【ココロノマルシェ】自己受容の寄り添う言葉を掛け続ければ、いつか負の感情ループや希死念慮はなくなるのでしょうか。
こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。
毎年5月頃から10月頃まで、フィラリア予防薬(蚊に刺されてもいいお薬)を飲んでいる仁くん。
猫はあまりフィラリア予防は言われていませんが、稀にフィラリアになる事があると聞いているので、我が家のおキャット様であるギンちゃんもフィラリア予防薬を使っています。
私はマンションの4階に住んでいるのですが、ある程度の高さだからなのか、蚊が家に入ってくることはほとんどないのですが、先週後半からプクッと蚊に刺されたようなふくらみと痒さが出現。
どこからか蚊が紛れ込んだんろうなぁ
と思っていたのですが、膨らみと痒みは連日違う場所でポツポツ出現。
しかも夕方以降にしか痒みも膨らみも出てこない。
そう、蚊に刺されたのではなく「じんましん」の出現でした。
私はじんましん体質で、海外旅行中に原因が特定されていないアナフィラキシーを起こしたこともあるのですが、ここしばらくは体に出ることはあまりなく落ち着いていました。
一度で始めるとしばらくクセになったかのように繰り返すのですが、今晩もボコボコとした痒みがやってくるのかこないのか…
じんましんは原因不明が多いので、トホホではありますが、出来るだけひどくならずに「私の中のじんましんブーム」のような繰り返す状態が落ち着くことを願うばかりです。
最近の私のちょっと困っている事を勝手に発表した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
こんにちは。誰かに話を聞いてほしくて書き込みさせていただきます。
私は約5年、心理学を学んだりカウンセリングを受けてきました。
ようやく自分が偉大な存在で愛の人だと理解できるようになってきました。
だいぶ自己受容もできるようになりました。
しかしまだ時折、ふとした瞬間に負の感情が湧き上がりそこから怒涛に負の感情に支配され号泣してしまいます。
「どうしてあんな家に生まれなければいけなかったのか」「どうして末っ子なのに母の母役をしてこなければならなかったのか」「お母さんはいつもお姉ちゃんばかり心配して、お姉ちゃんのためには行動を起こすくせに私には頼らせず母役をさせる」
大体浮かぶのはこんなことです。
そしてひとしきり負の感情が湧くと同時に「死にたい。もう死んでしまいたい」と希死念慮が出てきます。
希死念慮も12才からの付き合いです。本当に行動を起こしたことはありません。こわくてできません。
12才のとき母に「死にたい」と言ったら「死ぬんだったら人の迷惑にならないように、電車に飛び込むんじゃなくて富士の樹海に行きなさい」と言われました。
心配する言葉は一言も言われず、12才にして親に死に場所を指定されました。忘れられません。
自己受容ができるようになったので、負の感情ループに巻き込まれても「つらかったよね、がんばったね」「あなた愛の人だからお母さんあなたの愛に甘えたかったのよ」など寄り添う言葉掛けをしてしばらくすれば落ち着きます。
ですが、負の感情ループで号泣→希死念慮は心も体も疲れます。
自己受容の寄り添う言葉を掛け続ければ、いつか負の感情ループや希死念慮はなくなるのでしょうか。
最近結婚した友達に「あなたも婚活していいんだよ」と言われ、なんでこんなこと言うような子が幸せになって、心理学を何年も学んで何十万もお金をかけてる私には一向に幸せな未来が見えないのかと、自分と向き合うことにも疲れてきてしまいました。
夢を追えど叶う見込みがなく、仕事も給料あがらず、現実の恋愛もなく、推しの存在にキャッキャして癒やされるだけ……34でこんな人生を生きてることが時折つらくなります。
こんな私が幸せになれる日がくるのでしょうか。
コロナ禍でのひとり暮らし、いろいろと考えてしまいます。
ご相談:ぴーすけさん
ぴーすけさん、こんにちは。
お悩みを読ませていただいて、子供時代のぴーすけさんがどれだけ寂しく、心細く、愛して欲しくてお母さんを求めていたいのかを思い、胸がギューーーッとなりました。
子供の時のお母さんって、なんというか「全知全能の神」みたいな存在で、子供にとっては「お母さんに愛してもらえない」なんて、恐怖でいっぱいになりますものね。
全知全能・完全な存在であるお母さんから愛されなかった自分は、誰からも愛されるはずがない。
全知全能・完全な存在であるお母さんから頼られ続けた私は、助けにならなければ価値がない。
全知全能・完全な存在であるお母さんから否定された私は、存在する意味すらない。
こんな風に思ってしまうくらい、求めている愛を親からもらえなければ、自分を罰したり律したりしてしまいます。
お母さんだって人間で、不器用で、不完全なのに、子供はそうは思えませんものね。
お母さんに愛してもらえない事で自分に呪いをかけて、自分を上手く生きれなくなってしまうんですよね。
> 自己受容ができるようになったので、負の感情ループに巻き込まれても「つらかったよね、がんばったね」「あなた愛の人だからお母さんあなたの愛に甘えたかったのよ」など寄り添う言葉掛けをしてしばらくすれば落ち着きます。
自己受容出来るようになって、本当に良かったですね!!!
自分が過去を思い出して苦しくなった時に、ずーーっと突き放されているのではなく「大事にしてもらえる」ようになれただけでも、うんとうんと楽になれているのではないでしょうか??
希死念慮の気持ちが湧きあがっても、ちゃんと自分をケアできているんですもの。
ここは盛大に褒めたいところですよね。
そして、これからも自分を一番に受容してあげて、さらにステップアップして「希死念慮をもってしまうこともあって、しんどい私の事も肯定してあげる」自己肯定できるようになれると、きっと今以上にぴーすけさんが自由に生きられるようになると思います。(受容ができていれば、肯定も出来ていると思います)
> こんな私が幸せになれる日がくるのでしょうか。
> コロナ禍でのひとり暮らし、いろいろと考えてしまいます。
幸せになりましょう!
ひとり暮らしでグルグルと不安や寂しさに飲まれてしまう事もあるけれど、私たちは幸せになるために生まれてきたんですもの。
私もあれこれとうまく行かない事を経験し、生きることに絶望したことがありました。
その時にも、そして今も、ずっと自分にかけている声掛けの言葉があります。
– – – – – – –
幸せになっていいんだよ。
ううん、幸せにならなくちゃ。
こんなに頑張って生きてきたんだもん。幸せになっていいもんね。
幸せにならなきゃ、困っちゃうもんね。
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自分がのぞむ「幸せ」になれるのか、ひとりぼっちの時には不安にもなるし焦りもしますが、そんな時ほど自分に優しく「幸せになっていいし、なれるよね。だってこんなに頑張ってきたから。」と、自分の頑張っている姿を肯定してあげるようにしています。
小さな事なのですが、これだけでほんの少しだけ心が温かくなれますので、良かったら不安になった時に胸に手を当てて優しく声掛けをしてあげてみてくださいね!
* * *
自分を助けてあげるために、親を手放すという事が必要になる事がありますが
手放すとは「許す」ことです。
許すと言っても「お母さんに感謝しています!ありがとう!!あなたの子供でヨカッタ!!!」という事を見つけて感謝を持って許すのではなく
親が変わるのを期待するのを「やめる」。
親にどんなことをされたかに関わらず、自分の手で自分を幸せになる!!と「親から離れる」と言う事も一つの許しのカタチです。
そして、「忘れる事」も許しです。
突然ですが、「ぴーすけさん、お母さんに期待する・分かってもらう事を諦めましょう。」と言われたらどんな気持ちになりますか?
お母さんは未熟でした。
お母さんは愛を上手に与えることが出来ずにいました。
どこか不器用でいびつで、きっと欲しい言葉や態度をくれることはないでしょう。
だから、もうお母さんを諦めて、自分で自分を幸せにする!!って決めませんか?
傷付いた自分がいるのは確かですが、もうぴーすけさんは自分では何もできない無力な子供ではありません。
自分の力で自分を幸せにすることが出来る、ひとりの大人の女性ですから。
* * *
さて、ここまで読んでいただいてどんな気持ちになりましたか??
いやだ!!!
そんなのムリ。
お母さんが許せないし、諦めるなんてあり得ない!!!!
って思いませんか???
もしも「諦める」が出来るのであれば、それはひとつの方法としておススメです。
許せるならばそれに越したことはありませんものね。
もう、分かったよ。
もう、いいよ。
もうここから私は自由になるから。
諦める事で、消化できない様々な感情を手放してその場から離れるのですから「悲しみや怒り」という気持ちを葬り、一つの許しの方法を選んだことになりますものね。
けれど、やっぱり嫌だ!!
お母さんを許したくない!!!
諦めたくない!!!
と思う気持ちが強いならば、それだけぴーすけさんは「お母さんを大好き」だということ。
自分を虐めたり悲しませたりするような人からは、誰だって離れていきます。
その人を理解しようなんて思いません。
子ども時代はどうしたって親の加護の元にいないと「生きる事」ができないので、そこに留まるしかないけれど、大人になれば自由にその場から離れていけます。
たとえ「親なのに縁を切るのか?!」と言われても、親との関係を構築したいと思っていない人であれば、自分を守るために親と絶縁することを選びます。
でも、そうしないというのは「お母さんの事が大好き」だからなんですものね。
お母さんから物理的に離れた場所に居ても「どうして私を愛してくれなかったの?」「どうして私におねえちゃんの仕事をさせたの?」「どうして私を愛してくれなかったの?」と『どうして??』を抱える事で、ずーっと心の中にお母さんの居場所を確保しているのではないでしょうか?
嫌だったことを手放さず握りしめて、自分を傷付けてまでも「お母さん」を自分の中に住まわせて、愛し続けているんですものね。
愛しているから、愛して欲しいんです。
愛してもいない人に「私を見て」「私の気持ちを分かって」「私を抱きしめて」なんて思い続けられませんから。
私たちの心は時々とても複雑な事をします。
冷たい言葉を浴びせられたら、とても深く傷付きますし失望します。
欲しかった言葉や愛情をもらえなかったことはとても悲しく、生きる力すらなくしてしまいそうな程だったにもかかわらず、愛する力が強いぴーすけさんだから「こんなひどい親を愛する」と諦めずに愛を注ぐために
こんなひどい事をされた。
こんな扱いを受けた。
なぜ、どうして??
と自分にとって痛みや理解できないものを大事に握りしめて「被害者」のポジションに留まり、お母さんに「怒り」「許さない」という思いを持つことで、お母さんと繋がり続けようと決めたのかもしれません。
それは自分の知覚できる思考領域ではなく、もっともっとずーーーっと奥の潜在意識の中で。
とってもややこしいのですが「憎しむ」「許さない」「幸せにならない」と負の力を使いながら、お母さんを感じ、繋がりを持ち続けているんです。
忘れないで持ち続ける、被害者でい続けることも「エネルギーを使う事」です。
好きでもない人にエネルギーをこんなに長く注ぎ続ける事ってできませんよね。
また、自分が愛してもらえなかった「被害者」のポジションに自分を置き続ける限り、どうしても必要なものが出てきてしまいます。
それは…
加害者としてぴーすけさんを悲しい思いにさせる存在です。
勿論、お母さんがぴーすけさんにぴーすけさんが望んでいた形の愛情をくれなかったのですから、とても傷付いていますし許せない思いがあるのは当然です。
けれど、許してあげない限りずっと、ぴーすけさんの心の中で「ぴーすけさんを苦しめる存在」としてお母さんがい続けなくてはいけないんです。
許しはお母さんの為ではなく、ぴーすけさんが自分を助け・守ってあげるためにすることです。
「もう分かったよ」「怒っていないよ」「お母さんにもこんな愛し方があったんだ」と感謝を探して許すという方法もありますが、許しはなにも『受容する事』だけではありません。
お母さんを「気にしない」ように生きることも、ひとつの許しです。
お母さんに関係なく、自分の幸せを許可し、自分が幸せを感じて生きる事も、ちゃんとした許しの行為です。
そして、自分が大人の女性としてお母さんと付き合っていく。
子どものポジションにい続ける限り、お母さんが分かってくれない…と自分を苦しく悲しい場所に置き続けるてしまいますものね…
自分のために、自分に愛を注ぐために、お母さんから離れて、子供としてではなく大人の女性同士として付き合っていくことで、新しい関係性を作ることが、結果としてお母さんを許すことになります。
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私は私。お母さんはお母さん。
私はもう大人になって、ちゃんと自分を大事にすることができる。
お母さんに頼らなくても、ちゃんと私は生きていける。
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こんなアファメーションを使って、子供のポジションから大人のポジションに自分を置きつつ、お母さんとの間に境界線を引くのも許すための手助けになります。
そして心の中にいるお母さんに「もう私は大人になったから、私の事は私ができるからここに居なくても大丈夫だからね」と、お母さんが登場するたびにご退場を願いましょう。
言い方を変えると「おかあさんはどうでもいい」と思える時に、お母さんへの許しが完了するのかもしれません。
お母さんの事は過去のこととして、ぴーすけさんがぴーすけさんの人生を生きるだけでよくなるのですもの。
そうやって「お母さんから解放される」ということは、お母さんへ向け続けた愛を今度は自分や自分を愛してくれる人のために使えるようになるのかもしれません。
私は私でいい。私がいい。
愛に溢れた私はずっと与えてきた。だからこんどは溢れる愛を受け取ってもいい。愛される喜びを知ってもいい。
こんな私だからこそ、幸せにならなきゃね!
こんな風に自分をのびのびと生き、自分の幸せを自分が心から望んであげて、ぴーすけさんの中でおかあさんが住む場所をうーーーんと小さくして(時折訪ねていく程度にして)、自分の事でいっぱいに満たしていくことができるようになるといいですね。
* * *
私たちの脳は思いの外正確には物事を受け取れず、私たちの都合に合わせた認識で世界を見て記憶します。
ある人から分かってもらえないという体験をすると、脳が「この人は分かってくれない」という認識を持つようになります。
この状態は「分かってくれない」というサングラスをかけて世界を見ている状態です。
自分が「分かってくれない」というサングラスをかけている訳ですから、分かってくれない状況ばかりが目につきますし、もしも「愛してもらっていた(分かりにくかったにしても)」「理解された」という体験があっても、それは目に入ってきませんし気付けません。
> 12才のとき母に「死にたい」と言ったら「死ぬんだったら人の迷惑にならないように、電車に飛び込むんじゃなくて富士の樹海に行きなさい」と言われました。
> 心配する言葉は一言も言われず、12才にして親に死に場所を指定されました。忘れられません。
死を告げることをするくらい、お母さんに抱きしめて欲しかったんですよね。
愛してくれないなら死にたいと思う位、お母さんを求めていたのに、自分の命を懸けた宣言に対し、ぴーすけさんがのぞんだ言葉や態度をもらえなくて絶望しましたよね。
許せなくていいですし、悲しい気持ちを思い出す度にぴーすけさんがしている「自分への優しい愛ある声掛け」をし続け、癒し続けてください。
そして、これは本当に余計なお世話なのですが、自分の娘が「自死したい」と訴えてきた時の親の気持ちになって過去を見て見るということをしてみませんか?
愛情表現が下手で、未熟で母親として不器用なやり方しかできないお母さん。
お姉ちゃんのように手をかけなくてもちゃんとしていて、愛情深い優しい娘が、死にたいと言っていることに戸惑い、なんとか止めなくちゃ!!と思うものの、どんな言葉をかければいいのかが見つかりません。
でも、愛しているから死んでなんて欲しくない。
こんな時、ぴーすけさんの不器用なお母さんは「愛している。だから死のうなんて言わないで。お母さんに何でも話して。」って言えるような人でしょうか??
それが出来ていたら、ぴーすけさんが死にたいなんて思わなかったはずですから、きっとお母さんはこんな対応は出来なかったはずです。
どうやったら娘の死を思い度止まらせることが出来るか??
お母さんはうんとうんと不器用でダメダメで、それが子供の心を傷つける言葉になるなんて思いも及ばず、子供の力で樹海を目指すのは無理だ!!と思いつき、
あなたに死を選んでなんて欲しくない
という言葉の代わりに「電車に飛び込む(=やろうと思えば今すぐできてしまう事)」ではなく、子供の力では行くことが出来ないであろう樹海を死に場所として指定することで、死ぬなんてやめなさい!生きて欲しい!!と伝えたのかもしれません。
あくまでも「想像の域」ではありますが、お母さんがこの時にこの言葉を言った本心は、お母さんにしか分かりません。
そして、なんでこう言ったの??と聞いたとしても、お母さんがその時の感情を覚えていなければ、永遠に答えは分かりませんものね。
だとしたら、ぴーすけさんの事を苦しめる記憶を、ぴーすけさんを助ける記憶に書き換えてあげることをして、自分を助けてあげませんか??
だって、答えがないんですもの。
だったら、自分が欲しい答えを「自分の中のお母さん」からもらって、自分を助けてあげましょう。
* * *
欲しい愛情をもらえなかったことは、どれだけぴーすけさんを悲しませ続けているのか…
死にたくなる思いを抱える程ですもの。ずっとずっと苦しみ続けたんですよね。
今だって、自分を大事に癒しながら戦っているんですものね。
ぴーすけさんがご自身で書いてくれていましたが「自分が偉大な存在で愛の人」だとありましたので、ぴーすけさんはきっと
愛する力が大きいから、愛することが不器用なお母さんを喜ばせたい
愛する力が大きいから、愛が上手に表現できないお母さんを助けたい
と、お母さんにとって「愛の見本」「愛を届けてくれる天使」のような存在だったはずです。
ぴーすけさんだから、与えられなんですものね。
そして、愛して欲しい人の気持ちが誰よりも分かるのですから、きっとぴーすけさんが作るパートナーシップや、未来にもしもお子さんに恵まれるならば、きっとそのお子さんたちは「大きな愛」をもらえる幸せなお子さんになれちゃいますね!
子供はちょっと先走り過ぎですが、パートナーになる男性は「愛情深いぴーすけさん」を射止めることが出来たら、最高に幸せ者ですよね~。
ぴーすけさんの深くて大きく偉大な愛が、近い将来に受け止めてもらえる場所ができ、愛した分だけ愛される素敵な体験ができるように祈っています。
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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡
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ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。