悩みはあなたの「自己紹介」なのかもしれません。
仁くんが「おっきい干しブドウ」と呼んでいるそれは、ドライプルーン。
お盆の時期に貧血が酷くて、それに引きずられて気分も落ちましたし、何よりも「起きていられない」と数日間を寝て過ごすことになり、もったいない事をしてしまったのを機に、日常生活で少しだけ「貧血」予防を意識するようにしています。
とはいえ、頑張り過ぎると疲れますし「やらなくてはいけない!」と義務化すると追われる感じがして嫌になっちゃうので、適度にやれる範囲で、というのを大事にしています。
もともとドライフルーツを食べるのは好きなので、毎日仕事の合間に数粒つまむようにしているのですが、こまめに買いに行くのが面倒くさい!とまとめ買いしました。
病は気から…ではないですが、なんとなく元気になれているような気がしているので、飽きるまで続けてみようと思っています。
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私は今でこそ「自分を大事に思える」と言えるようになりましたが、実は長い事自分を我慢させ、ないがしろにし、自分の価値を踏みにじる生き方をしてきました。
師匠である根本さんの『7日間で自己肯定感を上げる方法』が出版されるのを心待ちにし、これさえ読んで実践すればこの生き辛さから解放されるはず!!と思いながらも、読んでもなんだかスッキリせずに、また自分を愛せなかった…と自己否定の沼にズブズブと飲み込まれたりもしました。
自己受容・自己肯定というのは、価値のないはず(と思い込んでいる状態)の自分を「そのまま」受け入れて、これが私だもんね…とほほ笑んであげる事、だとはいろんな自己啓発系の本を読んだことで「知識として理解」はしていても、どうしても価値のない愛されない私を許すことも・歩み寄って抱きしめることもできませんでした。
今思うと、私は必要以上にオドオドしていました。
これはお弟子さん入りした最初の講座でみんなで撮った記念写真の一部なのですが、私は自分がここに写る事すら怖くて(恥ずかしいし申し訳なくて)後ろの方にそっと隠れて縮こまっていました。
白いニットの女子の後ろにうっすらスカートらしき柄が見えると思いますが、これが私です。
この時はこうすることが精一杯でした。
それくらい「私なんて」「私は場違いだ」と思っていました。
声をかけられれば過剰にビクッとし、自分の意見は言えず、いつも困ったような気分で生きていました。
というか、自分の意見なんてものすら持っていませんでした。
意見は持っていないのに、頭の中では忙しくあれこれ考えて先回りし、こう言ったら嫌われるのでは?あの人が笑っていないけれど何か気に障る事でも行っちゃったかな?と相手の感情まで読み取ろうとして(そんなこと出来っこないのに)取り越し苦労でぐったりしていました。
こうやって生きるのが私で、人の目を気にして自分が一人で傷ついて、しんどさばかりを重ねて、どんなに頑張っても「自分を肯定できない」んだ、と悲しみの沼から出ることが出来ませんでした。
けれど、そんな私でも「自分の意見」を持てるようになり、今では自分のことを大事だと思って、自分を愛することが出来るようになりました。
私がしたことは「私が無理なくできることだけ」をただ続けるという事でした。
しかも、それは負担ではないレベルでやれることだけで、やっている間「ものすごい手応え」があるわけではなく、じわじわと少しずつ雪が解けていくようにゆるやかに効いていきました。
自分の声を聴くように意識しましたが、長年私を蔑ろにしていたので、私は私を信頼していませんから心を開いてくれませんでした。
ガチガチで水を跳ね返す土壌だったのですから、ゆっくり丁寧に固い土を耕すように、諦めずに声掛けをしました。
いっぱい無視してきてごめんね。
いっぱい虐めてごめんね。
私は私と仲良くなりたいから、どうか許してね。
そうやって少しずつ、数か月という時間をかけて自分と「対話をしていく」練習をしました。
「ごめんね」「ありがとう」「よかったね」「お疲れ様」「偉いね!」「エイエイエオー」と、ことあるごとに自分に声をかけ続けました。
ガチガチだった心の土壌ですから、しばらくは何をしても心に響きませんでしたが、頑なになる事で自分を守ろうとする健気で傷だらけの私を、大切に扱い続けました。
静かな水のように穏やかであること。周りに流されず自分の速さで進むこと。
ターシャ・テューダー
辛いから、苦しいから、何とかしたいから、どうしても答えを急いでしまいますし、やれそうなことを片っ端からやらないといけないとあれこれ手を出して自分がつぶれてしまう事を幾度も繰り返してきたからこそ、心掛けが事があります。
ターシャ・テューダーさんのこの言葉にあるように、静かに穏やかにでいいんだ、と。
熱量を強くして激しく頑張る必要はなく、ゆるやかにやっていけばいい。
そして何よりも「自分の速さ」を尊び、大事にする事を意識しました。
近道を探そうとしないこと。
ターシャ・テューダー
価値ある良いことはみんな、時間も手間もかかるものです。
急がば回れ!ということわざではないですが、近道はきっとないんですよね。
だったらゆっくりと自分の速さを大事にしていけばいいし、人と比べることをしないように気を付けよう。
自分を愛するという事は大きな価値のある作業であるのだから、時間も手間もかかるのだろう。
あわてなーい、あわてなーい。
一休み、一休み。
一休さんというアニメのセリフを真似して、前に急ぎ過ぎそうな自分に決して無理をさせないようにしました。
殻の中で時がくれば雛が殻を割って出てくるように、固く閉じていたつぼみが春の暖かさを感じて柔らかく開くように、ちゃんと「時が満ちる」時に自分が自分に応えてくれました。
少し前の私と同じように、自分を楽にしてあげたくてもがいているあなたがいたら、どうぞ「頑張り過ぎないで」「自分の速度を大事にしてあげて」と届きますように。
あなたは何よりも、誰よりも、この世界で尊いたった一人のあなたです。
そして、あなたは
価値のあるよいものです。
ターシャ・テューダーさんの言葉を借りれば、あなたという価値のある良いものを育むには「時間と手間がかかる」のですから、自分の歩幅・自分のやり方を大事にして、ゆっくりゆっくり愛し続けることをしましょう。
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読書会の中で、本当に少し前の私を見ているかのように、自分を愛したいのにうまく愛せずに傷ついている優しい皆さんを見てきました。
そこで気付いたことがあるのですが、不安そうに苦しそうに自分を否定したり悩んでいる事を伝えてくれるその言葉を聞いていたら
悩みはあなたの価値を紹介してくれている自己紹介のように聞こえる
というものでした。
その人が大切に・誰より大事に思っているからこそ、それを問題にして悩めるんです。
優しさが備わっている人は、自分の優しさが足りていないと悩みます。
それはその人が「優しさ」を存分に備えているからこそなんです。
優しい人は「自分が優しくないから…」と優しさに対する高い基準を持っているので足りていない自分を責めます。
「私は本当は優しいのに優しいと思ってもらえない!」と悩んだりはしません。
優しくない人は「私は優しいのに分かってもらえていない!」と不足を口にします。
本当に優しさを備えている人は、相手が自分の持つ優しさに気付かない事に対して「分かって欲しい」と強要するようなことはありません。
優しいからこそ「私の優しさが足りていないから、まだまだなんだわ」と自分を責めます。それくらい大きな優しさを持っているんですものね。
すでに自分に備わている大きな価値を持っている人で、なおかつ繊細な人であればある分だけ「足りていない」と自分を責めて悩むんです。
悩むって「大切だから」こそ生まれる気持ちです。
人はどうでもいい事で思い煩い、悩み続けることができません。
そんなに悩んでいるというのは、あなたにとってその問題が「大切で大事にしているもの」であり、才能としてちゃんとあなたに備わっているからこそ、もっと高めなくてはいけない・もっと高めて「与えたい」と思っているからなんだと思うんです。
悩みってきっと、あなたの中にある大きな才能であって、それを「周りの人に与えにやってきた」からこそ悩むんです。
あなたの悩みは、あなたの持つ最高のギフトなんです。
誰かを幸せに出来ない自分、誰かを傷付けてしまう自分を許せずに悩んでいるのだとしたら、あなたは誰かを幸せにすることに心を砕き、目の前の人を優しい笑顔で包み守りたいという深い愛を持った人です。
その愛ゆえに、出来ない自分を責めるんです。
あなたが悩んでいるその問題は、あなたという人が持っている価値がこれです!と自己紹介しているのかもしれませんね。
繰り返しになりますが、あなたの悩みはあなたに備わっているからこそ悩めるもので、それだけ悩み苦しみ葛藤するほどに大きな熱量としてあなたの中に「ある」ものです。
あなたは価値のある大切で素晴らしいあなたです。
悩みの種は、出来れば手放したいと感じたり重たく感じますが、あなたの価値の種でもあると思ってあげて、こんなに悩むほどに私は素晴らしいものを持っているんだ!とどうか少しだけでも思えますように。
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