「私に合うもの」「私が心地よいもの」は人と違っていることがあるけれど、これが私、なんだもんね
カサカサになったキウイフルーツって、言い方…。
私は「カサカサ」に抗うために、日々頑張って「保湿」をしていますが、それでもドライキウイに謎の親近感を感じるような、かさつきが気になるお年頃♡
もう、妙齢って感じ?? ← 謎の疑問形。こういうところがウザイと定評があります。
えっ??
フルーツだからとかドライで栄養価が高いからとかではなく『緑色だから意識高い系』なの??
まぁ、何でもいいんだけれど、なんていうのか「美容と健康」を意識している感じって、そこはかとなく丁寧な暮らし感とか優雅なマダム感を感じるんですよね。
単純に「仕事中のおやつ・間食をドライフルーツに変えただけ」なのですが、下手したらおやつよりもずっと甘いドライフルーツでも『ヘルシーに感じて罪悪感ゼロ』というのも嬉しい…のですが、カロリーゼロというわけではないので、食べ過ぎるとゆるふわに磨きがかかる心配があります。とほほ。
ドライフルーツって、スーパーで買うと少量で結構いいお値段ですよね。
まぁ、フルーツ自体がお安いものではないですし、乾燥(ドライ)するとギュッと縮まって量も少なくなりますから、少量でもフルーツそのものの使用量は結構あるんだと思いますから、お高いのもやむなし…
ですが、チマチマ買うのも面倒くさい!!というザッパー気質な私は、通信販売でまとめ買いすることにしています。
本当は10㎏くらいを買いだめてストックしておきたいのですが(ほら、細かく買う方が送料月度かかりますし)、我が家は収納がない物件ゆえ、ストックの置き場所が確保できず、それでもすぐになくなっちゃうのを気にしてチマチマ食べるのはイヤだから…と、3㎏(1袋1㎏)をまとめ買いしました。
ドライフルーツの購入に6,000円以上…
購入前に一瞬ひるみましたが、いざ届いてみると「重っ!キウイがいっぱいで幸せ~~♡」と嬉しい気分。
仕事中に煮詰まってきて頭が疲れた時に1~2枚をチビチビ齧りながらお茶を飲むのが、最近の私のルーティーンです。
ドライキウイがとっかかりですが、もっとお高い「ドライパイン」「ドライピンクグレープフルーツ」などなど、通販サイトを見ていたら気になるドライフルーツもあったので、少量タイプで試してみたいなぁ。
* * *
さて、いつも通り安定の「長い前置き」は本題と全く関係ないのですが、いきなりここからは本題DEATH!!
タイトルにも書きましたが、私は「居心地が良い」と感じたり「これは快だなぁ~」と思うものが、人と違っていることがたくさんあります。
いや、私だけじゃなくてみんなそれぞれに「自分に合う・合わない」があって、それぞれに違いがあるのが普通なのだと思うのですが、
不思議なことに、自分にないもの、自分には似合わないものを見て「いいなぁ」と感じたり、キラキラしていたり輝いていたりするものや人と自分を比べて「はぁ…」と気落ちしたりすることってありませんか?
私はまぁ、本当に人と比べて「自分のダメさ」に嘆いて生きてきました。
今だって、無意識のうちに人と比べて「なんで私にはできないんだろう」と思って肩を落とすことはたくさんあります。
比べるって本当に無益だし、比べた結果は「あぁ、私はダメだ」と自己卑下や自己嫌悪につながるのですが、単純に「憧れ」から「いいなぁ~」って比べちゃうこともあるじゃないですか!!
私はこの「憧れ」によって、幾度も打ちのめされてきて、妙齢の今、ようやく少しだけですが「憧れはあれど、私はそうなれないし、そうじゃなくてもそれはそれでいいんだよ」と思えるようになってきました。
あっ!!!
でもね、そう思えるように「なってきた」だけで、まだまだ悶絶もしますし、背伸びだってしますし、撃沈だってしています。
その全てがきっと、私という存在だと思うし、遠回りすのがマミコ・スターーーイル!なんですものね。えへへ。
私は苦手なものが幾つかあります。
その一つに『大きな集団に属する』というものがあります。
一過性で大きな集団に混じって何かを習うとかであれば、めちゃくちゃアウェー感があろうが「あっ!どうもお邪魔します。すぐに失礼しますので!!」という感じでやり過ごせるのですが、ある程度長く人数の多いコミュニティーにいると、すごく疲弊して疲れてしまいます。
どちらかというとコミュニティー能力が低く、マイペースな頑固者な気質があるので、大勢の集団に合わせるのが苦手です。
えぇ、協調性というのがないんです。
だから、学生時代も「クラス単位」ではなんとかやれても、「学年単位・学校単位」という大人数の集団の行事がとにかく苦手で緊張しました。
運動会とかそういうやつです。
組織やグループ、会社なんかでもそうですが「上に立って引っ張っていく人」「先頭にいて楽しんでいる人」が目立ちますが、私はそちら側の国ではなく、引っ張ってくれる人から少し遅れた場所で色んな人を見ながらそれぞれが「しんどくないだろうか?」「大丈夫だろうか?」「楽しめているだろうか?」「分かっているだろうか?」「でもそうやって気を配るのがしんどい…」などと、勝手に考えたり感じたりして疲弊するのが私が所属する国。
なのでグループが大きくなると、色んな人がいることに気後れしてしまいます。
とはいえ、大企業とか人気のサークルとか、そういう「一見華やかな世界」に憧れたりもするんですよねー。
自分にないものだから、キラキラして見える…
いわば誘蛾灯のような、桃源郷の世界。
憧れちゃうので、そこに近付こう・そのコミュニティや世界の扉をそっと開けてみよう!と頑張ってみるのですが、いざその王国に入れてもらうと
うわーーー、ナニコレ!!!
私にはしんど過ぎる。人が多すぎるーーー。
って委縮しますし、人が多くなれば当然ですが「合わない人」も多いので、そういう人の言葉や態度に振り回されて自分がイライラしたり気落ちしたり、謎に自己肯定感がそがれる体験をしたり…
結果、そこに属しているがゆえに疲れ切って、週末は体力回復のために寝るしかない!みたいなことになったり、それでもそこに属していると最終的には体を壊して強制終了…みたいなことを繰り返してきました。
私は「大きなグループや所属先」が合わない。それだけ。
なのに、人とうまくやれない自分はダメだとか、大きなグループが持つキラキラに属せない自分は何か足りていないのではないか?と欠けているものを探して埋めようとすることに余計な力を注いでいたのですが
そもそも、完璧じゃないですし、欠けているところがあるのがニンゲンだもの。
みんな違って、みんな欠点だらけなのが、ニンゲンだもの。
それにもう一つ、その時にはフィットしていても「自分が成長した」ことで、今まで所属していたコミュティーや友人関係が合わなくなってくることもありますよね。
その場での必要な学びや経験を全て終えたんだよ!
という、卒業のような感じではあるけれど、それまでずっと親しかったコミュニティーが合わないと感じて離れるのは、やっぱりすこし寂しいものです。
卒業式ってそうですもんね。
門出とはいえ、別れもついてきますから、心細くなったり切なくなったりします。
華やかでたくさんの人がいる環境で、楽しそうにしている人を見れば羨ましくなりますし、ゆっくりヌルヌルしか進めない「カタツムリ歩き」しかできない私は、なんでもすぐに行動して結果が出せる人に憧れますが
私には私の速度や世界があっていいし、それを大事にしてそこから学び、少しだって一つだって多く自分が「快」を感じて笑顔で生きればいいんだ
って思ったら、また一つ気持ちが楽になれました。
開き直りとか、諦めとか、そういう類かもしれないけれど、なんにせよ「私が少しでも呼吸しやすく伸びやかになれること」が私の人生では大事なことですから!
私は、私が疲れずに楽しめる範囲の人間関係を大事にしながらも、その大切な人たちとも速度の違う自分の歩幅・人の歩幅を尊重しながら生きていけたらいいなぁ、と思っています。
憧れる人や眩しい人がいますが、その人と同じじゃない自分でもいいし、きっと私にも『私にしかない輝き』がある…よね???って自分で自分に突っ込みながら笑って、私は今日もマイペースに生きています。
ではでは。
そろっとお茶を沸かしてドライキウイで糖分補給しようかな??
ということで、これにてドロン!!