自分をないがしろにしない事は自分を大事にする事。あなたの主語は「私」ですか?
ギクッ!!!
昨日、カルディで気になるレモンサワーを見つけて買ってみました。
富美男ちゃんレモンサワーが「今の所一番好き」だと公言しているけれど、他にも試してみることで富美男ちゃんの良さが引き立つかもしれないでしょ?!(← 苦しく強引な理論)
実は、カルディでオリジナル系のお酒を買うのは初めてなのですが、レモンサワーの陳列と値札の下に添えられたこの文字が気になってしまい、お買い上げです。
オーガニックレモンそのものの厚みのある風味と酸味、ちょっぴりほろ苦いピール感をお楽しみください。
レモンの厚みのある風味とほろ苦いピール感。
なんと「大人女子っぽいレモンサワー」なイメージしませんか??
富美男ちゃんも好きだけれど、なんというかちょっと男っぽさも否めないですし、カルディのレモンサワーは少し割高ですが、イタリア物産展などで見かける陽気なイタリアンペイント風でおしゃれですし、オシャレ女子っぽくて勝手に気分が上がります。
2本買ったのですが、今晩は「1本だけ」飲むのを楽しみにしていました。
ごくごく。ぷはーーっ!
グラスに氷をいれて缶から注いで飲みましたが、説明書きの通り「レモンが濃い」感じで、さらにほろ苦いレモンピール感がただ甘いレモンサワーと違うのよ!という感じです。
が、富美男ちゃんが甘さもあるのに軽やかにスッキリベタベタしていないのに対し、こちらは少し甘い感じがあり重めな飲み口。
なので炭酸を少し足して薄めて飲みましたが、薄めるとゴクゴク美味しく飲めました。
カルディのレモンサワーも美味しかったので、またお店に行ったときに売っていたら買おうかな?と思いますが、やっぱり「私は」今の所は富美男ちゃんレモンサワーがお気に入りです♡
* * * * *
さて、突然ですがレモンサワーの紹介をしてきましたがお気付きかどうか…ですが「私は」という視点でレモンサワーについての紹介をしてきました。
最後の部分で【やっぱり「私は」今の所は富美男ちゃんレモンサワーがお気に入りです♡】と書いたのですが、自分が何かを話すときに
主語が「私」かどうか?
というのを意識して見てあげる事は大事な事です。
私はちょっと前まで自分を後回しにして周りを助ける・顔色を伺う・周りの人を優先して生きてきました。
誰かの気持ちを「代弁する」ように自分を明け渡して生きてきました。
(ストレングスファインダーの結果やmgramの結果からも【共感性】が高いと出ていますが、それゆえに相手の問題をまるで自分の問題のように引き受けがちだという部分もありました)
少し前までの私は、私を助けるという事を後回しにしてましたし自分を置き去りにして生きてきました。
そうしていないと価値がないとか、罪悪感とか、いろんな要素が絡み合って「そうやって生きるしかなかった」のだからしょうがない事だったのですし、随分と生きづらい生き方を自分に「我慢させてきてしまった」んです。
改めて、ごめんね私、って思います。
自分を肯定するという作業の以前に、私は他人を優先して自分を明け渡して誰かのために生きていたので『自分を生きていない』状態でしたから、自分の食べたいもの・やりたい事・何を大事にしているのかすら分かりませんでした。
(自分の事なのに、感じられなくなっていた・分からなくなってしまっていました)
なので、自分の事を聞かれたり・どうしたいかを尋ねられることが苦手でしたし、答えの正解はなんだろう??とすぐに思考し、自分の気持ちを麻痺させたまま立ち尽くすことが常でした。
・あなたは何を食べたいの?
・あなたはどうしたいの?
・あなたはどこに行きたいの?
・あなたは何が欲しいの?
こんな質問をされると、途端に途方に暮れてポカーンとして「なんでもいい」「分からない」「思いつかない」と頭の中が真っ白になっていました。
だから、自分を好きになりたい・自分を助けたい・常に思考してばかりの自分から楽になりたくて『自己肯定感を上げたい』と思った時に
「私はどうしたいの?」「私はどう思うの?」と、自分の意見を探る質問を繰り返し幾度も、来る日も来る日もし続けました。
この質問は今でも自分に問いかけ続けています。
答えはその時々で違うものもあれば、時には見つからない事もあります。
でも、正しい答えを導き出すことをしている訳ではなく「正解探し」ではないので、答えが変わっても見つからなくてもいいんです。
「私は?」と自分を主語にして自分を生きようとしているだけでも、私にとってはすごい変化ですから!!
はじめのうちは何を問いかけても答えは出てきませんでした。
何が食べたいのか?すら問いかけても思い浮かばず、スーパーの真ん中で泣いたことが幾度もあります。
問いかけ続けても「感じないよ」「分からないよ」という日々が数か月続きましたが、その度に
感じられないくらい自分を無視してきてごめんね。
自分の意見を持つことすら出来ないくらい我慢させてきてごめんね。
これからゆっくり私と一緒に感じていこうね。
分からなくてもいいから、一緒に探していこうね。
私が私を生きれるように二人三脚で私を大事にしていこうね。
と、自分に「ごめんね」「許してね」「一緒にやっていこうね」と言い続けました。
私はもう、誰かのために自分を犠牲にして自分が苦しいと泣く生き方をやめたかったんです。
私が私を自由に生きたい、私を楽にしてあげたい、解放してあげたいと心の底から願えたのが、離婚という大きな問題があった恩恵なのだと今は思っています。
そして「私はどうしたい?」と常に自分へ問いかける事と、自分を大事にして愛を与え続ける事・どんな自分も受け入れる事も両輪として続けた結果、以前とは比べ物にならないくらい楽になり、自分を否定するよりも「しょうがないよね」「それが私だよね」と言ってあげられる私になりました。
自分を受容し、自己肯定できるようになった事で、今までは飲み込んでいて気付かなかった思いがあることに最近は気付くようになりました。
・私はこれが悲しい
・私はこれがしんどい
・私はこれをやりたくない
今までは飲み込んでいた「ガマン」がいっぱいある事。
今までは目をつぶれていたのに、それが自分を苦しめていて、受け入れるのがしんどい…と感じるようになっているんだなぁ…と。
コロナもあって在宅勤務ができるようになり、私は本当は会社に行くことよりもギンちゃんや仁くんと一緒の場所で仕事をしたいと思っている事や、締め切り(納期)に追われたり新しいものを絞り出して生み出す作業が『私にとっては』苦痛で耐えがたいという事に気が付きました。
気付いたらいきなり「やーめた!」と出来ればいいのですが、私は一人暮らしをしていて、かけがえのない最愛の2魂の命を預かっているのでお金が必要です。
すぐにやめられないならば「やりたくなくて自分を苦しめている嫌な事をどうやって手放していけるようになるのか?」を考えて目標を定めればいい訳ですし、そのやり方だっていっぱい試行錯誤して、トライ&エラーを繰り返したって全然いいんですものね。
失敗したら、また考えればいいだけです。
さらに、自分にとって「苦手だ」「嫌なことだ」「苦しいんだ」とちゃんと発して自分の気持ちを大事にしてあげれば、どこからか救いの手が差し伸べられるかもしれません。
「私は」これが嫌だ、苦手だ!って言わなかったら、我慢している事や耐えている事が相手には分からず、下手をしたら「好きでやってるんだろう」と思われているかもしれません。
だから『私は』何が好きで何が嫌いかをちゃんと発するという事は、自分を守り愛する一つの方法だと思っています。
自分の意見を持てるようになると「やりたい事」も分かるようになりますが
やりたくない事を我慢している事
に気が付く事が多々出てきます。
それだけ今まで自分を犠牲にしてきたからでもあるんですけれどね…
けれど「やりたい事」「好きな事」というのはプラスでポジティブな意味合いを感じられるのに、「私はやりたくないって感じることが多いんじゃないか?」「嫌だ!って感じ過ぎていないか??」「前よりワガママになったような気がする…」と、自分の意見を持つことに罪悪感を感じたりします。
私は今まさにその状態の中に置かれていて、職場の面談で自分にとっては荷が重い事(チャレンジしたいとも思えていないこと)や、いつか辞めたいという気持ちを持っている事や、今の自分にできる範囲はこれなんだ!と自分の意見を言う事が『なんてわがままなんだろう』『社会人としていけないんじゃないか?』などと胸が痛くなったりします。(自分の事を責めますし、虐めてしまいます。)
でもね、今まで自分が抜け落ちていたのに「自分」を取り戻し、自分の事を意見するなんてしたことないんだもん!!
やり慣れていないからスキルもないしドキドキすし、不安になるのは当たり前だよね。
今までの常識を打ち破って逆の事をしているんだもん。いいのかな?って思っちゃうのもしょうがなくない???
こんな時こそ「アサーティブ」を意識してあげればいいんだもんね。
私の意見は大事なもの。
だから、それを伝えることは間違いではない。(正解・間違いという概念がそもそも違うんだけれど…)
誰かをコントロールしたり否定するために「自分の意見」を言うのではなく、ただ「私がどう思っているか」を伝えることは悪い事ではありません。
相手が私の発した言葉をどうとらえるかは相手の問題で、私が相手の感情を引き受ける必要はないんですものね。(境界線って本当に大事)
相手が受け取ってくれない事や望み通りにならないことがあるのは仕方がないし、誰が悪いという問題ではないもの。(だから相手も自分も責める必要がない。)
これを意識して「自分の気持ちを大事にする」「私を主語にする」というスキルを積んでいけばいいんだもんね!!!
いきなり包丁を握って目にもとまらぬ速さで玉ねぎを薄切りにはできないけれど、日々練習したらトントントンとリズミカルに薄切りが出来るように、自分を主語にする・自分の好きや嫌いに正直になる(そこで罪悪感を持たないようにする)事も練習し続ければスキルアップして平気になっていけるんですものね。
千里の道も一歩から!
あの万里の長城だってちょっとずつの積み重ねで作られているんですもの!!
自分の意見を持つこと・自分の気持ち(好きも嫌いも同じ大事な感情)を分かってあげることは、自分を大事にしているという事ですから、本当はそこで罪悪感を感じなくてもいいんですよね。
とはいえ、罪悪感を感じるのは「それまで我慢してきたから」であって、もう我慢したり人の事を優先しなくていいんだよ!とちょっとずつ罪悪感を緩めていけばよくて、いきなり罪悪感を消そうとしなくてもいいんですよね。
やっぱり何をするにも「焦らない」「ゆっくりでいい」のだと思います。
私の気持ちは何より大事で尊いものです。
皆さんは「私はこう思っているんだよ」と、自分を主語にして気持ちを感じてあげられていますか?
ぜひ、少しずつ「私は」という自分を主語にした考え方・感じ方ができるようになりますように。
そして、私も思考錯誤の途中ですから、皆さんと一緒に「自分を愛してより楽しく生きる」道を歩いている同志としてこれからも共に歩んでいきましょうね♡
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