【ココロノマルシェ】非常に親身になってくれた友人。重く感じた彼女の存在を失うことに、心臓がバクバクいいました。
いつも行くお花屋さんで新しいお花を買いたいな…と思っていましたが、先週買って飾っているマトリカリアがまだ持ちそうなので、今週はお花を買い足すのは我慢。
ねー。小さくてもちょっとでも、お花があるとお家が明るくていいよね〜。
お花屋さんであれこれお花を見る時間も楽しいけれど、今は必要なものをサクッと買うだけでゆっくり見れないのが悲しいなぁ。
コロナが落ち着いてまた買い物が普通に行けるようになったら、ゆーっくりお花屋さんであれこれ迷う時間を楽しみにしているという、私のどーでも情報をお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
こんにちは、よろしくお願いします。
私は還暦を迎えます。今年、鬱をわずらい、その事をツイッターの友人の1人に相談していました。その友人は非常に親身になってくれ、私の事を妹と呼び、自分がカウンセリングしてあげる、とまで言ってくれました。
確かに彼女は姉御肌で(1回しか会ってないので、ツイッターのやり取りで判断しています)、彼女曰く直球の人間で、裏切られなかったら自分から裏切る事はない!と言い切る人です。
お姉様や姪御さんが鬱になられてから、何十年も週に何度も電話で話を聞いてきた。自分は彼女らの鬱を治した。と、自信を持ってます。
正直、少し私に対して入れ込み過ぎだと感じた事もしばしば。でも心の内を吐き出す相手として、とても良い関係でした。
しかし私は専門家のセラピーも受けてます。そしてそちらはとても上手く行ってます。
そのあたりから、彼女の態度が少し硬化してきました。そして昨日、そのセラピーに頼って早く良くなってください、私とはもうこれで終わり。さようなら。とメールがありました。
晴天の霹靂。重く感じた彼女の存在のを失うことに、心臓がバクバクいいました。
その後話し合い、というか、私が言い訳を並べ、また以前のようにメールのやり取りをしたのですが、やはりギクシャクしてます。
相談は、私の中で彼女の存在を小さくする方法、あまり依存しなくなる方法を教えて欲しいという事です。
よろしくお願いします。
相談者:あっこさん
あっこさん、こんにちは。
鬱を患っていらっしゃるとの事ですが、調子はいかがですか?
専門家のセラピーが上手く行っていると書かれていましたから、少しずつ気持ちも楽になれているといいな、と思っています。
自分に親切にしてくれた人、自分に手をかけてくれた人、自分が辛い時に手を差し伸べてくれた人と言うのはとても「ありがたい存在」ですよね。
だからこそ、ちょっとその熱量が強いと感じていても、その人が気分を害してしまって自分から離れたのではないか?と感じると、とても心苦しく感じますし、場合によっては「こんなにしてもらったのに…」と罪悪感を感じたりもします。
> お姉様や姪御さんが鬱になられてから、何十年も週に何度も電話で話を聞いてきた。自分は彼女らの鬱を治した。と、自信を持ってます。
> 正直、少し私に対して入れ込み過ぎだと感じた事もしばしば。でも心の内を吐き出す相手として、とても良い関係でした。
ご友人は、きっと身近な人が苦しまれているのを見て助けになれる素敵な力を持つ方なんだろうと思います。
「何かしてあげたい」「助けになりたい」という思いがきっととても強くて、ちょっと入れこみ過ぎてしまう位だったのかもしれませんね。
それはありがたい事でしたし、きっと熱量に押されてしまう事もあったかもしれませんが、あっこさんの気持ちを話せるとても大事な場所でもいてくれたのだとも思います。
素敵な手が差し伸べられて助けになってもらえた事、本当に良かったですね。
人間関係にはバランスがあります。
パワーバランスという言い方をする事もありますが「人と人との関係のバランス」が均衡に保たれていると関係が上手く機能します。
このパワーバランスは上司や部下といった関係だけではなく、友人間でも存在しています。
助けてもらう・手を差し伸べてもらう時というのは、関係性で見ると「受け身」の立場です。
あっこさんが『少し私に対して入れ込み過ぎだと感じた事もしばしば』とおっしゃっている事からも、積極的にあっこさんに対して働きかけているご友人が能動的で、どうしてもパワーが強かったのだと思うんです。
きっとご友人は助け手として「強い思い」を持っていたと思いますが、その熱量があっこさんが受け取れる以上のものであれば、バランスが保てずに「しんどさ」を感じてしまう事があります。
ありがたいし感謝もしているけれど、すこし負担に感じてしまう。
それがいいとか悪いではなく、そんなバランス(力関係)になってしまっていたのかもしれませんよね。
また、ご友人は過度にあっこさんに対して肩入れしてしまう事で、あっこさんの意思や行為に干渉するようになってしまったり、過度に相手に対して信頼や愛情などを強制的に求めるようになったりすることで『入れこみ過ぎている』状態になっていたのかもしれません。
> しかし私は専門家のセラピーも受けてます。そしてそちらはとても上手く行ってます。
> そのあたりから、彼女の態度が少し硬化してきました。そして昨日、そのセラピーに頼って早く良くなってください、私とはもうこれで終わり。さようなら。とメールがありました。
ご友人は「役に立ちたい」という思いがきっとても強いがゆえに、専門家の方にあっこさんを「助ける役割を奪われてしまった」と感じたのかもしれません。
とはいえこれはご友人の問題であって、彼女の中の『誰かを助けたい』という欲求を満たすために、あっこさんが助けてもらう依存側のポジションに留まる必要はないんです。
助けてもらった・力になってくれた・しんどい時に話を聞いてくれた、そのようにして手を差し伸べてくれた人から「さよなら」と距離を置かれるのはやっぱりドキリとしてしまいます。
けれど、こんな風に考えるのはどうでしょうか?
彼女の仕事・彼女の役割は終わったのだ、と。
あっこさんは小さな子供のころから今までずっと仲良くしているお友達はいらっしゃいますか?
小学校の頃、仲よく遊んでいたお友達と中学校や高校と進級して環境が変わると疎遠になってしまったという体験はないでしょうか?
社会に出てからも、職場で親しくなった人とも職場を離れて段々と疎遠になったり…と、私たちは生きている間にそれぞれの期間で必要な人間関係を築きますが、その関係はずっと一定ではなく変化していきます。
ずーっとお付き合いしている人間関係もあれば、今の自分には必要ではなくなる(フィットしなくなる)関係というのもあります。
その時にはちゃんと必要だから備えられる人間関係であっても、私たち人間は常に変化しているので、自分に馴染まなくなる関係というのがあるのは仕方のない事なんです。
例えば、5年前に一目惚れして買ったちょっと高価なバッグがあると想像してみてください。
5年前にはそのバッグはとてもオシャレで、どこにいくにもそのバッグを持って出かける程に愛用していました。
けれど、5年経ってそのバッグはだんだんとくたびれてしまい、今のあっこさんのスタイルとは合わずに出番が少なくなってしまいました。
久しぶりにそのバッグを使おうとして取り出して見たら、ハンドルの部分が少し切れていていました。
このバッグに対して、あっこさんはどう感じるでしょうか?
「もうお役目は終わったのね」と感じてバッグを処分するかもしれませんし「思い入れがある大事なものだから修理して手元に残そう」と思うかもしれません。
バッグを直してもいいですし、処分してもいいんです。
そして処分したからといって「バッグを捨てる」という事に罪悪感は持たないですよね?
大事にしてきたけれど、今の自分にはもう必要がないものであれば、それを手放すことはごくごく普通の事です。
人間関係もこれと同じ部分があると思いませんか?
その時々で必要で大切に感じていた関係であっても、自分に合わない・必要がなくなればその関係というのは継続せずに離れていきます。
だから、あっこさんがとてもしんどかった時に「助けになりたい」と熱い願いを持っていたご友人とはお互いに必要としていた関係だったかもしれませんが、専門家のセラピーやご友人の助けがあってあっこさんが少しずつ調子を取り戻して行き「変化する事」でそれまでの関係が変わってしまうのは仕方のない事だと思いませんか?
先ほどバッグを例えに使いましたが、今の自分には必要がないと感じて処分するとしても、それを足蹴にして踏みにじったり切り刻んで捨てたりしないですよね?
バッグを使っていた時の楽しかった思い出は心の中に残したまま、今までありがとう!と感謝して処分すると思います。
ご友人に対しても、同じように「助けてくれてありがとう」と感謝を持ってその関係をまた新しいものに変えていく時期なのかもしれませんね。
助けが必要だった時に手を差し伸べてくれたことは、きっととてもありがたく感謝出来る事だと思います。
あなたがいてくれて私は自分の気持を吐き出せて救われてきました。本当にありがとう!!
そんな風に感謝の思いを持って自分にしっくりこなくなってしまった関係を手放し、新しい関わり方でいい、と言ってあげられるといいですね。
与える側があれば受け取る側もあります。
助ける側もあれば助けてもらう側に自分が居るときもあります。
でもこの関係というのは「お互いがあって初めて成り立つ関係」ですよね。
助けたい!与えたい!と強く思う人がいても、助けて欲しい人がいなければその思いは行き場がありません。
お互いに必要だったからこそ、友人関係として成り立っていたけれど、そのバランスが保てなくなってしまったり、助けを必要としなくなっていけば関係性は変化しますものね。
とはいえ、急に態度が硬化して「さようなら」と言われてしまうとビックリしますし「助けてもらっていた(依存の側)」であれば動揺しますし、自分が何かしたのではないか?と不安になったりしてしまいます。
「たとえ少し重たく感じていたとしても感謝している」のですから、あっこさんがそう反応してしまうのは何もおかしなことではありません。
思ってもみなかった彼女の言葉に、心臓がバクバクしてしまうくらい、あっこさんにとっては「ありがたいと感じられる存在」だったんですものね。
人間関係はどうしても一定ではなく変化するものなので、大事に思っている存在が離れて行ってしまうという事が起きる事があります。
それを前にするとどうしていいか分からずうろたえてしまいますが、私たちはどんなに頑張ってもなんとかできるのは自分の事だけなんです。
相手をどうにかする事は出来ないんです。
あっこさんも聞かれたことがあると思いますが「私は私、彼女は彼女」であって、どんなに近しい存在であっても境界線があります。
> 私の中で彼女の存在を小さくする方法、あまり依存しなくなる方法を教えて欲しいという事です。
ご友人との新しい関係を築き、今までの関係を手放すという事をする際には『感謝する事』が力になってくれます。
少しだけイメージをしてみてください。
目の前に大きな船があり、その船にあっこさんを助けてくれたご友人が乗り込んでいます。
船に乗った彼女をあっこさんが見送りに来ていて、もうすぐ船は出航しようとしています。
あなたに出会て本当に良かった。助けてもらってありがとう。
私がしんどい時に出会ってくれて、話を聞いてくれて、本当にありがとう。
あなたが居てくれて私はとても救われました。
でももう、私はあなたの助けがなくても少しずつ大丈夫になってきました。
今まで本当にありがとう。心から感謝しています。
あなたが居なくなっても、きっと私は大丈夫です。
だから安心して旅をしてきてください。
イメージの中で船に乗っているご友人に「あなたのおかげです」と沢山感謝の言葉を届けてみてください。
船の上の彼女は少し寂しそうにしながらも、感謝と大丈夫と言うあっこさんの言葉に安堵した優しい笑顔を向けてくれるのではないでしょうか?
愛と感謝を相手に届けている時というのは、誰のことも攻撃していない状態です。
ご友人との関係を新しいものにする船出の際に、是非、イメージの中でいいので「今まで本当にありがとう」と伝えてみてください。
きっとじんわりと心が暖かくなると思います。
そして、次にあっこさんにしていただきたいのは『自己攻撃をやめる事』です。
どうしても自分が助けてもらった負い目を感じてしまうと、自分を犠牲にしても相手の気持ちを優先しようとしてしまいます。
そのため、自分がいけないんだ…と自分を攻撃してしまいますが、何においても【自分が一番でいい】と自分に対して言ってあげてください。
相手の事を考えてしまう私がいるのは、それだけ感謝しているからだもんね。と自分を抱きしめてあげて、自分の事を何よりも第一に考えてあげてください。
今すぐは思えなくてもいいのですが、いつかこんな風に思ってもらえたらきっと楽になれると思います。
あっこさんは「助けてもらった」かもしれませんが、別の角度から見て見ると「助けさせてあげた」という事も出来るんです。
誰かを助けたいと思っている人に助ける機会を差し出してあげたんです。
お互いにとって、必要だからその時に手を取り合ったんですものね。
あっこさんにとって今大切なことは「ご自身の鬱を少しずつ楽にしてあげる事」ですもの。
専門家の先生との相性が良いのであれば、その先生の指示を仰ぎながらご自身の心の回復を一番に考えてあげてください。
あっこさんが欲しかった答えではなかったかもしれませんが、どうぞご自身を責め過ぎないで欲しいと思いお返事を書かせていただきました。
鬱の状態にある時は、いつも以上に不安を感じやすかったりご自身を責めやすかったりしますから、どうぞご自身を攻撃し過ぎずにいてください。
ありがとうという感謝の気持ちが、あっこさんの心を軽くしてくれますように。
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あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡
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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。