なんでもない日だってスペシャルな日!そして「何も変化しない」ではなく「維持できた」って変換しましょ、そうしましょ!
鬼はーー、外!
なんて言いたくなくなっちゃうくらい、我が家の鬼さんはかわいかったんです!
ドゥフフ。かわいい。
仁くんが言う通り、節分の日の夕方、予約していた「恵方巻」を引き取ってきて、日曜日の夜は3魂での節分ディナー。
じゃーん!
引き取ってきたものを「見て、見て~」とギンちゃん・仁くんに見せびらかしているところですが…
えっ?
私は「具」の部分は食べれないの??
えっ?
私がお財布開いたのに??
予約していたのは「おにまるくん三種セット」という、ちょっとだけ贅沢な詰め合わせ。
おにまるくんというのは、新潟のスーパーマーケット「原信」のキャラクターで、節分に関係なく通年います。
おにまるくん三種セットの中身は、
・海鮮がいろいろ詰まったやつ
・贅沢マグロ巻(食感の異なるマグロを合わせた巻物)
・黒毛和牛と卵焼きの巻物
海鮮巻きの貝類以外は、ギンちゃんが食べても大丈夫な生魚たち。
もちろんマグロもギンちゃんの大好物!
そして、そして、味付きなので迷ったけれど、ちょびっとならいいよね??と、仁くんの好きなお肉の恵方巻もね!
夕方、予約していたものを引き取りに行った際に、店頭でもたくさん並んでいたので予約しなくても買えた…かもしれませんが、
予約特典は「恵方巻が100円引き」なのに加え、「2月中で使えるお会計5%引き券」も付いてくる。
ドゥフフ。お得じゃん!
ねーっ。
おいしかったね!!
私は主に「ギンちゃんが食べられない貝と、酢飯と海苔部分」、「黒毛和牛炒めのタレが染みたお米と海苔部分」という
メインじゃない部分をメインに食す
と言う感じではありましたが、3魂揃ってニコニコ笑顔で「節分だね!」「こっちの方角向いて食べるんだったね!」なんて楽しい時間を過ごせたので、大満足です。
また一つ、楽しい「何でもないような日常の中での思い出」が増えました。
去年の節分は、病院のベッドの上でひとり、微熱の中でボーッとした中で過ごしていました。
手術翌日で、まだ尿カテーテルや点滴、痛み止め管も背中に刺さっていて、寝返りを打ったりベッドの高さを調整して体を起こすのが精いっぱいで。
別に華やかでもなく、豪勢でもなくていい。
愛する大切な命と、共に楽しく過ごせる健やかな日というのは、本当に尊いものだということを、まざまざと実感しました。
そしてもう一つ。
「食べられる」ということも、とても嬉しいことだと思っています。
食べることができるというのは、生きる上でとても強い力を持っているもの。
ギンちゃんや仁くんは、ちょっと不調があっても「食べたくない!」と、食べようとしなくなります。
健やかな食欲があることが、喜び。
美味しいものを「食べさせたい」「一緒に味わいたい」という願いが、当たり前のように叶うって、実は当たり前のようで当たり前なんかじゃないんですよね。
昨年、仁くんは何度か「急性腸炎」になりました。
食べることが大好きで、ご飯の準備をするとソワソワする仁くんが、何を出しても「いらない」と言って口をつけなかったことがありました。
幸い、お薬が効き出して、腸炎が落ち着き出したら食欲も回復してくれましたが、食欲が戻って美味しそうにご飯のお皿を空っぽにする姿を見るだけで、どれだけフクフクと嬉しい気持ちになったことか!!
恵方巻の「中身」を、お皿によそうのをジーッと見つめる2魂の目。
「召し上がれ!」の合図とともに、嬉しそうに食べている2魂の姿を見ながら食べる「具のほぼない巻物」は、なんでこんなにおいしく感じるのか。
当たり前に見えるものほど、失ったときにその大きさに気付くことを、私は痛い思いをして気付いた…からなんだと思っています。
大切に、なくしてしまわないように。
愛おしいものを、壊してしまわないように。
私のてのひらから、こぼれ落としてしまわないように。
そう思って心を込めていたはずだけれど、私は私の大事な「家族」を「家族のまま」にしておくことができなかった。
残念ながら、大好きな人と作っていた家族は、夢から覚めたようになくなってしまったけれど、その悲しい体験があったからこそ
当たり前で思い煩う事のない、平凡な日々の繰り返しがどれだけ幸せなのか
をクッキリと教えてもらいました。
だから私は、何でもない毎日をまた今日もくり返せたことが「あぁ、よかった」「あぁ、幸せだ」と思って、毎日眠りについています。
そして、もしいつもの毎日の上に「ちょっと特別」なことがプラスされたら…
なんて素敵な日なんでしょう!
WOW!amazing!!
って、その嬉しさを思う存分味わえちゃうので、なんだかとってもお得です。
また来年も、3魂揃って「美味しい恵方巻」の記憶を増やして行けますように。
私自身も、自分の体を蔑ろにせずに大切にして、美味しく食べられる身体であり続けたいし、小さなことでもケラケラと笑っていられる心の状態も保ちたいですし、ね!
維持するという考え方はバカになりませんよ。
認知症の人も含めて高齢者は放っておくとできないことが日々増えていってしまう。今日できたことが明日もできる保証なんてないわけですから
(中略)
維持することなんだというのは、とても大事な発想です。
(引用:60代から女は好き勝手くらいがちょうどいい/中尾ミエさん・和田秀樹さん 共著・宝島社)
少し前に読んだ、中尾ミエさんと和田秀樹先生の対談形式の本の中にあった、とても印象的だった言葉です。
変わり映えのしないような今日だった。
毎日は、こんな風に思う日々の繰り返しじゃないですか。
圧倒的に「昨日と同じ…」「変化も成長もしていない…」ように見える日々ばっかりですよね。
実際には、同じように見えて毎日が同じではないんですけれど、でも、変化ってすごくささやかで小さくて、たった1日、たった1週間では気付けなかったりします。
夢や目標、より良い成長を遂げたいと自分に対して期待をしていればこそ、夜寝る前に自分をふりかえって
今日も何も変化できなかった。
変わり映えのない日を過ごしてしまった。
って思って気落ちしたり、変化しない自分に愛想を尽かしそうになったり、時には自分を叱責しちゃったり…。
そんなことしたくない!って思っているのに、ついつい、ね。
変わらない自分にガッカリすることがあるかもしれないけれど、
変わらずにいた = 維持できた
ってことを、本当はもっと褒めてもいいんですよね。
和田先生の言葉にあるように、「今日できたことが明日もできる保証なんてない」んですから。
たとえば、風邪を引いて熱が出てしまったら、起きていることすらままならないくらいしんどいじゃないですか。
風邪を引いている間は、昨日と変わり映えのない「平凡な日」が送れなくなりますもんね。
どうせなにもない、と思いがちですが、私たちの未来は誰にも予測ができないから、何が起きるかなんて分からないんです。
明日が必ず「今日と同じ」ようにすぎる保証なんて、どこにもないんです。
何も変化しない自分にも、両手を広げてギュッとハグしてあげませんか?
維持しただけで、ハナマルだよ!って。
昨日と同じようにはできなくて、落ち込んでしまっている自分がいたら、隣座って優しくハグしてあげませんか?
そんな日もあるよ。
つらいよね。ヨシヨシ。って。
喜ばしいことがあったら、大いに喜んで。
なんでもなく平凡な凪の状態であれば、それを「うふふ」と受け取って。
悲しみや涙、怒りや苦しみがあれば、それを分かろうとして側にいてあげる。
そうやって自分の側で、自分に暖かくありたいですね!
ではでは。
大寒波で今日の午後から積雪…の予報が、今のところまだ「ほぼ積雪なし」で逃げ切れている新潟市なので、このまま雪に覆われずに済むといいなぁ…と思いつつも、北風のゴーーッという音が激しくなってきてビクビクです。
雪の被害が、あちこちで最小限でありますように。
おやすみなさい!