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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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叶わなかった希望があっても、またちゃんと笑えるし恋も出来た。傷はきっと”一生モノ”だけど、それでも愛していいし、愛されていい。

あっという間に マミコの10連休が終わって 今日からお仕事してるですよ

10連勤…と言われたら白目をむいてヒーヒー言いそうなのに、10連休ってなんでこんなに「一瞬」のように終わってしまうんでしょうね。

飛び石の方もいらっしゃったと思いますが、GWも昨日で終わり、今日からまた通常の生活が戻ってきましたねー。
GWがお仕事だった方は、これから代わりのお休みがあるのでしょうか??どうぞ、満喫できますように!

今日は連休明け早々に、全社員参加の会議や部署のミーティングやお客様からの電話などでバタバタして、気が付いたらあっという間に1日が終わっていました。
ふぅ、忙しかったーー。

昨日は少し早くベッドに入り、電子書籍を読みながら寝落ち。
特に何かあったわけではないのに、久しぶりに「元・旦那さん」とひょんなことで偶然再会し、ギンちゃんや仁くんの話や仕事のことなどを立ち話するという夢を見ました。

するとそこに、彼の現・奥さんが嫌そうな表情をしながら登場し、私は「こんにちは」とだけ挨拶した後、彼に向って「またどこかで偶然会う日まで~」と手を振ってその場を後にしました。
その後、私の背中に向かって聞こえるように『なんで元嫁に合ってるのよ!!なんなのよ!』と彼がなじられている声がして、すごくモヤモヤっとする気持ちと同時に、私が諦めたたくさんの希望を思ったら泣けてきて目が覚めました。
(※現・奥さんには直接会ったことはなく、写真を1回見せてもらっただけなので顔はうろ覚えですし、声も聞いたことがなくあくまでも雰囲気やイメージです)

もう今は、彼に対して特別な思いは持っていないし、未練のようなものもないけれど、私にとっては「生涯を共にしたいと思う大切な人」でした。
過去形だけれども、私にとっては当たり前に側にいてくれる大切な家族だった人です。

GWのお休みの間に図書館から借りたご本を読んで少しシンミリした気分になったんでちよね

ここしばらくは、全くもって「元・旦那さん」の事を思い出すこともなかったのですが、GW中に私が夫婦問題で悩んでいた時に同じ悩みで葛藤していた女友達から、頑張ったけれど離婚を決めたという連絡をもらったり、図書館で借りてきた本の言葉に過去の思いが刺激されたりして、潜在意識の中にある自分で知覚できない痛みや悲しみや寂しさがチクッと刺激されたのだろうと思います。

寝ている間に脳が情報を整理するために夢を見ているのでしょうから、目が覚める時に泣いていたことできっと気持ちをスッキリ処理したんだろうなぁ。

GW後半に、漫画エッセイである「旦那が突然死にました。」(せせらぎ さん著)を読んだ後、なんだかすごく重たい気持ちに自分が刺激されていることに気付きました。

ご主人の実家にご家族で帰省中に喧嘩をし、ご主人を置いてご自身の実家に戻っている間に最愛のご主人が突然死された体験談なのですが、死別と離別は全く別物だと分かっていますが、書かれている言葉が心の琴線をはじくようにして刺激されました。

二人で子供たちを育てたかったです。
笑い合いながらおじいちゃんとおばあちゃんになりたかった。
もう叶いません。くやしいです。悲しいです。
旦那が突然死にました。/せせらぎさん著)

私の場合は「どちらとも生きている」けれど、同じように「笑いながらおじいちゃんとおばあちゃんになる希望」は叶わないものでした。
そして、ふたりで迎えたギンちゃんと仁くんという暖かい小さな命を、ふたりで大事に愛してあげたかった。

それはある日突然、離婚したいといわれて叶わない夢になったんだもんね。

当たり前に続くと思っていた結婚生活は、ガラガラと音を立てて壊れてしまい、あの時に私はとっても傷付いたし悲しかったし、悔しかったし寂しかったんだもんね。

そっか。
私もとっても悔しかったんだな…。
それまでは「叶う」とか「叶わない」なんて思わないくらいに当たり前だった未来が、どんなに手を伸ばしても叶わないと諦めなくてはいけなくなったとき、私はとっても悔しかったし悲しかったんだ。

今、もう一度やり直したいとかでは全くなく、あの当時の私の気持ちが蘇ってきて、あの時の私はとっても頑張っていたし、とっても苦しんでいたことを、今の私が一緒になって泣いてあげることが出来て、きっと私はどこかでホッとしたんだと思います。
朝の涙は、ちょっとしょんぼりした気持ちを連れてきたけれど、その後でベッドから起きて窓を網戸にして「私とギンちゃん・仁くんの日常」を取り戻したら、とても清々しい気持ちと笑顔になれました。

叶わなかった希望に傷付いて泣いたし、あの時にできた心の傷は、今もまだ大きな絆創膏をはがすことが出来ずに心の中にずっと残っています。
それはきっと、生涯そのまま心の中に眠り続けて、私の中に残るのでしょう。

でもきっと、痛みや悲しみは少しずつ角が取れて、何かでふと思い出したり記憶が刺激された時に「チクッ」とはしても、グサッと私を打ちのめすものではないと思います。
完全にはなくならなくても、大丈夫。
誰にも見えない心の奥に、とっても大きな傷があるのが、他の誰でもない私なんだもんね!
そしてこの「心の奥にずっと残っている傷」は、誰かの痛みに気付ける大事な大事な私のセンサーでもあるはずだから。

* * *

離婚する間に大きな不安がいくつかありました。

その一つが「こんなにも大好きになれる人に、この先の未来で出会うことができるのだろうか?」というものでした。

私は離婚をしたかったわけではないので、嫌いになって別れたわけではありません。
生涯この人と人生を歩みたいと思う気持ちのまま、ずっと私は結婚生活を送っていたので、その当時は「私の世界では彼が一番大好きな人」でした。

また、人を好きになれるのだろうか?
また、誰かを愛し、愛されたいと思えるのだろうか?

誰かを好きになるのは理屈ではないからこそ、全く想像つかないことに震えて、とっても不安でした。

正直に言うと、彼が家を出て行ってから離婚までの2年半は別居状態でほとんど会う事もなかったのですが、その間に外の世界を見ても誰かを好きになる事が出来ませんでした。
離婚すると決め、彼にも告げた後で、周りの人から幾度か「お見合い」ではないですが紹介してもらった人がいますが、どの人も素敵な人にも関わらず、好きになることが出来ませんでした。

もう、誰かを好きになる事はないのかな…

そう思っていたある日、チオビーに出会いキュンとしました。

はじめはただ「かっこいいなぁ」「素敵な人だなぁ」と思っただけなのに、気が付いたら彼に出会える用事があると、彼の事を目が追いかけている私がいることに気付き、胸が高鳴る気持ちに泣けてきました。

あぁ、私はまた人を好きになることが出来た。

キュンとしたり、近付きたいと思ったり、彼の事を思い出すと自然と笑顔になれる、好きな人がいる世界に行くことが出来た。
すっごくすっごく嬉しいことでしたし、今も片思いのままですが、好きな人がいる暖かい世界があることを嬉しく思っています。

* * *

彼との離婚を通して、私はいっぱい苦しんだり傷付いたりしたけれど、学んだこともいーーっぱいあります。

当たり前なんてことはなくて、平穏でドラマのない日常はすでに幸せにあふれていること。

失うと分かって初めて、自分がどれだけたくさんのものを手にしていたかに気付くこと。

悲しみや痛みは、人と比べる必要がないということ。
どんなに「今、戦争で苦しんでいる人よりは私はまだいいんだから…」と思おうとしても、私の絶望や苦しみは楽になんてならず、自分が苦しんでいるならばその苦しみを否定しなくていいと気付けたこと。

それと同じように、人の悩みや苦しみは、みんなそれぞれに個々に感じ方が違うから、自分の物差しや世間一般の物差しで見るべきではないこと。

優しい言葉や暖かいハグに、魔法のような力があること。

何かを食べたいと思ったり、思い煩わずにベッドで眠れることは、とても幸せで安全であること。

心から笑える、嘆き悲しんでいない時間は、とても幸せであること。
笑えないと心にも体にもエネルギーが満ちてこないから、世界がグレーに見えること。

平凡で何もない毎日に、小さな幸せがとてつもなくたくさんあること。

また誰かを好きになるという「奇跡」が暖かいということ。

できれば痛みや悲しみを知らなくても、当たり前の日々こそが幸せだと噛みしめられる私でありたかったけれど、失わなかったら、きっと今ほどの喜びや幸せを「当たり前の毎日」に対して感じられなかったのだろうから、傷から回復したこれからの未来は、きっと今まで以上にご褒美の時間として私のそばにあるんですよね。いえーーい。

だって、私は小さな幸せに気付けるようになったからこそ、心の底から毎日を喜びながら生きれるんだから!!

いっぱい泣いた分だけちゃんとご褒美があるって、やっぱり最高ですね。うふふ。

諦めた未来、叶わなかった希望、泣きながら手放したものはたくさんあります。
起きてしまった出来事で心にできた傷は、私の中に”一生モノ”として共存していくものではあるけれど、またここから、新しい未来の夢を描いたり、希望を叶えたいと欲張ったり、手に入れたいものをいーーっぱい想像して、ワクワクしていいんだものね!

もう、いーーっぱい泣いたし、暗闇の中を這うようにしていた時間もあったんだから、これからはいーーーぱい幸せになるべきだし、なっちゃっていいんだから。

私はまた、大切な人を愛していいし、大切な人や私の周りの私を愛してくれる人たちから、存分に愛されていい。

傷だらけになったり、大切な存在を失って悲嘆にくれている時間は、もう二度と笑える日は来ないだろうと思ってしまう真っ暗な時間です。
そこにどのくらいの時間とどまるのかは、個人個人で違いますし、辛いけれどそこにとどまるしかできない時間も無駄なんかではありません。

日本語には「時間薬(ときぐすり)」という素敵な言葉があります。
時間が薬のように効いてくれて、悲しみや苦しみもほどけていくという意味の言葉です。

この言葉は悲しみの底にいる時には全く少しも慰めにはならないけれど、やはり時間というのはジワジワとお薬のように浸透し、いつの日か深い悲しみから回復していく力が私たちには備わっています。

遠回りに見える長い時間は、漢方薬のようにゆっくりとあなたに効くための時間なのかもしれません。
私も随分遠回りをしましたが、今、私はちゃんと笑えていますし、毎日を平穏で楽しく暮らせています。
そして、それがとっても愛おしく尊く、暖かい幸せな日々だと両手で抱きしめるようにして暮らし、眠りにつく前に「当たり前の今日が幸せだった」と感じながらベッドに潜り込みます。

ひょんなことで夢を見て思い出した気持ちがあったけれど、そこで改めて気付けるものがあるくらい、私は随分と「傷ついた地点」から遠くまで歩いてくることが出来たんだなぁ~としみじみ感じました。

さて!
明日も予定が盛りだくさんなので、今日も少し早めにベッドに入ろうと思います。

今日はもう嫌な夢を見ませんように。ナムー。

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