自分の欠点は「自分の持つ力」になる ~弱さを大事に包み込んであげよう~
週末、桃を買いに行った際に「スイカをまるごと一玉」買いました。
でもでも、仁くんがちょこっとスイカを食べるとはいえ、ほぼほぼ私一人で大きな1玉…はさすがに痛ませてしまいそうだったので(何より冷蔵庫に入らないですし)、実家と半分個にしました。
カットされていて断面が見えるスイカは、好みのもの(水分多めとか、ボソボソ感がある方が好きとか)が選べるのですが、玉のものは割ってみるまで分からないので、好みのジューシースイカだといいなぁ~とドキドキしつつ選んだのですが、見事にみずみずしくて熟れているおいしそうな断面に、思わずガッツポーズ!
ヤダ、私、スイカの目利きまでできちゃういい女??
なーんて浮かれて自画自賛しています。うふふ。
そのまま冷やして好きなサイズに切って食べられたらいいのですが、我が家の冷蔵庫はそんなに大きくないので、せっせとカットして、我が家で一番大きくて深いタッパー2つと、その次に深いタッパーたちを総動員して、無事にスイカを冷蔵庫にしまえました。
これを月曜日から毎日ニヤニヤしながら「3時のおやつ」に食べているのですが(3時以外にも食べちゃいますが)、まだ半分ほど残っていて食べても食べてもまだスイカがある♡という幸せに震えています。
やっぱり半玉って量がありますね~。
* * *
今日は「脱力系☆スピ」な仲良し妙齢3人娘のサトヒーヌ・スズキチサちゃんと、潜在意識の書き換えについてというテーマでYouTubeライブを開催しました。
三者三様で「みんな違って、みんな素敵!」だと思っているのですが、やはり自分の「言いたい事が上手に出てこない」「うまく話ができない」という部分が、
あいたたたた…
と思ったりもする訳です。
そんな自分に対しても「そう思っちゃったんだね。みんな言語化が上手だし、分かりやすいし、話の間とか上手だもんね~。そかそか、その中でも私も精いっぱいやったよね。お疲れ様!」と、大親友の私が分かってくれるので、落ち込むとか卑下するという事はないのですが、だからといって『何も感じない』という訳ではないんですよね。
よくいう『リンゴはリンゴ、桃は桃。他のものにはなれないし、それが魅力であり個性。』というように、お喋りをして司会進行するのが得意な人もいれば、物事を適切に言語化して分かりやすく伝える能力が高い人もいれば、そうじゃなくて「話下手でうまく言語化できずにあぅあぅする私のような人」もいる訳です。
そこに優劣はなくて、それぞれの特徴や個性であって、私が苦手なものを2人がものすごく絶妙なバランスで補ってくれたり、言いよどむ私が言葉を出すのを暖かく待ってくれたりして、本当に助けてもらっています。
そして、助けてもらいながら私はこうやって、YouTubeライブに登場することが出来ています。
それって1年前くらいの私では、想像もしていなかったことです。
何しろ、動画で見る自分は、いつも首から前に顔を出すようにして片言のAIのように言葉を発し、画面の前では頭が真っ白になって言いたい事がスコーンと抜けて、準備してきた原稿を棒読みするのだって一苦労という有様で、とてもじゃないけれどYouTubeなどの動画と相性がいいなんて思えずに避けていました。
私がうまく喋れない事は、何度も二人に訴えていますが、それ以上に「その時間・その場が楽しい」という事に加えて、二人が私の弱さやダメさを分かって受け入れてくれていることで、安心してダメな私のままを出すことが出来ています。
これは本当に「私が思うこと」なので、人から見たらまだ全然カタコトかもしれませんが、
最初にYouTubeライブをやった時よりも、喋ることが出来るようになれている
と思っています。
二人がいつもそこにいてくれて、まごついても温かく見てくれる。
そして、笑って受け入れてくれる。
本当に素敵な人たちに出会い、素敵な場所を与えてもらえていることに改めて感謝です。
まだまだ上手に話せないし、言いよどんだり、頭が真っ白になって言いたい事が言えないことが多いけれど、そんな私を
だってそれがおまみーぬだから
と受け入れてくれて、ありがとう。
ちょっと話が前後しますが、二人の優しさのおかげで楽しくお喋りを配信する時間に参加していますが、今日も言いよどんだりうまく表現できなかったり、まごついたり…と、自分の「欠点」「苦手な物」「弱さ」というのを自分で目の当たりにして、少しだけ胸がギュッとなったりした訳です。
それは、もっとうまく話せる私になりたいなぁ~、という願いや思いが私の中にあるから感じる気持ちなんですよね。
・いざ話そうとすると言葉が出てこない
・話している途中でしどろもどろになる
・言いたい事がうまく伝えられない
・カタコトでぎごちなくなる
・カクカク動いて顔が真っ赤になる
私にとっての「弱点・コンプレックス・欠点」のようなものですが、でもこのダメな部分があるからこそ、私はこんな風に思うことが出来るんです。
自分の胸の内を「ポンッ」と話せないことだってあるし、伝えたくてももどかしいくらいに頭が真っ白になる事もある。
上手く言語化できなくて、心の中にある言葉が必ずしも声になって伝えられるとは限らない。
だからこそ、1度で分かろうとしなくていいし、表情や声のトーンや仕草も「聴こう」としたい。
私のようにすぐには言葉にして届けれなかったり、上手に言語化できない思いがある人もいるのだから、表面上の言葉だけで「知ったつもりにならない」で、
知ろうと思うこと、声以外にも耳を傾けて「聴ける私になりたい」と。
自分自身がもどかしさを抱えているからこそ、うまく伝えられない人がいても「それでもいいんだよ」と笑顔で伝えて、その中から精一杯伝えようとしてくれているものを拾いたいと思っています。
自分が嫌っているダメな部分であれば、相手がそれと同じもので苦しんでいた時に、誰よりも分かってあげられて力になれます。
そう思うと、欠点やダメな部分、不完全さがあればあるほど「人に寄り添える」素敵な能力を持っている!と言えちゃいますもんね。
あぁ~。ダメで良かったかも!!
そんな風に笑いながら、自分の弱さを包み込むように「ヨシヨシ」と優しく受け止めながら、弱さの持つ強みや力を見つけてあげて、自分に笑いかけてあげたいものですね。