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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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自己肯定ができないと嘆かなくてもいいんだよ。

マミコちゃんとお昼寝して グータラのお休みしたでちー

昨日の夕方、1泊2日のお出かけを終えて実家で預かってもらいお世話してもらっていたギンちゃん・仁くんを迎えに行ってマンションへ戻ってきました。

旅も楽しいけれど、帰ってくる自分の場所があってそこで大の字になってクハーッとお昼寝できるのもとっても心地よく感じられます。
少しお寝坊して起きてきた後で簡単に掃除をしてお茶を飲み、旅行記を書いた後で急激に眠くなり、ギンちゃん・仁くんと川の字になってベッドで爆睡しました。

網戸からの穏やかな日差しを含んだ柔らかい風と、遠くの扇風機の風が気持ちよくて秋のお昼寝って控えめに行っても最高♡

* * * * *

私は兼ねてからブログでも「自分を助けてあげたかった」「生きづらさを楽にしてあげたかった」「自己肯定感を上げたかった」と書いています。

今でこそ「自己のっ!肯定のっ!カーーーン!!」と笑っていますが、どうやったら自己肯定できるんだろう?私は永遠に自分を受け入れるなんてできないダメ女なんだと

自己肯定できない迷宮

にはまり込んで、自分を肯定したいと言いながら否定することを続けてきました。
急ぐあまり(少しでも早く結果を出したい・少しでも早く楽になりたい)あれもこれもと欲張るようにいろんなことに手を出して力み、結果として続けられずに負担になって、またダメだ…と自分を嫌いになる負のループ。

どうして私は自己肯定感を上げられないの?
何をしたら自分を好きになれるの?
自分を大事にするってどういう感覚?
この苦しさから私は抜け出せるの?

自分のことを何十年も「罰して」「価値がないんだ」と否定してきたんですもの。自分を褒めたり大事にしてあげるなんて『やったことがない』のだからしっくりこないですし、褒められたって喜ぶどころか「???」と心に染みずに跳ね返してしまいます。
しょうがないんですよね。だって、そうやって自分を押し殺して生きてくることで「やっと生きていた」のだもの。
そうやって自分を犠牲にして言われのない罪を被って、周りの人を愛そうとしてきたのだものね。

自己肯定することが何もできなかった当時の私は、自己肯定感が上がったら世界は全てうまく行くと思っていました。
問題は起きず、常に前向きで楽しく、悩みもなくなる!と妄信していました。

自己肯定感万能説

を勝手に描きあげ、だからこそ早く自己肯定できないと「いけない」と自分のお尻を叩き続けました。

自己肯定感が上がってもぉー 問題は、起きるー!でち

自己肯定感が上がっても、悩む日もあれば落ち込むこともあります。
ネガティブな気持ちがなかなか抜けないことだってありますし、イライラすることもあります。

私たちは生きている以上、自分の感情のゆらぎを体験するのですから、一定ではないですし、不安や問題などもその時々で向き合う必要があります。

確かに問題は起きますし気分だって揺らぎますが、自己肯定できるようになると「しょうがないよね」「それでもいいよね」と自分を抱きしめてあげられるようになります。

問題があっても「大問題」にしてしまわなくてよくなるんです。
問題を使って「自分を虐める事」をしなくてよくなるんです。

また「自己肯定感」というのは目に見える成果物があるわけではなく、あくまで自分が「感じる」という感覚的なものなので、今の自分がどれくらい変化しているのかが変化の途中にいる時というのは分かりにくかったりもします。

前よりは自分を否定しなくなってきたとはいえ、まだ自分のことを胸を張って好きと言えないし…

こんな状況だとしたら、自己肯定できる部分とできない部分が混じりあっていますから「うーーん」と悶えちゃいますよね。

山登りを想像してもらうと分かりやすいと思うのですが、登り始めの急な坂では景色の変化を楽しめたり、ちょっとした空気の違いにワクワク出来ていても、中腹当たりであまり変わり映えのない景色・道の上で少しだけ疲れを感じまだまだだなぁと思う時って、あまり楽しい時間ではないですし下手をしたらちょっとしんどくてやめようかなぁなんて思ったりもするかもしれません。

けれど「山の中腹」をすっ飛ばしては頂上へは行けません。

変化がないように見える面白みに欠けた工程の中にいる間も、ちゃんと目標に向かって進んでいる『過程の中』にいるんです。
変化の中にいるときは自分の変化には気付きづらく、ある時急に山頂が見えてきて「あと少しだ!」と勢いが盛り返すように、自分を肯定する力も一歩一歩の積み重ねである日急に加速します。

さらにこの山は人によって険しさも違うでしょう。

短時間で軽妙に山頂にたどり着ける人もいれば、途中で休憩をしたり装備が足りずに一度下山してまた再挑戦する人もいるでしょう。
ひとりではなかなか難しいと、サポーターを味方につけて登る人もいますし、複数人で励まし合って道を歩くことも時に必要な時すらあります。

だから、思うように自分を承認できなくて自己否定してしてしまう事があったら、ぜひ、自分に声をかけてあげて欲しいんです。

あなたは今、自分を好きになる道の途中にいるんだね。
あなたはきっと、あなたを好きになったときにこの時間に「ありがとう」って思うから、安心して悩み・安心してつまづき・安心して迷っていいからね。
私を諦めないでくれて、ありがとう。

どんな大きな建物を建てるときもはじめは小さく時間をかけて形にしていきます。
焦りたくなるし、もどかしくなる気持ちは本当に良く分かるけれど、ゆっくりでいいとどうか自分に厳しすぎる鞭を打ち続けませんように。

* * * * *

今の私は「自分を大事に思える」ようになり、きっと自己肯定感はうーんと高くなりました。

「きっと」と書いているように、自己肯定感アップのゴールって形があるものではないですし、自分を肯定し続ける作業はこの先も続きます。

自分を否定しなくなり、どんな自分にも「OK」の声掛けが出来るようになった今、私の世界は「自己肯定感万能説」を持っていた時の私が見たらビックリするくらい

変わり映えのない日々を生きています。

どれだけワクワクして希望に満ちた日々を生きているだろう?と想像していましたが、叶えたかった未来を生きている「今」私が感じているのは、穏やかさを持った安心感と心地よさです。

それはもしかしたら、すでに「そうなることを知っていた」からこそ、叶えられた今、大きな驚きなく穏やかに受け止めているのかもしれないなぁと思うんです。

自己肯定感が低かった時からずっと、私はちゃんと自分を肯定して愛せる自分を知っていて、だからこそも「自己肯定したい」ともがいたんだろうなぁ、と。

自己肯定がうまくできないと自分を責めるという事は、潜在意識だったり自分の本質の中で

私はちゃんと自分を肯定して愛することが出来ると知っている

からこそ、落ち込んだり責めたりするんですものね。
自分に「その力」が備わっていなければ、そもそも自己肯定感を上げようなんて思いつきもしませんし、頑張りません。

私たちは自分の中にないもの・自分には到底無理だと思うものに対して挑戦も執着もしませんし、失望したりもしません。

少し前に大坂なおみ選手が全米オープンで優勝したニュースがありました。
すごいなぁ、かっこいいなぁ、嬉しいだろうなぁと「喜ぶ」ことはあれど、それを見て私は『大坂なおみ選手と同じように全米オープンで優勝したい!!』とは1㎜も思いませんでした。

それは私の望みではない事も、私にはそれを叶える力がない事を私が知っているからです。

けれど、同じように叶える力を持っている人はこのニュースに刺激を受けて、血の滲むような努力をしたり、叶わない事に挫折して苦しんだり葛藤します。
それは「同じことが出来ることを自分の無意識が知っているから」です。
できないと知っていたら、頑張りませんし悔しがったりなんてできませんから。

では、あなたが何度も自分を愛したいとトライするのはなぜでしょうか?
自己肯定できないと嘆くのはどうしてでしょうか?

それは「あなた自身が愛されるべき大切な存在」であり、「自分を肯定する生き方ができると」あなたの内側(無意識や潜在意識)はちゃんと知っているからなんです。

上手くやれる方法や自分にフィットする方法が見つからずに立ち止まったり、なかなか自分を肯定できないと自分を責めたり苦しんだりしても、諦めずに自己肯定感を高めたいと思うあなたは、あなたがちゃんとあなたを肯定できる能力があるから自分を責めているんです。

そうだとしたら、自己肯定のための方法を模索して自分を愛そうとしている道の途中でうまいやり方が見つからずに肩を落としている自分のことを、どういう目で見てあげられるでしょうか??

大丈夫。いいのよ。どんまい!
私は私を肯定したいと「願い続けている」時点で、自己肯定できる能力が備わっているということを証明しているんだから。
上手くやれないと嘆くという事、自分を責めるという事は、自分の持つ自己肯定感を知っているからだからね。
だから、このままでいいし、うまくやれない「今」の自分を攻撃しちゃう自分のことも許してあげようね。

立ち止まった時、諦めそうに肩を落とした時、ぜひ自分を責める「種」の部分を見てあげてください。
あなたはあなたを肯定できるからこそ、諦めずに何度もトライしているんです。
そう思えたら、どんなつまづきも失敗に対しても過剰な「自分責め」の道具にせず済みますものね。

作ったものが計画通りに機能しないからといって、それが無駄とは限らない。

トーマス・エジソン

発明王と呼ばれたトーマス・エジソンは「思った通りの結果」が得られなかったとしても無駄なんかではないと言っています。

あなたがあなたを愛したくてトライした自己肯定のやり方やアプローチが「計画通りに機能しなかった」としても、それは決して無駄努力だったわけでも、無意味な挑戦ではありません。

それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ。

トーマス・エジソン

自己肯定感を上げるやり方も、その時々のタイミングだったり向き・不向きのやり方があるのは当然ですよね。
人は誰一人として同じではなく、だからこそ私には合うやり方であってもそれがあなたにフィットするとは限りません。
やってみた事で「この方法は楽しくなかったから私には合わないな」「この方法は苦しいから長期間続けられないな」と自分に合わないやり方に気付けたという意味では成功なんですものね。

あなたが自己肯定できないと嘆いているという事は、あなたがあなたを真剣に愛し大切にしたいという何よりの証拠です。

だから、ね。
自己肯定ができないと嘆かないでください。
嘆くほどに真剣に愛しているんだ、と嘆いている自分を労わってあげて、その手を決して振りほどかずに包み込んであげてください。

ゆっくり・焦らず・難しい道を通らななくてもいいから、あなたがあなたの持つ素晴らしい能力を花開かせるその日まで、あなたがあなたを信じてあげることが出来ますように。

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