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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】現実に不満だらけだけど自分には何もなくて、手つかずな状況です。

また毒を買って太ろうとしているですよ…

チョコとナッツって本当に相性抜群でですよね!
アーモンドチョコも好きでたまに買うのですが、アーモンド入りのチョコの中でも私がお気に入りなのが「アーモンドピーク」という12粒の小さな贅沢チョコレイト。(チョコは美味しいけれどギンちゃんや仁くんにとっては毒なので食べれません)

これは少し前にちょっと安くなっていた時期(特売で1箱128円)に嬉しくなって4箱くらいまとめ買いしたストロベリーティーの香りがするものなのですが、アーモンドピークはチョコの内側に隠れているアーモンドがカリカリのキャラメリゼされた層でコーティングされていて、それがなんとも言えず美味しいんです!!

アーモンドピークの中のアーモンドだけ!という商品も発売されているようですが、まだスーパーで出会えておらず買えていません。

仕事中にちょっと一息入れたいときに一粒のご褒美にして自分を盛り上げているのですが、1日6粒まででガマン。
1時間に1粒の甘い幸せチャージをしているというおまみ情報をご紹介した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

現実が嫌で仕方ありません。
女子校に通ったこと、文理選択で苦手な方を選んだこと、低ランクの大学に行ったこと、苦手な相談援助を専攻したこと、卒業後就職できなかったこと…。

現在社員以外を転々としていて、現実に不満だらけだけど自分には何もなくて、手つかずな状況です。
食いつなぎ拾ってもらってる状況ですが、年齢的にも精神的にも限界です。

全ての選択に母が関わっていて、いつもどこか嫌悪してましたが、絶対の母に逆らうことができず丸め込まれ、今の状況にも理解がありません。

今も早く働け、なんで動かないの一点張りでこっちは主張する気にもなりません。

私は動かない体を無理に引きずって、派遣の今もついていけない状況なのに…。

それを伝えても振り出しに戻り論点がズレ都合いい主張しかしません。

言い合いになるとひどく頭が痛くなり、目に見えない圧力をヒシヒシと感じ滅入ってます。
相談者:AKさん

https://cocoro-marche.com/archives/1590

AKさん、こんにちは。
しんどい体を頑張らせてお仕事に向かわれていると書かれていましたが、また新しい週が始まり、気持ちを奮い立たせてお仕事に向かわれているのでしょうか?

やりたくないこと、楽しめないこと、行きたくない事に向かって重い腰をあげるのは、精神的にも体力的にも「えいや」と力が入りますものね。
毎日きっとグッタリとお疲れなのではないでしょうか?
頑張っていらっしゃる自分自身に「偉いね!」「頑張ってくれてありがとう」と優しい労いの言葉と一緒に、小さなご褒美(好きな漫画を読む・甘いおやつをあげる・缶チューハイを1本ご馳走してあげる・唐揚げを買ってあげる・150円までの好きな駄菓子を買う…などなど、何か自分が喜ぶ事)をしてあげて、自分を甘やかしてあげられますように。

> 現実が嫌で仕方ありません。

ずっと「自分の願い」を見ない振りをして、お母さんの願いを叶えようとしてきたのですものね。
自分の選ぶ道・自分の幸せを自分で選ぶ事ができなかったのですもの「こんなはずじゃない」と、自分が置かれている現実が嫌いになってしまうのも仕方がない事ですよね。

過去に師匠である根本さんから心理学の格言を聞いてハッとしたことがあります。

あなたが幸せでないならば、誰かを許していない

現実が嫌だ!と苦しんで生きているAKさんは、今きっと「幸せだな~」とは思えていませんよね?

> 現在社員以外を転々としていて、現実に不満だらけだけど自分には何もなくて、手つかずな状況です。
> 食いつなぎ拾ってもらってる状況ですが、年齢的にも精神的にも限界です。

現実には不満ばかりしかないと嘆き、様々な面で限界を感じて苦しんでいる心の奥には『罪悪感』という感情が大きな根を張っているのかもしれません。

罪悪感というのは「愛されて幸せな人生を歩むのはふさわしくない」と思わせてしまうので、自分の人生が良い方向に行こうとするとそれを押しとどめて失敗や挫折ばかりに見えるものを選択させてしまいます。

AKさんは過干渉気味で自分の気持を押し付けるお母さんの選択肢を受け入れて(受け入れるしかなくて)来た事に対して、後悔や絶望を感じていらっしゃいますが、なぜAKさんは過干渉なお母さんの言うとおりに生きてきたのでしょうか?

確かに子供の時というのは「親は絶対的な存在」でそれに従うしかありませんが、少しずつ自我を持ち自立し、反抗期などで親とバトルを展開して親の言う事を聞かずに好き勝手に振る舞える人もいる中で、そうしてこなかったのはなぜでしょうか?

悲しいけれど、悔しいけれど、そうしたくないけれど、お母さんの言う事を受け入れてきたのはなぜでしょう?

それはきっと、受け入れたくはないけれど「お母さんの事が大好きで、愛しているから」だと思うんです。
あんな人大嫌い!と心がザワザワするかもしれませんね。
けれど、大嫌いな人の「お願い」「命令」を自分を犠牲にしてまで聞いてきたのは、お母さんを悲しませたくないというAKさんの暖かくて大きな愛情があったからではありませんか?

> 女子校に通ったこと、文理選択で苦手な方を選んだこと、低ランクの大学に行ったこと、苦手な相談援助を専攻したこと、卒業後就職できなかったこと…。

人生の様々な選択肢を前に、お母さんの期待や助言・望みを叶えるべく、自分ではあまり気乗りしない事も受け入れて奮闘してきたAKさん。

女子高に通った私の事を「自慢の娘だ」と言って欲しかった。
苦手な選択科目を履修した私に「頑張ってるね」と認めて欲しかった。
行きたい大学を選べずにお母さんをガッカリさせてしまった。
就職に失敗した私に「大丈夫」って言ってくれずに失望されてしまった。

先ほど自分が幸せになる事を邪魔するものとして「罪悪感」があると言いましたが、罪悪感は様々な形を持っています。

・誰かを傷付けてしまった、悲しませてしまったという罪の意識。(何かをしてしまった事による罪悪感)
・期待に応えられなかった、助けてあげられなかったという罪の意識。(何もしてあげられなかった事による罪悪感)

すごく厄介ですよね…
何かをして誰かを悲しませたり傷つけたりすることからくる自責の念というのは分かりやすいのですが、何もしなかった事への罪悪感というのもあるように、私たちは自分を一生懸命責めてしまうクセがあるのかもしれませんね。

罪悪感は幸せになるのを阻む感情ですが、同時に「自分はマイナスなものを背負っている」とも感じます。
AKさんも「こんなはずじゃなかったのに」「こんな道を選ばなければ」と自分はマイナスのカードばかりを引いてきた…と感じていらっしゃいますものね。

> 全ての選択に母が関わっていて、いつもどこか嫌悪してました。
> 言い合いになるとひどく頭が痛くなり、目に見えない圧力をヒシヒシと感じ滅入ってます。

嫌悪感を感じている時や圧力を感じて身体的な症状が出てしまう時というのは、諦めつつも「怒り」も感じていませんか?
お母さんのせいで!!と感じている時というのは、お母さんを許せていない時です。そして、許せていない時というのは怒りを感じている時です。

AKさんがお母さんに対して「許せない」と感じているのだとしたら、なぜ怒りを感じているのでしょう?

> 私は動かない体を無理に引きずって、派遣の今もついていけない状況なのに…。

AKさんは「自分が今出来る事」を一生懸命頑張っているんですものね。
それを否定されて傷付いて、自分の主張をする気力すら持てない(分かってもらえないと決めている)その裏側には

ホントは頑張ってる私を認めて欲しい

という気持ちがあるのかもしれません。
だって、自分のためにも頑張っていますが、動かない体を何のために引き摺って仕事に向かわせているかと言ったら

お母さんに嫌みを言われたくない、お母さんの期待に応えたい、お母さんの期待に応えられない私はダメなんだ…

それだけ一生懸命、お母さんを笑顔にしたい・願いを叶えてあげたいと頑張っているAKさんがいるのではないでしょうか?

AKさんのお母さんは過干渉でAKさんの人生に大いに口出ししてきたと思います。
そのせいで「私は自分で選ぶことができなかった」とAKさんは苦しまれていますが、どんな決定も最終的には『自分が選ぶ』ものなのに、お母さんの願いを採用したAKさんは、きっと

お母さんが私にとって「良かれ」と思った選択をしてくれている

と無意識の内に受け入れて、その期待に応えたかったからなのかもしれません。
そして、できればお母さんが選んでくれた世界にフィットして楽しみたかったけれど、それが自分には合わなかったり楽しめなかった事に対して、ゴメンナサイ…と罪悪感を感じてしまうと、こんな風にお母さんに対して恨みを持つことがあります。

「なんでも詮索して来て口出すところがホントにウザい」
「私の人生なのに何でもコントロールしようとして嫌」
「私には出来ない事なのに期待されていてホントのしんどい」

お母さんに対してイライラしたり腹を立てていきます。
わざわざ過去の事まで思い出してきては、キーッ!とイライラすることまでしてしまいます。

お母さんが過保護で今でも口出してくるのは「私の事を愛してくれているから」って本当は知っているんです。

すごく不思議な事なのですが、過干渉な親にあれこれ言われるのってとても負担ですし重たくて反発してしまいますが、何もやる気になれずに身動きできない自分に対して話しかけても来ず、放任されてしまっていれば「私に関心がないんだ!」とそれはそれでまた怒りを感じたり寂しさを感じたりするんです。

お母さんを喜ばせたかった。
お母さんの選んでくれた世界で幸せを感じられなかった。

そんな罪の意識を無意識の内に抱えてしまったのだとしたら、罪のある私がお母さんの愛を受け取ってはいけない!と受け取り拒否をしようとします。
小さな子供が嘘をついて悪い事をしたと感じると、先生や親の目を見て話せなくなってしまうように、まっすぐにお母さんを見る事ができなくなります。
「どうせ私なんて」と捻くれて愛させないようにして、悪い態度を取ろうとします。

こんな風に自分を拗ねさせてしまうのは、とっても生きづらいですよね。
だから、罪悪感を感じ続けなくてもいいんです。

私はもっと楽に自由に生きたい!って自分に対して思ってあげていいんです。

> 今も早く働け、なんで動かないの一点張りでこっちは主張する気にもなりません。

何も言う気になれないという「だんまり」を通して怒りを表現しているAKさん。
どうせ話を聞いてもらえない、どうせ私の願いは通らない、どうせ分かってもらえないと押し殺して我慢させている「AKさんの願い」はどんなものなのでしょうか?

お母さんが私の人生を台無しにした!と恨みや怒り、拗ねて貝に閉じこもっている時というのはその閉ざした心の奥底に「沢山の願い」が隠れています。

主張する気にもなれない…けれど、本当は「今出来ることを私なりに精一杯やっている事を信頼して欲しい」「私を見守って信じて欲しい」と思っていませんか?

過干渉に口出しなんかしなくてもいいから…という気持ちには『お母さんを安心させたい』という願いが隠れていたのかもしれませんね。

お母さんが選択に口を出し、その度に嫌だと思いながらも従ってきたのは、お母さんの期待や願いを何とかかなえてあげて「喜ばせてあげたい」という大きな愛と優しい気持ちがあったのではありませんか?

誰だって「お母さんのせいで!」と文句を言って拗ねているのは居心地が悪くて気持ちいものではありませんものね。
自分を嫌いになっちゃったのはお母さんのせいだ!!と自分を助けてあげたくてお母さんを悪者にして責めても、一瞬は心が楽になれたとしても、誰かを責めている時は怒りを感じている時ですから「幸せ」を感じられずしんどさを抱えてしまいますものね。

こんなに文句を言ってしまう、許せない、絶望している、拗ねているその奥にあるAKさんの『願い』を見つけてあげませんか?

種類はちょっと違うのですが、私は過去に旦那さんだった人から背を向けらえた時にすごく悲しい気持ちで苦しんだことがあります。
心療内科を受診した際に、最初の診察の前に「木」を書くように言われて白い紙に書いたものを見て、先生に言われた言葉は『あなたはすごく怒りをガマンしているね』というものでした。
そこで先生から言われた「言いたくても言えない、本当にどうして欲しかったのか」を書き出す作業をしてみました。

AKさんもお母さんに対して、本当はこうして欲しい!こうして欲しかった!という言えなかった思いをノートに書き出してみてください。

いくつ出てくるでしょうか?
3個?いえいえ、10個?それでは足りず、100個、200個と「こうして欲しかった」「分かって欲しかった」と感じていたAKさんの願いが溢れ出ていますか?

ここで出てきた願いや思いは「私を愛して・信じて欲しかった」という気持ちです。
恨み言に変わってしまうくらい思いを持っていたという事は、それだけ「その人を愛していた」んです。
私の痛みを理解し信じて背中を押して欲しかった、見守って欲しかったのだと知れば、それだけAKさんがその人を信頼して大切にしていたんです。

その思いのすべてはAKさんの「愛」なんです。

ノートに書きだした「分かって欲しい」「こうして欲しい」というのは、全て『愛して欲しい』というAKさんの願いが現れたものです。

怒りや恨みに変わってしまう程に「愛している人に愛されたい」から、苦しんむんですものね。

罪悪感を抱えて自分の幸せを拒否していしまうくらい、期待に応えて信頼して欲しかったのは、それだけお母さんを愛していたから。
自分の人生がしんどいと感じる程に一生懸命愛する事をしたAKさんの愛の深さを感じたら、自分の事を健気で頑張り屋さんに感じ、誰よりも愛しいと抱きしめたくなりませんか?

今も苦しむくらいに愛に応えようとしている健気な存在であるという事を、他の誰でもないAKさんご自身が「私って健気なんだな」って知ってあげて欲しいんです。
上手くできなかった私を許してあげて欲しいんです。
今も拗ねちゃって自分を苦しめているのは「愛があるから」だと知って欲しいんです。

過去に自分の気持ちよりもお母さんの選択を優先させてきたこと、お母さんの期待に応えられなかったこと、それを振り返って恨んだり怒ったりしてしまう位、期待に応えたかった私を、愛情深い私を、ゆっくり許してく作業をしてあげましょう。

そのためには「どんどん自分に優しくしてあげる」事がとっても大切です。
愛して欲しいという願いを抱えている私に気付けたら、惜しみなく愛情の水を注いで自分を育ててあげたいですものね!

自分に優しくするというのは、自分を肯定する事でもあります。
そのために、やりたくない事だったかもしれないけれど、それを甘んじて受け入れて頑張ってきたことを「私、偉いね!」と受け入れてあげましょう。
楽しくない女子高生活で、好きでもない文理選択をして、望んでいなかった学校への進学を決めて、苦手な相談援助を専攻した時、その時々でイヤな気持ちを飲み込みながらもできる範囲で精一杯に頑張ってきたAKさんがいるのではありませんか?
立派な成績は収めなくとも、逃げ出さず、投げ出さずにやってきたことは、簡単な事ではなかったはずです。
そんな私の頑張りに対して未来の私が「ありがとう」「頑張ってきたね!」と言ってくれたら、過去が報われて行きますものね。

私たちは自分を許せていない時は、外側の世界も許せません。
こんな私になったのはお母さんのせいだ!!と一生懸命外を攻撃しようとします。
でもそれは少しも楽しい作業ではありませんものね。

だから、ゆっくりでいいので「自分を許す」事をして行ってあげられますように。
お母さんの許すのなんてずーーっと後でいいんです。
自分を傷付けてきてしまった、自分の愛して欲しいを置き去りにしてきてしまった自分に「ごめんね」「ありがとう」と沢山優しくしてあげて、自分を大事に愛してあげられますように。

自分を許せて愛せるようになると、不思議と外側の事も許してほほ笑んで見つめられるようになります。

罪悪感という牢屋で自分を罰し続けなくていいんです。
自分を許すことが牢屋から出ていくカギになります。

いっぱいガマンして耐えてきたのですもの!
これからは少しずつ自分の気持ちを聞いてあげながら、自分と仲直りして、頑張ってきたことを褒めて、自分を許して幸せになっていきましょう!!

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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