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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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何度擦りむいても、私は自分を諦めない。笑っていたいのです。

今日も早起きしましたね。ニヤニヤしてキャッキャしましたでちー。

おはよう!!!
新しい朝が来た。希望の朝だ。
そんな風に、朝一番に思える今の私は、とても幸せです。

振り返ると、ちょうど2年前の私は、朝目覚めると「あぁ、また朝がやってきた。また今日も生きなくてはいけない」としんどかった時間を生きていました。

気分が重くなく1日をスタートできるって、なんて幸せなんだろう。
思い悩みすぎず、毎日を「どうでもいい事」でイライラしたり悩んだり、眠って忘れよう!なんて思える状態になれたら、どんなに楽に生きられるのだろうか?

私はどうやったら、私と仲良くなれるのだろうか?
私はどうしたら自分を好きになれるのだろう?
なぜ、わたしには「普通の人」が手にしているものを手にできないのだろうか?
なぜ、わたしはこんなに沢山の荷物を背負いこんで耐えているのだろうか?

あの時に生きることがしんどいと思っていた私は、喉から手が出るほど手にしたいと思っていた「パートナーのいる生活」「仕事を辞めてのんびり過ごす生活」などを何一つ手にしていないけれど
それでも「今日もまた朝がやってきた!新しい1日が始まる」とニッコリする事ができ、そんな今日を生きれている今を幸せだと感じています。

私は小さい頃から不器用で、遠回りして生きてきました。
人の目を気にして、自分を後回しにするうちにどんどん自分がなくなっていき、嫌われることを極度に怖れるようになりました。
好きな人ができ、恋人ができても「自分には価値がない」という思いがあるため、愛情を受け取れずに跳ね返し、自分を犠牲にする愛し方をすることで愛してもらえると盲信し、尽くして勝手に燃え尽き、勝手に自分を傷つけて恋が終わることを繰り返してきました。

幸い、私は周りの人に恵まれていて、いつも助けてもらい愛してもらってやってきていますが、自分を愛せていないので、いつも受け取る事がしんどくて

愛してもらえる存在なんかじゃないの!!

と心がギューッと苦しくなり、顔は笑っているのに心は曇っていたり泣いていたりで、自分でいる事がしんどく、とにかく生きづらかった。
幸せになりたいのに幸せになってはいけない、とアクセルとブレーキを同時に踏んでいて、そりゃあしんどいよね…という生き方をずっとずっとしてきました。

何しろ「自己肯定」どころか「自己攻撃」「自己否定」のプロ(というか金メダル級)だったので、自分を許すことなんてできなかったんですものね。(← 遠い目)

私にとって、結婚生活はとても大切で愛おしいものでした。
こんな私でも愛し、愛されてもいい世界があること。
私の中で大切な場所が出来たこと。
子供には恵まれなかったけれど「子供のように大切な命」と出会えたこと。

その大切なものが壊れた時、私は本当に絶望し生きる事をやめたいと何年も「生きているのに生きていない感覚」の中を歩いていました。
世界は突然色彩を失い、食べることも、寝ることも、呼吸することすらしんどいとすら思う程なのに、平気な顔をして仕事に行き、自分を押し殺して「私が悪いんだ。私がもっと変わらなくてはいけないんだ」と日々自分を追い込み続け、状況はどんどん悪化していき、どん底の日々には、まだまだ底があるんだ…と身動きが取れない深い沼にはまったような日々を生きることになりました。

ここまで大きな痛みや悲しみ、絶望があったからこそ
私は真剣に「私に向き合う」事をすることができました。

あの時にはちょびっとだって思えなかったけれど、問題があったからこそ、私は言葉の持つ優しさや、寄り添ってくれる人の持つ強さや、諦めないことで自分を変えていけること(変えるというか、本来の自分に戻るということでもあると思っています)

何より真剣に自分の生き方に向き合うこと

ができたと思えるようになりました。
あの痛みがなければ、私は心療内科の先生にカウンセリングをしてもらうこともなかったですし、心理学を学びたいと思う事もなかったでしょうし、師匠である根本さんに出会う事も、仲間に会う事もなく、自分を満たすことではなく誰かから足りないものを埋めてもらおうと苦しみ続けたでしょう。

痛みと悲しみはとても大きかったけれど、私は今、その傷に貼った絆創膏をやっと剥がせるくらいになり、前よりずっと「自分を信頼し」「自分を愛しいと思い」「日々が愛おしい」と思って生きられるようになりました。

何度だって転んで、沢山心を擦りむいたし、沢山傷跡があるけれど
やっぱり私は私を諦めたくない。
私は自分を好きになりたい。
私は毎日を心から慈しんで生きたい。

いっぱい絶望し、沢山泣いた後で、やっぱり私は自分を諦められませんでした。

生きづらさに苦しんでいるというのは、裏返すと「より良く自分を大切にしてあげたい」「自分を愛したい」という心の叫びなんですものね。

私自身が、辛い気持ちを誰かに聞いてもらえるだけで心がどれだけ楽になるのかを体験してきました。
理解してもらえる、側にいて抱きしめてもらえる、それだけで抱えていた荷物が軽くなる事を知りました。

大丈夫だよ、って思える事は力強い。
しょうがないよね、って言ってもらえる事は自分を救ってくれる。

私は問題を解決する力は、みんなちゃんと自分の中に持っていると信じています。
ただ、あまりにしんどい時にはその力すら発揮できませんから、助けてください、と寄り道したりSOSを出せる場所があるというのは大切な事。

私はカウンセラーとしては力もなく、心理学の知識も豊富ではありません。
あなたが欲しいと思っている「答え」を持っていない事の方が多く、テクニックも持ちあわせていません。

私にできる事は、保健室のように休める場所になる事。
傷にそっと薬を塗って、手の届かない場所であればその傷にガーゼを何度でも貼り替えて痛みを少しでも和らげることができるようにお手伝いをしたい。
何かしんどい時に、ちょっと休憩する場所でありたい、と思っています。

人は休憩したり立ち寄れる「安全な場所」があると、また自分の足で歩き出せるから。

それから、あまりに辛い時には「深刻になりすぎない」ことも大切です。
辛い時に、小さく自分を元気付けるようにクスリと笑える事は、自分を諦めない上でとても大切なことだと自分自身が体験して知ることができました。

深刻な気持ちも、保健室なら気負わず話せるような気がしませんか?
どんまい!頑張ってるじゃない!そうなのね、よくやってきたね。
そんな風に、あなたを迎え、あなたの話に耳を傾け、一人じゃないからね!と思ってもらえるような場所でありたい。

そして、小さな言葉が人をボロボロに傷つけることができるように
生きる力になったり、つまずくたびに自分を奮い立たせてくれる事も知ったからこそ、優しい言葉を届け続けたいと思っています。

これだけ生きづらく生きてきたんだもの。
幸せにならなきゃね。

自分に何度も届けた言葉です。
そう、こんな私だからこそ、幸せにならなくちゃなんです!!

突然ですが、赤毛のアンのお話を知っていますか?
アンは孤児で女の子だったがゆえに「働き手の欲しかった」家に引き取られる事もできず、間違ってマシューとマリラの兄妹の所に引き取られていきますが
ずっと自己肯定できずに否定をし続けてきたせいで自分の名前すら嫌いだという程に自分を嫌っていたアンに、否定ではなく愛情を与え続け安心する場所を提供してくれたおかげで、アンは他の誰でもないたった一人の自分を愛することができるようになりました。

私はこの話のマシューおじさんが大好きです。
(もちろん、マリラも大好きなのですけれど…)

働き手として役に立つ男の子よりも、アンがいいと言ってくれたマシューの言葉は、何度読んでも私の涙腺を刺激します。

「わしには 1ダース(十二人)の男の子よりもお前一人のほうがいいよ」とマシューはアンの手をさすった。
「いいかい?1ダース(十二人)の男の子よりもだよ。」

わしの女の子だよ。
わしの自慢の女の子だよ。
アンはわしの娘じゃ。
(モンゴメリ著・赤毛のアンより / マシューの言葉)

あなたがもし、あなたの事をいいと思えなくて自分に絶望していても、あなたには輝く価値がある事を、私もマシューのようにあなたに届けたい。
そして、自分ではそう思えなくても、誰かがそう言って応援してくれることでアンのように「自分を愛おしい」と思えたら、また歩き出すことができるから。

あなたが生きてきただけの時間の「絆」や「価値」がある事を、ひとりぼっちにの時には見失ったり、その絆を鎖のように感じて苦しむことがあります。
私は、あなたと周りの人とのかけがえのない絆(それが少しややこしい恋愛であっても、親子関係であっても、友人関係であっても、ペットとの関係であっても)を大切なものとして話を聞き、その中の愛を見つけたいと思っています。

そして、その愛をまたあなたが笑って抱きしめられるように
ちょっと休憩したり、消毒したり、届かない場所の湿布を貼り替えたりするようにいつでもこれる「保健室」を準備し、一緒に泣き、一緒に笑い、悩み、迷うあなたに「それでいいよ」と背中をさすり、時には子守唄を歌い、抱きしめてただ話を聞き、精一杯の応援旗を振りたいと願っています。

フレーフレー、あなた。
エイエイ・オー!

そんな風に、歩き出したあなたを笑顔で応援する、小さな応援団を結成するのが私のやりたいカウンセリングです。
あなたが笑顔になれることやあなたに嬉しいことがあれば、一緒に喜びたいし、一緒に感動したいと思っています。

小さな応援団には、頼もしい味方がいます。
グレーのもふもふと、白とミルクティー色のもふもふの小さな2匹も、私と一緒にあなたを応援するあなたの味方です。

うーん、何を伝えたいのか支離滅裂になっていますが、
ま、これが私だから、これでいいのか?!

幸せになりたい。
自分を楽にしたい。
自分を好きになりたい。
笑って生きたい。

あなたの願い、あなたの努力は、オリンピックの金メダルに匹敵するくらい素敵なものです。
そして、そこに届くくらいに頑張っている事を、そっと私に内緒話しませんか?

幸せになってよし!とあなたがあなたに言ってあげられるように。
私も同じように、私に許可を出し続けたいと思っています。(なんてったって、私もまだまだ自分を肯定する道の途中にいますから…えへへ)

自分らしく生きていきましょう。
誰に何と言われても、気を使わずに自分を笑顔にしていきましょう。
何度擦りむいても、私たちは諦めなければ自分を愛することができるから。

前にも記事の中で書きましたが、私がつまづいた時に勇気をくれた言葉です。

私たちは何度も擦りむいて、自分だけの靴を見つける
(映画 イン・ハー・シューズ より)

靴も、恋も、人生も、いろいろ試さないと自分だけの形が分からない不器用な私でいいんです。
そんな私に、あなたが何かでつまづいた時に「あのね…」と言ってくれたら嬉しいな、と思っています。

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