(お悩み相談)基本がうっかりベースなので、仕事ではうっかりしないよう気を張っていています。
私は「オシャレの星」から遥か2億光年くらいはなれた場所で生きる生命体のため、基本はオシャレな飲み物とは無縁なのですが、今日はかわいい飲み物を買ってみました。
というのも、午前中にドライブスルーできるスターバックスの近くへの用事があり外出。
家に戻って在宅の仕事を続けるのに、たまにはテイクアウトで美味しいコーヒーでも(って、アメリカンにお湯を足してもらうのがマミコ・スタイル!で薄くないと飲めないのですが…)とドライブスルーに吸い込まれてみました。
そしたら、注文を取るマイクの少し前にある看板に「白桃を使った」と書かれたジューシーピーチフラペチーノという乙女な感じの飲み物発見!!
私はいつも、季節系の飲み物を飲み損ねるタイプなのですが、ピーチは大好きな果物なのであっさりコーヒーをやめてフラペチーノを頼んで持ち帰りました。
ギンちゃんが言うように、色がとっても柔らかくてきれい。
しばしギンちゃんと並んで眺めて目に栄養をあげた後、ヒンヤリ甘いスイーツを飲みながら仕事。
粗く刻まれた桃の食感と桃感あふれる柔らかい甘さにうっとりしながら、贅沢ドリンクを片手に「オシャレを気取って仕事」しました。
珍しく『映える』系の情報をお届けした後は(← いつもの長い前置きです)ブログへお悩む相談をいただきましたので、お返事したいと思います。
お悩み相談(チャゲさん)
こんにちは!
いつも楽しくブログを拝見しております♪
今日仕事で、すご〜くマヌケなミスをしてしまいました。
なんだか落ち込んでしまって、マミコさん私の話を聞いてください、、、。
郵便物の開封をしていて、支部からきた郵便物で必要な書類が一枚足りなかったんです。
なので担当に伝えて、担当から支部の担当者へ連絡をしてもらったところ、、、入れているはずとのこと、、、。
そう、必要な書類はちゃんと封筒に入っていたのです!
たまたま糊がついて封筒の内側に張り付いてしまっていたのです!
いや〜、嫌な汗をかきました。
もうすぐ40にもなろうとしているのに、何やってんだか。
そもそも、書類が一枚足りないって気づいてるのに、封筒に入っているかも?もう一度見てみよう!って何で思わなかったのよ〜(涙)
いつも取り残しがないか確認はしているので、まさか残ってるとは思わなかったって、ただの言い訳でしかないよ〜
確認の意味ないよ〜
自分のドジさを棚にあげて、相手が入れ忘れてるって思うなんて!
どんだけ自信過剰なの!
両方の担当者にも迷惑かけて〜バカバカ!
あーあ、事務所にいる皆に、バカなやつ。こんな簡単なこともミスするなんて使えないって思われたくないのに(涙)
私もともと、うっかりしていて、忘れっぽいんです。
晩ごはんにカレーを作ったのにご飯を炊き忘れたり、入場券忘れてスポーツ観戦に行ったり、傘をどこかに忘れてきたり、、、
三歩あるくと忘れるニワトリのような奴なんです。
家ではミスしても、ごめんと謝って笑って終りなんですが、仕事となると落ち込んでしまいます。
仕事のできるちゃんとしている人だって思われたい。
お金もらってるんだから、きちんとやらないと!
給料ドロボーだと思われたくない。
基本がうっかりベースなので、仕事ではうっかりしないよう気を張っていています。ミスをしないようにすることで頭がいっぱいになってしまうことも、、、。
んで、結局はミスしちゃって(涙)
あ〜あ、うっかりしていない人がうらやましい(涙)
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
チャゲさん、こんにちは。
えーっと早速ですが…
うっかり共同連合会へ、ようこそ!!!
> 私もともと、うっかりしていて、忘れっぽいんです。
> 三歩あるくと忘れるニワトリのような奴なんです。
激しく「分かりみ」しかありません。
私もチャゲさんと同じ「うっかりの星」に生まれてしまったうっかりを基本装備のニワトリ系女子です。
分かってるんです。
ほんとは自分が「ちゃんと出来な事」を。
ちゃんとしようとしても「ついうっかりしちゃう事」を。
でもやっぱり「うっかりしてると思われるのは恥ずかしい」ですし、できればきちんと見られたいという思いがあるのも、これまた本当に分かります。
これを言ってしまったら終わり…なんですが、敢えて言います。
しょうがないんです。
仕事の場では「ちゃんと」していたくても、うっかりしちゃうのが私なので、しょうがないんです。
「うっかり」って自分でもすごく恥ずかしくて縮こまってしまいたくなりますし、大した事ない笑えるうっかりから、次の日会社に行くのに勇気が必要になるくらい深刻なうっかりもあります。
できるだけ自分を悲しませるような体験はしたくないし、気落ちするようなことは減らしたいとは思いますが、どんなに気を付けていても「ミス」って起きてしまいます。
なぜなら私たち人間は「不完全」だからです。
神様は私たちに地球での命を体験する際に、完璧さを授けてくれなかったので私たちは「でこぼこ」といびつな形をしています。
それが良く言われる「長所・短所」というものなのですが、自分にないものを持つ人から助けてもらい、その逆に自分の秀でた部分で誰かに愛を与えたり支えになることで『弱さを学び・自分を活かすことを学ぶ』という事を、私たちは生きている間に繰り返していきます。
あなたの短所は、誰かの長所を活かすために必要な大事な要素なんだよ。
過去に何かで見た(本だったかインターネットだったか)言葉がすごく私を助けてくれました。
みんなが同じ部分で秀でて尖っていたら、尖った部分ばかりで衝突してしまいうまく回りません。
ダメな部分・弱い部分は、過去にその部分で恥ずかしい体験をした・叱られた・痛い思いをした…などがあればあるほど、自分の中で嫌いになってしまいますしカバーしようと躍起になります。
それくらい「心に傷」になる過去の出来事があったのだと思うんです。
もしかしたらそれは小さな子供時代の事で「うっかりして人の迷惑をかけるなんてダメ!」と怒られたことがすごく衝撃になっている事だってありますし、人から見たらそんなことで??と思うような事がずっと自分のコンプレックスになって自分を責めたり苦しめたりすることだってあります。
> 仕事のできるちゃんとしている人だって思われたい。
> お金もらってるんだから、きちんとやらないと!
> 給料ドロボーだと思われたくない。
私たちは小さなころから大人になった今も、生きている中で様々な経験をします。
良い経験も辛い経験もありますが、その中でこうする「べき」こうある「べき」という自分用の『ルールブック』を作ります。
そのルールのことを「観念」と言いますが、その観念が多くなればなるほど、自分の心に見張りを立てるようになりますし、周りの人と比べたり相手にも同じルールを要求するようになります。
自分に課しているルールを自分はうまく守れないのに、周りの人がそれをいとも簡単にこなせていたら、自分を責めますし悲しくなったり嫉妬したりと苦しい気持ちを味わいます。
私が無理してでも頑張っているのに、相手は平気でミスを連発しても気にしていない素振りで同じ失敗を繰り返すのを見ると苛立ちますし、その人のことを嫌いになります。
これらの「嫉妬の感情」「自己否定の感情」「相手を嫌う感情」全て、自分の中で起きているんです。
私が決めて、私がそう感じているからこそ様々な葛藤が起きているんです。
まさに自作自演なんです。
観念を持つのは「傷付いた自分」をこれ以上傷付かないよう、痛い思いをもうしないようにと守るためだったり、自分を助けてあげたかったり、このままの私では愛されないから愛されたいと思って「守るべき掟」として自分のルールブックに書き込みます。
大事なのは「自分の持っている観念はなんで必要なのか?」という部分を丁寧に見てあげることだと思っています。
チャゲさんは仕事ができる人!って周りから認めてもらわなくてはいけないと思うのはなぜでしょうか?
どうして「ミスしない人」として評価されないと価値がないと思ってしまったのでしょうか??
お金をもらっているからちゃんとしなきゃ!の「ちゃんと」はどのくらいのレベルの「ちゃんと」という目標を自分に課しているのでしょうか?
自分には難しいと感じるほど高い「基準値」を設けて、それを自分の対価にしているのはどうしてでしょうか??
給料ドロボーだとなぜ周りの人に思われると感じているのでしょうか?
なぜ、完璧じゃないとダメなのでしょうか??
チャゲさんの中の「こうあるべき」の後ろにある、チャゲさんを叱責する気持ちはなんでなのか?
なぜ「うっかり」している私はダメで、ちゃんとしていないと認めてもらってはいけないのか?
その部分を見つけてあげることで、ゆっくり要らない「観念」を手放して楽になれるようにしていけばいいんですものね。
うっかりしている私でも愛されていいし、出来ることをこれからも丁寧にやっていく私で評価されていいし、給料ドロボーだと思われるならば「かわいい給料ドロボーになってやる!」って思ってもいい。
と、そんな風に思えるようなれたら、仕事をするうえでうーんと楽になれますもんね。
> 基本がうっかりベースなので、仕事ではうっかりしないよう気を張っていています。ミスをしないようにすることで頭がいっぱいになってしまうことも、、、。
常に気を張って仕事をするって、とっても疲れますよね。
「うっかりしないように」頑張っているチャゲさんのことを、チャゲさんはどれくらい評価してあげていますか?
「ミス」への恐れがこれだけ強いのであれば「ミスがない状態が100点」とした減点法式で自分の仕事を評価しているのではないでしょうか??
100点という基準点(満点)があるのだとしたら、完璧な状態が100点です。
そして「100点じゃないとダメだ」と思ってしまっていたら、100点に満たない自分をずっと叱責することになりますし、何か一つミスをするたびに減点されていきますから、どんどん自分のことを嫌いになっていってしまいます。
100点は「完璧な状態」なのですから、到達するのは無理なんですもんね。
だって、誰しもが不完全で完璧な人はこの世にいません。
到底到達できない「高い目標」にたどり着けない…と小さな減点にフォーカスして自分を虐めてしまったら、ずっと辛いままですよね。
100点に近付きたい!
100点がエベレストであるならば、そこに登り・到達するための「小さな山」を登って出来ることを増やしてくという目標を持つのは素敵な事です。
けれど100点じゃなきゃダメだ!!
ビーサンにTシャツという軽装だけど、今すぐに無理を押してでもエベレストに登らなきゃダメだ!!
と、思ってしまったらそれは自分を苦しめ・虐めるだけの物に変わってしまいます。
ミスを減らして会社の役に立てるチャゲさんになりたい!という素敵な目標を「苦行・自分虐め」の道具に変えてしまわずに、減点方法ではなく加点方法で頑張っている自分のことを認めてあげて欲しいと思います。
過去に「加点方法で自分を見てあげよう」というような記事を書いていましたので、何か役に立てれば…とご紹介させていただきます。
ここからは、チャゲさんにとっては嬉しくもなんともない情報かもしれませんが、うっかりしている人って私を含めてたくさんいます。
何も慰めにはなりませんが、チャゲさんの「うっかり」は社会人として全然かわいらしいと思えるくらい「赤子レベル」のミスです。
私の最近の「うっかり」をご覧になったでしょうか…
会社の中で重要な場所に位置付けられている会議を完全に忘れて無断欠席する
という鬼の所業のようなミスをしています。
うっかりしてました、えへ。なんてレベルじゃないと思いませんか???
社会人としてどうなのよ?と自分でも自分に
ドン引きぃ~(← IKKOさん召喚)
しましたが、ミスしてしまったら次に気を付けようと自分の中でちゃんと反省して、ごめんなさいって素直に言えればいいんですものね。
最近は「うっかりしてる私だからしょうがないもん!」と言う私でも、やっぱりミスをすれば凹みますし、しょんぼりもします。
落ち込んでもいいし、凹んでもいいし、ミスが原因で叱られてしまう事があっても仕方ないけれど、それで自分がダメなんだ…と烙印を押す必要はないんですよね。
確かにダメなところもあって、こんな失敗をしたことは情けないけれど、それでも反省して同じ轍を踏まないようにしている私は「ちゃんと価値のある頑張り屋さんの私」です。
だからプラマイゼロです。(← 強引理論ですが、いいんです!)
私も自分の「うっかり」が恥ずかしくて、ちゃんとしたスキのない人になりたくて頑張っていたことがありますが、案外周りの人は
最初から「ちゃきちゃきした人には見えてなくて、うっかり標準装備の人だと思ってたよー」と、バレている事の方がほとんどです。
案外、自分ではそう思ってないだけで周りからは「あの人はうっかりしているけど頑張ってるよね!」って思われていたりするかもしれませんよね。
リンゴは何をやってもリンゴで、隣に売られているブドウが魅力的で売れているからといってブドウになることはできません。
大輪のヒマワリは人を引き付けて元気を与える花で目立ちますが、足元に割くタンポポが憧れてもヒマワリにはなれません。
そして、リンゴとブドウ、ヒマワリとタンポポではどちらが「いい・悪い」はなく、単に「種類の違い」でしかありません。
もしも自分がタンポポならば、タンポポとしてどれくらい長く咲こうかな?種になってどこに飛んでいこうかな?誰をどうやって笑顔にしようかな?と「自分に出来ること」を伸ばしていけるほうがずっと心地よいものですよね。
その上でヒマワリへの憧れがあれば、ヒマワリにはなれなくても「ヒマワリみたいに見える咲き方」を研究して、出来ることを楽しんでやっていけばいいんですものね。
私たちは自分に対しては特に厳しい「監視係」を心に配備してしまいますから、完璧になれない私をどれだけ許してあげられるか、みっともない私にどれだけ優しくしてあげられるかがきっととっても大事な事なんだと思っています。
失敗しちゃったーー。
あー、もう、バカバカバカ!!
なんでうまくやれないのよ、こんな初歩的な事なのに!!
あー、悲しいなぁ。使えないって思われたよなぁ。
という気持ちを否定しなくていいので、そうやって自分責めしている自分に気付いたら、自分を俯瞰で見てあげるイメージで、自分の大親友を脳内に召喚して「とはいえ、頑張ってるんだけどね。気を張り詰めるくらい一生懸命仕事に向き合ってるの、私は知ってるんだけどな。お疲れ様。また仕切りなおそうよ!」と責めている自分に優しく励ましの言葉を届けてあげられますように。
ダメな自分を責める自分をも否定しないのが、自分を受け入れる・肯定するという事です。(ほんと、ややこしいですよね。)
そして最後に、うっかりを比較することではありませんが…
うっかり共同連合会・名誉会長の私のうっかりレベルから言えば、まだ全然「社会人としてアリ」なうっかりですよ!!
さぁ、足を肩幅に開き左手を腰に添え、右手のこぶしをしっかり握って天につきあげてご唱和ください。
上には上のうっかりがいるーーーー!!
(復唱:上には上のうっかりマミコがいるーーー!!)
チャゲさんの「プライベートでのうっかり具合」も、連合会会員としてなかなか素敵なうっかり具合ですよね!
・カレーという美味しいごちそうを前にしてご飯がない
・スポーツ観戦に出向いたのに入場できない
・傘はなくしてなんぼ
いいですねー。同じ星の住人として、肩を並べて「ナイス!」と言ってあげたいです。
うっかりすることに対して気を付けていても「うっかり」ゆえについうっかり失敗してしまいますが、その時に自分を叱責したり責めるだけではなく、笑って成仏させてあげることも大事な事ですから、もしも「やらかした!笑って成仏させて欲しい!」と思う事が合ったら、またいつでも『うっかり通信』を届けてください。
チャゲさんのうっかりが、同じようなうっかりで悩んでいる人を励ましたり、共にうっかりを減らそうね!と心の中でエールを送りあったりと、単なる自分虐めの道具から「お役に立てるうっかり情報」に早変わりしますので、やらかしたーーー!と思ったら、どうぞご一報くださいね。
完璧じゃないチャゲさんも、ちゃーんと魅力のある素敵な女性ですから、どうか自分に対して優しく笑いかけてあげられますように。
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。