自己肯定出来ても不安で押しつぶされる日もある。それでも私は私を分かりたいと思い続けています。
昨日、我が家に「温・湿度計」を設置した話を書きましたが、お昼頃にチラリと確認したら
・温度:18度
・湿度:40%
と、暖かいけれど乾燥気味なのに気付き、お昼から夕方まで久しぶりに加湿器のスイッチを入れました。
湿度計が50を超えた辺りで加湿器をオフにし、今は60%手前位の「潤っている状態」を維持しています。
* * * * *
昨年の夏頃から少しずつ「自分と仲良くできる感じ」が掴めてきて、私は以前と比べたらはるかに自己肯定・自分を思いやることが出来るようになりました。
以前は自分の価値なんて少しも見つけられませんでしたし、見つけてもらっても受け取ることを拒否して逃げていました。
自分のことを好きになりたいと思いながらも、好きになんてなれないだろうと諦めてがっかりすることも沢山ありました。
今の私は、自分のことを大事に思えていますし、何よりも「どんな私のことも分かってあげたいし側にいてあげたい」と思えるようになって
自分が自分を見捨てない
自分が自分に優しい気持ちを持って接する
落ち込む自分も否定しない
という事が「当たり前」になりました。
自分を肯定し・受容する事が私の中では「ごくごく当然」のように出来るようになったことは、すごく自分にとって大きな変化です。
この1年を振り返ってみると、今年は自分との関係がうんと強固になった1年だったと思っています。
小さなやつまづき、気持ちは揺れるので落ち込んだりという事もあったけれど、それでも私は自分に優しくできて穏やかに日々を楽しんで生きていました。
また、自分を受け入れて大事にするようになったら、今まで鎧を着こんで自分に鞭を打って「自立をこじらせて男性性優位に生きてきた自分」でいる事が辛くなり、出て来ちゃダメ!!と抑えていたはずの女性性が優位な状態になりました。
今まで否定してきた自分・抑え込んできた自分に対しても「ようこそ、どうぞ。それが私だもんね。」と言えるようになり、そのままではダメだとどんどん着込んできてしまった鎧を脱ぐように身軽になって行くのが自己肯定なのかもしれません。
だって、私たちは傷ついたり足りないと思う事がきっかけで、素の自分にメイクをしていくんですもんね。
私は今年1年で、自分との関係がとっても良好になれたと胸を張って言えるほど、伸びやかにイキイキと生きる楽しさを味わいました。
それはきっと「今まで私がクリアしたいと思っていた課題」で、その課題に向き合い続けた先に「もう大丈夫だね」と自分が納得できてほほ笑める状態になれたという事なんだろうと思います。
自己受容・自己肯定はこの先も自分との関係で終わりなく育んで行くものです。
もっともっと自分と信頼関係を築いていけるのだとしたら、ワクワクしますしこれからがとっても楽しみです。
自己肯定感が上がっても、問題を前にして悩むことも落ち込むことも、不安に感じることも「普通に」やってきます。
ただ、その問題や落ち込んだ気持になる自分に対しても、あったかく接してあげたり決して見放さず、側にいようとしてあげる自分がいる事に気がついたり、自分が悩んでいる事を否定しないので、結果的に浮上するのが早くなったりはします。
私はこのブログの中でも幾度も弱音を吐いているのでご存じの方も多いと思いますが、今の仕事に関して悩みを持っています。
私はIT系の仕事をしているのですが、私の職場の雰囲気というか社長の方針というかが「各個人や部署に目標を持たせて追いかけさせる・達成させ続ける」という気質があり、ここ数年は『追われるような気持ち』で仕事に対してすごく疲弊している感じで頑張ることが出来ずにいます。
幸いなことに人間関係や給与面など、業務内容以外は何も不満は持っていませんし感謝できることもいっぱいあります。
業務が苦しくて眠れず、本当に辞めるべきかについても悩んだりもしましたが、それでも辞めると決断できなかったのは「辞めなければ安定した収入がある」ということです。
そしてそれは今も変わらず、業務に関しては考えると胃が痛くなったりもしますが、それ以上に「生活が保障されている」事の方が私にとっては重要だから、悩みながらも今の状態で足踏みしています。
(私にとっては安定している状態ってすごく大事な物なんだと実感しています。)
コロナの流行で、それまで変わる事のなかった事柄がすごい勢いで変わり、その一つが「在宅勤務」という事でした。
私にとっては理想の働き方で、願わくばずっと在宅勤務が継続してくれたらいいなぁ~と思っているのですが、今までと働き方が変わるという事は会社も変化する部分があり、今以上にシビアに個人成果やグループ成果を評価するという方針が決まったようで、今週突然、上司からお知らせのメールが届きました。
来週火曜日に、方針説明を含めた個人面談をするという連絡でしたが、そのメールをきっかけに抑えていた不安やしんどさが溢れ出して、久しぶりに思いっきり落ち込みました。
まだ何かを言われたわけでもないのに、あれこれ不安を引っ張り出してはメソメソして震え、業務がしんどくてもう無理!!と言っているくせに、安定収入がなくなる(と思い込んでいる)ことへの恐れから「うわーーーっ!」と発狂しそうにもなりました。
全て、私が勝手に想像して、勝手に不安がって、勝手に落ち込んでいるだけなんですけれど、ね。
ただ、一つだけ言えるのは「明るく嬉しいニュースのための面談」ではなく、今以上に個人にかかる成果主義は重くなり、私にとってはそれが耐えられるものなのだろうか?という怖さがあります。
今がもうギリギリの所でなんとかしているのに、いつか肩を叩かれるのではないか?と不安に思いながら追われるように仕事をするのは、私が破綻するような気がしますし、かといって生活面で不安定になるのは怖いし…と堂々巡りを数日したのですが…
もしかすると、私は自分を大事に出来るようになって自己肯定という課題をクリアできたからこそ、次は不安になる自分や決められない自分という問題に向き合うタイミングだよ!!と問題を起こしているのかもしれません。
なーんて、問題はやっぱり向き合いたくなけれど、もう私の中では業務に対して限界だから、決められないなら決められるように問題として目の前で「さぁ、どうしたい?!」とやっているのかもしれませんね。
今回はとにかく不安で怖くて…という気持ちを味わっているのですが、今までと大きく違うのは
不安な自分を否定しない
不安な自分のことを見捨てない
不安を感じてはいけないと禁止しない
という事です。
不安な気持ちはもちろんしんどいけれど、不安を抱える自分を受け入れているというか、どうしてそう思うの?何を怖れているの?私はどうしてあげたらいい??と不安がっている自分を決して見捨てず見放さず、側にいてあげることが出来ています。
私は「怖れや不安」を感じる度合いが強く、子供の時から不安に突き落とされてパニックになる事や、強迫的に追われる感じに発狂しそうになって冷や汗をかいたりする苦しさを持ち続けています。
この不安や寂しさは定期的な発作のように、何かちょっとした出来事がきっかけでブワーーーッと大きくなるのですが、今回は久しぶりに大きすぎる不安の波に飲みこまれて冷や汗をかき手足が震えるくらい「不安でたまらない」という思いの中に落ち込みました。
あまりに不安が強いと、一体何に対して不安なのかが分からなくて、だただた怖いというだけになっちゃうんですよね。
もう、居ても立っても居られないくらい心臓がバクバクしますし、何が怖いのか分からないけれどとにかく怖い!!みたいな感じになります。
そんな時は無理せずに、起きていても辛いから…と考えるよりも寝ることをしてみたり(私なりの不安の和らげ方や自己防衛法)、暖かくて気持ちが落ち着くハーブティーを飲んだり(不安な時に実際にやると効果的だった方法)、お風呂にリラックスできる大好きな香りの入浴剤を入れて顎までとっぷり使ってただ自分を抱きしめたりして、出来るだけ不安をやわらげてあげられるようにと自分に優しくしました。
一体何が不安なのかな?
不安な気持ちはしんどいけれど悪者じゃないから、無理に振り払おうとしなくていいよ。私も一緒にその不安を感じるからね。
大丈夫だよ、ゆっくり手放していこうね。
そんな風に声をかけて問いかけた結果、私の中から出てきた言葉は
もう頑張り続けたくないけれど、ずっと頑張らなきゃいけないと「決めている」事が不安なんだということでした。
こんなに不安なのは「全部が私一人で頑張り続ける未来」だって思ってるからだ!!
という事でした。
それは今までずっと「人に頼ってはいけない」「何とか自分ですべてを背負ってやるのが当たり前」だと思い込んできた自分が自分に背負わせている重荷なんだと気付きました。
自立をこじらせて、いろんな局面で自分が頑張るしかなかったし、そうやって耐えて堪えて生きてきたんだもの、また頑張らないといけないんだ!!と思っちゃうクセがあるのは当然ですよねー。
そしてバリバリに頑張らなくても幸せになる未来を描くとか、誰かに助けてもらったり身をゆだねる(信頼する)という事をしたことがないから、やったことない課題を前にしたらそりゃあ大きな不安にもなるよなぁ…と。
この先、私はパートナーシップも叶えたいと思っているので「ひとりで何でもかんでも頑張る未来」に震える必要なんて本当はないはずなのに、自分が幸せになる事をまだ信じ切れていないというか、自分が一人で孤独に頑張り続けないといけないという「思い込み」がある事に気付けたような気がしています。
つまりきっと、これだけ不安になることを通して、自分が本当に手にしたい幸せを自分に許可するために腹を括ってみる時期が来たんじゃないの??と教えてくれているのかな…???なぁんて。
パートナーシップを暖かく育みながら、相手に寄りかかるという事ではなく、パートナーに不安に思っている自分を抱きしめてもらったり、弱さを受け入れてもらって安心して前に歩いていける事が、ずっとずっと思い続けている私の心の奥の願いなのだろうと思っています。
けれど、そうすることが出来ずに、勝手に一人で背負ってきちゃって、旦那さんだった人にも自分の弱さを見せられなかったもんなぁ。
弱くて、不安に震えて、甘えん坊で泣き虫な私を
みっともなくて頑張れない時がある私を
私はもう恥ずかしいと思っていません。
何でも一人で抱えるんじゃなくて、時に私の不安の一部を一緒に抱えてもらっていいんですもんね。
私が願う幸せや安心を自分に許可して、幸せになる覚悟を決めちゃおうぜ!!という事なのかもしれません。
そして、大きな不安というのは自分がどうしたいのか?どう生きたいのか?を気付かせてくれるものでもあると思っています。(不安は感じたくなけれど…)
私は多くを求めてはいないけれど、安定して生活が不安にならない生き方をしたいと思っている事を痛感しましたから、どれくらいのお金があればいいのか?どんなやり方をすればその不安は解消されるのか?どういう道があるのか?と、これから時間をかけて自分のためにいっぱい考えてあげようと思っています。
すぐに答えが見つからなくてもいいじゃないですか?!
いっぱい考えていいし、自分を安心させるために出来ることをいっぱい見つけてあげたいですもんね。
そして、なんでこんなにも「安定しなくなる」事への恐れが強いのかを自分にいくつも質問したら、過去にうんと傷ついた自分がいました。
結婚が決まって、その前からしんどかった仕事を辞めて転職しようと思っていた矢先に彼がうつ病になり、生活を自分が支えるとなったときにとびきりに不安でした。
けれど仕事を辞めていなかったから生活が傾かずに、大事な人を支えることが出来たことにとても安堵したのを思い出すと胸がギューーーッと苦しくなります。
凄く時間はかかったけれど、離婚をすることを受け入れて前に踏み出す時にも「変わらずに収入があるから大丈夫」と思えたんだっけ。
そのどのシーンでも、本当は辛かったのに、本当は寂しかったのに、誰にもそんなことを言わずに「大丈夫!よかったな。私が頑張ればいいもんね。なんとかなっているもんね。」と自分を奮い立たせてきました。
凄くしんどかったんですよね。
凄く悲しかったし、怖かったし、助けて欲しかった。
心細かった中で、途方に暮れながらも前に進んできた自分の気持ちを思ったら、もう涙があふれて止まらなくなり、ワンワンと声をあげて泣きました。
ギンちゃんや仁くんがキョトンとしていたので、抱きしめたあと涙を拭いてお風呂を沸かし、お風呂場でまた思いっきり泣きました。
そしたらなんか、楽になりました。(えへへ)
感じきった…のかな??
という事で、明日はサトヒちゃんと共催の「自分の1年を振り返って肯定し、未来予想図を描くワークショップ」を開催するので、そこで思いっきり自分の幸せを貪欲に描いて、自分が望むものにコミットしよう!!ってワクワクしています。
火曜日に面談があれば、その内容次第でまたきっと心は揺れます。
案外ケロリとしているかもしれませんし、こればっかりは分からないけれど、きっと悩み多い私の生き方を「私なりに楽しむため」に今世を決めてきたんでしょうし、その都度都度でたくさん考えて、選んでいけばいいんですもんね。
ちょっと恥ずかしいけれど、不安定なのが私です。(えへへ)
そして、迷ったり笑ったり、泣いたりはしゃいだりしながら、私を生きていくしかできない不器用なおまみーぬですが、これからもどうぞ、暖かく見守っていただけたら嬉しいです♡
おやすみなさい。
今日はあなたも私も、ゆっくり健やかに眠れますように。
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