大好きなものは傷つけたくない、ものね
ギンちゃん、1年ぶりくらいにシャンプーしたので
グレーの毛がフッカフカです。
はぁ、かっこいい…
話が横にそれてしまいましたが、先日、気になっていた展覧会に行ってきたんです。
エドワード・ゴーリーさんって知っていますか?
私は知りませんでした。
独特なアール・デコ風な画風は緻密で、黒い線画がほとんどなのですが
絵本…にしてはシュールで少し怖いような、それでいてかわいいようななんとも大人な絵本の絵、という感じのものが沢山ありました。
架空の動物や生き物、バレエに関する絵が沢山ある中で
ネコちゃんがいっぱい登場していて、見ていてニヤニヤ。
はわわ…
ネコちゃんはいっぱいいたけれど、犬はあんまりいなかった…
でもでも、いなかったって訳じゃないからね!!!
でね、展覧会に飾ってあった絵本の原画のなかで
子供達が次々と死んでいく(何かしらの事件が元になっているらしい)挿絵や
なんとなく不条理な絵が並ぶ中
なぜかネコちゃんだけは嫌な目には合わず、不条理な絵がないんです!!!
え、えぇ、もちろんそうだし、私にとっては「ネコちゃんもワンチャンも」愛すべき大切な存在です。
※展覧会の絵画では不条理に扱われていましたが、子供も大人も大切な存在です
興味深かったのは、絵画展の最後に書かれていたほんの少しの言葉です。
ゴーリーは大のネコ好きさんで、ネコと一緒に写ったモノクロの本人写真もかざられていたのですが
ネコは大好きな存在だからこそ、絵本の中で唯一残酷な目には合わせていないのだそう。
大好きなものをとことんえこひいきして大切にする
それって、当たり前のように思えるけれど、日常の中で「大好きで大切なもの」をちゃんと特別扱いできているのかな?
うん。
それだけは胸を張って言える!!!
マミコちゃんね、子供の時から動物が大好きで、とってもとっても愛情をもって接していたんだけれど
小学生のときに、やっと願いが叶ってやってきた小さな赤ちゃんウサギちゃんをお友達が見にきたときに、かわいいね!というお友達に対して
えー、カワイイけどおバカさんなんだよー
と照れ臭くて、一言余計な「おバカさん」という言葉を言ってしまったのね。
それ自体はそんなにひどい事ではないはずだけれど
なんと、その翌日、まだ赤ちゃんだったウサギちゃんは突然虹の橋を渡って行ってしまって、もう二度と、可愛くてフワフワのあったかいウサギちゃんに
かわいくてたまらないんだよ
と伝えることは叶わなくなってしまいました。
かわいくて大切で愛しい存在を、なぜ否定してしまったのだろう?
明日も当たり前にそこにいてくれると思っていたのに、最後に自分が言った言葉が自分をずっとずっと後悔させることがあると知ったのは、小学生の頃でした。
※ウサギちゃんは先天的な病気をもっていたのだと思います。
※ほんの少しの家族の期間でしたが、それでもウサギちゃんと一緒に過ごせてヨカッタと思っています
小さな私は、そのときに決意しました。
大切な存在に対しては
無条件の愛情を注ぐだけではなく
絶対に思ってもいない言葉は言わない、と。
私は私にとって大切なギンちゃんや仁くんを、とことんエコヒイキします。
だって、本当に大好きなんだもの。
ギクッ!
確かに、わたしは何より大切な存在である「わたし」に対しては
時にひどく冷たく、時にとても厳しく、時にとても非情な扱いをしてしまいます。
無意識に、けれどとても傷つけるやり方で。
ギンちゃんや仁くんに対してするように、私自身に対しても愛情をいっぱい注いで、どんな失敗も、どんなダメな日も、どんなことだってオールオッケーだよ!といってあげられるようになりたいな。
大切なものは傷つけたくないのに、いっぱい傷だらけで絆創膏を貼って頑張っている私に対しては
まだまだ!こんな事もできないの?
と、もう歩けないとSOSを出していても鞭打って歩かせようとしちゃってきたもんね。
ごめんね、私。
許してね、私。
ギンちゃん、仁くん、本当にありがとう。
出会えたことはやっぱり奇跡で、いつしかかけがえのない家族になれて
お互いに大切な存在だもんね!
自分が誰かにとって大切だと思えることって、カラカラになったスポンジが水を吸うようにふっくらと、そして気持ち良いくらいみずみずしい気持ちになれるね。
たった1人の1番大切で身近な存在の自分を、ともするといじめちゃうのは誰しもやりがちだからこそ
大事なものは傷つけたくない!と絶対にネコちゃんを絵の世界でも酷い目にあわせなかったゴーリーを見習って、大事にしようと改めてかんがえさせてもらえました。
あなたにとって大切なものを、胸を張って大事にしませんか?
私も、今以上に大切なものを大切にしていこうと思います。