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【ココロノマルシェ】私の子供は斜視という病気で、それが気になってしょうがないのです。

じりじり・きゃふきゃふ

にーたん、遊ぼでちーー!!
と上肢を倒して下肢をクイッと押し上げようにしてワクワクしている仁くんにじりじりと距離を詰めていくギンにーたん。

この後、ギンちゃんがネコパンチを繰り出して仁くんが走り回って鬼ごっこ…というのが通常の流れなのですが

おりゃー!かかってこいやー!!え?思ってたのと違うでち…

じりじりの体勢から、突然のゴロンの姿勢に仁くんはビックリ。

おりゃー!と寝た体勢で遊ぼうとするギンちゃんを「思ってたのと違う…」という冷静な視線で見つめる仁くん。
ですがこの後、キャッキャと楽しそうに遊んでいたので、思ってたのとは違ったけれど楽しかったみたいです。

わが家の朝の「きょうだいの遊び」をお届けしたところで(注:誰にも頼まれていない前置き)ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

私の子供は5才で斜視という、病気です。

目の焦点が合いません。

それが私は気になってしょうがないのです。

人に見られたくありません。

この気持ちをどうしたらいいのてしょうか?
相談者:ともかさん

ともかさん、こんにちは。
お子さんの目の病気の事、話してくれてありがとうございます。

私は医療関係者ではなく、病気についての知識がないので見当違いな所もあるかもしれませんし、今後の治療については病院の先生のご計画もあると思いますので、病気についての不安な点は、ぜひ先生に相談して少しでも不安を軽くされてくださいね。

私は子供を持ったことがないので、母親になるという気持ちがどんなものなのかは「想像」でしか語れないのですが、お腹の中に待望の赤ちゃんを感じた日から、産まれてくるわが子に会える日をともかさんはきっととても楽しみにされていたんだろうと思います。

妊婦さんはそれまでお酒を飲むのが好きだった人でも禁酒をしたり、煙草を吸う人でも禁煙のための努力をしたり、産まれてくる赤ちゃんが「五体満足で健康でありますように」と祈っていると思います。
だれだって、当たり前のように「健康でかわいいわが子」に会えると信じているはずです。

斜視という事ですが、生まれてすぐに分かる病気ではない分、成長するにつれて「うちの子の目の焦点がズレているのでは?」と不安を沢山抱えてきたのだろうと思います。

本来であれば、成長を喜べるはずなのに「病気なのではないか?」と心配し続けるという日々は、どれだけの心労だったのでしょう…。

誰だって自分の子供が病気や障害を持って欲しいとは思いません。

子供の病気や障害を受け入れるのは、母親だから誰しもスムーズに出来るものなんかではないと思います。
ものすごい葛藤や苦しみがある中で、斜視という事実をどう処理し受け入れたらいいか、ともかさんは自分を責めたり苦しみぬいたのではないでしょうか??

> 目の焦点が合いません。
> それが私は気になってしょうがないのです。
> 人に見られたくありません。

ともかさんの素直な気持ちを教えてくれて、ありがとうございます。
お子さんの顔をパッと見た時に、焦点が合わないのはやはり目立つものですし、悪意はないとはいえ、周囲の人にお子さんの目を見られているのを感じることも沢山あるんだと思います。

気になりますよね。
気にならない訳がないですよね。

審美的にどうしても目立ってしまうんですもの。

ともかさんの中で「なぜうちの子が?」「なんで斜視なんだろう?」「なんで無条件で受け入れられないのだろう?」と、悲しみや自分を責める気持ちが揺れて、とってもしんどいんだと思います。

思ってもみなかった事ですもの。
受け入れるには、時間がかかるのは「当たり前」です。

気になってしょうがないというのは、それだけお子さんの斜視の事を真剣に考えているからという証拠ですものね。
こうやってココロノマルシェに気持ちを吐露してくれたのも「何とか受け入れたい」「気にしないでいたい」と願っているからなんですもの!!!

それって、本当に頑張っていますよね。
本当にすごく、すごく、葛藤と闘っていますよね。
お母さんとして、いろんな思いがあるのは当然ですから、その中でよく頑張っていらっしゃいますよね!
どうぞ、ご自身を責めずにいてあげてくださいね。

私の母は、子供の時にお友達が投げた石が鼻の付け根に当たった事がきっかけで「斜視」になったそうです。
子供というのは素直だからとても残酷で、焦点の合わない目(母の場合は内側に寄る)をからかわれたり「気持ち悪い」と言われたり、寄り目を真似されたことでとても傷付いたと言っていました。

高校生になった時、担任の先生から「手術による矯正ができるみたいだ」と聞き、手術をして斜視はかなり改善しパッと見では分からなくなりましたが、やはり目が疲れてくると焦点が少しずれるようで、母はそれを今でも気にしています。(言われても分からないくらいなのに、です。)

病気と言っても様々で、審美的な部分で目立つというのは、気にするな!と言われても気になるのが当然なんです。
ましてや、悪意がないとはいえその事を声に出して言ってしまう子供もいるでしょうし、病気に敏感なのですから、どんな小さな声も拾ってしまい、それで苦しくなるのは仕方のない事だと思います。

道行く人の視線が、全てお子さんの目をみているのではないか?と敏感になることだって、全然おかしいことではなく「気になるものは気になる」んです。

思考で「こんな風に思う私はいけない」と制しようとしても、気になるんだから仕方ないんです。

斜視という病気は、治療で改善すると言われようが手術をすれば良くなると説明を受けようが、今現在、焦点の定まらないお子さんの表情を見る度に「現実」を突き付けられて、無条件で愛せていない自分(気になる・人に見られたくないと思ってしまう自分)に罪悪感を募らせたり、これではダメだ…と自分を振るい立たせたり、治るかもしれないし!と楽観的な気持ちになったと思った矢先に、またモヤモヤっとして…と沢山気持ちが揺れて苦しいんですもよね。

お子さんの斜視を「理解」したとしてもそれを「納得」して「受け入れる」には相当の時間がかかって【当たり前】なんですよ。

自分の子供に病気や障害があることを受け入れるって、簡単なはずがないです!!!
誰だって受け入れたくない現実を受け入れるには、時間がかかるのは当然ですし、その間に気持ちは大きくグラグラと揺れるんです。
揺れている間は、感情をコントロールできなくてどうしていいか分からなくなるのが普通なんです。

> この気持ちをどうしたらいいのてしょうか?

ともかさんは、お子さんの斜視についてどんな思いが一番強いですか?

何でうちの子が斜視なの?
どうしてこんな目に合わなくちゃいけないの??
顔を見る度にがっかりする…のでしょうか?
顔を見る度に申し訳ない気持ちで胸が痛いの…のでしょうか?
焦点が合わないのが受け入れられない?
周りから見られているのがしんどくてたまらない?

いいんですよ。
人が聞いたら「母親なのに!」と思われるような気持ちがあったって。

それを抱え込まずに、ここで吐き出していいんです。
受け入れたくない現実を前にしたら、誰だって黒い感情を持つことがありますし、感じてしまうものはどうしようもない「私の気持ち」なんですから。

師匠である根本さんがブログでも時折言っているように【感情はう○こと一緒】で、溜まってきたらそれを吐きださないといけないんです。

そのために「お恨み帳」があったり、安心して気持ちを吐きだせる場所として「カウンセリング」があるんですから。

師匠のブログにもお怨み帳を書く際には、湧きあがった呪詛・暴言・罵詈雑言を書いていい!とあるように、私たちは人にはとても言えないようなドロドロでどす黒い気持ちや、受け入れられずに大きく膨らむ嫌な感情をもってしまう生き物なんです。

ともかさんだって、子育てをする中で「わが子の病気を受け入れられない」と苦しむ日が来るなんて想像していた未来ではないはずですし、そこで生まれる様々な感情と対峙して、自分を許せない気持ちになったり、なんとか折り合いをつけて受容したいのに出来ない自分に落ち込んだり、いっぱい苦しんでいるんです。

誰が悪い訳でもなく、ただ、病気という事実があっただけなんです。

以前、小児科医の松永正訓さんのコラムを読んだことがあって、そこにあった言葉にとても胸を打たれました。

親にとって子供の障害を受け入れるということは、
期待した子供の死を受け入れることと同じ

病気や障害を親が受け入れるには、生まれてくるのを心から楽しみにしていた子供が死んだのを受け入れるのと同じくらいの苦しみがある、という事。
現実を受け入れ「納得すること」がきれいごとなんか通用しない、とてつもなくしんどくてどうしていいか分からないほど苦しいものだという事が分かりますものね。

愛する存在の病気(審美的な面も含めて)を受け入れたい!とずっとずっとともかさんの心の奥では闘っているんです。
もう充分に、ずっと頑張り続けているんです。

ともかさんの中には、きっと今のままではダメで【何とかしなきゃ】という気持ちがいっぱいあるんではないでしょうか?

どうやったら受け入れられるのかと考えたら不安ですよね。
なんでうちの子だけがこんな病気にならなきゃいけないの?って許せないんですよね。
パッと見た目に分かる病気だからこそ、人に会いたくなんてないですよね。
生まれた時にこの子の未来をワクワクしていたあの気持ちには、もうなれないんだよね?あの嬉しい気持ちはもうやってこないんだもんね。

心の奥には悲しみや苦しさがいっぱい溜まっているのに、子供の前では何事もない振りをしたり、受け入れられない自分を隠して平然と振舞うために、一生懸命頑張っているんですものね。
辛い気持ちを押し殺して、笑おうとしているんですものね。

先ほど 松永正訓 先生の言葉を引用しましたが、死を受け入れるのと同じくらいの想いをするのですから、受け入れて納得するのには時間がかかるという事なんです。

そして、どうしたらいいのか?とSOSを発してくれたともかさんは、どうにかしたいから悩んでいるんです。

どうにかしたいくらい、お子さんを愛しているんですものね。

苦しかったり受け入れられなくて葛藤するのは、それだけ愛しているからなんです。
愛していない物に対しては、ここまで悩まずに諦めます。
受け入れられずに苦しんでいるのは、愛の証なのですから、病気と向き合えない自分に罪悪感を持つ必要もないですし、自分を責めないでいて欲しいんです。

自分にとって受け入れたくない現実を受け入れるのは、並大抵のことではありません。
人からは「そんなこと?」と思われるような事でも、自分にとってはそんなことではないのですもの、誰が何と言おうと、心の苦しみを変わってくれる訳ではないんですから、自分の気持ちが揺れている事で自分を責める必要は一切ありませんからね!!

ともかさんは、すでに頑張ってきているんです。
今も頑張り続けているんです。

障害や病気を受け入れるには、時間が沢山かかるんです。
受け入れるまでの道のりが、スルッとスムーズにいく人もいれば、ずっと葛藤して受け入れられずに迷走する人もいます。

種類は全然違いますが、私は結婚生活が残念な結果になる時に「離婚する」という現実が受け入れられず、大好きな人が他の人を選んだ時に絶望し、生きる意味を失いかけました。

よくある不倫と、3組に1組に割合でおきるという「どこにでもある離婚」なのに、自分の身に起きた時にそれは「受け入れ難く」とてつもなく大きな鉛を飲まされているような気分で、受け入れるまでに2年半もの時間が必要でした。
受け入れたと言っても100%の受容が出来た訳ではありません。
なんとか納得して折り合いをつけるのが精一杯でした。
(今はもうすっかり大丈夫です!と言えますが、受け入れる時はこんな風に言えるなんて思えませんでした)

人に言えば「良くある事」「子供もいなかったんだし傷も浅くて良かったね」と言われるような事かもしれませんが、私にとってはとてもそんな風に思える出来事ではありませんでした。

ともかさんのお子さんの病気も、重さや障害の種類が問題なんかじゃないんです。
ともかさんにとって「受け入れがたい」「苦しい」「泣きたい」物であれば、葛藤するのは当たり前なんです。

「お子さんは病気です」と診断されて「はいそうなんですね。分かりました」というものではないんですよね。
私は受け入れるのに葛藤があってもいいと思っていますし、さらには「受け入れられなくても」悪いとも思っていません。
お子さんの病気を受容できないことがダメなんではないんです。
どうか、自分を責めすぎないでくださいね。

どうしてうちの子は病気を持って生まれてきてしまったのだろう?

この問いは、きっとずっと続くと思います。
分からない答えを探しながら、そしてどこかで「しょうがないのか」と受容できる日が来たらそれでいいですし、なかなかそう思えないとしてもそれは悪い事なんかではないですから、

受け入れられないのが私なんだもんね。しょうがないよね。

って笑えるようになれば、それでいいと思うんです。

子供の病気を受け入れ、障害になっている部分を「個性」として受け入れたられたら…というのは、あくまで理想です。
現実に対峙した時、理想を語れるほど余裕なんてありません。

ともかさんは、どうしたらいいか?と闘っている時点で、本当に偉い!んです。

突然、目の前が真っ暗になってトンネルの中を歩くことになったら、光を探すなんて出来ませんし、手さぐりでもがいても暗くて怖くて、身動きが取れません。

病気だと分かった時、ともかさんはトンネルを歩く事を余儀なくされてしまったんです。
それはしんどいですよね。
トンネルを抜け出すのは、人それぞれのスピードがありますから、もしもダメな気持ちにつぶされて涙が出ても、それは仕方がないんだからね!と自分に優しく声をかけてあげて欲しいと願っています。

自分の中で処理できない気持ちが出てきたら、ぜひ、お怨み帳に思いのたけを書きなぐってください。
なんで?なんで?なんでなの???って、いっぱい泣きながら書きだしてくださいね。

そして、お子さんを受け入れたくて悩んでいるのは「曇りなく愛したい」ともかさんの気持ちがあるからなのですから、お怨み帳はお子さんの手の届かない場所で書き、書いたらすぐに破いて捨ててくださいね。

それから、ひとりで頑張りすぎなくていいんですよ。

辛い時はまたココロノマルシェに吐き出してくださいね。
ともかさんの心に寄り添いたいと思っているカウンセラーが沢山いますから、ね。
もちろん、私もその一人です。
もう少し心の中を話したい…と思ったり、自分の心を「話す」事で楽にしたいと思われていたら、お悩み相談ボタンから想いを書きだしてもらって、心の荷物を少しだけでも降ろすことで、ほんのちょっとでも楽になれたらいいんですもの。

ともかさんの心の中にある気持ちは、決しておかしなことでもいけない事でもありませんから、どうぞご自分を責めずに許してあげてくださいね。
モヤモヤしても仕方ないんですから、迷走してしまう気持ちは「仕方ない」と思ってあげて、頑張りすぎないで抱え過ぎないでくださいね。

ともかさん、今日も一日お疲れ様です。
お母さんとして、今日も頑張っている自分を労ってあげてくださいね。

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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