ちゃんと今、こうやって生きている私は、きっと偉い。
今日は雨の朝。
おととい・昨日と在宅勤務で、体質的に「家でマイペースに働く」のがあっているらしい私は、出勤する…と思うだけでちょっと気が重くなりました。
とはいえ、これから在宅勤務が予定されているので、職場の人と「当たり前のように会う」のも少なくなりますし、この先の働き方も今までとは変わっていくかもしれませんし、そう思ったらなんだか『当たり前』って当たり前ですが変化しているんだな、としみじみ感じました。(← ややこしい言い方ですよね。てへへ)
職場では、あれこれと会議やミーティング、今後の在宅勤務に備えた各種書類やマニュアルを作るように言われたりと、慌しく1日が過ぎていきました。
ふぅ、今日も私にしては「馬車馬モード」で働いちゃいました。うん、偉い!
職場のミーティングでは、実際に2日間在宅勤務をして気付いた事や改善点・こうするといいというアイディアなど、とにかくざっくばらんに思ったことを話そう!という事になったのですが、私は「超たのしーー!」という感じだったのに対し、男性陣から出た言葉は
・不安になった
・孤独な感じがした
・ずっと一人だと寂しい
・集中できるけど心細い
というような「なんとなく寂しさが漂う」感じの言葉だったのですが、今まで当たり前に周りに人がいて、当たり前にやってきたことが『当たり前なんかではない』と気付いた時、人はやっぱり不安で心細くなりますよね。
孤独を感じると急に足元がグラグラしますし、どうしていいのか先が見えないというのは、とっても不安でもがいてしまいます。
今日、周りの人の話を聞いていて思ったのは、私が今、割と「なるようにしかならないしなー」と在宅勤務に過度な不安を感じずにいられるのは
当たり前の日常は、実は当たり前なんかではなく
突然の絶望や未来の見えない苦しい気持ちを体験したことがあるから
なのかもしれないな…と思ったんです。
周りの「ごくごく普通の幸せ」を喉から手が出る程羨んだり、どんなに願っても叶わない私の望みを前にして、絶望と孤独の時間を私は体験してきました。
その期間は、なんだかんだと5年。
最初の夫婦問題が起きてから離婚するまでの間、私はとびきりに絶望して孤独の中で自分を好きになる事も出来ず、泣き続けました。
寂しかったし、怖かったし、ほんとにほんとに辛かった。
当たり前が当たり前じゃなくなることが、人をこんなに簡単に弱くさせるんだと知ったし、何をしても心が晴れない、世界に色がなくなるというのは「生きる力を失わせる」んだと身をもって体験しました。
どん底を這うようにして生きていたあの時期を、まだ「問題のおかげ」と感謝出来る程私は立派でも強い人間でもなくて、できれば体験したくなかったけれど
体験したおかげで、孤独や不安も必ず乗り越えられる
とどこか無意識に思えるようになれているのかもしれません。
だとしたら、あの痛みにもちゃんと大きな価値や意味はあったんだ。
そう思いたいし、そう思ってあげないと「絶望の日々」はただしんどいだけだもんね。
うん、私は孤独と闘ったから、今、孤独とも上手に付き合える「経験値」を手にしたんだ!!
ふっふっふ、私はとことん闇の中で泣いたのじゃ!
本当に孤独を知った人は、きっと、強い。
本当に不安を耐えた私たちは、きっと、優しく自分を照らす光を持っている。
さてさて、ちょっと話は変わるのですが(← この流れから強引に)、少し前にちょっと強めに雨が降っている夜がありました。
1日をすべて終えて、さて、寝ようと寝室へ向かい、そこで感じたことを忘れてしまわないように、スマートフォンにメモしていました。
それを突然ご紹介しちゃいます!
早い時間に寝ようと思って電気を消したら、雨降りの外の景色が目に入ってきました。
霞んでぼやける明るい光の外はバシャバシャと雨が降っていて、濡れない場所で安全に霞む世界を暖かな格好で見れている事が、なんだか凄いなぁとじわーっと感じました。
社会人で一人暮らしなんて当たり前のようにやっている人が大勢いるけれど『私も頑張ってこうやって生きているんだよね』となぜかものすごく自分が愛おしくなりました。
ギューッと自分の両腕で自分をハグした後、ギンちゃん・仁くんにもそれぞれ頬ずりしてハグ。
自分の住む場所を持ち、自分をちゃんと生かし・食べさせてあげて、好きなもので整えて、2魂と植物と朗らかに暮らせている私は、頑張っていてホントに偉い!
ありがとう、私。
(ある雨の日のおまみのつぶやき)
なんでか分からないけれど、この日はしみじみと自分が愛おしくなったんです。
どこにでもいるありふれたOLかもしれませんが、そのありふれたOLさんもみーんなそれぞれに頑張っているんですもんね。
学生さんも、主婦の方も、立場はみんなそれぞれ違っても、みんな「今いる場所」で懸命に生きているんです。
今日も思い煩うことなく生きられたというのは、私が頑張ったという何よりの証です。
思い煩う事と闘いながらも今日を懸命に乗り越えたあなたも、うーんと努力し頑張りました。だから、泣いていてもハナマルです。
やれない事があったって、上手くできない事があったって、今日をちゃんと生き抜いた自分に「ありがとう、私」と抱きしめてあげませんか?
自分で自分を包むように、柔らかく優しく、あなたがあなたを労わってあげられますように。
「ありがとう」は魔法の言葉です。
あなたがあなたに届ける事で、あなたに「愛しているよ」と魔法をかけているんです!
どうか、たくさん魔法をかけてあげて自分の事を自分が少しずつ幸せにしてあげられますように。
今日のあなたも、今日の私も、置かれているそれぞれの場所・それぞれの役割を精一杯に頑張りました。
それを称え、ここに「偉いぞ!わたしたち!!」と表彰します。
うふふ、ちゃんと自分に届けてあげられますように。