自分が心地よいならば今を、今日を、存分に味わおう ~良くも悪くも「今がずっとは続かない」から~
やっほー。 ← 陽気に登場
土曜日はまだ暖かかったのに、夜から一気に気温が下がり出し、今日は長袖に羽織り物がないとガクブルしちゃうほどの寒さ。
おーーっ、一気に秋が深まった感。
この寒さも一時的で、また少し暖かさが復活してくれそうですが、よく考えたらもう10日もすると11月がやってくるんですよね。
11月って、もうおこたにファンヒーターが普通の時期。
きっともう少しすると、グッと冷えてくるんだろうなぁ。
季節は移ろいゆき、あんなに暑くて「バテちゃうわ!」なんて言っていた日々が信じられないくらい寒い冬の日もやって来る。
1日過ぎて、また次の日が来て、その繰り返しでずっと先に進んでいくのに、1日前と後では大きな変化なんて感じないものです。
でもその「小さな変化」の繰り返しの先で、夏と冬が真逆の季節になるように、気が付いたら思いっきり変化しちゃているんですよね。
はっ!!
冒頭のギンちゃんを置き去りにして、どんどん話を進めそうになっちゃったので、一度ストーーップ。
梨が好きだというワンちゃんの話を耳にすることが多かったのですが、仁くんはフルーツ全般に興味なし。
生っぽい食感とか、みずみずしさのある感じが苦手なようで、口にしてもペッとしてしまう事ばかりでした。
が!!!
食べないと思うけど…と、今年も梨をちょっとだけ差し出したら
「ちょっ!!おいしいんでちけどーーーっ!!」
と、目をキラキラさせ、ショリショリといい音をさせながら梨を食べるようになりました。
あれ?
これまで全く興味なかったのに。
急に美味しさに気付くこともあるんだねぇ。
ということで、毎週食品の買い出しに行く際には「梨」も必ず買うようにしていましたが、梨の季節ももう終わり。
近所のスーパーでは、今週はもう梨の陳列がなくなっちゃいました。
もうないかもしれなけど、もしあったらラッキーだし!!と、JAの直売所に行ったら、大きな梨がまだ販売されていて歓喜。
売り場も小さくなっていたので、もう本当にこれで終わりかな。
今週はこの梨を、仁くんとしっかり味わおうと思います。
他にも、たっぷり詰まった小松菜やナス、甘くておいしそうなカボチャ、そしてそして
どんな味かなぁ?
美味しく料理できるかなぁ?
と、悩んで売り場で「うーん、うーーん」と言いつつも、食べてみたい!の気持ちが勝って、生の落花生を買ってみました。
売り場にあった「茹で方」の紙を見ると、圧力鍋で煮る方が簡単そうでしたが、普通にお鍋での茹で方も書かれていました。
・落花生を水洗いする
・落花生が被るくらいのお湯を沸かす
・お湯に対して2~3%の塩を投入
・沸騰してるお湯で20~30分くらい茹でる
・火を止め蓋をして10分放置
というだけで、調理は難しくないのが嬉しい。
今日のレモンサワータイムに、茹でたての落花生をおつまみにするのを楽しみにしていたのですが、お鍋で茹でた生の落花生は、乾燥している落花生の「カリッ」とした食感とは全く違う食べ物!!
食感はホックリしていながらも歯ごたえがあり、風味は落花生。
何とも言えない食感と味わいに、思わず「うわーー、おもしろい」と歓喜。
薄い塩味が甘みを引き立てて、とっても美味しい。
どうやら9月~11月頃が、生の落花生が出回る時期らしいので、またチャンスがあって購入できたら買ってみたいと思います。
* * *
先にチラッと話してしまったのですが、今の状況が「このままずっと」続くかのように思ってしまい、私たちは「今」を大切に味わうことを忘れてしまいがちです。
当たり前にあったものがいつまでもある訳ではなく、なくしてから「ありがたみ」に気が付くことっていっぱいありますよね。
季節もそう。
1日ずつでは変化なんて感じられないのに、ずっと続くかのように思える暑さや寒さも、少しずつ和らいで移ろっていく。
子供時代には、大人になるなんて想像もつかなかったのに、いつしか大人であることが当たり前になっている。
変わり映えしないように思える日々を生きているはずなのに、良くも悪くも、私たちは「同じ場所にはとどまれずに変化していく」ものなんですよね。
今心地よく幸せな時間が、もっと拡大していく。
今穏やかな日々が、なにかを失ってうろたえてしまうこともある。
今が絶望で未来も真っ暗に見えても、また笑える日々がやってくる。
学生であれば、それぞれの節目で「学校」自体を卒業して環境が変わっていきますが、同じようにいつまでも一緒が当たり前のように感じていた人間関係が変わっていくこともあります。
命はそれぞれに有限だから、愛する人が、自分が、いつかこの地球上での生を終えて、その命がいない世界を味わうことだってあります。
だから今、心地よく幸せを感じられているのであれば、思う存分に「今」を味わうことに集中したいですよね。
いつしか移ろっていくものだからこそ、今を蔑ろにせずに大切にしたい。
それに、当たり前のことではあるけれど「私たちは”今”を生きることしかできない」のですから、手出しできない過去や未来ばかりを見つめて、せっかく今が穏やかであることを見落としてしまうのは、もったいないですものね。
…って、私は思考優位で、過去や未来に目が行きがちだから、自分への自戒を込めて。
今、不自由なく笑顔でいられるならば、自分の「よい状態」を喜び、自分を寛がせ、もっともっと楽しめますように。
今、どん底に落ち込んでいて、この先に明るい見通しが立たないと泣いているならば、その状況がずっとは続かないから大丈夫!とあなたの背をさすれますように。
私も何年かずっと、世界はもう真っ暗な状態だと思っていたけれど、真っ暗に見える毎日をただ過ごしていただけなのに、明るく穏やかな日々の扉がちゃんと開き、
今が「100%理想の状態」ではなくても、
毎日ご飯が美味しくて、ストンと眠れて、
心と体が楽チンで、
くだらないことに笑ったり怒ったりしながら
『何でもない日々』を愛おしく生きることができています。
開けない夜はない、変わらない世界はない。
真っ暗闇の中にいたときに見聞きしても「んなわけあるか!!」と思うくらい、ずっと心は晴れずに苦しかったけれど、時間が経った今、
明けない夜はなかった。
世界は優しく、変化するんだ。
と言えるようになっています。
季節がいきなり変化はしないように、暗闇もいきなりスッと開けてはいきません。
でも、変わり映えのないような日々が過ぎていくうちに、少しずつ状況も自分も、周りも世界も変化していき、いつまでも同じ場所には留まれずに移ろってゆきます。
夜が明けるまでには、思いがけずに時間がかかることもあるけれど、それでも本当に、いつしかゆっくりと光はさしてくるからね。
大丈夫、本当に大丈夫だから。
今の心地よさが最大だと思っていたら、もっともっと幸せや心地よさが拡大していく未来だってあるのだし、つまづいて戸惑うこともあるでしょう。
先のことは「予測できない」けれど、よく見る「人生折れ線グラフ」みたいに山あり谷ありな時期がありつつも、それでもきっと折れ線は上向きになるはず!!
今が穏やかで、自分が「楽しい」と思えているならば、それを満喫して「今日を味わう」ことができたらいいですよね。
そして少しだけ、大切な人に「ありがとう」「愛しているよ」「大好き」「あなたのこういうところに助けられているよ」と、今伝えれれる言葉があれば伝えたい。
愛ある言葉は、出し惜しみせずに、伝えられる存在が「生きている」間に、存分に惜しみなく届けたいですものね。
グリーフの中にある人の後悔をお伺いするときに、本当に良く出てくるのが
愛してる、大好きって、伝えられなかった。
もっと「かわいい」「好きだよ」って言ってあげればよかった。
「ありがとう」って伝えたかった。
と、ずっとずっとその命が側にあるように思っていて、日常のささいなことに対する言葉を伝えてこなかったことを悔やむ姿に出会います。
今、ありがとうや愛してるを伝えらえる「命」が生きているならば、ぜひあったかいひと言を届けてください。
照れ臭いけれど、伝えられる状態がいつまでもあるわけじゃないからこそ、「今」伝えられる幸せな時間に、あたたかい言葉や笑顔を、いっぱい届けちゃいましょう。
「ありがとう」や「大好きだよ」という言葉は、言われる側もホッコリ心が温まる嬉しい言葉ですから、出し惜しみせずにどんどんプレゼントしちゃいましょ!そうしましょ!
そしてもう一つ、自分にもそっと「ありがとう」「愛してるよ」を届けてから眠りにつきましょ!!
自分にも愛あるまなざしや言葉をお裾分けして、心をふっくらさせて眠りたいですもんね。
私は今日も、自分を「楽しく」生きることができました。
今日という日はもう過ぎていくからこそ、楽しんで味わって、また明日も何かしらのお楽しみがあるといいな~と思いながら、今出来ることを自分の速度でやっていこうと思います。
ではでは。
おやすみなさーーい。