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【ココロノマルシェ】不倫の彼と出会い、私を理解し助けたいと言われ続けどっぷりハマってしまいました。

ワールドカップラグビー 日本代表の試合は終わっちゃったけど 凄くかっこよかったですよね~

ワールドカップラグビーの4強が決まりましたね!!
日本代表戦の前に行われたフランス対ウェールズの試合も見ていましたが、動きが速くてテンポが良く、さすが8強だけある…というトーナメントに日本も混じっているんだと思うとそれだけで勝手に感動し、夜からの応援に備えてひとりで興奮していました。

私は熱狂的ではありませんが、ラグビー好きなので高校ラグビーの予選を見に行ったり(職場の近くで試合をやっています)、プロの試合などもちょこちょこ見に行っています。
プロリーグでも空席が多いラグビーですが、今回のワールドカップでその素敵さが広まり超満員の会場や選手のプレーにひとりで勝手に感動した熱い夜でした。

本音を言えば、もうひと試合見たかった…けれど、やっぱり南アフリカの選手の強さは凄かったです!!!
一人でキャーキャーとテレビを前にして騒いでいる私の視界にドデンと寛ぐギンちゃん。こういう温度差がたまらない我が家の一コマをお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

こんにちは。
私は2人の子持ちですが、不倫の恋愛にハマってしまい依存的になってしまいました。

優しい不倫相手の彼に甘えて試し行動ばかりして傷つけ、疲れさせてしまい終わりの予感が漂っています。
次に会うのが最後になりそうですが、振られるのが怖くて怖くて仕方がありません。

新築の家に住み、可愛い子供達にも恵まれ夫は育児に協力的。
私の不倫を知ったら、みんなに責められると思います。

あんなにいい旦那がいるのにどうして!?なにが不満なの!?と。
きっと、私がおかしいのだと思います。

私の家は新興宗教を熱烈に信じており、それに馴染めなかった私は幼少期から深い孤独を感じていました。

過保護な母に生活のことをすべて先回りしてやってもらい、教えを強く信じていれば何の問題もない。
くよくよしてるのは信仰心がないからだ。と言われ続け、ちゃんと信じられない自分は落ちこぼれなのだと思い続けてきました。

夫はそんな私を助けてくれて結婚してくれて、この人を頼れば何の問題もない…と思っていたのですが、もともと自己肯定感が高く人の指図は受けず、やりたいようにやるアウトローの夫。
くよくよ悩みやすい私にあまり共感できないようで、意見がすれ違うことが多くなりました。
そこで私はひとりぼっちなのだと感じ、どうしようもない深い孤独を感じ毎日泣いて過ごす日々でした。

そこに不倫の彼と出会い、私を理解したい、助けたいと言われ続けどっぷりハマってしまったのです。
不倫の彼も彼で、奥さんに必要とされていないような悲しみを抱えていました。 共感されて優しい言葉をかけられ、自信をなくしていた女性の部分も受けいられれて本当に嬉しかったのです。

とっとと振られて、諦めて、家族のために生きなくては。と思います。
自己肯定感を高め、ライフワークを生きる本も買って自分の心と向き合わなくてはと思います。
でも私の本心は、優しくしてくれた彼を失いたくないのです。

私の深い喪失感が埋まることはあるのでしょうか。
まずは依存的な自分をどうにかしたいともがいています。
どうかよろしくお願いします!
相談者:ゆりなさん

ゆりなさん、はじめまして。
寂しいという気持をずっと抱えていらっしゃるんですね。
寂しさってとても強力で、人を弱らせますし孤独で不安にもさせてしまいます。

寂しいってとても辛いですものね。

私もゆりなさんと似たような気持ちを長い年月抱えて生きていました。
事情は少し違いますが、何か心が少しでも楽になれたらと思いお返事させていただきます。

> 私の不倫を知ったら、みんなに責められると思います。
> きっと、私がおかしいのだと思います。
> ちゃんと信じられない自分は落ちこぼれなのだと思い続けてきました。

ゆりなさん、多方面に渡っていっぱい『罪の意識』を背負っていらっしゃいませんか?
みんなから責められるような罪の多い私。
他の人はしないようなおかしな事をしてしまうダメな私。
ちゃんと信仰できない見放されるべき価値のない私。
ずっとずっと自分を【価値のないダメな罪深い私】として、責めて生きてきているのではないでしょうか?

子供時代にご家族が熱心に宗教を信仰している中で、自分だけがその教えや神さまに馴染めないって、とても過酷な状況だと思います。

子供時代はどうしたって親の信仰している宗教の教えを一緒に学ぶ事になりますが、神様に対する信仰が持てないってとても【罪深い】事で自分を責める事になると思うんです。
ご両親が熱心に信仰されていたとなれば、その教えに馴染めず信仰心を持てない自分は「罪人」のように感じるほどだと思います。

神さまに対して刃向かう訳ですから、本当に大罪ですよね。

実は、私も幼少期に母が終末思想のあるキリスト教を信仰し、その教えを受けて育ちました。(父は無神論者だったため宗教的にはバラバラでした)
教えはキリスト教なのでとてもいいものなのですが、終末思想が怖くて私は恐れから神さまに背を向けました。
どうしても信仰が持てず、思春期を迎えるまでは信仰を持ったふりをしていたので「ごめんなさい。私は信じていません。」と協議への恐れと同時に、信仰を持っていないことがバレる事への【罪悪感】を持つことになりました。

罪悪感というのは『私は罪深く汚れた存在であるから、幸せにはなっていけいないし独居房に入っていなくてはいけない』と孤独にならせようとします。
幸せになる事をを全力で邪魔する感情で、誰しもが多かれ少なかれ持っている感情です。

意識上では「愛されたい、幸せになりたい、寂しいのは嫌だ」と望んでいるのに、心のずーっと奥の潜在意識の部分では罪悪感が大きければ

罪深い私は幸せにはなってはいけない。
私は汚れているから愛される価値はないし、私は毒のような存在だから人から距離を取って孤独に生きなくてはいけない。

と、自分が愛されて幸せになる事を許可せずに罰し続けて不幸になる状況ばかりを選んでしまいます。
敢えて自分がその状況を選んでくる事すらしてしまいます。

> 夫はそんな私を助けてくれて結婚してくれて、この人を頼れば何の問題もない…と思っていたのですが、もともと自己肯定感が高く人の指図は受けず、やりたいようにやるアウトローの夫。
> くよくよ悩みやすい私にあまり共感できないようで、意見がすれ違うことが多くなりました。
> そこで私はひとりぼっちなのだと感じ、どうしようもない深い孤独を感じ毎日泣いて過ごす日々でした。

心理学では全ての問題は「自作自演」と言いますが、ゆりなさんを暗い地下牢から救い出し助けてくれたご主人に、たくさん寂しさを埋めてもらえたのではないでしょうか?
けれど一見恵まれていて幸せに見える環境下でも強い罪悪感を心が抱え込んでいたら「私は愛される資格がない」「私はひとりぼっちで孤独だ」という状況が必要になり、魅力に見えたご主人の高い自己肯定感がゆりなさんをまた暗い地下牢に監禁し寂しさに泣いてしまっていたのかもしれません。

私もずっと「愛されない」という孤独と寂しさを抱えていました。
大好きな人と結婚もしましたが、結婚と同時に問題を抱えるような事が起きたり、幸せになりたいのに「罰が必要な私」は、浮気をしてもらうという問題まで自作自演で起こして、苦しみ抜いて罰してもらい、離婚という選択をしてまた孤独な牢屋に戻ってきました。

誰にも私の心の中に入ってきて欲しくない、誰も私の事なんて分かってくれない。
傷付くのが怖くて心の壁を厚くし、愛を受け取らずに寂しさに震えて孤独で私を泣かせていたのは、他でもない自分自身でした。

私が自分を幸せにさせないために握りしめていた罪悪感については、別の記事を書いていますのでもしもご興味があれば見てください。

ずーっと1人で孤独を抱えて寂しさの中で生きていると、差し出された手にしがみつこうとします。
ことわざにもある「溺れる者は藁をも摑む」という状況というのでしょうか…
寂しさは本当に人を狂わせます。
寂しい気持ちから解放されたい時には、私たちは泥水を飲んでもいいとすら思うほど、寂しさ・孤独感は人を弱らせるものです。

幸せな家庭があるのに、それでも孤独で寂しいと泣き続けてきたゆりなさん。
心の中に大きな穴が開いていて、一生懸命埋めようとしてもそれが埋まらずに絶望して自分をまた責める日々の中で「あなたの寂しさが分かります。私も寂しさを抱えているから…」と言われたら、その誘いを断ることなんてできませんよね。
その手の方向に希望や光を感じてしまうのではないでしょうか?

ゆりなさん、少し想像してみてください。
少し深い森にゆりなさんが迷い込んで遭難してしまい、食料がなくなり3日間何も食べずに飢えていました。
そこに救助の人が現れて助けの手を差し伸べてくれたら、どんな気持ちなりますか?
安堵してその人の手をしっかりと握り、感謝してついていくのではないでしょうか?
そしてその人がポケットからクッキーを数枚取り出しゆりなさんに食べるようにと言います。
3日ぶりの空腹の状態でクッキーを食べたらどうなると思いますか?
より強い空腹を感じて「もっと!もっと!」と求めるのではないでしょうか?

孤独と寂しさで「飢えている」時は、遭難して空腹な状態と同じだと思うんです。
もっともっとと依存的に求めてしまいますし、心の奥に「私は愛されるはずがない」という思いがある分だけ、本当に愛してくれるの?私の寂しさを満たしてくれるの?と試すような事をしてしまいます。

> そこに不倫の彼と出会い、私を理解したい、助けたいと言われ続けどっぷりハマってしまったのです。

罪深い故に独居房で1人で罪を償い「孤独と対峙して寂しい」と泣いていたゆりなさんの前に、あなたを助け・その孤独を癒し理解し寄り添いたいと言ってくれた彼が現れたら、寄りかかりたいし助けて欲しいし、近付きたいし救って欲しいし「罪深い私でもいいんでしょ?分かってくれるんでしょ?」と試し行動をして

私は本当に見捨てられないよね?

と安心感をもらおうと必死だったのだろうと思うんです。
彼に依存してしまったのも、彼を困らせる事をしてしまったのも、寂しいという大きな穴を外側から「埋めたい」と求めてしまっていたのですから、仕方のなかった事だったんです。
大好きになった彼のことを困らせたり試したかったのではなく、私を見捨てずに寂しさを暖めて満たして欲しいと泣いていたんですものね。

> 共感されて優しい言葉をかけられ、自信をなくしていた女性の部分も受けいられれて本当に嬉しかったのです。

彼から沢山のものを「与えてもらう」という素敵な贈り物の時間を過ごされた事、嬉しいと思えた事、ゆりなさんの心に優しい時間があった事、よかったですね。
ゆりなさん、彼からこんなに与えてもらえる価値のある素敵な女性である事を受け取って、自分にこんなアファメーションを届けてあげませんか?

私は今までもこれからも、ずっと価値のある尊い存在です。
私は優しくされて、その優しさに包まれて安心して生きてもいい。
私も周りに優しくして愛を与え、届け続けていい。
私の女性としての価値はこれからもますます輝き続け、愛する人たちを笑顔にできる素晴らしい価値がある。
私はもう十分に孤独と向き合い、一人で戦ってきました。
もう十分に耐え忍びましたから、これからは愛されていいし満たされていい。
私は自由です。私は自分を愛していいと許可します。

女性としての魅力や価値が揺らぎ、抱えてきた孤独や寂しさを包み込んでくれる毛布のような役目を彼が買って出てくれて「私が必要としているものは愛される価値のある自分を知ること」だと教えてくれる大きな役目を果たし終えて、彼がその手を放すタイミングなのかもしれませんね。

私もそうでしたが、どんなに自分の孤独や寂しさを「外側」から埋めようとしても埋まる事はありません。
喉が渇いている時に海水を飲むような状態で、もっともっとと乾きを自覚し求め続け、どっぷりと依存します。

> とっとと振られて、諦めて、家族のために生きなくては。と思います。
> 自己肯定感を高め、ライフワークを生きる本も買って自分の心と向き合わなくてはと思います。
> でも私の本心は、優しくしてくれた彼を失いたくないのです。

恋愛はお相手のある事なので「失いたくなくてもその手が放されてしまう」事はある事だとしても、自分が「失いたくないくらい大切に思う人」の事をすぐに忘れなくてもいいと私は思っています。
家族のために生きる事も大切なことですし、そうしたいとゆりなさんが望んでいるのであれば、そこにフォーカスして楽しみを見つけ出す事も素敵な事だと思います。

ただ、無理していませんか?

ゆりなさんの本心にあるように「愛されたい」「優しくされたい」「安心したい」「大切にされたい」という部分を、否定しなくていいんですよ。
そして、彼がそれを担ってくれていたのであれば、背を向けられたらとても傷つくし、それだけ好きだった気持ちに寄り添ってあげてください。

たしかに不倫の関係というのは望ましい関係ではないですから、自責の念もたくさん抱えながらの恋だったと思います。
けれど、こんなに好きな気持ちを持っている時にその恋を失うのは、やはり大きな失恋ですから、頑張る力なんて持てません。
振られるのが怖くない人の方が少数派です。ましてやこんなに好きな人から振られるのを予測していたら依存したくなるのも仕方ない事だと、弱い自分を受け入れる事が「自己肯定」です。

先程少し「外側からどんなに埋めても寂しさは埋まりきらない」という話をしましたが、寂しさというのは自分が内側から感じてしまうものなので、与えてもらって埋まったように見えても、自分がそれを克服していない状態では埋めてもらった穴の底から「外から満たしてもらったもの」がこぼれ落ちて、寂しさをなくす事ができません。

だからこそ、自分で満たす、という事をするのはとても大切です。

そこで、ゆりなさんが書いてくれていた【自己肯定感を高め、ライフワークを生きる本も買って自分の心と向き合わなくてはと思います。】というのはとてもいい事だと思います!

自分の価値を認めて受け入れ、自分を自分でワクワクさせて内側から満たす『自己充足』は生きる事を楽しくしてくれて、自分が抱え続けている寂しさから抜け出したり、上手に付き合えるようになる力になってくれます。

内側の「寂しい」を自分で満たすイメージです。
とはいえ、一気に全部が埋まるものではありませんし、寂しさがない人はいませんからどんなに自己肯定してライフワークにワクワクしていても、寂しさや悩みが湧き上がる事はありますが、それでも自分を肯定できるようになっていると「しょうがないよね」と優しく自分に笑いかけてあげて、足りない部分を自分で丁寧に埋めてあげようとする事ができるので

自分で自分を愛し、幸せにする事ができるようになります。

まずは「自分」なんです。
愛されたかったら、まず自分を自分が愛してあげる事がファーストステップ。
心の世界には「投影」というものがあり、私たちは自分を扱うやり方で周りの人からも自分を扱わせます。
また「足りない」「寂しい」と思う感情も全て周りではなく『自分の内側』にあるものだからこそ、自分でそれを満たす事が大切なんです。

依存的になってしまっているのであれば、自分軸を持つ事を意識する事も大事な事ですよね!
私は私、人は人。と、どんなに近しい人でも自分の空っぽの部分を埋める事ができるのは自分なんだもんね、と教えてあげる事で過度に依存的になる事を弱めてあげる事ができるようになります。
とはいえ、私も依存が強いタイプだったので簡単ではない事は十分に承知しています。それでも尚、依存する自分が辛いのですから、自分軸を意識するというのは結果的に自分を助けて楽にしてくれる事ですから取り組むべき価値はあると思います!

ゆりなさん、自分の中にある罪悪感を癒し、愛される自分を許可しませんか?
そして、自分が何をすると喜ぶのか、自分がワクワクする事、楽しめる事って何かを自分に問いかけ、自分を寛がせて大切に扱いませんか?

自分とゆっくり仲直りしましょう!!

そのために、自分を肯定するってすごく大切な作業になります。
寂しいって泣いている私に優しく「うんうん。ずっと孤独を抱えてきたもんね。何が1番悲しいの?何がそんなに寂しいの?」と話を聞いてあげて、そっと抱きしめてあげてください。
依存してしまうくらい愛を求めている自分を決して否定せずに「ずっと悲しみを抱えていたんだもんね。ごめんね。これからは私が側にいるからね。涙を拭こうね。どんな風に私は私を愛してあげたらいい?」とたくさん問いかけてあげて、内側から求めているものを惜しみなく自分に与えてあげてください。

私はずっと罪悪感を抱え、孤独に寂しさの中で生きてきました。
やっと出会えた最愛の人だと思ったパートナーからも手を離されて、何年も孤独の闇の中で泣いていた私ですが、そんな自分をとことん受け入れ、自分を大切に受け入れる事を続けた今、状況はまるで変わらずに「ひとり」で生きているけれど、あの時に感じた孤独感や寂しさは感じていません。

物理的にもひとりなので、時には寂しいなぁ、と涙する日も今でもありますが、それでも元気に笑って暮らしています。
自分を愛する事ができると強くなれます。

いきなりあれこれできなくていいんです。
今は「失恋」を癒す事を最優先してあげながら、ゆっくりゆっくりと「私の幸せってなんだろう?」「私が笑顔になれる事ってどんなことだろう?」「私はどんな風に愛したいんだろう?」と自分が願う事ってなんだろう??と自分の心に寄り添って行けますように。

自己肯定って「傷ついて泣いている弱い私」や「依存的で不安定な自分」にも「よしよし。しょうがないよね。」と思いやって優しくしてあげる事です。
ダメな自分もまるごと愛せるように、そうして自分が自分の1番の味方になる事で、ずっと抱えていた孤独や寂しさを手放していく事ができますように。

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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