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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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なんともない時には「分かった気」になるけれど、いざとなったらあっという間にうろたえる

マミコに動物病院へつれていかれたですよ

今日は2月だなんて思えないくらいの、暖かさと明るい陽射し。
桜の花が咲くころのような陽気に、気分が勝手に明るくなります。

私はもう少ししたら実家からマンションへ戻ろうと思っていますが、まだのんびりと3魂で実家に身をよせています。

昨日は土曜日で妹も仕事が休みの日だったので、一緒にスターバックスでお茶しながら勉強しようか?と話しながら朝の身支度を整えていました。
私はスッピンで行く予定だったので、先に支度を終えてギンちゃんと仁くんをなでなでして…と思ったら、ギンちゃんの口元に少し違和感があるのを発見。

右下の顎(というのか下唇の下というのか)が、プクッと膨れていたんです。

ギンちゃんは少しだけ顎が「しゃくれ系」で、下唇も歯がぶつかる関係なのか少しムニッとしています。
が、ムニッを通り越したプクッとした感じが気になり、妹にも見てもらうと「腫れてる気がする」とのこと。

ネコ 顎下 ふくれる

で検索してみたら、『扁平上皮癌』というワードと、顎の下部分がプクッとしたネコちゃんの写真に、頭が真っ白になりました。

12月の動物医療グリーフケア認定講座の症例が『猫の扁平上皮癌』で、ネコちゃんにとっても痛みや不快感を伴う「顔のがん」だということや、見た目の大きな変化に飼い主さんも心配や悲しみが深くなること、どうしても匂いや汚れがひどくなってしまうことなどなど、ギンちゃんがこの先に『食べれない』『痛みと不快感』に侵されるなんて…と呆然としました。

なぜギンちゃんが…

人間も動物も共に、長生きをすれば病気と背中合わせであることは「知識として頭では理解」しています。

病気が何かの罰でもなく、気を付けていても防ぎようがないものがあることも分かっています。

ペットグリーフを学んで、病気で頭をいっぱいにしてしまい、目の前の愛する我が子を『病気ちゃん』にしないようにとが大事なことだと、理解しています。

でもね、なんともない時には「理解できる」と思えていても、現実になったときに受ける衝撃は大きくて、あっという間に「理解したこと」なんてスコーンと吹き飛ぶんですよね。

何かあった時に、うろたえ過ぎずに受け止められる私になれるように。
不安や恐怖に飲み込まれずに、現実を対処する力をつけられるように。

って思って学んでいるはずなのに、実際に「自分ごと」として問題が起きれば、あっさり容易に打ちのめされますし、恐怖に飲み込まれて身動きできなくなります。

そうなりたくない!!
って強くなろうとしていたけれど、どうやら私は「先回りして分かったつもり」になっても、いざとなったらいつだってうろたえる『もろいメンタル』なようです。

すぐに不安でいっぱいになって、心臓はバクバクするし泣きたくなる。
弱くてすぐにポキンと折れるメンタルの持ち主が、私なんです。

弱い私が「私」なんだから、しょうがない。

どんなに対策しようと頑張っても、何か起きればうろたえるのが私だから、その都度都度で対処法を考えて受け入れていけるようになればいいんですものね。

動揺する自分を見捨てず、まずは大きく深呼吸して「何があっても受け入れる」「でもやっぱりやだーーー」なんて矛盾した言葉を呟きながら、動物病院へ行ってきました。

マミコに動物病院へつれていかれたですよ

いつも診てもらっている「かかりつけの担当獣医さん」は、終日予約でいっぱいとのことで、普通に受付をして空き時間待ちになると言われましたが、受付をして40分くらいでスムーズに診察してもらえました。

動物病院に行くと「シャーーッ」と怒ってしまい、先生が触れようものなら激オコになり、じっくり・ゆっくりと診察をすることができないのが悩みなのですが、今回は最終的には「シャーーッ」と怒り声を出しはしたものの、しっかり先生に口元を見せて診察してもらえました。

結果、腫れは『牙(犬歯)の当たり方でプヨッとしている』とのこと。

歯を見てもらう限り、汚れもなく歯肉炎がある状態でもないのですが、歯が変な当たり方をしたり、何かがぶつかって一時的に腫れてしまった可能性があるそう。
また、ギンちゃんも今年で16歳になるので口下の部分の毛が薄くなっており、なおのことプニッと腫れて見えてしまうようです。

腫れも角度や口の閉じ方で「プクッ」と見えたり、何も腫れていないようにも見えたりするので、歯がぶつかって炎症が起きて腫れているのをケアするための飲み薬を1週間分だしてもらって、大きな病気ではなく病院を後に出来ました。

とはいえ、心配だったので「ネコ 顎下 ふくれる」で検索したら『扁平上皮癌』と言うのが出てきたのですが、ギンちゃんはその可能性があるのかどうか?ということを質問しました。
分からないこと、不安なことは「聞いてみる」のが大事ですもんね!!

腫瘍の場合は、もっとジクジクして腫れるそうで、そう言いながらもう一度先生がギンちゃんの顎を触れて確認してくれて確認してもらい、本当に一安心でした。(ふぅ、ほっとしたーーー)

病院へ向かう間は「悪い病気でありませんように」と祈る気持ちで心臓がバクバクしていましたが、病院で大丈夫の声を聞いた後の、ふーーっと力が抜けて楽になった感覚といったら!!!

私自身、年末に腫瘍が見つかる前に「体重はそこまで増えていないのに、お腹だけが膨ている」といった『自分で感じ取っていた違和感』があったのも関わらず、その違和感を見なかったことにして過ごし、結果は病気が進行してしまっていました。

病気を通して

小さな違和感は無視しないこと

ということを学んだので、ギンちゃんの唇も「気にし過ぎで何もないかもしれない」と思っても、違和感を感じたので連れて行った結果、早く安心することができました。
連れて行かなければ、きっとインターネットであれこれ検索して、さらに不安になって過ごしていたでしょうし、もしも悪い病気であっても、早期発見の方が治療が奏功しやすいですものね。

改めて…

私はグリーフケアを学んでいますが、自分がグリーフ(悲嘆)を感じる状況に陥れば、容易に飲み込まれて身動きできなくなります。

でもね、それでいいと思うようになれました。

いくら学んだって、知識が深まったって、現実に起きることは「予測できない衝撃」を連れて来るから、その時々に乗り越える力を集めていくしかないんですもんね。
自分一人では乗り越えられない現実だっていっぱいありますし、その時には助けを求めて「ひとりで立ち向かわず」に、助けてくれる人たちと共に『悲しみや不安』に向かって行けばいいんだ、って。

人は一人では生きていけませんし、同じような思いをしている人も沢山います。ひとりではないからこそ、つらいことも何とか受け止めていけるのです。
特に「死」というものは、ひとりで立ち向かおうとしても、強すぎて歯がたたないこともあります。だからみんなで扱いましょう、という気持ちが、私にはあります。
(引用:遺体と火葬のほんとうの話/佐藤信顕さん著)

一人が一度に背負う悲しみには限界があります。だから仲間が一緒に引き受けて、一人の深い憂いに寄り添うの。偲ぶ会は連帯して悲しみに立ち向かい、乗り越えていくための会なんです。
(引用:102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方。/石井哲代さん著)

グリーフケアもターミナルケアも、ひとりで乗り越えるためにあるものじゃないですし、ケア者だって完璧である必要がないんですよね。

それに、完璧ってなんだろう??

何が基準で「完璧」って言えるのかもわからないのに、自分がこうあるべきというものを勝手に掲げて、そこに満たない自分はダメなんだ…ってする必要ないんですよね。
これは、学んでいることに対してのみならず、私の生き方全般に言えることなのですけれど。えへへ。

ついつい「こうあるべき」を自分に課し、そうできない自分はダメだと烙印を押す。
ほーら、やっぱりできない、って。

でも、できないからこその「目標」なんだから、出来なくて当たり前!!
目標や理想に「近付いていく」行動が、とっても素敵だということを、油断するとすぐに見落とします。

100歳を超えて一人暮らしをされていた人生の大先輩の哲代おばあちゃんが言っているように、人がひとりで背負える「悲しみ」「苦しみ」「切なさ」「怒り」といったいろんなものには限界があるものです。
だからこそ、ひとりではなく「仲間が一緒に」抱えあう。それでいいんですものね。

そしてね、自分がひとりで物事を抱えられないように、周りの大切な人たちも、ひとりで背負えるものには限界があります。
大切な仲間、大好きな人の痛みを、共に抱える私になれるように。

葬儀社を営む佐藤さんの言葉によれば、死はひとりでは歯が立たないとありますが、悲しみや絶望、強い不安も同じように「ひとりでは歯が立たない」くらい強い力を持って迫ってきます。

哲代おばあちゃんも、佐藤さんも、どちらも共通して伝えてくれているのが

周りの人と「みんなで」扱う、「みんなで」立ち向かう

というもの。

ひとりの力には限界があるからこそ、ひとりではどうにもならないことを周りの人に助けてもらうしかないんですもんね。
その逆も、またしかりです。

私は弱いままの私でいいし、弱い私を愛して行けばいい。
弱いからこそ、周りに助けてもらわないと抱えられないからこそ、私も助けになれる柔らかくしなやかな力を持ちたい。

弱いからこそ、弱さで震える人の手を握れるように。

ということで、分かっていても当事者になれば「全然ダメ」になるということが分かった…という、分かったのゲシュタルト崩壊を起こし始めたところでドロンとしようとおもいます。

ではでは、これにてドロン!!

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