スモールステップで笑おう
私の住む地域は今朝は雨模様。
祝日・昨日と春を先取りしたような朗らかさだったので、冬の雨の景色に「寒いのかな?」と身構えましたが、朝の情報番組の天気予報のコーナーで『雨降りですが午後からは15度予報』と、かなりホカホカしそうな温度になりそうです。
テーブルに飾っていた紫のアネモネは花を大きく開ききり、代わりにテーブルの上に飾ったのは「小さな緑のアジサイ」とピンク色が愛くるしい動物のしっぽみたいにフサッとした「ストロベーリーキャンドル」。
ストロベリーキャンドルの花言葉は『人知れぬ恋』『私を思い出して』『素朴な愛さしさ』といった、片思いかよ?!と胸キュンしちゃうようなかわいいもの。
他には『幸運を呼ぶ』『善良』など、いいことありそうな気分になれちゃいます。
あじさいは初夏の花ですが、ここ数年「アジサイ人気」が高いそうで、切り花としても通年流通するようになったとお花屋さんが教えてくれました。
お店には白や青や紫の大き目のアジサイと一緒に、グリーンの花が控え目で小さいアジサイがたっぷりと並んでいたので、ストロベリーキャンドルと合わせて買ってみました。
雨の日とアジサイはなんともマッチしていて、アジサイがあれば雨の日の憂鬱さも半減するなぁ、なんて思いながら旺盛な食欲を満たした朝でした。
突然ですが(← いつものこと)少し前までの私は『自分なんて』『どうせ』という枕詞が大好きでした。
・私なんてかわいくない
・私なんてモテるはずがない
・私なんて鈍臭くて要領よくない
・私はダメだから頑張らないといけない
・私なんて価値がない
・私なんて助けてもらえない
・私なんて、私なんて、私なんて…
ひょえー。私って暗---い。
ひょえー。私って私のことメチャクチャにディスってたーー。
私は自己価値がとびきりに低かったので、まぁ、自分責めを沢山してきました。
自己評価が常に地面すれすれ・たまには地中にめり込む状態だったので「出来るようにならないといけない」と頑張る事がデフォルトになり、自立を強めて行ったりもしましたが、自立して頑張っている時というのは
●周りの人と比べてしまう(比較)
●周りの人より劣ってはいけない(競争)
というものがくっついていたような気がします。
今も人の事を羨ましいと思ったり、自分なりに頑張っているけれどまだ芽がでないあれこれに対して「はぁ~。何がいけないんだろう?」と思ったり、焦ったりすることもあります。
その度に
ま、しょうがないよねー。
私は遅咲きだし、もともとガンガン前に出るタイプじゃないじゃ~ん。
今の私に出来ることを頑張ってること、私は「偉い」って思ってうよ~。
今日も私にハナマルだ~♡
と声をかけてあげて「私が私を分かってあげる」事で楽になれていますが、向上心や目標があると、どうしてもついて回るのが【嫉妬】だったり【比較と競争】だと思うんです。
誰かと比べる事で自分が楽しいならば、それは自分にとっての栄養となりますが、苦しいならただの自分苛めですものね。
そのせいでモヤモヤしたりイライラするのならば、嫉妬を手放していきたいですよね!
先ほど「私は自己評価が低いから『私なんて』って自分ディスに励んでいた」と書きましたが、先日読んでいた本の中のこの言葉に赤ベコるくらい激しく頷きました。
Jamさんの著書『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』の中にあった【人と比べて落ち込む】という内容の話です。
人と自分を比べたり、周りの人が褒められているのをみては、「自分はダメだ…」と落ち込んでしまう事がありました。
ふと思いました、なんで比べたんだろう?って。
これって自己評価が低いようで、実はかなり高かったんだと思います。
だって自分もそのレベルでできるはずだと思ってなければ、落ち込むはずがありません。
(Jamさんの著/多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。)
確かに…カニ。(← こういう所がウザいとよく言われます)
自己否定しているつもりが、実は「自分の能力を高評価」しているからこそ、落ち込んだり自分にダメ出しするんですよね!!
この話は何度も聞いているはずなのですが、すぐに忘れてしまうんですよねー。
自分を攻撃する自分はもっと自分の価値を受け入れて愛してあげなくてはいけない…などと思ってしまいますが、人と比べて落ち込む自分に出会ったら
自分の能力がちゃんと「比較対象と同じ」だって知ってるから落ち込んでる…ってことは!!!
私って、実はすごいんじゃない?!
素直じゃないから否定形を利用してるけど、実は「私すげぇ」って自分で分かってるんだよね~。
くーっ、こいつぅ。
って「本当は認めて欲しい私」「本当は出来るんだぞ!って泣いている私」を自分でヨシヨシとしてあげて『妬む気持ちの後ろに隠れている気持ち』を許して抱きしめてあげる事が大事なんですよね。
私はこの本に書かれていたこの言葉も好きだなぁ~と思いました。
ふと思いました、なんで比べたんだろう?って。
そうそう、これって大事な問いかけですよね!
・私はなんで嫉妬の対象となるものに対して、自分と比べようとしたのでしょう?
・私とその人は違う人なのに、どうして競争しようと思って落ち込んでいるんでしょうか??
この「なんで」を見てあげると、痛みや寂しさが浮き上がってくるかもしれません。
そこで出てきた痛みに薬を塗るように「そう感じるくらいに孤独にさせちゃったね」「そう思わせちゃってごめんね」「頑張らせてしまったよね」と優しく接してあげると、きっと『心に巣食う【なんで】が成仏していく』んだろうな~と思います。
妬みや嫉妬や比較…これらについて、いろんな本や著名人の言葉なんかでよく言われていますが
絶対的な差を感じた時は、すごい!!とは思ってもあまり落ち込まない。
本の中で、羽生結弦選手のスケートを見て「私なんてあんな風に滑れない…」と妬んだり落ち込んだりしないと事例が紹介されていましたが、確かに自分とはかけ離れたものや対象に対しては、嫉妬や自己否定は全く起きません。
ただただスゴイ!と思ったり応援したりします。
私は羽生くんを見て自分のスケーティング技術と比較して落ち込んだりはしないけれど、もしかしたら宇野昌磨くんは刺激をもらったり悔しいと思ったり落ち込んだりするのかもしれません。
自分には「それができる」と思ってなければ目標にもしませんが、自分にも「同等の価値がある」と自己評価していれば嫉妬したり落ち込んだりしちゃいますものね。
だから、自分が嫉妬したら『私は自分がここまでできると思ってたんだね』って思ってあげちゃおう!イエイ!
そして、目標を高く高くしてしまわずに『今自分が飛べる高さの跳び箱』にして、楽しく段数を上げていきましょう。
スモールステップで、1段ずつ。
その箱だって、高さは低いものを少しずつでいいんです。
確実に「跳べる」を増やしていって自分は「出来る」がいっぱいだ!と思えるように「成功体験」を増やしてあげる方が笑顔になれますから。
ごくわずかの段差を増やしていたら、ある日モンスターボックスが飛べている自分になっているかもしれませんね♡
他の人と比較して辛くなったら、やっぱり一番は【自分をギュッ】とハグしましょう。
その次に「嫉妬するくらい私ってYDK(やればできる子)だから悔しいんだよね。悲しいんだよね。自分にダメ出ししちゃうんだよね。よしよし。」と褒めてあげて気持ちに寄り添いましょう。
そして【なんで比較したの?】と比較の後ろにある気持ちを見つけてあげて、ほぐした後は、今出来る高さを目標に設定するだけでいいんだよ!と自分に届けてあげましょう。
いきなり高い跳び箱を飛ぼうとしたら、激突して痛いだけです。
スモールステップ!でいいじゃないですか。
ゆっくり、ゆっくり、出来ることを乗り越える自分を「すごい!」と褒めながら成長していきませんか??
余談ですが私は跳び箱が得意でした…
えぇ、めちゃくちゃ得意で、跳びながら跳び箱に手をついて前宙とかもできました。(過去の栄華を自慢する器の小さなおまみ)
でも体育の授業では極端にやる時間が少なく、ヒーローのようにできる私の姿を見せる時間はわずかで、苦手なバレーボールやバスケット、ダンスなどの鈍臭さしか見せられていなかったことを発表しておきます。