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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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自分を愛するのはいつだって始められる。いつやるの?うふふ、今でしょ!!! ~自己肯定感はいつからだって持てる~

こんにちは。 床でノバーッとするのが 最高に気持ちいい季節になってきたですね

新潟地方は梅雨入りしたのかしていないのか…
ここしばらく「くもり時々晴れ」というようなお天気が続いていたものの、ジトッと空気に重たい湿気がこもっているような、梅雨時期独特のダル重感が続いていました。

先ほどからシトシトと雨が降り出したので、いよいよ梅雨入り宣言があるのかな?
いや、もしかしたら私が情報に疎いだけで、もう梅雨入りしているのかもしれないですね。えへへ。

ギンちゃんはあったかくなってくると、家の色んな所で「ノバー」として落ちていることが増えます。

今日も私が必死のパッチで仕事をしていると、何やら視線を感じる…と思って辿ると、ノバーンと横たわりながらこちらを見ているギンちゃんと目が合いました。

なにこれ、かわいいんですけど♡ ← 親バカ

それまで黙々とパソコンを見つめて手を動かしていましたが、あっという間に緩んでパチパチとスマートフォンで激写タイムになったのは言うまでもありません。

ギンちゃんと仁くんという、私にとっての宝物がいる環境で仕事ができるなんて、ほんと、最高です。

* * *

今日は仕事で、少しご年配の経営者の方とのやり取りがありました。

お父さん世代の人たちはこうやって仕事をしてきたんだなぁ~というのを、お話を聞かせてもらいながら感じていたのですが、そこで中国のことわざを一つ教えていただきました。

木を植えるのに一番いい時期はいつか?
20年前だった。
次によいのは、今である。
(中国のことわざ)

とっても考えさせられることわざですよね。

木を植えるには20年前という昔が一番よかったとはいえ、じゃぁ、これからを考えたら「今」が一番早いんだよ!と教えてくれる、ハッとさせられる言葉です。

そしてこの言葉を聞いて、自己肯定感を育てることとも結びつくなぁとしみじみ思ったんです。

私たちは生れてきて6歳くらいまでの間は「顕在意識と潜在意識の境が曖昧」で、周りの言葉や大人から言われた言葉を、無条件に潜在意識にインストールすると言われています。

その後も大人になるまでの間に、叱られたりダメ出しされたり比較されたり、さまざまな失敗体験で傷付くことで自信を失ってしまったり、自分を否定的に見てしまうクセを身に着けていきます。

子ども時代に、何かが出来ても出来なくても、無条件で褒めてもらって愛を溢れるほどに注いでもらった子どもたちは、自尊心をフクフクと育て、自己肯定感をなくさずに成長できるので、自分に対する根拠のない自信(自分の存在を愛せる)を持って生きることが容易にやれてしまいます。

ですが、思ったような愛情をもらえなかったり、親の感情に振り回されたり過干渉で自分の行動を認めてもらえなかったりすると、自己肯定する力がしぼんでいってしまいます。

自己肯定感の土台は、自分が子どもの時に作られる

という点では、中国のことわざのように「一番適しているのはもう何十年も前の手出しできない過去」という事になります。

けれど、親も周りの人たちも、どうしたって不完全で弱い人間ですから、完璧になんてやれないのは仕方のない事です。
また、良かれと思って叱っていたり、干渉してしまったり、人生のレールを敷こうとしてしまうのは、子どもを親なりの視点で「愛しているから」だったりもします。
ただちょっと、不器用で残念な愛の形だったというだけで、親なりの思いや願いが隠れている事の方が多いのかもしれませんよね。

確かに、子ども時代にただただ認めて・褒めて・信頼して・溢れるほどに愛してもらえていたら、大人になった私は『自分を肯定することができなくて途方に暮れる』というようなことにならず、自分を責めてイジメる時間を持たずに、もっともっと伸びやかに人生を謳歌できたでしょう。

でも、そうではなかった。

「お姉ちゃんなんだから、しっかりしてね!」
「もっともっと頑張らないとダメ!」
「それじゃぁ、まだまだだよね」
「もっといい子になろうね。従順さを身に着けようね。」
「〇〇ちゃんは学級委員をしているのに、マミちゃんは選ばれないのね…」
「〇〇さんのお孫さんは、色も白くて可愛らしいのに、マミちゃんは背ばっかり大きくて色黒で恥ずかしいわね」
「何をやってもドンくさくて、おばあちゃんは恥ずかしいわ」

私は自分のことを、ずーーっと「ダメで恥ずかしくて、気が利かない価値のない存在」だと思っていました。
でも本当は、そんなダメで恥ずかしくて気の利かない、不器用で頭のよくない私でも「大好きだよ」って言って欲しかった。
ただただ「それでもいいよ。愛しているよ。」って認めて欲しかった。

そうやって大人になった時は、すっかり自己否定の達人で自己肯定感は地中にめり込んだ状態になってしまったけれど、今の私はちゃんと自分を肯定することができるようになりました。

何度も失敗して、その度に自己否定をこじらせたけれど、「過去が最良だとしても、今が一番、木を植えるのには良い時だ」と言わんばかりに、何度だって何度だって、自分を愛することを諦めなかったら、時間はかかったけれど、

何もできない私でも、存在していていいし、私は私で愛されていい。

と言えるほどになり、自分の一番の味方であり、自分を誰よりも守ってあげたいと思えるようになりました。

子どもの時に与えてもらいたかったものをもらえなかったことは、悔しいと思うし、なんでこんな屈折した思いを抱えなきゃいけないのよ!と腹立たしくもなるけれど、過去が残念だったからといって、いつまでも自分を不幸でダメでいさせる必要はないんですもんね。

木を育てるのには時間がかかりますが、だとしたら未来に向かって一番早い時間である「今」に、木を植えるのが最良であるように、今から自分を肯定するために、自分が自分に愛を注いであげればいいんです。

親や祖父母、学校の先生や周りの大人たちにもらえなかった愛情を、大人になった自分が、自分にいっぱい届けてあげて、新しい木を育ててあげられると思ったら、それは希望ではないでしょうか?

子どもの自分が欲しかった言葉、欲しかった態度、欲しかった愛情がどんなものか、誰よりも知っているのは自分自身です。

そして私たちはもう、無力な子供ではなく、あの当時の親と同じような大人になり、愛を与える力を持てる存在になりました。

心の奥にいる、愛されたくて分かって欲しくて泣いている小さな子どもの自分に、めいっぱいの愛情を与えてあげて、自分を育んでいくことは、とても優しく実りの多い作業です。

誰かからもらえなかったからといって、ずっともらえないままで空っぽの私でいていい訳ではなく、小さな小さな事かもしれないし、空っぽを埋めるには弱すぎることかもしれないけれど

まずは自分が自分に与えてあげる

事をしてあげませんか?

そうやって自分が自分に「愛を与えてあげる」と、世界には自分の投影(自分がしていることが映し出されて伝染する)ので、一つ、また一つ…と、外からの愛情も向けてもらえるようになりますから!

20年前の「木を育て間違えた事」に関して、言ってやりたい事もきっといっぱいありますが、一番いい時期を失ったとしても、次にいい時が「今」なのであれば、今から存分に、自分を育てていきませんか?

自分を愛することは、いつからだって始められます。
さぁ、自分を愛するのをいつ始めるの??

そう、それは「今でしょ!!」ですよね。

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