慣れないことへの挑戦と、撃沈 ~でもそこで「何を見つけた?」「何を拾った?」~

うっかり協同組合新潟支部員のオマミーヌです。
どもっ! ← 軽めに登場
私は「日付系のうっかり」常習者なので、会社でも在宅でも、仕事をする際に必要なのが卓上カレンダー。
毎日作業時に目に入る場所に書き込みがある卓上カレンダーを置いておかないと、高確率でうっかりをやらかします。
…って、カレンダーに書いてあって目に留まるようにしていても、うっかりすることも多々なんですけれど。
てへっ。 ← かわい子ぶってみました
私が使っているのはセリアで買ったシンプルで小さいカレンダー。
毎日の日付の部分に書き込みができて、余白の部分に小さく「前月」「翌月」のカレンダーがついているもの。
私がカレンダーに求めるものは、うっかり防止なので「シンプルで書き込める」「翌月」の情報がパッと分かる小さいサイズのものなのですが、この条件を見事に満たしてくれているのが100均のものなんです!!
リーズナブルだし、最高かよ!!
そのカレンダーの今日の日付の下に、とっても小さな「旧盆」という文字が印字されていました。
そっか。
旧暦のお盆ってことは、夏のお盆に加えて、きっと今も仁くんが遊びに来てくれているんだね。
むかしむかし、私がまだ既婚者だった頃(← 怖いですねぇ~と、稲川淳二さんの怖い話の口調でお読みください)、義兄が長い期間の闘病を経て、肉体を脱ぎ捨てて神様の元に帰って行ってしまいました。
お盆の時期になると、決まってお義兄ちゃんの思い出話をするのを聞いていましたが、お義母さんがポツリとつぶやいた言葉が忘れられませんでした。
会いたい。
お化けでもいいから、会いたいね。
義家族のみんなは「お化けなんてやだよー」と笑っていましたが、この言葉はずっと胸の奥に残ったままでした。
私はまだとても近い身内を亡くしたことはなくて、お義母さんの言葉は自分ごとのようには感じていなかったはずだけれど、「お化けでもいいから、会いたい」というくらいに、愛する命に会えないということは重たく辛いものなんだ、と感じていました。
そして今、あぁ、本当だねって、同じ言葉を呟く自分になって、お義母さんが付き合っていた悲しみの一部を感じられている気がします。
会いたいな。
お化けでもいいから、また仁くんに会いたいな。
あーーっ、でも、お化けはやっぱりこわいなぁ。
ハロウィンの被り物をした、かわいいお化けの仁くんならいいんだけどね。

かわいいお化けに変装して、旧盆の今日、私たちの近くに来てくれているのかもしれないね。
私はまったく霊感がないのが悔しい!
なんて思うようになったのも、大切で愛おしい命を見送ってからのことで、仁くんの姿はもうないというのに私の気持ちまで変化させちゃうなんて、ほんとにすごいなぁ。
はっ。
「今日のこと」をちょっとだけ話そうと思ったら、相変わらずの脱線しまくりーぬで、冒頭のギンちゃんからのパスを華麗にスルーしていたわ。
あはは、毎度のことっす!
どんまい!!

そうなの。
私は長いこと「IT関係」の仕事をしているのだけれど、携わっている分野への興味・関心が「ほぼゼロ」なのが悩みの種。
どちらかというと「クリエイティブ系」の作業がメインなのですが、好きで業務を選んだのではなく「業務命令」で必死になってなんとか形にしてきたという側面が多いので、とにかくしんどくて…。
でもこれが「ライスワーク」だから、会社が求めるレベルやクオリティは出せるように、自分なりに頑張っています。
でもね、やっぱり他のスタッフと比べて圧倒的に違うのは
好きかどうかの熱量
なんだというのはヒシヒシ感じています。
好きだと新しい技術やテクニックへの関心も強いので、新しいものをプラスしてグングンと成長できていて本当にすごい。
でも、何より…
業務が「苦痛」じゃない
という言葉にビックリしたのを覚えています。
むしろ好きだから、毎日の仕事は楽しいんですよね。
もちろん、大変なこともあるとはいえ、私とは異なり「大変だけど楽しい」という言葉が出てきて、本当に違いにビックリすることばかり。
だって私の場合は「大変で苦しい」なんだもの…。
という感じで、IT関係の仕事に従事しながらも、ITと私の間には透明な壁があるのですが、そんな私が珍しく、クリエィティブなIT技術に関するイベントに参加したんです!!
いやー、自分でもビックリ。
業務で使うことになったことがキッカケで、少し関心があった技術(仕組み)とはいえ、この手のイベントへの参加は「ほぼゼロ」で生きて来たこともあり、持ち前の人見知りを発揮。

うん。そう。
イベントではクリエイティブですごい人たち(← 語彙力)のクロストークショーの後で、IT技術ツールの使い方のワークショップがあり、そのワークショップを楽しみにしていました。
会社からイベントに向かったので、会社支給のパソコンを持参したのですが、会社のパソコンは指定のWi-Fi以外には接続できないことを忘れていて、あぁ、ヤヴァイ。
インターネットに繋がらないと操作できないツールなので、慌てて会社支給の携帯のテザリングを試すも、なぜか接続できず。
オワタ。
ということで、パソコンはそっと閉じ、他の人たちが操作しながら体験しているワークショップを「見て・メモって」参加しました。
イベントは「トークショー」「ワークショップ」「交流会」の3部構成になっていて、せっかくだから私もご参加者さんたちと交流できたらいいな!と、会社から箱ごと名刺を持参。
謎のやる気だけはありました。
ワークショップの後で、イベントに関するアンケートを入力して欲しいというアナウンスがあり、画面に映し出されたQRコードを読み取り、スマートフォンでアンケートに答えるマジメなオマミーヌ。
が…
普段使っている自分のスマホ(iPhone)を車の中に置き忘れていて、会社支給の使い慣れない「Android」スマホでの文字入力に手間取り少し時間がかかってしまいました。
ようやくアンケートを入力し終わり、スマートフォンから顔をあげると…
周りではみんなが賑やかそうに交流しているではありませんか!!!
Oh, Noooooooooooooooooooo
お話や情報交換をしている人たちの輪に突然割り込むこともできないので、どこか話しかけても良さそうな場所はないか?とキョロキョロして周りを見渡しましたが、手持無沙汰そうな人は一人もおらず。
あ、あれ?
私、この場にいない存在のようになってる。
いやー、困った。
それでも気を取り直し名刺の箱を手にして、お菓子や軽食があるテーブルの方に進み、その場にいる人にご挨拶を!!
と移動した途端、まさかの
軽食テーブルの近くにいた人が偶然にもはけてしまったーーーーー!!
オワタ。
おにぎりを一つもらい、カバンを置いていたテーブルに戻るも、私の戻った場所の両サイドの人は私に背を向ける形で絶賛交流中。
再びのオワタ。
最後の力を振り絞り、もう一度キョロキョロと話しかけて良さそうな空間はないかを探しましたが、人見知りな私は、盛り上がっている場には入ることができず、カバンを抱えるようにして帰りました。
てか、出口で靴を履き替えて扉を開けても、誰ひとりとも「お疲れ様ですー」「帰りまーす」などと会話を交わすどころか、私が帰ったことに多分誰も気づいていない…。

使うことがなかったパソコンを持った腕が重たくて、会場を出た後でギンちゃんが言ってくれた言葉と全く同じ言葉を呟いて苦笑い。
忍法・気配消しの術を使っちゃったYO!
いや、あの場では使っちゃダメでしょ。
と言いながら、なんか涙がポロッとして泣いちゃいました。
ひとりでいることは決して嫌いじゃなくて、どちらかというと好きな方。
華やかな席では委縮しちゃうし、人見知りだから上手に混じれないのも想定内。
なのに、大勢の中での「ひとりぼっち」を感じるのって、すごく痛かった。
箱ごともっていったのに、名刺交換、1枚もできなかったな。
あーあ、失敗しちゃったな。
忍法の使いどころ間違えたよ。
なんて言いながらも、「でも寂しかったね」「ホントはちょっとだけでも、誰かと話してみたかったね」と、自分の悲しかった気持ちは絶対に無視しない!と言葉をかけ続けながら、駐車場までの20分弱。
夜道をテクテク歩いていたら、少しずつ寂しさを飼いならせた気がしました。
ま、一人も好きだしね。
さて、帰ってギンちゃんとこはるちゃんと、今日は私なりに頑張ってイベントにも行ってみたことを盛大に労う「レモンサワー」しちゃおう!
と家に帰ってきました。
そして、2魂をモフモフしながらレモンサワーを飲みながら思い出したのが『メメンとモリ』(ヨシタケシンスケさん著/KADOKAWA)の「きたないゆきだるま」の話。
雪が降って嬉しい気持ちで作った雪だるま。
でも、雪って真っ白な部分の下には地面に接して汚れた茶色く汚い部分もあって、だから出来上がった雪だるまは汚れていて。
出来上がった雪だるまを見た時に「がっかりした顔」をしていることに気づいた雪だるまは、誰も悪くないことって分かっているけれど、でもやっぱり傷付いてしまう。
大よろこびで近づいていったら、みんなきっと、びっくりするだろうな。
きっと うれしいと思うんだ。
ボクがしてほしかったことを、してあげるんだ。
だから、今、ボクがしてほしいことを たくさん考えておこう。
だれかのために。
ボクのために。
(引用:メメンとモリ/ヨシタケシンスケさん著・KADOKAWA)
『メメンとモリ』の本の言葉は、余すことなく全部が素敵で、折に触れて思い出しますが、昨日の夜に思い出して染みたのは、きたないゆきだるまの言葉でした。
傷付いたり、寂しかったり、どうしようもない気持ちを味わったからこそ、誰かの「嬉しい」になれたらいいなと思える。
大勢の中のボッチが、どれほど心削られるか、どんなに情けなくて恥ずかしくて、いたたまれなくて、惨めか、「忍法・気配けしの術」を使わなくていい場面で使ったせいで気付けたこと。
別に自分から行けばいいだけじゃん!
なに、拗ねてんのよ?!
って言われちゃうようなことかもしれないけれど、でも、「どうしよう」って思って胸がドキドキして冷や汗が出ているような時には、勇気なんて簡単には出てこない。
寂しさと恥ずかしさに包まれているときに、頑張ろうとしたのに空回って、ますますどうしたらいいか分からないの”るつぼ”にはまっちゃうことだってある。
たかがボッチ。
されどボッチ。
寂しさと、恥ずかしさと、情けなさと、悲しみが入り混じる気持ちを、私は決して「軽いものとして」受け流すことはしない。
きたないゆきだるまのように、私のためにも。誰かのためにも。
だからまず、自分の「トホホ」という寂しさを大事にして、いっぱいヨシヨシしました。
秋だもの。
少し切なくほろ苦い体験も、まぁ、秋のせいよ!!
なんて「ふふふ」と笑いながら、でも苦手としていることにも挑戦してみようとイベントに行った私のことを盛大にほめて、出遅れてほろ苦い思いを感じたことの「悲しさと気付き」の両面を見つけた秋の始まりです。
あっ、でもね。
「旧盆」の今だから、大勢の中でボッチだった私の側には、私が気付けないだけで仁くんが
よく頑張ってイベント行ったでちね!
ボッチじゃないでちよ。
仁くんがいるでちから!!
って、側にいてくれたのかもしれません。
くっそー、気配を感じられない私がもどかしいーーー。
今度は「忍法・気配盛大にするの術」の習得をしたいと思います。
ほな、ドロン!