手のひらサイズの幸せのお友達

手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

MENU

不安だと思う気持ちも、ちゃんと大事に見守ってあげたい。

スピースピースピースピー

天気予報で「4月中旬以降の陽気」と言われている今日は、朝からホカホカの日差し。
私の住む新潟は桜がこれからですが、職場の窓から見える桜の木には今にも咲きそうな赤く膨らんだ蕾が揺れています。

くだらない事でも…と毎日書いていたブログを昨日はお休みしました。

朝、元気に会社に出勤したところ、玄関前の3段くらいの階段でツルンと滑ってダイナミックにコケました。
私は他の人より30分早い出社時間なので転んだ姿を見られていないのは不幸中の幸いですが、まったくもって油断して踏み出した時に滑った事もあり、かなり盛大に転んでしまい左足首と右手の親指を強打&捻ってしまいました。
会社の救急箱から湿布をもらってすぐに冷やして固定したので数時間で痛みや腫れは落ち着きましたが、なんだか一気に気分が落ちていき、そのまま浮上せずでした。

気分が浮上しなかった理由の一つには、「コロナ罹患で志村けんさんが亡くなった」というニュースもあります。

コロナについては過度に恐れず・過信せず・上手に付き合って行きたい…と思いつつも、世界中でこんなにも猛威を振るっている事をニュースで見る度に、得体の知れない不安に身震いしていました。(実は最近はあまりテレビを付けないようにしていました。)

私は子供時代に母が信仰していた宗教の「終末思想」的な教えが恐ろしくてたまらず、未来が不安過ぎて、いてもたってもいられない程の恐怖で発狂しそうになる事を繰り返してきました。(過剰に手を洗ったり、神経が過敏になりマスクをしていないと呼吸できなくなったり、怖れから眠れなくなったり、自律神経のバランスを崩して通院した事もあります。)

大人になりその気持ちもだいぶ緩んだ事と合わせて、不安な時の対処法というのを自分なりに準備しているので、子供時代の発狂しそうなほどの不安は和らいでいるものの、やはり心のどこかに「コロナウイルス」への得体のしれない不安を持っていたようで、罹患者の急増や外出自粛などの話を耳にするたびに『分からない未来への不安』に胸がザワザワしていて、そこにきて急な訃報に怖さが溢れました。
失う事の怖れ、寂しさがブワーッと大きな波になってザッパーンと飲み込まれたような感じでした。

不安を感じるのは心地よいものではありません。
苦しいし焦るし、かといって慌てても心は少しも軽くなれず、怖い夢を見て起きてしまう事もあります。

なんで急に不安を感じて心臓がバクバク・ドキドキして冷や汗をかくような気分なんだろう?と自分を抱きしめるようにしてお風呂で温まりながら自分に問いかけたところ

私は今一人暮らしをしていて、気ままで楽しく、この生活を気に入ってはいるものの、ポツンと独りぼっちだな…と感じてしまう事もあります。
不安な時にただ抱きしめてくれたり手を握ってくれるパートナーがいない事を寂しく感じている事もあります。
怖いなぁ、ドキドキしちゃうなぁ…という事を話して聞いてくれる人が隣にいない事も寂しいと思う瞬間もあります。
私にとって大切な人がこの病気にかかって急にいなくなってしまったら…と想像したら、悲しさがいっぱいになって涙が溢れます。
もしも私に何かあったら、ギンちゃんや仁くんはどれだけ心細い思いをすることになるのだろう?

心細くて寂しいのは「大事なもの」をたくさん持っているからなのだと気付きました。
不安になるのは「愛しているもの」があって「愛されることの心地よさ」を知っているから感じているのだとも。

そしてもう一つ、私が急に逝ってしまうとギンちゃん・仁くんは残されてしまい、それはとても困った事になります。
私が健康でギンちゃん・仁くんを見送る役割を果たすことが出来るのは、実はとってもありがたく、幸せなことなのだとも思い直す事ができました。
(とはいへ、お別れはしたくないけれど。)

失う不安があるというのは、失いたくないと思える愛すべき人や命があるから感じられる気持ちなんですものね。
得体の知れない不安が自分が大切にしているものを教えてくれているのかもしれないと思い、失いたくない大切な人たちを思い浮かべて、イメージの中で抱きしめて「ありがとう。大好き。元気でいてね。」と呟いてみたら涙がブワーッと溢れました。

不安や寂しさで震える自分を決して否定も見捨てもせず、今日は早く寝ようね、考え過ぎずに不安が大きくなるたびに深呼吸して、その不安の種を探して「大丈夫だよ」って届けて行こうね、と自分に話しかけて早々にベッドに潜り込みました。

感じてしまった不安・湧き上がってきた寂しさは、1晩寝たらスッキリ消えていた…訳ではなく、まだ少しザワザワする感じは残っているけれど、自分の中に湧き上がっている感情を決して否定せずに「そっかー」と言ってあげられるようになれた事で、私自身はうーーんと楽になれている気がしています。

そして、朝日を浴びて健やかにスピースピーと寝息を立てている小さな愛すべき私の家族たちを見ていたら、愛おしさと笑顔に包まれて、まだ何も起きていない未来を憂うよりも「今出来る事」をやっていこうと思えました。
無防備な寝姿に、ほっこり笑顔を分けてもらった朝でした。

そして、当たり前ではなく命は有限であるからこそ、ありがとうや愛している、大好きだよといった伝えておきたい言葉は、日常でも出来るだけ届けたいなぁと改めて思い直せるキッカケにもなりました。
不安が教えてくれたおかげで、いつも出勤前にギンちゃんや仁くんに「今日も大好きだよ」「愛してるからね」と声掛けする事に加えて、それぞれの頭をナデナデして出かけてきました。

色んな情報が流れる事や様々なニュースで、不安を感じてしまう事もあると思います。
明るいニュースであればいいけれど、世界中が肩を落とすニュースばかりでは気落ちしがちになりますものね。
不安は確かに心地よくはありませんし、出来ればすぐに手放して楽になりたい気持ちですが、その不安の奥にある「大切なもの」に気付ける事で、不安に対して「しょうがないよね」とトホホと言いながら受け入れてあげられると、少しずつですが楽になれるのを体験しましたので、皆さんがもし不安に感じていたとしても

しょうがないよね

って目を合わせて「とほほ」と笑いかけながら、少しずつ気持ちが軽くなれるように無理せずにやっていきましょうね!!