ここから浮上とかしちゃったら、超おもしろくない?! ~そうやって自分を元気づけながら、私が私を支えていきたい~
夏ですねぇ。
夏と言えば、え・だ・ま・め♡
以前、「家事ヤロウ」で料理家の和田明日香さんが、フライパンに少量の水を入れて茹で蒸すという枝豆の調理法を紹介されていました。
それを真似してみたら…
ひゃだ!!
めちゃウマ!!
となり、茹でるよりも簡単な上に美味しくて、枝豆はフライパンで蒸す調理法にハマっています。
さ・ら・に♡ ← こういうところがウザイと定評があります
和田明日香さんが「チリペッパー」を使った、少しメキシカンで大人な枝豆も紹介されていて、それを真似たら美味しくて、枝豆に色んな味をつけよう!と色々冒険しています。
とかいっても、ゴマを軽く擦ってガーリックパウダーやブラックペッパ―と混ぜてみたり、パセリと粉チーズを混ぜたり…
カルディで買ったケイジャンナッツスパイスを混ぜたり!!
↑
このスパイスも、家事ヤロウで知りました。えへへ。
普通に塩をまぶしただけでも美味しく食べれる枝豆は、夏の時期の美味しいごちそう。
そんな枝豆ですが、お店で手にする際に「結構いいお値段するなぁ」となりませんか?
私は、なります。
フライパンいっぱいに枝豆を入れて、思う存分茹で蒸したい!!
と夢見ていたオマミーヌですが、叶っちゃいました。(やったー)
ズッシリの枝豆。
普通に買ったら1,000円はしそうな量ですが、な、な、なんと…
たっぷり入って450円!!
ねーー。ほんとに。
妹の職場の人から「郊外にあるお肉屋さんの軒先で売っているお野菜が美味しい上にお安い」という情報を教えてもらって行ってきました。
スイカが一玉800円。
夏野菜も色々とお安い上に、太くて立派なアスパラが5本も入って200円で大興奮。
と、その隣のコンテナを見たら、ラスト2袋のこの枝豆を発見!!
えーーっ!!
破格のお値段すぎるーーーー。
実家の母も一緒に行ったので、無事にそれぞれに1袋ずつ、たっぷりの枝豆を手にしてホクホク笑顔になりました。
お肉屋さんなのでお肉も気になりましたが、お肉屋さんのコロッケやメンチって、もう誘惑しかないじゃないですか!!
丸いコロッケとメンチカツ、ヒレカツなども買ってきて、昨晩は実家で「大人の揚げ物祭り」を開催し、美味しくて食べ過ぎ、きちんと胃もたれしたことをここに報告いたします。(キリッ)
* * *
生きていると、色々と「山あり谷あり」で、順調なときもあればそうじゃなくつまずいてしまったり、真っ暗闇の中に落ちてしまうこともあります。
トンネルの先の小さな光すら見えないように感じるくらいに真っ暗なときには、この状況がずっと続くかのようにしか思えませんし、また笑えるようになったり、目の前の問題に心も思考も囚われている状況が改善するなんて「1㎜だって」思えません。
私も幾度か、もうどうにもならないのではないか?と思うくらいに落ち込んだことがあります。
最近(といっても数年前になりますが)では、離婚問題がそうでした。
あまりに辛すぎて、苦し過ぎて、正直記憶が一部断片的で思い出せないこともあるくらい、数年間もがき続け、あの当時は「全く光が見えない」と絶望していました。
今でこそ「わがままゆるふわボディ」と自称してダイエットをしている私ですが、離婚したいと言われてあまりに大きな衝撃を受けた直後は、眠れず食べれずで、あっという間に7キロほど痩せ、9号サイズが苦しい…もとい怪しかった洋服が「7号サイズ」になりました。
あ…
数年を経て、7号サイズを着ていたなんて「まぼろしぃ~!!(by IKKOさん)」という現在地にいますので、ご安心ください!!
とってもつらくて、寂しくて、でもそれを感じてしまったら心が壊れてしまうのだろうから、感じないように感情を切ってしまうしかなくて、世界は味わいも色彩も失い、笑うことができなくなりました。
それでも前を向こう!
希望を捨てずに、やれることをやって行こう!
と、なんとか自分を奮い立たせていた中で、追い打ちをかけるように「次なる衝撃」が襲ってきた時の記憶は、もうぜんぜん真っ白な状態で、思い出そうとしてもおぼろげ過ぎて思い出せません。
覚えているのは、「もう生きていなくてもいいや」と思って、フラフラと国道に歩み出た自分の姿です。
ハッとして立ち止まり、家に戻ってギンちゃんと仁くんが「ご飯ちょうだーい」という姿を見て号泣し、心療内科を探しました。
初めて心療内科を受診した日は、とても寒い冬の日で、待合室の窓から細かく切り刻んだ紙が舞うように雪が降っていました。
診療内科の先生は、羊に似た先生でした。
先生はただ「分かろうとしてくれて」「分かってくれて」いつも笑顔でした。
そして、私の味方であり続けてくれて、小さな私の変化を喜んでくれて、診察の最後にはいつも「今日ここまで頑張ったね」「すごいよ」と握手をしてくれました。
何年も悩み、勇気を出して東京まで出かけて夫婦問題解決セミナーに参加して師匠の根本さんを知ったり、その場で出会った同志たちとつながりを持てたことや、ゆっちさんと出会えたり、今になって思えば…
プロセスは完璧
だとしか言いようがないけれど、当時はそれが「今心地よく過ごせている未来に繋がっていく」なんて思ってもみませんでした。
私を助けてくれたものはたくさんありましたが、羊に似た心療内科の先生との出会いは、離婚を決める上で大きな支えになってくれました。
行動したから先生と出会えたのか、先生が暖かい愛のまなざしを持っていたから私が楽になって行けたのか、それは分からないけれど
きっと、私自身がもがいて悩んで、生きることに絶望するくらいのタイミングではなければ、先生とは出会えなかったのかもしれません。
そうじゃなければ、出会っていても私自身がどこかカッコつけて頼ることもできなかったでしょうし、引き寄せではありませんが、別の先生の病院の扉を叩いていたかもしれません。
偶然に見えるようなことも、きっと必然で、しつこいですが…
プロセスは完璧
なんですよね。
でもね、それは「当時の私」には分からなくて、後になってから「やっぱりプロセスは完璧だわ」なんて思えたり気付けるものです。
渦中にいるときには、目の前の現実に向き合うことで精一杯なんですものね。
年末に巨大卵巣腫瘍がみつかり、それが「悪性の可能性がある」と言われたときも、大きな衝撃でした。
人生の中で最大に苦しんだ(悩んだ)のは、離婚問題だと思っていましたが、その衝撃をあっさり超えるくらいに「死」を意識するというのはどうしようもなく恐ろしいことだというのを体験しました。
幸いにも私は悪性腫瘍ではなく、がんセンターでの診察を終えることができ、今は大きな波はなく「凪の日々」を心地よく平凡に過ごせています。
でも、この先にまた、思いもしない方向からの衝撃に揺らぐことだってあるでしょうし、想定し得る未来での「喪失」で、寂しさや悲しみに落ち込んでしまうこともあるでしょう。
人生で足踏みをしてしまったり、立ち止まって暗闇に閉じ込められるような「衝撃的な大きな事件」ではなくとも、仕事でのちょっとしたトラブルやミス、人間関係でのトゲ、親子関係での行き違い、夫婦や恋人関係でのすれ違い、ひとりぼっちで抱える寂しさ、未来を想像した時の不安など、
その時々で落ち込んだり、悩んだり、苦しんで迷うこと
もたくさんありますよね。
一日の中でも「上がったり下がったり」しちゃいますし、ちょっとしたことで悩んだり眠れなくなったり、そしてそれをなんとか乗り越えて、また凪いだと思ったらつまづいて…。
もうほんとうに、よく考えたら私たちは色々なドラマを生きていますよね!!
茹で蒸しして藻塩を振った熱々の枝豆と缶ビールを片手に、ベダンダで折りたたみチェアーに座って、まだ熱気が冷めない夕方の生暖かい空気の中で空を見ながらボーッとして思ったんです。
心地よいし、自分との関係も少しずつ良いものに変化しているし、楽しく生きているし、枝豆とビールのマリアージュにニッコリだし…
私は今、こうやっていられるって幸せだなぁ。
と感じて大きく伸びをした後、「私の描いた・私の望んだ未来予想図とは違っているんだけどね!」と苦笑い。
苦笑いしつつも、でも幸せや伸びやかな今日を生きていることも変わりなくて、よく分からないけれど「それでいいじゃん」ってビールをクピッとしながら、夏の夕方のぬるさに身を投げ出しながら思いました。
離婚してひとりになるなんて思わなかったし、あんなに苦しかった時には「また普通に思い煩わずに日々を生きれる」なんて想像もつかなかったのに、
私はひとり暮らしをしながら、あの時には思えないくらいに楽しく幸せに自分を生きている。
でもそれは、私が願ったことでも思い描いていた未来ではありません。
思いもしない人生、思いがけずに選ぶしかなかった人生ですが、ちゃんと笑えて生きている。
大失恋した時には、また誰かを好きになって「彼を思った気持ちと同じくらいに別の人を好きになれるのだろうか?」と泣いたのに、次に好きな人ができると
この人に出会うために、あの別れがあったのね!
なんて言ってきたし、離婚してひとりになるなんて思っていなかった現実であっても、その現実を生きるようになれば、またちゃんとその道で自分を取り戻して生きていけるようになりました。
きっと、なんとかなっていく。
きっと、なんとか折り合いをつけて自分を生きるために立て直していく。
生きていくしかないのだから、泣いてもがいて底まで行きつくと、ふぅと一息ついて現実を生きるために「無」になりながら立ち上がるのかもしれませんね。
だって、生きて行かなくちゃいけなんだもの。
しなやかに、立ち上がるしかないんだもの。
ここまで生きてきた私たちは、それぞれにみんな、胸に大きな傷跡がいくつもあるでしょう。
立ち直れない。
もうダメだ。
と思うくらいに泣いた日々も、絶望して身動きできない時間も、喪失の哀しみに打ちのめされ答えのない「なぜ」を抱え続けて揺れ動いたこともあるでしょう。
それでもやはり、今、なんとか生きれています。
いっぱいいろんな経験を重ね、今日を生きています。
だからきっと、今もこの先も、ゆらいだり衝撃を受けたりしながらも「なんとかしていく」はずです。
感情がなくなり、世界は色をすべて失って無彩色な中で、記憶があいまいになる時間を5年以上過ごし、心から笑える日はもう二度とやってこないと思っていた私ですが、今日、何度だって笑い、美味しく枝豆を食べて脱力できるくらい緩やかに生きています。
もう誰かを好きになることなんてないだろう…と泣いていたけれど、ある日突然胸がキュンとする出会いをし、片思いをこじらせながらも楽しんでいます。
私の未来は、今の私には分からないけれど、きっとこれまでがそうであったように「何とかなっていく」でしょうし…
この状態から浮上したとしたら、おもしろくない?
この状態が突然変化したらビックリだけど、それはあり得るわけじゃない?
本当に、明日突然に、思いもしない未来の扉が開いちゃうかもしれなくて、そんなの分からないですもんね。
ビックリしちゃうくらいの哀しみが突然自分に降りかかってきたように、ビックリするような幸せな展開だって「いきなり起きていい」んですものね。
落ち込んだりゆらいだり、つまずいたり停滞していたからこそ、心地よくなれたら「思いがけなすぎてすごい!!」と、喜びは大きなものになります。
プロセスは完璧…であればきっと、自分の思考では分からなくても、自分にとって「ベストなタイミング」で開けていくはず。
こんな状況なのに、浮上したらすごい!
こんな状況から変われたら、人生は面白い。
いつだって順調でありたいけれど、そうじゃない時間を生きることもあるからこそ、不調な時間の中で腐りそうな自分を、自分が支えてあげられたらいいですよね。
ねぇ、こんな悲しい状況から浮上したら、ウケない?
ねぇ、こんなに絶望している状態から、元気を取り戻したら人生おもしろくない?
振れ幅分だけ、きっと人生には彩りや思い出が濃厚さを増していく。
ドラマチックに生きたい私だから、落ちたり上がったりするのは、まぁ、想定内というかしょうがないよねぇ。
人生いろいろ。(by 島倉千代子さん)
だからこそ、落ち込んでいる時に
「ここから満塁ホームランが来たら、おもしろすぎない?」「ここから浮上とか、最高過ぎない?」
と言ってあげながら、傷んでいる自分を支え、凪な日々に辿り着けるまで自分を支えてあげられますように。
きっと「こっから浮上しちゃって、凄すぎる!!」「この状態から浮上とか、誰も想像してなかったよね?!」と言える未来が私たちの前に広がっているはずだから、自分の心を柔らかくさすりながら、今を乗り越えていけますように。