変わり映えのない自分を愛しませんか?
…
えーっと、ちょっと語弊があるから(間違ってはいないけど)訂正するね。
×干からびた
〇乾燥させた
みなさん「氷見糸うどん」ってご存じですか?
富山県の氷見市で作られている乾麺なのだそうですが、私は食べたことがなかったのでお土産でいただいて初めて知りました。
で、実はいただいたのは去年で(えへ)いつか美味しく食べよう!とキッチン上の吊戸棚の食料庫にしているエリアに置いていたら、すっかり忘れてしまっていました。
で、今日お昼に「そうめん」を茹でよう!と思って食料庫を開けたらいただきものの氷見うどんを発見。
あぁーーーっ!しまった!!!
せっかくお土産でいただいたのに!!!
慌てて賞味期限を確認したら、今年の10月まででまだ賞味期限内。
ふぅ。セーフ。
賞味期限を少し過ぎても食べられなくなるという事はないけれど「賞味期限 = おいしく食べられるとメーカーが定めた期限」なので、せっかくの頂き物&お初の食べ物なので美味しく食べられるうちに食べたいですよね♡
沸騰したお湯で8分。
表示通りにクツクツと乾麺を茹でると、つやつやしっとりの平たいうどんが出来上がりました。
今日はそうめんを冷たくして食べたかったのですが、それには理由があり…
週末にカルディに行って見つけた『瀬戸内レモンのオリーブオイルつゆ』というめんつゆが気になって買ったので、それを味わいたかったんです!!!
レモン味好きなので、もう期待しかないよねー。
あ、隣にある「塩レモンパスタソース」は美味しすぎて必ず家に在庫を置くようにしている大好物アイテム。
これはパスタだけでなくお肉やお魚を焼いたお料理にすごく合うんですよーー。
キャベツやレタス、ウインナーなどを炒めた時にもこのソースで味付けしたら美味しかったので、多分色々幅広く使えるオススメです。
はっ!!
好きだとやっぱり語っちゃいますねー。
好きのパワーってすごい。
氷見うどんを食べるために「めんつゆ」としてこのつゆを準備したのですが、ストレートタイプと書かれていたのでこのまま小さな器に入れて小ねぎとゴマを散らしてうどんをつけて食べたら
しょっぱ!!!
とむせてしまったので、慌てて氷とお水を足しました。
サラダなどのドレッシングやマリネ液として使うにはストレートでいいのかもですが、つけだれとして使うには少し薄めた方が私は好きです。
(あくまで個人的な味覚なので、味見してから調整してください)
氷がカランと音を立て、少し薄めたレモンつけだれですが
多分、もう1本は買うね!!
というくらい美味しかったです。
1本かなー。3本くらい買いだめたいくらい好みです。
レモンの香りも爽やかで、めんつゆも中華風?アジアンな感じ??
なんというか「トムヤムクン」が好きな人はきっと好き系な味です。
別にスパイシーでエスニックなものではなく、どちらかというと「イタリー」な雰囲気なのですが、マミコ的味覚センサーでは「トム寄り」だと思うクセになる美味しさでした。
アボカドやサーモンにかけても美味しいんだろうなぁ。
よし!やってみよう。(← 自分で忘れないようにここに書くというメモ的利用)
そそそそそ、そうなのよ。
ふぅ、危うく食べそびれていた「氷見うどん」と「めんつゆ」の話で終わっちゃうところだったわ。
私もそうなのだけれど、「変わりたい」「良くなりたい」「成長したい」と思っている時ってなりたい姿やゴールがありますよね??
例えば夏までにマイナス5キロ!とか資格取得などの明確な目標があれば今の自分の立ち位置ってなんとなく分かるのですが、ゴールの姿が抽象的なものもあります。
「自己肯定して自分を責めずに優しくしたい」とか「クヨクヨしちゃうクセを手放したい」とか「思考する自分を止めたい」などなど、目標はあれど
達成したら体が青くなる、とか
到達したらフラッシュモブが始まる
などの「見える」ものではない場合は、今の自分の立ち位置が分からずにこのままでいいのかな?私は変われているのかな?と不安になりますよね??
登山をたとえとするならば、靴を買ってリュックを背負って「よし登るぞ!」と思ってスタートすると、ちょっと急な傾斜でも「登ってるなぁ」とワクワクします。
たとえそれがちょっとしんどくても、登山してるんだもんね!と勢いがある分だけ頑張れます。
登り始めて30分。
確かに登っているし道中に立っている看板を見ると自分の歩いてきた道が登山口から進んでいるのは「数字」としては見えますが、ただ疲れを感じるだけで歩幅も小さくなり、あぁ、まだまだ先だなぁと代り映えのない緑の中で疲れを感じます。
自己肯定とか自分を大事にする、ねばならないと思う気持ちを手放す、自分を愛するというような作業も、登山と似ているのだと思います。
変わり映えがない自分に疲れる時間の方が長く、勢いはしぼんでいきますし、頂上に着く前に諦めて引き返したくなっちゃうこともしばしば。
時に休憩して水を飲む時間がないとへばってしまうのに頑張り過ぎてダウンしたり、足元の大きな石に気付かずに転んで泣いたり、まっすぐ行きたいのに大雨のせいで緩んだ地盤が危険で迂回を余儀なくされたり、早く頂上を目指したくても危ないからと山小屋で一泊しなくては行けなかったり。
でも、一歩ずつちょとずつ進んでるんですよね。
遠回りしても、休憩しても、ゴールを目指してそこに向かえているんです。
自分を愛する・自分を受け入れるって、すごく素敵で大切な事です。
けれど気持ちは波があって愛してあげたくても拗ねてしまう日もあれば、受けれてあげたくてもトゲトゲして触れない日もあります。
それはまるで、登山中の悪天候のように。
内側の変化を求めている時は特に、代り映えのない自分を大事にして長い目で見てあげるのが大事です。
前ほどクヨクヨしていないかも??
落ち込んだら3日は浮上できなかったのに2日半で立ち倒れてるかも??
前は寝る前反省会をして眠れなくなっていたのに、今は反省会をしてもその後ちゃんと眠れている!
と『あれ?なんかちょっとだけ前よりも変われている…ような?』と気付いてあげることはとっても大事。
登り始めの景色の変化はすごい!と感動できても、慣れてくると疲労を感じて景色の小さな違いに気付けなくなるからこそ、小さな小さな変化を「意識して」見てあげるために時々立ち止まりませんか?
変わり始めはちょっとした事で自分の変化を見つけて感動できても、次のステップを目指している『過程』の中にいる時は緩やかな変化と一緒に
現状って見慣れてしまうからこそ
変わり映えないように見えて自己否定したり諦めてしまいます。
なんてったて、私は過去に何度もこうやって諦めた経験がありますから!!(← 胸を張るところじゃないけどな!)
目指すゴールに向かって努力しているはずなのに変わり映えがない時というのは、ちゃんと変化の「途中」にいるという何よりのサインです。
青虫がさなぎになった瞬間は「すごい変化」を感じますよね?
けれどさなぎになってからはしばらく「何一つ変化していないように見える」時間が長く続きます。
ただじーーっとさなぎの中で「小さな変化を続け」た後で、青虫からは想像もつかない羽を持って空を飛び回る蝶になります。
さなぎの時期に「小さな小さな変化」を大事にするから、ちゃんといいタイミングで飛び立つように、自己肯定や自分を愛することも「代り映えのないように見える時間」にも成長しているんだとしたら、そこで自分を責めるなんてしたくないですよね!!
代り映えのない自分を受け入れて愛するって、それこそ自己肯定の何ものでもないので慣れないうちは簡単な事ではないけれど、ちょっと疲れたなぁと思ったときに
そっか、登山の5合目にいるんだもんな。
そっか、私は今さなぎの中でだれにも分からないくらい小さく変化しているんだもんな。
と、小さな小さな努力をしている自分に優しい声をかけてあげて、頑張り過ぎずに頑張れるように背中を支えてあげたいですよね。
私も今日は、昨日と変わり映えのない私ですが、もっともっと自分と仲良くなりたいと思っている道の途中にいるので、また一歩だけ進めたね♡と自分に声をかけて寝ようと思っています。
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