手のひらサイズの幸せのお友達

手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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つらくて苦しい時に、それでも容赦なく自分を責めていませんか ~つらい時はただ優しくしてあげていいんだよ~

夕張メロンを 贅沢にいただくでちね!!

じゃじゃーーん!
赤肉果実が堂々としている「夕張メロン」を贅沢に2切れ。

大きなメロンを
あーがとでち!ってもらったんでちよね~

そうなんです!!
まるっと一玉、大きくてずっしりと重たい「夕張メロン」を、妹の友達のお父さんからいただいたんです。

自分の痛みがいつしか「誰かの光」になれたこと
自分の痛みがいつしか「誰かの光」になれたこと
昨日の午後から少しずつ雪の勢いは落ち着き、ようやく峠を越えて、今日は少し日差しも差し込んできました。 とはいえ.....
https://many-smiles.com/about-me/sorrow-becomes-the-light-of-man

昨年末、夫婦問題で本当に苦しんだ妹の友達の話を書きました。

私も自分が渦中にいた時は、もうほんとうに苦しくて、ひとりになると心細くなるうえに思考がグルグルしてしんどかったのを思い出して胸が痛かったなぁ。

あの時、何が解決するわけじゃなくても「気持ちをただ話すことが出来る人がいてくれる」「ひとりじゃなくて側にいてくれる人がいる」ということが、どれだけ暖かく救われたかを体験したからこそ、

一人で抱えなくていいんだよ。
みっともなくても、グラグラしても、気持ちが決まらなくってグルグルしてもいいんだよ。
揺れる自分を見せても大丈夫だよ。

と、彼女には一人で耐えずに頼ってね!甘えてね!と伝え、二人でサイゼ飲みをしたりLINEのやり取りをしたのが懐かしい。

たくさん泣いたけれど前を向いて、私なんかよりずっと立派に自分の道を切り開き、彼女はこの春に離婚しました。

そしてようやく生活が落ち着いてきたところで、彼女のお父さんから『娘がしんどかった時に支えてくれた人にお礼がしたい』とメロンを買ってきたと連絡があり、ありがたく頂戴しました。

娘を思う愛が詰まったメロン。
彼女が色んな悲しみを乗り越え、今、新しい一歩を踏み出している証のメロン。

丁度先週もらったメロンは、数日ですっかり食べごろになり、今週は毎日メロンを食べることが出来るという贅沢な時間を過ごせました。

生ハムメロンでち!!
セレブでち!!

もうちょっと盛り付けとか写真の角度とかありそうなのですが、どうも私はお料理をキレイに見せるセンスがないものでアレなんですが、まるっと1玉いただいたので、そのまま食べるだけではなく『生ハム』で巻いてみたり、水きりしたヨーグルトと蜂蜜をかけてみたり、少しだけアレンジして食べたりもしました。

結果、普通に食べるのが一番おいしかったDEATH!!

つやつや、食べ頃で甘さも満点!

丁度今日、最後のメロン2切れをスプーンですくって食べ、まるっと一玉を堪能しました。

とってもおいしいメロンを、ごちそうさまでした。

* * *

私は離婚問題でもう本当にヘロヘロになった際に、心療内科を受診しました。

先生と向き合って自分の状況をポツポツ話した際に、先生が優しく微笑みながら

「それは辛かったね。悔しかったね。悲しかったね。」

と言ってくれた途端、それまでしばらく感情が切れたようになっていて涙すら出なくなっていたのに、ブワーーッと涙があふれてきました。

離婚を受け入れなくてはいけないのに執着しまくって身動きが出来なくなっていた私は、いつまでこんなことをしているんだ!と自分のことを責めていました。

それこそ「自分の幸せのため」に執着を手放し、少しでも早く前に進むことがいいに決まっているのに…って、足踏みしかできない自分のことを、いつも「なんで決められないの?」という目で見ていました。

手放せなくてつらくて、東京まで行き、師匠である根本さんがやっていた「手放しワークショップ」を泣きながら受講して、そこまでしてもまだ手放せない自分に愕然として、変われない自分に呆れていました。

でも、私が本当に欲しかったのは「つらいね、くやしいね、悲しいね」という、自分のつらさを『ただ分かってもらうこと』だったんだと、先生の言葉で泣きじゃくった時に気付けました。

先生はその後、決められないことで自分を責めている私に対してこう言ってくれました。

ワガママだって分かっていてワガママを言っていいんですよ。
「あなたが」決めていいんだからね。
彼だって自分の勝手な要求を言ってきているんだから、あなたもあなたの要求を言っていいんだよ。

人間だれしも、自分にとって「つらいこと」「抱えるにはしんどいこと」「不安になるような出来事」があれば、とっても苦しみ疲弊します。

単純に考えて「苦しい状況だから苦しんでいる」のに、なぜか自分に対して、苦しんでいる時にムチを打って虐めたり、突き放して優しくしてあげずに「苦しみに追い打ちをかける」ことをしてしまいます。

・頑張らないでどうするの?
・もういい加減にしたら?
・相手だってあることでしょ?いつまでも迷惑かけるの?
・こんなことで落ち込むなんて情けない
・気持ちを整理するべきじゃない?
・ここが正念場だから、歯を食いしばって進みなさいよ
・いつまでこんなことしてるの?

苦しくて、つらくて、その時には頑張る余力すらないくらい傷だらけだった私に対して、私はこんな言葉を投げかけ、自分のことを「分かろう」とするどころか「なんとかしなさいよ!」と頑張らせようとし続けていました。

私の場合はすでに彼と彼の選んだ女性の間には子供も産まれてくることになっていましたし、先に家を出て行った彼からは一貫してずっと「離婚して欲しい」と言われていて、何年も足踏みする時間はもったいないものだったとは思います。

正論や前向きな考えをしたら「少しでも早く新しい人生を生きた方がいい」けれど、でもその正論や前向きさが、とっても苦しい時があるんですよね。

そうできない時、そうできないことで苦しんでいる人にとっては、正論や前向きな意見がつらいんですよね。

つらさや悲しみ、絶望や痛みを感じているのは、他でもなく自分自身です。
感じたくなくても感じてしまう感情が苦しいのも、その苦しさの中で耐えているのも、紛れもなく自分自身です。

それなのに、「苦しいって感じる自分」をけなしたり、虐めたり、頑張らせようとしちゃって、自分に対して本当に酷なことをしちゃうんですよね。

つらい時は、ただつらいだけ。
悲しい時は、理由があって悲しんでいるだけ。
苦しい時は、逃げ出したいのにとどまるしかできずに苦しいだけ。

それって「ダメなこと」でもなんでもないですよね。

そして、つらい時に自分をいじめたら…

単純にもっともっとつらくなるだけ、じゃないでしょうか?

つらい時こそ、自分に優しくしてあげるべき時です。
責めたい時こそ、自分の背に手を当てて「大丈夫?」と言ってあげるべき時です。

不思議なことに、つらい自分にたいして「厳しい目」を向けるよりも、「寄り添い、理解しようとする」ことは暖かく染みて、つらい状況からも抜け出しやすくなるんですよね。

無理に頑張らせずに、ただ優しくしてあげる方が早く頑張る力を蓄えて進み出せるんです。

つらい時に、自分を責めずにね。
無意識に責めてしまっていることに気付いたら、自分に対して「虐めちゃってゴメンネ」と言ってあげて、そこからゆっくり自分を労わってあげて、思いやりをもってそばにいてあげてください。

ではでは、今日はこの辺で!!
ほな、ドロン。 ← 昭和を利用した強引かつ唐突に終了の技

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