いつまでも同じではいられないから、今が「うーん」という状況でも大丈夫。そんな自分にも優しくウインクしましょ!
1年前の今日、骨盤内腫瘍があるということが分かりました。
加齢もあってお腹周りが太る…とは思いつつも、それにしても急激に下腹部だけが太り出し、仁くんのお散歩中に尿漏れを体験したり、とにかく便秘がひどくなりました。
食事を取ると胃が押されるというか、不快感が強いこともあり内科を受診。
婦人科系の手術を2回体験しているため、腸が癒着してしまい腸の動きがあまり芳しくないのではないか?と漢方を試したりしていたものの、あまり効果が感じられず、お腹はどんどん苦しくなるばかり。
お腹の冷えと便秘解消のために、オイルを使ってお腹をマッサージをするようにしていたのですが、その際にお腹の中にボールのようなものがあることに気付き、婦人科を受診して腫瘍が見つかりました。
受診したタイミングで、かなり大きな腫瘍であることから「悪性度の高いもの」の可能性を指摘され、あれよあれよと不安に取りつかれ、検査結果が出るまでの間はかなり大きく取り乱しました。
人生で初めて、自分ごととして『死』をくっきりと身近に感じました。
ターミナルケア・グリーフケアについて「知識」として色んなことを学び、想像することで分かったような気になっていました。
が…
想像の域をはるかに大きく飛び越える程の苦しみと、揺れ動く気持ちや、受け入れられない現実を前にした葛藤を、まざまざと体験して気付いたことがたくさんありました。
幸いにも悪性のものではなかったので、手術をして、今はすっかり日常を取り戻していますが、この経験を通して「私の世界」は以前とは違う色を持つようになりました。
どんな物事にも、必ず恩恵があるものですね。
とか言っちゃってますが、もちろん「渦中にいる間」「当事者として物事に対峙している間」は、とてもじゃないけれど…って向き合うだけで精一杯。
恩恵があるなんて気付けません。
いつだって「後から」その出来事を振り返って、気付いたり価値を拾い集めることができるんですものね。
だからね、今日、あなたが「しんどさの最中」にいるのであれば、その中でなんとか自分なりに今日をやり過ごすことを最優先にしてくださいね。
この体験から何を学んでいるんだろうか??
なんて、問題に潜む恩恵探しとか、ポジティブに問題に向き合わなくちゃ!なんてしなくていいですから!!
問題を乗り越えた「後」で、『頑張ったで賞』のように恩恵がやってきたり気付けたりするものだから。
しんどさの最中にいるときは、それを耐えているだけでハナマルです。
今、自分ができることをしていること、それだけで十分です。
つらいよね。
苦しいよね。
先が見えない状況は、心身共に疲弊してしまいます。
何か少しだけでも食べたいと思えるものがあればそれを食べて、眠れるようだったらまぶたを閉じて。
体を暖かくして、1日1日をなんとか超えて行けますように。
その時々で感じた気持ちを残しておこう!と、手帳を日記として使うことを始めましたが、途中ちょっと中だるんで『歯抜けな部分がありつつも』、1年ほど日記を続けることができました。
お弟子さん仲間のFukaちゃんから教えてもらった「寂しい夜にはペンを持て」(古賀史健さん著)を読んで、日記をつける楽しさを教えてもらったおかげで、毎日なんだかんだと気持ちを書き残すことができています。
そして、勢いそのままに2冊目の日記用手帳を買っておいたのですが、12月になり、こちらも開封してチマチマとその時々の気付きを書き込み始めました。
ねー。
これからの私は、どんなことに気付いたり、どんな言葉に出会うんだろうね。
散り散りバラバラで過去に学んだことや読んだ本などが、不思議なタイミングで繋がって「あっ!」と思うことがあったり、きっと
今が、その時
として色んな収穫も体験していけるんだろうなぁ。
今年の手帳のフリースペースにも、そんな風にして気付いたことが書き留めてあったり、体験したことから学んだ大事なことなど、私にとっての宝物になるものがいっぱい残っていました。
新しい手帳は、まだ真新しくてピカピカ。
この中にどんなことが書き込まれて行くのか、どんな出来事やどんな気持ちになっていくのか、まったく未知だけれど、きっとこの1冊も私にとっての『宝物』になることは間違いなさそうです。
そうそう!!
酒瓶を持った陽気なサンタさんのテープは、去年の年末に自分を喜ばせようとして、通販で買ったメモやシールの梱包に使われていたもの。
悪性腫瘍(がん)かもしれない…というタイミングと重なり、届いた荷物も開ける余裕がなかったのですが、落ち着いてから手帳にペタリと張って残しておきました。
1年前の今頃は、ひとりでいることができなくて、あちこちに『助けてください』と泣きついて、思いっきり甘えさせてもらいました。
あの時、なんとか1日をやり過ごせたのは、私のことを見捨てずに優しい手を差し伸べてくれた暖かい周囲の力があったからです。
改めて、あの時の私を支えてくれてありがとう。
差し出してくれた手をギュッと掴んで重たい体を預けても、誰一人嫌な顔をせず甘えさせてくれました。
愛してくれて、ありがとう。
いつも本当に、ありがとう。
1年前の今日。
大きな衝撃と揺れ動く気持ち、眠れず食べれず、大きく取り乱したはずなのに、どんなことを考えていたのかを思い出そうとしても、輪郭がぼんやりしています。
あんなに取り乱したのに、ねぇ。
先日、『最後の花火 横浜こどもホスピス「うみそら」物語』(浜田奈美さん著/朝日新聞出版)を読んだ中に、こんな一節がありました。
「悲嘆のありようも深さも長さも100人いれば100通りで、だから一概に言えることは何ひとつないと思いますが」と慎重に前置きしたうえで、こう語った。
「僕の経験上、時間が変えてくれるものは確かにある。そう思います」
(引用:最後の花火 横浜こどもホスピス「うみそら」物語/浜田奈美さん著/朝日新聞出版)
横浜こどもホスピス「うみとそらのおうち」を作られた、田川尚登さんが語られた言葉です。
この言葉は、「子どもを亡くした悲嘆を和らげる方法があるのか?」という問いに対してのものですが、悲嘆は消えることがなかったとしても、時間が力になってくれると伝えてくれています。
突き刺さるような鋭利なものだった悲嘆の角が、時間が経過することにより角をほんの少しずつ丸めて、そこにあり続ける。
なくすことも、消し去ることもできなくても、時間を重ねる中でゆっくりと少しずつ、衝撃との付き合い方を自分なりに見つけて行けるのかもしれません。
「持ち続けなくてはいけないもの」だからこそ、そのトゲトゲした部分が自分に強く刺さり過ぎないように、扱っていく方法を時間をかけて体得していく。
人間には「レジリエンス」という回復してく力が備わっていると言われていますし、もうダメだ…と思ったことがあっても、時間をかけて、またなんとか歩き出したりするんですよね。
歩き出したり、悲嘆を背負いながらも日常を取り戻すまでには、時間がかかっちゃうけれど、ね。
毎日は特段すごいことがあるわけでも、いきなり元気になれる訳でもありません。
なんなら、昨日と同じような「変わり映えのない、成長も変化もしていないような自分」を生きているだけなのに、それでも不思議と、
昨日と同じはずの日々を生きていても、いつしか積み重ねた時間の分だけ変化している
んですよね。
変わり映えがないのに、何もしていないのに、それでも同じ場所には留まれずに前進しています。
それは季節の移ろいとも似ているのかもしれません。
ヒーターをつけたりモコモコした部屋着を着ていないと震えちゃうような「冬」がやってくるんなんて、数か月前の猛暑日を繰り返していた中では、想像してもピンとこなかったのに!!
その逆もしかり。
週末にかけて寒波がやって来るというニュースを耳にしている中では、外に出るだけで危険な暑さだったのが数か月前だなんて、不思議な気持ちがしますよね。
思わず溶けるような暑さが、このままずっと続くんじゃないか…?
と思うくらい、毎日暑い日が繰り返されて、1日1日はそんなに大きな気温の変化はなく「昨日と同じ」ようなはずだったのに、ほんの少しずつ、体感すらできないくらいにわずかな変化を積み重ねて、数か月すると季節は変わっているんですもんね。
自分自身は何もせず、昨日と同じような変わり映えのない1日を繰り返しているだけなのに、時間の変化で半袖から長袖に着るものも変わっていく。
1年前には不安だった仕事が、今では普通にこなせている。
不思議。
毎日は、同じようなことを繰り返しているだけなのに。
時間の持つ力、時間が持つ魔法があるから、私たちはどうやら『今のままここにい続ける』のはできないようですね。
手帳に書いてあった1年前の私と今日の私は全く同じ私で、私そのものの本質は変わっていないけれど、1年前のあの頃から見ても
何でか分からないけれど、成長した私
を感じられています。
それはもしかしたら、私自身の変化もあるけれど、周りの人の変化やそれに釣り上げてもらって私の環境や考え方、世界の見方が変わっているのもあるのかな??
私はここにしがみつくーーーっ!!!
と、悲嘆や絶望の中にい続けようとしても、自分以外の環境の変化が自分に侵食してきて、やっぱりその場からはゆるやかに「居続け方」が変わっていくようです。
あーーっ!
なんかうまく言えなくてまどろっこしいけれど
時間と共に、私たちはどうやら『同じでい続けられない』みたいです。
いつまでもネガティブな場所にはいられないし、ポジティブな場所にだけ留まることもできない。
そしてね、私は1年前にすごく取り乱していましたが、あの時には「今だから学べること」を沢山体験しました。
取り乱しているときには、そこでしか体験できないことを学んでいるんですものね。
学生の時には、学生だからこその体験や学びが必要で、社会人になると社会で必要なことを学ぶように、どの時間を生きていても、その時間に体験することは
自分にとって大事な体験をしている、意味ある時間
なんですよね。
あんなに取り乱しましたが、1年後の私はそれをクッキリ思い出せない…なんて言っちゃっています。
取り乱し続けることは、できないみたいです。
同じ場所にい続ける時間は、出来事や愛情の深さ、体験の濃さによってそれぞれに違うものだと思います。
また、個々人でもすぐに気持ちが切り替えられる人もいれば、しばらくは立ち止まる時間が必要な人もいますから、それぞれに異なるものです。
早く変化できるから「いい」というものでもありませんし、変わらないように見える時間が長いから「ダメ」というものでもありません。
どの時間も、大切な自分の時間です。
人生にはいろいろな時期があります。
日照りのような暑い時期も、凍えるような寒さも、柔らかく芽吹く時期も、溢れるほどの収穫の時期も。
健やかなるときも、病めるときも、豊かなときも、貧しいときも。
どんなときも自分の側にいる自分が、時に折れたり下を向いて涙が止まらない自分に対して、暖かいまなざしを向けながら、自分の背をさすって伝えてあげたい。
大丈夫。大丈夫。
今はね、そういう時間だから。
そうね、しょうがないよね。
だって今は、そういう季節だから。
いつまでも同じ場所には留まれないから、「今」いる場所から時間や季節を経て変わっていくのが私たちだから。
自分を責めるよりも、そういう時期・そういう時間なんだよね、って言ってあげたいですよね。
否が応でも私たちは「今いる場所」から変化していく生き物だから、今は今置かれた状況を生きる中で何かしらの体験をしているだけです。
だからね、大丈夫。
そう思えなくても、それでも大丈夫。
ではでは。
おやすみなさーーい。
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