見た目には分からなくても、人はみんな「それぞれ」の事情を抱えている
いえーーーっす。そのとーーり! ← みんなまぁるくタケモトピアノ
実家の近くのスーパーでは「ポンパドール社」のティーバックシリーズが並んでいるのですが、私の住むマンションの近くのスーパーでは取扱ナシ。(同じチェーンのスーパー)
スーパーで手軽に変えればいいのですが、実家近くのスーパーでもなぜか「イタリアレモンフルーツティー」の取り扱いがなく、いつもカルディで購入しています。
えぇ、お気に入りです。
夜の自由時間に、はちみつがほんのり香るレモン風味のあったかいお茶を飲む…。
むふふ、ちょっと素敵女子っぽくないですか??
他には、無印良品の「そば茶」や「バニラ黒豆茶」、Liptonの「アップルルイボス」、トワイニングの「ルイボスセレクション」「ザ・フルーツ」といったノンカフェインのお茶を常備していて、その日の気分で選ぶのが小さなお楽しみ。
ひとりドリンクバー
を毎夜開催してニヤニヤしています。
* * *
月日が経つのは早いもので、今日で手術からちょうど2週間になりました。
回復がとても早く、予定より短い入院期間で済み、処方してもらった痛み止めは数回しか使わずに済んでいるので、個人的には「めちゃくちゃ順調」だと思っています。
傷部分はまだ、傷周辺の腫れや固くなってコリコリした感じが残っていますが、その範囲も日々変化していて、日を追うごとに良くなっています。
前の手術の後で続いていた「傷の上下のしびれ」のようなものは、今回も継続。
傷には直接触れないようにテープを貼っていますが、お腹にクリームやオイルをつけてゆっくり温めるようにマッサージをするのを再開しました。(まだ短時間で、本当にあっさりです)
マッサージをするようになったことがきっかけで、お腹のコリに気付けたのですが、腫瘍を取ってもらったらビックリすくらい触れたときの硬さがなくなりました。
自分ケアのひとつのマッサージは、自分を労い・リラックスさせる効果もありますが、体の異変に「触れて気付く」ことにもつながりますね!
誕生日にアロママッサージを受けた際に「お尻とお腹が冷蔵庫のように冷たい」と指摘されてから、お尻とお腹の血流改善!を目指していますが、術後も相変わらずお尻や下腹が冷えています。
婦人科系の病気を繰り返しているので、冷えを改善させるのは必須だと思っているので、傷を刺激し過ぎずにマッサージなども並行して、血流改善を図っていこうと思います。
長期休養をもらっているので、今はゆっくり本を読んだりノートをまとめたり、仁くんとテクテクお散歩したりして、通常よりスローペースで生活をしています。
病理結果が来月まで分からないので、現時点では「良性だろうな」とまったりしています。
金曜日に手術で、土曜日はまだベッド上が基本のスタイル。
日曜日に尿バックが外れ、点滴や鎮静の管はついているものの、行動範囲が広く自由に歩けるようなりました。
ただでさえ腸の動きが弱めで便秘がちなので、癒着を最小限にしたい!と「リハビリ」的に歩くことを目標にしていましたが、売店が朝だけの営業で立ち寄れず。
入院している病棟内をグルグルしてもすぐに終わってしまう上に、不審者感もあるので、気になっていた「からだの図書館」まで行ってみました。
残念ながら日曜日は休館日で、その後すぐに退院したので中に入らずに終わってしまったのですが、院内にある図書館では患者さんとそのご家族が「病気についての正しい理解」が得られるようにと設置されているそうです。
がんセンターということもあり、図書館前には「色々ながん」についてのリーフレットがズラーーッと並んでいました。
MRI・CTの画像診断の結果「良性に近い」という所見をもらっていますが、腫瘍の大きさと成長スピードから『境界悪性』でがんセンターに転院しました。
実際に開腹してもらい、病理の結果が出るまでは断言できないとはいえ、先生からも「良性」に近いと言ってもらっているので、ものすごく肩の力が抜けてホッとできていますが、入院中の病棟内では「がん」の治療をされている方がたくさんいました。
がんセンターですものね。
「がん」に罹患された方が治療する場なので、病衣を着ていたり、点滴や廃液を取るバックをつけていたり、副作用で脱毛されていたりと、パッと闘病中だというのが分かります。
でも、いつも通りのお洋服やウィッグに身を包み、入院や退院される姿は「闘病中」には見えませんでした。
体の痛みや不快感、抱えている病は、パッと見たときには分からないんだ、って。
外見に大きな変化があれば気付かれるとは思いますが、病気になっても日常は続いていきますから、みなさん仕事や家族の中での役割を果たして、社会の中に普通に溶け込まれているんですよね。
つらさや不安、悲しみや怒り、痛みや不自由さを持ちながらも、普通に見えるようにして。
病棟内では「トイレ付きの個室」があるお部屋は数えるほどで、個室でもトイレなしのお部屋がほとんど。なのでトイレは共同でした。
手術前夜、病棟内がシーンと静かになっていた遅い時間に「下剤」の関係で少しだけお腹がグルッとしてくれたのでトイレに行きました。
誰もいなかったトイレで、下剤効果があるかな?!と期待していたのですが何も訪れず…。
ただ、腸はグルッと言っていたのでもう少しトイレにいようと思っていたら、カラカラカラと点滴台をまわす音がして隣に誰かが入ってくる音がしました。
すると間もなく、とても苦しそうにえづく音がしたと思ったら嘔吐されている音が聞こえてきました。
抗がん剤の影響での嘔吐なのだろうと思いますが、苦しそうに嘔吐された後でトイレの中で「はぁっ…」とため息のように一息つかれた後、小さな声をもらしながら泣き出したのが聞こえてきました。
私には何もできないしそのつらさを分かり切れていないけれど、こんなにもつらい思いをしながら闘病しているあなただもの、どうか抗がん剤が効いてくれて快方に向かいますようにと、トイレの壁にそっと両手のひらをつけてエールを送り、一足先にトイレを出ました。
病気なんて、いつ誰が患うのか分からないものです。
今は2人に1人ががんに罹患する時代と言われていますが、いつだって自分は「罹患しない側の1」だと疑わずに生きています。
もちろん、私もそうでした。
病気になってしまう人はいるけれど、『私は』きっと大丈夫、って。
でも本当に、分からないんですよね。
正直、私は腫瘍が巨大になるまでまったく気付かなかったですし、こんなことが兆候なの?というくらい、なんでもないようなことが初期症状だったりしますから。
健康な時には、健康であることの価値が分かりにくくて、「健康である=それだけですごいこと!!」ということが見えなくなります。
でもでも、ね。
声を大にして言っちゃうけれど
健やかに今日を終えられるって、素敵なプレゼントをもらっているくらいすごいことなんです。
もしかしたら「がん」かもしれないと思ったときに、私はいとも簡単に絶望しました。
この先、私の方が先に逝き、ギンちゃんや仁くんを看取ることができなくなるかもしれないなんて…と泣きました。
今までは当たり前のように、未来を勝手に予測して「ちゃんと見送れるだろうか?」「私はその時堪えられるだろうか?」などと不安がっていましたが、
いつか誰しもが死を迎えると知っていても、それはまったく実体がなく漠然とした遠いもの、他人事のように思っているからこそ、平然と未来を思い描けていました。
健やかではなくなった時、未来を描けなくなりました。
先があると当たり前に思えるって、なんて幸せなことなんだろう。
将来への不安であれ、未来が来ると疑わずに思えるから感じられるものなんですものね。
今は衝撃期から時間も経ち、さらに腫瘍が悪いものではなさそうだという先生の言葉もあって「病気かもしれない」と感じたときとは違う気持ちで過ごせていますが、自分が体験した衝撃や入院中に感じたものは、とても大きくて大事なものだから、忘れそうになるたびに気付きなおしていきたいと思っています。
悪い病気かもしれないと思ったとき、お金をかけてでも治したいし、治療法があればそれに託すだろうと思いました。
健康な体って、本当にすごいんです!!
術後すぐ、とにかく目がかゆくてどうしようもなく、開けることができませんでした。
すぐにかゆみは治まってなんとかなりましたが、もし目が開かずに見えなかったら、ずっと世界は真っ暗なんですよね。
5億円でその目を売ってほしいと言われても、きっと私は自分の「見える」という宝物を手放すことはできません。
5億円あれば、不安に思う老後や未来がずいぶんと気楽に構えられると思いますし、仕事も辞められるかもしれません。
お金は欲しい、けれど「見える」ことの方が5億円よりもっともっと大切です。
当たり前に「できる」ことは、実は当たり前なんかじゃなくて、お金をいくら積んでも代えがたいものなんですよね。
「2人に1人」のならない側だと、当たり前のように思えるって、とっても幸せで素敵な時間を生きていることだから。
当たり前はやっぱり、幸せでしかない!!