私は私の道を、あなたはあなたの道を。一生懸命、愛せてよかった。ありがとう。
むふ。
むふふふ♡
そうなんですぅ~。(クネクネ)
すごく分かりにくいと思うのですが、光沢のある白い生地の上に、ものすごく薄いピンクがかった色の刺繍で『恋守』と書かれています。
先日、新潟のパワースポットと呼ばれている「弥彦神社」に行き、毎回「ど、ど、どうしよう…」とためらっていた『恋守』をとうとう授与していただいてきましたーーー。
わっしょい!
「恋守」って、いやほら、もう、まんまじゃないですか。(照)
縁結びのお守りなど、もう少しぼかされているというか、「ふわっと他のご縁」にも通じそうなものであれば、ふふーんと気軽に求められたと思うのですが、ドストレートなものになると、途端にモジモジしちゃうんですよね、私。
これって多分、私の持っている性癖(というか性質)が関係していると思うのですが、厨二的な下ネタはキャッキャできるのに、大人めいたアダルトな表現とか言い回しになると、途端に気を失って付いていけなくなる…と一緒だと思うんです。
本当は「恋を叶えて、チオビーとお付き合いしたい!」ってメチャクチャ濃厚に思っているのに、いざ「恋を叶えるお守り」を前にすると、照れてしまって手が出せない。
心の中で思っていることがバレるのが恥ずかしいんです。
誰が見ているって、神様と私と、授与品を授けてくれる巫女さんの「3つの光(っていうの?)だけのひ・み・つ」なのに。
っていうかー(急にギャル)、神様は心の中も思考していることも、ぜーーんぶお見通しなわけじゃないですか。
それなのに「キャー、見ないでー」ってやっているんですよね。
でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのっ!!!
あっ、まあねぇ~。
だって、いいなぁ~と思える人との恋が叶いますようにって、神様に託すくらいに「好きになれる人ができた」っていうことが、やっぱりとっても嬉しいんだもん。
乙女時代でもなんでもなく、もう妙齢の私だけれど、また誰かを好きになれたこと、好きな人のことを思って「乙女気分全開」で恋守りを手にして震えることができるなんて…
最高じゃないですかーー。かーーー。かーーー。(一人やまびこ)
授与所で恋守をじーーっと見つめ、恥ずかしさを飲み込んで「こ、こ、こ、恋守が、ほ、ほ、ほ、欲しいんだな!!」と一人裸の大将になりながら伝えたところで
ピンクと白のどちらになさいますか?
と言われて、これまた悶絶。
だってだって、ピンク色の恋守は、本当に柔らかくて乙女色で、手にしたら邪悪な私は溶けてしまいそうだし、かわいすぎてとってもじゃないけれど手にできない…。
でも白も「嫁入り」をどこか彷彿させて、先走り過ぎている感あると思われるんじゃ…?
などなどと、一人であれこれ妄想を繰り広げて呼吸が乱れましたが、私はピンクよりも白の方が好きな色なので、清らかで輝かしい純白の恋守を選びました。
巫女さんから授与していただいた真っ白の恋守を手にした途端、なんだかすごーーーく胸がふくふくと幸せで満たされて、ニヤケ過ぎないように唇を嚙みしめながらも頬がゆるむのを感じました。
私には「恋を叶えるお守りを求めるようなこと」は似合わない…って、今までずっと我慢させてきました。
恥ずかしいけれど、本当はこういうことをしてみたかったんです。
もう二度と、誰かを好きになれないかもしれないし、恋を叶えたいとお守りを手にするような気持ちにはならないだろうと思っていたのに。
また、恋が出来たこと。
好きな人を思って「やってみたかったこと」を自分のために叶えることが出来たこと。
いやー、遅れてきた「アオハル」を満喫させてくれている、愛しのチオビーには感謝しかありません。
私の世界に現れてくれて、ありがとう。
お礼に、結婚してあげていいよ。(← うわー、上から!!)
* * *
お弟子さん入りする際に「Facebook」のグループ機能を使うということで、アカウントを作成しました。
Facebookって『知り合いかも』と言って、アプリケーション側から親切に人を紹介してくれるじゃないですか?
Facebook上でお友達になっている人のお友達とか、期が違って直接面識がないお弟子さんとか、実際に私の生活圏内で知っている人というのは、今まで登場したことがなかったのですが、Facebookが昨日、何を思ったのか突然
●元旦那さん
●元旦那さんの現・奥さん
●元旦那さん絡みで面識のある知り合い
が『知り合いかも』というエリアに表示されて、ビックリ!!!
いや、知り合いって言えば知り合いだけれども…
今まで表示されたことなんてなかったのに、そういえば「10/31のハロウィン」は、私が離婚した日でもあるので、無意識のうちに何かしら引き寄せたのか…な??
ちょっとビックリしたものの、そのままFacebookを閉じた後は、もう別に『知り合いかも』に出てくることはなくなりました。
もう離婚してからも時間も経っていますし、突然現れた彼の情報にもっと動揺したりするのかと思っていたけれど、意外と大丈夫だったことに、どこかホッとしました。
もちろん、私が彼のことを嫌いになって別れたのではなく、私が振られてしまっての離婚なので、不意打ちで思い出すことになった瞬間はビックリもしたし、思いきり顔写真が出ていたので「あぁ…(ふふ)」って懐かしさと少しのチクッとした感じはあったけれど、でもそれだけでした。
それっきり忘れていたはずなのに、昨日、夢を見ました。
ふたりきりで海外挙式を挙げて以来、毎年12月の後半から少し長めの休みをもらい、バリ島に行くのが恒例行事でした。
夢の中では、バリ島の「部屋のドアを開けるとすぐにプール」というホテルに泊まっている自分がいました。(あぁ、懐かしい!!)
毎年行っていたので、お気に入りのレストランがあって、必ずそこに1度はディナーに行くのが恒例でしたが、そこではバンドの生演奏があり、お客さんのリクエストに応えて演奏する時間もありました。
私たちが滞在していたエリアは、バリ島の中心から少し離れた場所で、オーストラリアからの旅行客が多く、少しご年配のご夫婦が多かったこともあり、オールディーズなリクエストが多かったのですが、生演奏で聞いた『マイ・ウェイ』に、なぜか涙があふれたのを覚えています。
バンドの演奏に合わせて、伸びやかに歌う声がなんだか分からないけれどとっても染みたんですよね。
夢の中ではそのシーンが再現されていて、あの時の歌声と、食べながら涙が頬を伝う私を見て「なんで泣いてんのよ?!」と笑う彼の姿がありました。
懐かしいなぁ。ふふふ。
で、その後はまた夢がポーンと展開して、もうバリ島も彼も全然関係ない夢に変わりました。
生演奏ではないけれど、久しぶりにマイウェイが聞きたくなってYouTubeで聞いたら、夢で見たシーンをまた思い出すとともに、非日常でキラキラしているからこそ宝物になっている旅の記憶や、私にとって楽しくて幸せだった結婚生活の何気ないシーンを思い出しました。
心はつねられるようにチクッとはしたけれど、それ以上にあったかくて心地よかった、幸せいっぱいの記憶たち。
生演奏で聞いた歌は、シナトラが歌うようなカッコいいものではなかったし、英語だって私は分かっていないから歌詞の意味も分からなかったのに、私の中で「今まで聞いた中で一番素敵なマイウェイ」はあの時の、あのレストランでのシーン。
I’ve loved, I’ve laughed and cried
I’ve had my fill; my share of losing
And now, as tears subside
I find it all so amusing
私は愛した 笑い そして泣いた
存分に味わい 失いもした
そして今は 涙もおさまり
すべて楽しいことに思える
The record shows I took the blows –
And did it my way!
Yes, it was my way
振り返れば 色々あったが
私は私の道を歩んだんだ
そう それが私の道だった
マイウェイは、死を間近に控えた男性が、自分の人生で起きた様々な苦難も肯定して「これが私の人生・これが私の道」と言っている歌。
改めて歌詞(和訳付き)を見ながら聞いてみたら、なんだかとてもジーンとしました。
ほんとほんと、私も思いっきり愛した。
それは、結婚していた時の彼だけではなく、過去に失恋してきた全ての恋愛で、いつだって私は全力で好きな人のことを好きでいた。
一緒に過ごした時間は笑っていたし、ケンカもしたけど、でもやっぱり愛おしい時間だった。
色んな景色を、色んな時間を、愛した人と見ていた時間はキラキラしていた。
だから、失恋した時には泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、ボロボロになった。
マイウェイの歌詞にあるほどに「存分に味わった」かは分からないけれど、幸せはいっぱいに味わったのは確か。
いくつも失ってきたけれど、直近では「死が二人を分かつまでは側にいたい」と思った大切な人を、失った。
失ってからもしばらく全然立ち直れなかった。
そしてゆっくり、手を離した。
今、私の涙はちゃんと乾いて、愛した記憶は心の中で大切な宝箱に入ってしまってある。
失恋してから、涙が乾くまでの間に散々苦しんで泣いてもがいて、泣きはらした後に「楽しかった大切な思い出」だけを選別して宝箱にいれたんだろうなぁ。私、やるじゃん!!
失恋してしばらくの間は、いつかちゃんと「愛せてよかった」「楽しかったことだけを残しておいて前に進める」なんて思えなかったけれど、時間はお薬のように効いて、失恋を過去にしていける。
苦しい時期には、無理しないでね。
愛したんだもの。愛し続けたかったんだもの。
そんなに簡単には、前なんか向けないもんね。
それはおかしなことでも何でもないから、堂々と失恋期間を過ごしてね。
哀しむとは、愛すること。
愛したから、悲しみに包まれるのだから。
失恋したことで、自分をどうか嫌いにならないでね。
なーんて言いながら、私も自分を嫌いになったことがあるけれど、でも失恋は「タイミングが今じゃなかっただけ」「ただ一緒にはいられなかっただけ」「残念だけれど合わなかっただけ」で、どちらが悪いというものではないのだから。
失恋は何度経験しても、いつだってとっても痛い。
いくら「自分を嫌う必要がない」と言われたって、傷付くものは傷付くし、ね。
傷付いている自分を、泣いている自分を労わることだけをしてあげて、泣きたいだけ泣いて、泣いている自分の側にいてあげてね。
できれば、暖かい飲み物や暖かい膝掛や毛布にくるまって、優しい環境でいっぱい泣いてね。
マイウェイを聞いて、今の私は涙もちゃんと乾いて、楽しかった思い出を胸にして生きていると言えるようになったけれど、どの失恋もちゃんとつらかった。
だって、どの人も「好き」になった人だもん。
いい思い出も、二人だけで作った秘密も、誰にも見せない時間も、いっぱいあったから、つらいんだもんね。
失恋で出来た大きな心の傷や、ぽっかりあいた穴はすぐには塞がらないし、涙が乾くまでには時間がかかるけれど、でもその先にもちゃんと「あなたの道」はあるから。
私が希望して願って進みだした「私の道」ではないけれど、私の道は、やっぱり私に合っている私のための道でした。
あなたはあなたの道を。
私は私の道を。
愛した人と別の道を行くのは、本当はイヤだったけれど、でも大丈夫だった。
私の道にはまた、愛したいと思える素敵な人がいたし、ね!!
恋守を買っちゃう道が開けていたなんて、あの時涙に暮れていた私には思いもつかない道だったもんね。
あなたの道の先の、あなたの人生が豊かで幸せでありますように。
私の道の先の、私の人生も豊かであるはずだから。
あなたを愛せてよかった。
ありがとう。
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