手のひらサイズの幸せのお友達

手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

MENU

誰かと自分を比べてしまった時の「チチンプイ」な魔法の言葉

こんにちは。 今日もホカホカしてたですよ。

今日が「11/11のポッキーの日」だと疑わずにいたのですが、カレンダーを見たら

えっ?
今日って11/10じゃない??

と、謎に1日得をした気分になったおまみーぬです。
明日がポッキーの日なら、今日慌ててポッキーを買いに行かなくても大丈夫という「心の余白」が生まれました。

いや、別にポッキー買わなくていいんですけどね。
でもこういう「1年に1度のお祭り的な事」って、出来るだけ乗っかりたいタイプなんですよね、私。
えぇ、だってパリピなもので…

さてさて、秋…をそろそろ通り越して冬の入り口にいる11月ですが、このところずっと、日中は穏やかな陽気が差し込んでくれて、まだファンヒーターをつけなくとも快適に過ごすことができています。
朝晩は少し冷えるような気もするけれど、おこたを出しているのでこたつ布団をかけるだけでも暖が取れてヌクヌクしています。

今日も仕事は慌ただしく、オンラインでの会議や打ち合わせなどがあったのですが、午前中の日差しが窓から差し込んでできた日向でくつろぐギンちゃん発見!
くーーーっ、愛おしい。

会議をしつつも、チラッと視界に入ったギンちゃんが気になり、会議に参加しつつもバレないようにそっとギンちゃんにカメラを向けて隠し撮り。

おら、よっこらしょっと!

だんだんと温まってきたのか、徐々に緩んでのばーんとし始めました。

ホカホカでノバノバですよ。マミコもノバノバしませんか?

あああっ!
会議中だというのに、ノバノバっとすることへの強烈な誘惑を受けてしまいましたが、さすがにサラリーマンですもの、会議中に脱力して溶けるように寝そべるなんてダメだわ!!と自分を律して会議に参加しました。

あんなにゆるゆるの愛おしいお誘いを受けたのに、誘惑に乗らずに耐えたなんて、私、めっちゃエローーイ!
じゃなかった、エラーーイ。

会議に真面目に参加しつつもパチパチと数枚写真を撮ったのですが、私の特技は「隠し撮り」です。(ドヤ顔)

* * *

私たちは、何かと「比較する・される」中で毎日を生きています。

比較、という言葉がなんとなくいい印象がない人も多いとは思うのですが、私たちは日常的にあれこれと比較をして暮らしています。

例えば、スーパーでブロッコリーを買おうと思ったら、野菜の目利きなんてできるかどうか…と思いつつも、これとあれとどっちがいいかな?って比べてから買いますよね?

スーパーの広告が入っていれば、同業他社のスーパーの広告と見比べて「必要なアイテムがこっちのお店の方が安い!」とお店を選んだりもします。

誰かと比べて優劣をつけてしまうような比較ではないので、実害がない比較ではありますが、私たちはこんな風に『無意識レベル』で物事を当たり前のように比較し生きています。
もはや、日常に比較は溶け込んでいると言ってもいいくらい!!

これくらい無意識に比較してしまうのですから、悪意がなかったりよかれと思って…と、比較を持ち出されて傷付いてしまうことも沢山あります。

子供時代にさかのぼりますが、

〇〇ちゃんはできているのに、あなたは…

って比較されちゃうことって、きっと誰しもが言われたことがあるんじゃないでしょうか?

この言葉を聞いてしまうと、自分は「足りていない」と感じてしまい、焦りも生まれますし、自分には価値がない…という思い込みも生まれてしまいます。

子供時代は特に、成長に個人差もありますし、運動や勉強というものの得意・不得意が見えやすいので、どうしても「あの子はすごいなぁ。それに比べて私は…。」と、同じようにできない自分がダメなんだという烙印を押してしまいがちです。
そこに「○○ちゃんはできているのに、あなたは…」という呪いの言葉が思い出されたり、親や学校の先生、友達からの言葉が被さってくると、どんどんと劣等感やコンプレックスを抱くようになります。

社会に出ても、同期のあの人はもうあんなこともできる…友達には彼氏ができて…とか、とにかく比較する状況からは抜け出せません。
日常的に比較するクセがある星に生きてる以上、比較される・比較して自分を見てしまうのは仕方のないこと。

でもね、そんな時は思い出して欲しいんです。

〇〇ちゃんにはできないけれど、私にできていることもある!って。

私の場合は、みんなが羨ましがっちゃうような「イケメン&カワイイの塊」である2魂とのハッピーライフを楽しめていますが、これは動物と暮らすのが苦手な人にとってはうまくやれないことです。

私は運動神経も良くありませんし、勉強面でいい成績を出せたわけでもありません。
特に数学と英語は散々で、どんなに必死に勉強しても私の頭では理解できずチンプンカンプン。
でもね、私は数学や英語ができなくても、運動が下手でも…

妄想力は自信があります!!!

えっ?
妄想なんてそんなのどーだっていい???

確かにそうかもしれませんが、妄想する=イメージする力があるって、私にとっては素晴らしく素敵な能力だと思っています。
それに、自分の中では自由に鮮明に「空想の世界」を描けるけれど、イメージがうまくできない…という人がいると聞いた時に、すごくビックリしたことを覚えています。

たかが妄想。
されど妄想。

妄想がうまくできない人にとっては、脳内でイメージしてニヤニヤするという「お楽しみ」時間が持てないんです。

私はイラストや絵が自由に描けたらいいなぁ~と思って練習したりするのですが、お手本がないと(模写できないと)思ったような絵が描けません。
残念ながら、私には『絵を描く』というセンスや能力が乏しいのですが、パパッといとも簡単にイラストや絵が描ける人にとっては、そんなの当たり前すぎて「すごくもなんともない」ことかもしれません。

片付けが苦手な人にとっては、整理整頓が得意な人が羨ましく見えます。
几帳面で神経質なことがしんどい人は、おおらかで細かいことは気にせずにいられる人が羨ましく見えます。
仕事では結果が出せても料理が不得意な人がいたら、料理好きな人をすごいという目で見ます。
料理は普通にできるのに仕事でバリバリ結果が出せない人がいたら、仕事で当たり前のように結果を出す人を羨望の眼差しで見るでしょう。

あなたが当たり前にやれてることは、他の人にとっては当たり前ではないんだよ!

みんなそれぞれ、持って生まれた能力は違います。
誰一人として自分と全く同じ人はいないのですから、比べても「正当な答え」なんてないのに、不思議なことに比較のスタート地点が違っていることを見落として、肩を落として自分を虐めてしまうことがたくさんあります。

あなたが誰かを羨むように、あなたにも誰かから見たら「喉から手が出るくらい欲しい」と思う魅力を持っているはずです。
それが当たり前過ぎたり、地味で目立たなかったり、社会的に目立つものじゃなかったりしているだけで、他の人と違って「あなただからできる事」を、もっともっと誇ってあげていいんです!!

別に誰かに見せつける必要なんかなくて、私にはこんな能力があるし、私のこの部分が魅力よね♡と、私の当たり前が誰かにとっての当たり前ではないものなんだということを、分かってあげればそれでヨシ!!

ついつい誰かと比較して、自分は足りていない…と肩を落としてしまったとしても、あなたにも他の人にはできないような素晴らしい面があることを、どんなに小さなことでもいいから思い出してあげて

全力のドヤ顔

をしてみてください。
小さな小さなことであっても、出来ない人から見たら、それはあなたの中にある特別な才能です。

あなたの当たり前は、当たり前すぎて価値がないように思えちゃうかもしれないけれど、それができない人にとっては「羨望の眼差し」を向けられる、素敵な価値がある”当たり前”なんですから。

友だち追加