私が『優しい』を受け入れられなかった理由。
先日「ストレングスファインダー」で自分の強み資質というのを知ることができ、とうとう『私は優しい人です』というのを歯を食いしばって(?)受け入れる事にしようと思ったのですが(厳密には食いしばるまではいかなくなりましたがまだくすぐったい感じがあります)なぜ、こんなにも『優しいと言われる私』を拒否するのか???については、過去にもこんな記事を書いていました。
いよいよ受け入れよう!と言いながら、ジリジリ抵抗していたのですが、この記事に書いていた理由に加えて、私は小さな頃から最近まで『予想以上の罪悪感』を背負って生きてきたので、自分が評価されるなんて受け取れるはずもないし、優しいと言われるのが私の中に備わっているのだとしても、まだまだこんなレベルで優しいなんて言われていていいはずがない!と【優しいを名乗るためのハードル】をキリマンジェロよりももっと高くに設定しいていました。
お弟子さん制度の中でカウンセリング体験があったのですが、その中でも「まみちんの考える優しさってどんなものなの?」と聞かれて
マザー・テレサ
くらいに利他的で奉仕ができる人にならないと「自分が優しいなんて言ってはいけない」と思っていました。
また、子供時代に初めて読んだ外国の人の伝記が【ナイチンゲール】だったこともあり(ナイチンゲールは動物が好きな子供だったんですよ!)命を賭けてまで戦場で看護師として人のために生きる姿は、毅然とした強さと同じ量の優しさがあり、こういう人を「優しい」と言うのだ!!と思っていた過去があります。
私は泣き虫で弱虫だったので、強くないから優しいと言ってはいけない…とも思っていました。
※そしてこの後、自分で何でも背負い込む自立の道を突き進むことになったのです…
この部分に関しては、私が自分を罰するために「自分の価値を何一つ受け取れずにいた」と分かったことで、ゆるゆるーっと解けていったのですが、まだやっぱり受け取れずにいたのは、やはり大好きな人に言われた言葉を自分が大事に抱きしめ続けていたからだと思います。
私が手放せずにいた言葉とは
・お前の優しさは人を傷付ける
・自分の優しさに酔っている
・優しいふりをした自己満足
というもの。
この言葉を言われる前までは、今程には優しさについて否定していなかったと思います。
受け取り下手だけれど、みんながそう言ってくれているからきっと私にも「優しい」部分があるんだろうな…と思えていました。
けれど、この言葉は本当に鋭く私の心をえぐりました。
とはいえ、この言葉を「採用して受け入れた」のは他でもない私です。
私は自分をきっと責めたかったんですよね。何しろ罪悪感を背負っていましたし。
少しずつ自分を受け入れて仲良くなり、自分を愛するという事が分かってきた今、もうこの「私を幸せにしない考え」は手放してもいいんだよ…と、ストレングスファインダーの結果やみんなからのメッセージで、この言葉から解放される時が来たのだと思います。
この言葉を私に投げつけた時の彼の目を思い出してみると、私に対する憎しみとも絶望とも取れるような目をしていました。
この言葉はきっと、彼が自分を守るために言った言葉なんだろうな。
私を傷つける事でしか、別れを承諾してもらえないと思って苦しみの中で放った言葉だったんだろうな。
そして、私はそれでも尚、彼に「私の優しさ」を注ぎたいと思っていたのだけれど、それはどれほど彼を苦しめたのでしょう。
彼だって大人の男性で「自分のしている事」が人を傷付けて泣かせ、苦しませている事を十分過ぎる程に知っていたはずです。
男性は特に罪悪感を感じる生き物だとしたら、彼の背負っていた罪悪感はどれほどのものだったのでしょう…
そして、罪悪感は罰せられなければいけない感情ですから、優しくされるなんてもってのほかです。
【お前の優しさは人を傷つける】の裏には彼の罪悪感があったんだね。
優しくされる価値がないと思っているのに優しさで包まれたら苦しいもんね。
そう言って私を傷つける事で自分を守ってたんだね。
やっと今、私はそのことに気が付けました。
だから、彼から言われた言葉を手放して、私が持っている優しさを受け入れようと決めました。
私の長所は優しいところ
私の短所は優し過ぎるところ
私は小さな子供の時から「優しい私」になりたくて、優しいを探し続けていました。
けれどそれはどこかにあって目指すものではなく、私の中にちゃんとあったんだね。ほーんと、遠回りしてきたね。
デフォルトで優しさ装備だったのだけれど、もともと備わっているものって自分では案外分からないのかもしれませんね。
優しいがフル装備されていたらどこかにあるはずのオプションを探してもみつかるはずがない訳で…
何しろフル装備だものね。(苦笑い)
もっと高みを目指せー!!と心にいる鬼軍曹に歯を食いしばらされて匍匐前進でヨロヨロしてたんだもの『優しいという価値』を認める余力もなかった訳だ!!
うん、そげですな!!
まだ少しくすぐったいけれど、私は私の持つ「私なりの優しさ」を大切に育てていこうと思います。
そしてその優しの幹をしなやかに太くし、私を助け、誰かの力になれるように大事に大事にしていきたいと思います。
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