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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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人生最大の問題の後の恩恵は、ささやかで、でも最高のギフトだったこと

ハッピーハロインでちーー 仁くん、顔ハメしたでちよ!

ハッピー・ハロウィン!!
10月も今日で最終日、今月も残すところ2カ月だなんてビックリです。

昨日、妹と一緒に「ドーナツ」を買いにピアBandaiという信濃川の河口エリアのお店が並ぶ場所まで行って来たら、ハロウィンイベントで賑わっていました。

余談ですが、ドーナツは人気で行列に並んだのですが、目の前の数組を残して完売と言われて買えませんでした。とほほ。

ここに仁くん用の穴が!

広場のようなスペースがあるのですが、そこにハロウィンの顔ハメパネルがあったので、張り切って顔をいれて写真を撮って家に帰ってきた後で、写真の右下に「DOG ONLY」と書かれている小さな穴があるのをみつけてビックリ。

これは、仁くんの「犬生初の顔ハメ体験」ができる!!!と、今日のお昼休みに急いで車で行ってきました。
えぇ、何しろ今日がハロウィンで、明日にはきっとパネルも撤去されるでしょうから…

仁くん、上手にお顔出せたでちよー

パネルの裏側に仁くんをスタンバイさせて、パネル脇に体を置いて前側に乗り出すようにして「仁くん!こっち見て~」と声をかけると、ひょいっとパネルの穴から上手に顔を出してくれたので、急いでパチリと撮影。

もう少し離れた所から撮った方が分かりやすいとは思うのですが、離れるのも不安だったので側でパシャパシャと数枚写真を撮って終わりにしました。

多分、ギンちゃんも顔をいれられる高さだとは思うのですが、広場は人が多くてごった返すので、ギンちゃんはビックリしてストレスだと思いお留守番。
またいつかの機会に、ペット用の高さの顔ハメがあったときにギンちゃんもイケメンなそのお顔をヒョイッと出すことができたらいいなぁ。

また一つ我が家に「思い出」が増えた素敵なハロウィンになりました。

* * *

ハロウィンの今日は、私が離婚届けを出した日。
早いものであの日から4年という月日が経ちました。

彼が先に家を飛びだす形で別居となってから2年半を経ての離婚だったので、実際には彼と別々に暮らして6年半も経っていることにビックリ。
つい最近まで一緒にいたような気がするけれど、もう3魂暮らしも随分と長くなっていました。

ハロウィンというイベントの日と重なっているため、どうしても離婚したことを思い出すことにはなってしまうのですが、いざ実際、今年のハロウィンはどんな気持ちで迎えるんだろう?と思っていたら、もうすっかり元気で笑えていて、ハロウィンという日に離婚をしていなければ、果たして思い出しただろうか??というくらいに過去の出来事になっていました。

時間薬という言葉があって、その薬が効いてくる時間は人によって違うし、必ずしも効くものではないとはいえ、私にはちゃんと時間が薬として作用してくれていました。

– – – – –
4年前の私へ。
あのね、4年後にはビックリするくらい元気になっているよ。
そして、仁くんは生まれて初めての顔ハメをして、記念撮影して「ハロウィンの日を楽しい思い出」で塗り替えているよ。
大丈夫だからね。
大丈夫だなんてあの日には思えなかったけれど、それでも離婚をちゃんと受け入れて離婚届けを出した私は、本当に良くやったよ!!誇りに思うよ。
– – – – –

生きてきた中で大小さまざまな問題や痛み、哀しみや別れを経験してきました。
その中で一番大きくて、一番苦しくて、一番長く向き合ったのが「離婚問題」でした。

ボロボロになって、体重も1週間で7キロ近く痩せて、食べることや眠る事も出来ず、悲しくてどうしようもないのに涙も流せずに呆けて…。
生きる屍ってこういうことを言うんだな、って肉体は生きているけれど心が無になった感じで、全てが砂のようにさらさらして消えて言った感じがしていました。

それでもなんとか少しずつ生きることだけをしていた中で、トドメのような「子どもができた発言」ですべての希望の光が消えたように感じて、生きていることをやめたくなったりもしました。

本当になぜ私はこんな目に合わなくちゃいけないのか?
なぜ、普通の幸せすら私には手に入らないのか?

随分と暗闇の中で自分を責め、周りの世界を羨み、葛藤して悶絶しました。
執着が手放せないこと、決めることができないこと、未来への不安もたくさんだったこと、思考ばかりが常に忙しくしていて苦しかった日々でした。

自分の身の回りに起きる問題は、自分に対して「何かを教えるため」に起きると言われているし、大きな問題があった後は「大きな恩恵がある」という言葉を希望に、きっときっと素敵なことがあるはず!と前を向きました。

当時の私は、自分に対してこんな言葉をよくかけていました。

– – – – –
大丈夫だよ。きっときっと、いつかこの問題の恩恵が分かる日が来るよ。
こんなに苦しんでるんだもん。こんなに傷ついたんだもん。
だから絶対に、幸せになれるよ。
ううん、幸せになれなかったら困るよね!!
大丈夫、大丈夫。きっと大きなギフトが届くから、楽しみにしようね。
– – – – –

問題の渦中にいた時は、大きな恩恵というのは「目に見える形」なんだろうと思っていました。
離婚を決めた前後にも、周りの人たちから「離婚すると不思議とモテ期もくるし、再婚もあるかもよ~」と言われることも多く、きっと次なるパートナシップという恩恵がやってくるぅ~~!と疑わずにいました。

ですが、あれから4年。
あはは、浮ついた話はなく「パートナーシップ」については、まだもう少し先の未来のお楽しみのようです。

でも私はまだ、諦めたわけではなく…

プロセスは完璧!

なはずだろうから、いつかのその日まで「今できることを楽しむ」ことにしようと思っています。

それにね、いつか両想いになりたい!と心から思える素敵な人に出会い、また誰かを好きになることもできました。
そうそう、私が一番恐れていたのは、離婚した後で「彼以外の誰かをまた好きになるということができるだろうか?」というものでした。
だから、頑張って恋をしよう!としても心が全く動かなかったのに、ある日突然、また心がキュンと反応できたことが何よりも嬉しかったんです。

分かりやすい「パートナーシップ」という恩恵・ギフトが届いたわけじゃないし、仕事も以前と変わらずですし、私の毎日は4年前のハロウィンと大きく変わったことはあまりありません。

でも、私はすでにこの人生で有り余るほどのギフトを手にした!と思っています。
やっぱり大きな大きな、自分では乗り越えられないと思うほどの問題の後の恩恵というのは、とてつもない大きさでした。

私が手にしたギフトは…

当たり前の「今日」が、当たり前なんかではなく、幸せであると感じられることです。

問題のさなかにあった時、私が喉から手が出るほど欲しかったのは「思い煩わずに普通に毎日を送れること」「ちゃんとお腹が空いてご飯を美味しいと思って食べれて、夜になったら眠くなること」「平凡で凪の状態の毎日が来ること」でした。
お金でもなく、美しさでもなく、出世や成功でもなく、ごくごくありふれた「当たり前過ぎて退屈…と言っちゃうくらい穏やかな日々」でした。

私の世界は色を失い、何を見てもグレーに見えていました。
世界に色がない、味がせずに何を食べても砂を噛んでいるような感覚、面白いことがあっても笑う事も出来なくて常に頭の中は不安でグルグルと思考して休まらず、眠ることもうまくできないのに、朝起きたとたんに「あぁ、また1日生きなくちゃいけないんだ。朝が来てしまった…」と泣いていました。

ようやく1日をやり過ごして眠った後、朝が来るたびに絶望する。

その時に思ったのが、平凡な日々が奇跡だということでした。

大きな問題を前にして暗闇の中で針の穴程の光すら見つけられなかったときには、「当たり前」が奇跡に見えました。

スーパーで普通そうにしている人を見るだけで涙が出て、食べたいものも思いつかない、感情をなくしている自分がまた朝を絶望ではなく「何も思わず」に迎えることは、もうないんだろうと思っていました。
作り笑いはなんとかしていたけれど、心に空いた穴はいつもスースーしていて虚しくて、もう二度と今までのように楽しいと思えることなんてないのかもしれないとも思ったら、とてつもなく悲しくなりました。

問題があったからこそ、自分に寄り添うことも出来ました。
誰にも伝えられない、分かってもらえないことだからこそ、私が分かってあげたいと自分にとことん向き合いました。

問題が過ぎ去り、少しずつ少しずつ気持ちは楽になっていき、朝起きた時に「新しい朝が来た」とただ思えた時に号泣したのを覚えています。
絶望が消えて、思い煩わない今日を生きれること、何かを食べた時に「おいしい」と感じること、当たり前の今日を過ごせることが、とてつもない幸せで「奇跡を生きている」とひしひしと感じました。

そこから今日までずっと、時に波はありつつも「平凡で深く思い煩うことのない当たり前の今日」が過ごせることが、とにかく嬉しくて幸せだと思えています。

この先の人生でもきっと、「手のひらサイズの幸せ」をふくふくと喜び、奇跡のような『何でもなく輝かしい時間』を私は生きていけるのだろう、と。

それが、とてつもなく大きな問題の後に私に届いた、最高のギフトです。

ギンちゃんや仁くんとの3魂暮らしは、毎日がどうでもいいことで笑いあえて、お天気がよければそれでほっこりしたり、上手にご飯が炊けたら喜んだり、「はー疲れた!」なんていいながらお風呂で手足を伸ばせてボーッとしたりできるくらいに思い悩むことがないことにニッコリして、眠りにつくときに「あぁ、今日も素晴らしい一日だった」と言えることが、私にとって奇跡のような幸せです。

人生最大の傷や痛みを通り過ぎた後の恩恵は、人から見たらとても小さなものかもしれません。
けれど、私にとってはとても大きな素晴らしいギフトでした。

毎日は本当に奇跡です。
時にはうまくいかなくて涙したり、嫉妬したり、怒りに震えたり、そんな自分に気落ちしたり…って揺れるのも「人間だもの」当然ですが、それでもそんな日も私は面白いことがあれば心から笑うことができています。

また、笑えた。
また、笑える。

食べれる、眠れる、暇だなぁ~って何かを求める余裕がある、それはもう幸せ。
手のひらサイズの幸せに笑える私は、うふふ、幸せに生きています♡

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