完璧主義を軽くするために「ねばならない」を減らして行こう!
ホワイト・ピンクと果肉の色に違いのあるグレープフルーツ。
ギンちゃんが見つめている緑色のグレープフルーツのような果実は「スィーティー(オロブランコ)」という、グレープフルーツの仲間。
グレープフルーツと文旦を掛け合わせた品種のようで、グレープフルーツより苦みが少なくて食べやすいのですが、外側の皮と実の間の白い皮(?)のようなものがガッツリ厚くて、皮を剥くのにちと力がいります。
スィーティーに出会ったのはだいぶ前だったんだけれど、しばらくスーパーでも見かける事がなくて、急に近所のスーパーにどどーんと「本日の特価品」みたいに1玉98円で並んでいるのを見て、嬉しくなって買ってきたの。
うふふ。うまくむけたーーー。
柑橘系の皮むきって、どうもへたっぴでボロボロにしてしまう事が多いので、ツルンとキレイにむけるとそれだけで
おおっ!やった!
おおっ!いい事あるかも?!
なんてご機嫌になれます。
今回はなぜか「剥くための神が降臨」したかの如く、全部がキレイに実崩れせずにむけました。(Oh!YEAH!!)
さて、スィーティーのくだりはいる??と思われるくらい、いきなり話が変わるのですが(← いつものことなので生暖かく見てあげてください。合掌。)私は自己肯定感が低かったことについて、このブログの中で
ちょっと聞いてよ!!
私ってば自己肯定感低かったんだってよ!!
(← 桐島部活やめるってよ…のノリでお読みください)
と散々胸を張って自慢(?)してきたのですが、自己否定しながらも「自立」をこじらせていたため
完璧主義で自分を追い詰める
という事もやっていました。
自分には到底無理な山を目指して登り、挫折しては自分を呪い嫌うという「自己否定のループ」に陥っていたんですよね。(白目)
私は夫婦問題の渦中にいた時に、思いっきり「他人軸」(旦那さん軸)で怯えていたので【依存】の私ではいけない!!自立を目指さなきゃ!!と思っていましたが、実は問題が起きて依存に傾いただけで、私の根っこは思いっきり自立だったと後になって知りました。
あなたは自立?自立3点セットを確認しよう!
自立というとどんなイメージがありますか?
私の中ではバリバリのキャリアウーマン的に、かっこよく颯爽としていて、うじうじ悩まず自己肯定感の高い人をイメージしていました。
女優さんでは天海 祐希さんのような、凛とクールで時にユーモアもある自信に満ちたカッコイイ女性!!
それが【自立女子】だと勝手に思い込んでいました。
私は真逆で、小さい事を気にしてクヨクヨして(← ワカチコなんて言ってなかったんですよ~)人の目が気になって意見も言えず、助けてなんていえないので必死に頑張って自己犠牲して自分を後回しにしていたので、てっきり「自立できていない依存なんだ」と勘違いして、もっと頑張らねば!!と自分を追い立てていました。
それが、カウンセラーの先輩であるヤタさんの朝の講座を受けた時に、衝撃を受けました。
その時のことを記事にしていますので、ご興味があれば…
この記事にも出てきましたが、自立している人に見られる【自立三点セット】なるものにバッチリ当てはまったんです!!!
【自立三点セットとは】
・頼れない(一人でやってしまう)
・甘えられない(ガマン強い)
・弱音を吐けない(グチや本音を言えない)
あぁぁぁぁ、アメイジング!!!!(← ビックリしているのを表現中)
私はまんまとこの3点セットをフル装備で持っていました。
つまり、尖り切った自立だったんです。
(余談)実は元・旦那さんだった人に「いっぱい依存しててゴメンね」って言ったことがあるのですが、彼は鳩が豆鉄砲を食らったような驚いた顔をして『マミコはめちゃくちゃ自立してるよ』と言われてびっくりした覚えもあるんですよね~
完璧主義になって自分を追い込んでいませんか?
私達はいろんな事情があって自立していきます。
自分の事は自分でできるようになって、親から離れて自分の足で立つために自立は必要な事なのですが、それが「過ぎる」と自分を追い詰めてしまいます。
もっと私がしっかりしないと!!
もっと私が頑張らないと!!
自立している時に、特に言いがちな言葉だと思うのですが、これって「しっかりしていない私」「頑張っていない私」をイケナイと否定して、もっともっとと追い立てている状態ですよね。
もっとしっかりやれたらいいのにな~
もうちょっと頑張ってみよっかな~
という言葉と比べると、自分へかけているプレッシャーやストレスの度合いが違います。
自立三点セットを持つくらいに自立するようになったのは、過去に傷付いた分だけ痛い思いをしないように、愛される自分になるために足りないものを補うために、ダメな自分じゃいけないから!!と踏ん張って耐えて、傷だらけになりながら自立してきたのではないでしょうか?
頑張って完璧にならないと愛されない。
人に頼るのではなくちゃんと自分の事をしなくちゃ嫌われちゃう。
役に立てないと私の存在に意味はない。
誰かを助けるために力をつけたい。
自立の動機になる「頑張る」「一人出来ねばならない」は、愛されたいからなんですよね。
愛されたいから一生懸命に奮闘して、迷惑をかけない様に頑張って、まだこれでも愛されないんだからもっともっと「完璧にならなければならない」と自分を追い立ててしまっているんですものね。
出来ない私でもいい。
助けてもらっていい。
NOを言ってもいいし、人に迷惑をかけてもいい。
これらの気持ちをぜーーんぶひっくるめて、声に出して言えますか?
完璧にできていない自分自身を許して、こう言えますか??
100点に満たない「今の私」のままで愛されていい。
もしも何かが引っ掛かるようであれば、今の私では愛されない・愛されてはいけないと自分を許せずにいるのかもしれません。
それだけ傷付いているという事なんですけれどね。
「ねばならない」とサヨナラするために
自立が強い人は完璧主義がもれなくついてくる…のですが、完璧主義というのは出来たこと・やれたこと・頑張ったことを評価するのではなく、100点満点の成果でなければダメだと言って、減点方式で自分を評価します。
100点になれなければ、99点でもダメなんです。
そんな自分ではいけないと、頑張ってきたのに「頑張り足りない」とムチを打ちます。
これってしんどいですよね。
「~ねばならない」という思考を手放して、出来たことを認めて褒めてあげる加点方式で自分を評価してあげる方が、ずっと自分に優しく暖かく、頑張りたくなれます。
イソップ童話の北風とお日様のお話と一緒ですよね。
厳しく辛くするよりも、自分にポカポカと暖かい優しさを与えてあげる方が、気持ちよく頑張れます。
そのためにも言葉を少しだけ変えてみる事をしてみませんか??
「~しなければならない」「~でなければならない」という言葉を、ちょこっとだけ言い換えましょう。
さーて、チチンプイプイ…エロイムエッサイム…(← 魔法をかけている最中)
~であることにこしたことはない!
~した方がいいかもね!
~出来たらいいと願っている。
~になれたらいいな!
こうあるべきだ!という思いは瞬時にわいてしまうもの。
自立して完璧主義の場合、それを緩めようと思っても居心地が悪いし慣れないし…緩めない自分をも責めたりしちゃうこともあるからこそ、否定ではなく『だといいな!』『そうできたらいいな!』と希望を持った言い回しに変えてあげて、出来たら最高だし、出来なくても責めなくていいんだよ~と自分に繰り返し教えてあげましょう。
そして、こんな言葉を自分に届けてあげるのも「妖怪・ねばならない」の撃退に役立ちます。
ちゃんとしなきゃいけない!だからといって…
ついついクセで「こんなんじゃいけない」と思ってしまったら、その後で「だからと言ってやらなくてもいいんだよ」「だからと言ってできなくても愛されるよ」「だからと言って、どんだけ~」(← 最後はIKKOさんにご降臨いただきました)『だからと言って』とつけてあげて、完璧を目指しちゃうけれどそうじゃなくてもいいんだよ!と逃げ道を自分に届けてみてください。
私達は自分の行動・行為というのは、自分が「選んで」行っています。
完璧主義も自己攻撃も、自分で「そうする事を選択して」やっているんです。
誰かから「やらなくてはいけない!!」と指摘されても、やらない事を選択する事も出来るのに、やることを選ぶのは自分なんです。
ねばならないとサヨナラするためには、完璧でない自分・弱さのある自分・本当はズボラな自分をどれだけ許してあげられるかなのだと思うんです。
自分で自分を許すことがとっても大事です。
だって、世間の人が「出来なくてもいいよ~」って笑って受け入れてくれて、出来ない自分を気にもせずに許してくれても、自分がそれを許せずに責めて反省会を繰り広げていたら、問題は何一つ消えないんですものね。
自立できている大人はとても素敵です。
自立が過ぎたり尖り過ぎて、自分を攻撃するくらいになったり燃え尽きるほどになっていたら、せっかくの自立の持ち腐れ(?)ですものね。
上手に自立を緩めて、相互依存という道に歩き出すためにも、急に舵を切ろうとするのではなく、自分に小さな変化を少しずつ起こしてあげて、いつの間にか相互依存していた!なんて場所にたどり着けるくらい、ゆるゆるっと歩いていきたいものですね。
自分を肯定する作業と一緒に、尖りすぎた自立をやわらかく変えていく事も、自分を愛するのに役立つと思っています。
懸命に生きてきた証でもある【自立三点セット】が重たい時は、自分を変えるチャンスです!!
ゆるゆる、のびのび、楽チンに、ダメを許可していきましょうね~
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