかく自分を分かってあげて楽にするためのものであったはずの知識が、自分を窮屈にしたり苦しめたりする使い方をしてしまうこと、ありませんか??
自己肯定感が低いから高めなくちゃ!などと、目的はとても素敵なものなのに、うまくやれない事で自分を否定したり気落ちしたり。
自分を心地よく分かってあげるために学んだ知識が、自分に刃を向けるなんて、すごく辛いですよね。
* * *
誰しも「いいなぁ」「素敵だなぁ」と思われたら嬉しいですし、暮らしだって丁寧で、出来ればリア充でイキイキできていた方が楽しいものです。
でも、何が自分にとって楽しいか・快適かは、人によって感じ方が違います。
私はメチャクチャ「お家大好きっ子」「生活大好きっ子」です。
生活大好きって、なんか言葉がおかしいのですが、日常を営むことを楽しむのが好きです。
だから、在宅勤務という今の働き方があっていて、人に合わずにマイペースに作業ができる状態が快適で、人に合わない事は全く苦ではありません。
けれど、家で一人で黙々とするのが苦手で、外に出て人と会って会話をしながら、一緒に作業するが好きだという人にとっては苦行になるでしょう。
どっちが「いい・悪い」ではなく、それぞれに感じ方や合っているものが違うだけ。
食事の時に、箸置きを使う人もいれば、箸置きがなくても気にならない人もいます。
ちなみに、実家の父は「箸置きがあることが豊かな気持ちになれる派」で箸置きを使っていますが、母は「メンドクサイことがストレスになるから箸置きは使わない派」です。
この「どっちがいいか」って、あくまでもその人の感じ方であって、どっちかが正解だ!なんてことないですよね。
自分にとって何より大切なのは、自分が「いい感じだな」と思えるかどうかです。
他人の目や、人が持っているから…ではなく、自分がそれをしていると心地よいのか、嬉しいのかという自分基準が大事です。
誰かが見せている「外向けの一部」のようじゃない自分はダメだ…と思ったとしても、自分が自由で楽に呼吸しやすく生きていられれば、それを守って広げていく方が大切だなぁと、私は思っています。
だって、感じるのも体験するのも、他の人ではなく自分だから。
丁寧な暮らしに憧れている私だけれど、実際には丁寧の見本のような生活からはかけ離れていますが、それでも私は毎日心地よく生きれています。
もちろん、ちょっとした丁寧を実践して、楽しめる範囲で「私なりの丁寧」をするのは大好きですから、これからもきっと、手のひらサイズの私が楽しんでやれる範囲で素敵を真似していくでしょう。
人と違っても、それで自分を責めなくて大丈夫。
だって、あなたに合っているものと他の人に合っているものは、全く一緒じゃないんだから!
そもそも、好きなものや快適さが一緒じゃないのに、同じものさしで図っても、答えなんてでないですものね。
人と比べてしまうのは、私たちが生きている以上どうしたってやってしまうことです。
だからね、自分がそれで凹んだり苦しいときには、キラキラも丁寧も、見せているのはその人のごく一部なんだよ!と自分に優しく言ってあげて、必要以上に苦しまないで済みますように。
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12/27(火)20:00~zoomによるオンライン。
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