(ご感想)みんな自分の大切なひとがコロナウィルスに罹ってほしくない。トイレットペーパーが無くなって困ってほしくない。そんな気持ちなんでしょうね。
私・ギンちゃん・仁くんの「3魂」が暮らすお部屋はすこぶる日当たり良好物件のため、お日様の光で日中はホカホカ。おかげで冬の間も極端に冷えずに快適に暮らせました。
春の訪れを感じ始めた3月の半ば頃から、ギンちゃんや仁くんはおこたの中に入ることが少なくなり、日中は日向ぼっこや光を感じる場所でそれぞれが寛ぐ姿を見ることが増えてきました。
寝室は西日が入るため、午後になると本当にホッカホカになります。
ベッドが大きな窓の近くなので、ベッドの上にいると太陽の光とフカフカの寝具のWの幸せに私も「お昼寝の幸せ」の誘惑に屈する事が多いのですが、それは仁くんも同じようです。
ベッドの上でクークーと寝息を立てて寝ている仁くんの背中は、太陽の光で温められてホカホカ。
どうか健やかで安心して幸せな夢を見てね!
連日、世界中のコロナウイルスのあまり明るくないニュースや、今まで当たり前だったことが制限されてしまう事や予期せぬ状況に不安やストレスを抱えている方もたくさんいらっしゃると思います。
そんな中で不安がパァンと弾けた私の気持ちを綴ったブログにご感想をいただきましたのでご紹介いたします。
ご感想(チャゲさん)
マミコさん、痛めた手足の具合はいかがですか?
ブログで読む限り軽傷で済んだようで何よりです。
志村さんの訃報を聞いて、私もとても気持ちが落ち込みました。
まだまだお若くて元気な印象だった志村さんなので、回復してすぐに復帰するとばかり思っていたのです。
ニュースで知らない人がコロナウィルスが原因で亡くなったと聞いても、あくまで情報として受けとめるだけだけれど、子どもの頃から知っている志村さんが亡くなったと聞くと、コロナウィルスの怖さが一気に身近に感じられました。
過剰に不安にならずに、ちゃんと手洗いうがいをして、不要な外出はしないようにするなどしていたら大丈夫!と落ち着いていたはずなんですが、志村さんの訃報で不安な気持ちが吹き出してしまいました。
自分が死んでしまうかもしれない不安よりも、自分が死んでしまったら家族に悲しい思いをさせてしまうこと、家族がコロナウィルスに罹ってしまうと側にいて看病したり励ましてあげることもできずに、突然私の前からいなくなってしまうかもしれないことにとても悲しくて怖い気持ちになりました。
私の大切な人たちだけでも健やかでいてほしいととても自分勝手な気持ちにもなります。
テレビなどで色んなものの買い占めの話を見ると、この人たちは自分だけ良ければいいのかしらという思いで見ていたのですが、みんな自分の大切なひとがコロナウィルスに罹ってほしくない。トイレットペーパーが無くなって困ってほしくない。そんな気持ちなんでしょうね。
ついつい自分勝手な思いになってしまうのですが、それだけ私には大切な人がいるっていうこと。
普通の毎日が過ごせること。
それってとても幸せなことだなぁと思いました。
新潟と私の住んでいるとろこは遠く離れていますが、遠いところからマミコさんやマミコさんの大切な人たちが元気でいてくれることを願っています!
▼チャゲさんがご感想を寄せてくれた記事
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チャゲさん、こんにちは。
うっかり会社の階段で転んだ際の腫れはもうすっかり良くなりました!
お気遣い、ありがとうございます。
> 過剰に不安にならずに、ちゃんと手洗いうがいをして、不要な外出はしないようにするなどしていたら大丈夫!と落ち着いていたはずなんですが、志村さんの訃報で不安な気持ちが吹き出してしまいました。
特にすごーーーく親しい方とか身近な方ではなかったはずなのに、小さな子供の頃から「笑わせてくれる」「楽しい気持ちにしてくれる」テレビの中にいた人が、こんなにも突然、こんなにもあっという間に逝ってしまうなんて…と、コロナウイルスというのが自分の想像していた以上の怖さがあるんだ、と悲しい形で知ってしまった事で、急に不安な気持ちが溢れちゃった方はたくさんいらっしゃると思います。
それは私も含めて。
そしてきっと、毎日を「過剰にならないけれど気をつけて」過ごしていた人は特に、小さな努力をし続けているんですよね。
「今までの日常では週間ではなかった事」を意識して継続させたり「我慢を強いられる」のですから、知らずに少しずつ疲れが溜まってしまっていたのもあると思います。
いくら身を守るためであっても、何かを習慣化したり諦めるのには力(ストレス)がかかりますものね。
不安は出来れば感じたくない感情ですけれど(ドキドキしますし苦しくなりますし、心細いと足元もグラグラしますよね)、不安を感じるくらい
いつもと違う環境の中で、努めて普通を保とうと頑張ってきた私がいるんだ!
と、自分を愛おしんでギュッと抱きしめてあげたいですね。
よしよし、って自分の不安に寄り添ってあげて、不安な気持ちの波が穏やかになるまでは無理しないのも大事な事。
> 自分が死んでしまうかもしれない不安よりも、自分が死んでしまったら家族に悲しい思いをさせてしまうこと、家族がコロナウィルスに罹ってしまうと側にいて看病したり励ましてあげることもできずに、突然私の前からいなくなってしまうかもしれないことにとても悲しくて怖い気持ちになりました。
予期せず大切な人を「突然」失ってしまう可能性がゼロではなく身近にあるのかも…と思うというのは、あまりに非日常過ぎて想像できずに不安になります。
自分で制御できない事・予測がつかない事を前にすると、人間は不安になるので、それはごくごく普通の心や思考の反応なんですよね。
命の長さは誰一人として予測できず、生きている人は必ず「死」という別れを経験する事が避けられないけれど、誰も自分や周りの人の最後を予測なんてして生きていませんから、やはり怖いと思いますよね。
さらに「感染症を前にして何もしてあげられない事」「お別れすらできない事」を思うと胸が潰れそうに悲しくなるやりきれなさは、愛する人がいるからこそ感じるんですものね。
悲しくて怖い気持ちは、それだけ失いたくない・愛し続けたい人がいるという幸せの裏返し。
とはいえ、嬉しい気持ちではありませんから、感じたくはないんですけれどね。
> 私の大切な人たちだけでも健やかでいてほしいととても自分勝手な気持ちにもなります。
こう思うのは「素直」な事ではないでしょうか?
確かに見ず知らずの人の訃報(罹患者数だったり死亡者数だったり)を聞いても胸がチクッと痛みますが、私たちは神様ではありませんもの。
出来れば誰も苦しんだり悲しんだりして欲しいとは思わないけれど、やっぱり身近な大切な人に対しての思いとは違うのは当たり前なんですよね。
当たり前…であったとしても「こう思う私は身勝手な思いをもっている」と周りの人を思いやれるチャゲさんは、とっても優しく慈愛深い心の持ち主なんです。
人を気遣い、思いやりたいと思えるあったかい心がある事を誇りに思ってあげて下さいね!!
> テレビなどで色んなものの買い占めの話を見ると、この人たちは自分だけ良ければいいのかしらという思いで見ていたのですが、みんな自分の大切なひとがコロナウィルスに罹ってほしくない。トイレットペーパーが無くなって困ってほしくない。そんな気持ちなんでしょうね。
> ついつい自分勝手な思いになってしまうのですが、それだけ私には大切な人がいるっていうこと。
> 普通の毎日が過ごせること。
> それってとても幸せなことだなぁと思いました。
起きている現実を「どう見るか」で気持ちや思考は変わるんですよね。
起きている現実は「ただの事象」なんだとしたら、どうせならイライラしたり否定的な見方をすることで自分の心の平安を乱すよりも、優しい見方をしてあげられたら心はちょっとだけ軽くなれるのかもしれませんね。
私が思うのと同じように、他の人にも愛すべき守りたい人がいるんだ!と思いやりを持てるのは、こんな時だからこそ大切な気持ちだと思っています。
ギスギスしがちだからこそ、自分を苛立たせないために考え方をちょっとだけ変換できたらいいですよね!(といってもイラッとしてしまう事も多いですし、イラッとしてもいいんですけれど。)
チャゲさんが言ってくれた【自分勝手な思いになるのは、それだけ大切な人がいるということ】【普通の毎日が過ごせることは幸せだと思えること】というとっても素敵な気付きがあったことは、当たり前の生活をしていると忘れてしまうからこそ、不安で望ましい状況ではないけれど
気付けた事がヨカッタ!
と、転んで何かを掴めた事、わーい!って喜んじゃいましょうね~。
私もチャゲさんとは離れた場所ですが、チャゲさんとご家族、そしてチャゲさんの大切な人が健やかに日々を送り、コロナウイルスと上手に付き合って行けるように祈っています!!
長期戦になりそうですし、お互いに出来ればコロナウイルスに罹らずに乗り切れるといいですね。
気を張り過ぎず、過度に雑にもなり過ぎず、いいバランスを見つけて折り合いをつけていきましょうね!
ご感想、ありがとうございました。
チャゲさんの優しい気持ち、嬉しかったです♡
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