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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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夢はいつか忘れた時に叶えたっていい。ライフワークはお金にならなくたっていい。

図書館から マミコちゃんが読みたい本 届いたでちよ~って 連絡がきたんでち。

今日も爽やかな春めいた晴れの日。
それだけでウキウキです。

私が暮らしているマンションの近くに「市の図書館」がある事を知り、早速あれこれ予約した本が届いたと連絡を受けて、借りていた本を返却するのにあわせて新しい本を借りに行ってきました。

電子書籍化されていないものや、欲しいものリストに入れて順に買うのを待っていた本を借りることができたのですが、全部買ったら6,600円!!
さすがにこんなにたくさんの本をポンポンとは買えないので、図書館で借りて読めることが本当にありがたい。

他にも気になっている本がいっぱいあるのですが、図書館で借りれるのを覚えたので「読書の幅」がうーーんと広がりそうです。(嬉しいなぁ)

借りてきた本

動物グリーフの勉強をして強く思ったのが「ロス」と呼ばれるお別れを経験した後の心の痛みや悲しみを軽減するために、もしも残された時間があるのならば

生前にやれる事や、お別れに向けての理解があれば、苦しみが少しでも和らぐのではないか?

という事。
どうにもならない理不尽な事はたくさんあるけれど、グリーフケアというのは「喪失してから」だけではなく、喪失前が実はとっても大事な時間なんだ!と思い、今は『看取り』に関する学びを始めています。

看取りに関するオンライン講座で マミコが勉強していたですよ

えへへー。
長期有給をもらっている間に、気になっていた講座に申し込みました!
オンラインで事前学習(決められたカリキュラム)を受講してからじゃないと本講座が申し込めないのですが、オンライン講座の視聴期間が1か月。

全10セットに分かれているプログラムなのですが、それぞれの単元で2~4の講座に分かれていて(1つ10分~20分)、時間をまとめて取らなくても少しずつ学べるのがありがたいのですが、私の場合は集中しないと「1か月あるし!」と見忘れることが想定されます。

なので、3月に入ると同時に申し込みをしていざ聴講!と思ったら、資料PDFがオンラインプリントのためのダウンロードができず…
事務局に問い合わせてようやく資料を揃えて動画を見ながら資料に書き込みをしたり、自分が個人的に気になった言葉や要点を参考文献で調べたり…と、思いっきり集中して学ぶ時間を過ごしました。

* * *

マミコが高校生の時にやりたかったことを 今、やれているそうですよ

本を読んだり、セミナー申し込みをして学び始めて、フッと思い出したのは

あれ?
これって私が高校生の時に「やりたい!」と思ったけれど諦めた事じゃない??
あれれ?
予想もしないタイミングで、思っていない形で、やりたい事に挑戦で来てるんだなぁ。

という事でした。
自分の意識の中からは「看取り」に関することは諦めていたことだったので、スコーーンと抜けていたんですが、やりたい事の種は、心の中に蒔いて置いた後で芽を出すまでに時間がかかったりするものなのかもしれません。

私は子ども時代、母が信仰していた「終末思想のあるキリスト教」の教えの中にいて、未来が来ることを想像できませんでした。
宗教から離れてうんと時間が経つのですが、どうやらその間に「預言」への解釈が変わり、終末に関する期限が変わったようなのですが、私がまだ小さな小さな子供だった頃には、私が成人になる前にはこの地球が『ハルマゲドン』という神の裁きにあい、紙の王国が支配する新しい「楽園」が訪れるという教えの中にいました。

私はその教えが怖くてたまらず…

だって、私は「知ってしまった」ので、もうあと十年弱の間に同じ信仰を持っていない大事な人や大好きな人が『滅ぼされる』のを見ることになるのです。
どんなにその人たちを助けたくても、その人たちが神様を信じてくれない限り、目の前で神の裁きで絶命するんです。

子どもは小さくて力もなく、考える力も大人とは違います。
「自律神経失調症」と診断されたり、手の皮がむけても手を洗うのをやめられなくなったり、三角巾で口を覆わないと空気が吸えない(手も空気も汚れているという恐怖)状態になったりと、私は精神的なバランスを崩してしまう事も沢山ありました。

中学生になると、少しは自分の恐怖に折り合いをつける事(見ない・考えない・現実逃避)を上手にやれるようになっていき、病的な恐怖症は克服することができるようにはなりましたが、私自身は所属していた宗教に対して信仰心が強い訳ではなく、信じ切ることができずにいました。
とはいえ、まだ私が保育園に通っている小さな時に母がこの宗教に出会い、そこで教えを受けて育っているので「神様」の存在はずっと心の中にありますし、その神様に背いた罪悪感はきっとずっとなくすことはできずに心に小骨が刺さったままなんだろうとは思います。

いつか大人になる前に、この地球が神の裁きにあう訳ですから、大人になったら「何になりたいか」などの夢を描くことが私にはできませんでした。
だから、中学3年生になって「進路」を決める時にも、私が選んだのは経済的に「ごく一般的なサラリーマン家庭」だったので負担がかからないようにと

・家から自転車で行ける学校
・公立高校

というのが選択肢でした。

私は英語と数学が壊滅的に理解できないので、おのずと「5教科受験」ができる公立高校しか受かる可能性がなかったのもあるのですが、家から自転車で通学できる範囲にあったのが

・新潟で一番頭のいい子が行く学校
・その次に頭のいい子が行く学校
・数字や数学が絡むであろう商業高校
・割と上位の成績を取る人が入る女子高

という4つ。

あはは。
進学校に入れるほどの学力はありませんから、おのずと上2つが消えます。
商業高校は絶対に「数字」で頭がこんがらがると思い、これも私が選べる学校ではありません。
最後に残された女子高も、私の学力では到底及ばず…ですが、なんとこの女子高には『専門学科』があり、そこならば頑張れば成績的にギリギリセーフと学力判定が言ってくるではないですか!!!

という理由で、専門学科を受験先に選びましたが

専門学科 = 目指してやってくる人も多い

ため、いざ願書を出してみたらまさかの倍率1.6。
あぁれぇ~
3人受験生がいたらそのうち1人が落ちてしまうような計算です。

そして見事、受験に失敗して私は「浪人」を1年経験しています。
あははー。見事に挫折です。

この挫折をきっかけにして、自分でコツコツと計画立てて勉強する楽しさを覚えましたし、おかげで1年遅れで高校に入学した際にも、実はクラスの中で上位8位内の成績をキープするという、小中学生の頃の「勉強が全くできない」私を払拭することができたので、挫折は痛かったけれど学べたものや得られたものも沢山ありました。

特段、入学した学科に思い入れがあったのではなく「自転車で通える公立高校」という選考基準だったので、卒業後の進路をどうするかは全く考えていませんでした。
ですが、学ぶことのコツをつかむことができたので「大学に行きたい」という小さな夢を持ちましたが、もともと経済的に裕福ではないので大学に行くならば県内で家から通えるところ…という条件で考えると、私がいる専門学科では受験のための科目も足りませんし(何しろ、英語はリーダー・グラマーに分かれていない「英語」でしたし、3年生になると「数学」はなくなります)、目標がないのに微妙なラインでいい成績を取る不思議な存在として在籍していました。

高校2年生になると、専門教科の授業が増え始め、週に1回(連続2時間)の『大学病院の先生が来て教えてくれる公衆衛生学』というものがありました。
すごく面白い授業というわけではないのですが、2年生の2学期になり、公衆衛生学の授業だけではなく「先生が出会う大学病院での命に関する話」を時々聞かせてもらう事があり、

命の授業

のような時間が幾度かありました。
そこで話される患者さんたちの話は、どれも正解なんてなくて、どんな選択も正解なんだという事を先生は幾度も言葉を選びながら伝えてくれました。

そこで先生から聞いたのが「ホスピス」の話で、先生に個別に質問をしに行った際にすすめてもらった『病院で死ぬという事(山崎章朗さん著)』は私の中で、夢を持つことになった1冊の本でした。

私はホスピスでただ話を聞いたり、ご本人やご家族の願いを少しだけでも形にするお手伝いがしたい。
看取りに携わり、その後の痛みにも理解を寄せられる存在になりたい。

とはいえ、看護師さんになりたい!!という強い動機があるわけではなく、看護ではなく「介助・介護」の側がやりたい事だったんだと思いますが、当時はそこまでよく分かっていなくて、私の学科では受験資格がないことや、高校浪人をしているので卒業後にまた浪人をして他学科を学ぶ…という選択肢も持てず、ただ「私のやりたい事」だけを見つけて終わりました。

マミコは普段、 全く関係ないIT系の仕事してますもんね。

そっそ!!

高校を卒業した後は、医療事務の勉強をして病院で一時的にお仕事もしたりしましたが、派遣のような形でしたしアルバイトやその時見つけた求人に募集して…と、特にコレだ!という感じで仕事を選んだわけではない中で、出会った人や置いてもらった環境に恵まれて、育ててもらってIT系の仕事を長く続けています。

そして、離婚を機にお弟子さん入りをし、そこでやりたい事を突き詰めたら「グリーフケア」を学びたいと新しくやりたい事を見つけ、さらに深く理解したい!が高じて「看取り」の学びを始めることにしたところで、

あれ?これって??

と、すでに忘れていた「私がやりたいと思っていたこと」が、随分と時間を経てから予想もしないタイミングで向き合えている事に嬉しい気持ちになりました。

ほーーんと、人生は何があるか分からない。
あの時の私には「無理」「出来ない」「叶わない」と思い夢をリリースしたけれど、もうすっかり忘れた今になって、ううん、きっと今だからやりたい事に向き合えているんですよね。

きっと、私にとっては「今」だったんです。
高校生がそのときではなかっただけだったんですよね。

私は今、ずっと知りたかったことを「学ぶ」ことが出来てドキドキしています。
じゃあ、ずっとやりたかった「夢」「ライフワーク」に手が届いたから、それが私の「仕事」になるのかと言えば、そうではないかもしれません。

現実問題、私はまだIT系の仕事を続けるまったく「異業種」の畑でお給料をもらうサラリーマンですし、今学んでいることを即座に看板として掲げて活動するわけでもありません。

ライフワーク ≠ お金を得る仕事

私がやりたい事をやれていて満たされていて、なおかつ人の役に立つことができて自分の喜びになれば、それでいいんですもんね。

私が知りたかった事・やりたかった事に、うーーんとまわり道したり時間がかかった後でたどり着けました。
これからここで、「なんの役に立つのか?」は分からなくとも、私がやりたかった学びを深めていけることが何より嬉しい。

諸事情があって、やりたい事や叶えたい事に「今」挑戦できないことってあると思います。
その時は諦めるしかなかったことを、またいつかのタイミングで叶えたっていいんです。

なにも「今」じゃなくても、後からでもいいんです!!

諦めてもっと別の新しく素敵な夢を叶えて行ってもいいし、やりたかったことをやれるチャンスがやってきた時にやり始めてもいい。
そう、なんだっていいんですよね。えへへ。

寄り道したり、気になるなぁ…に後押しされてみたら、私は高校生の時にやりたかったことを叶えることができました。
あの時に諦めた分だけ、今、学べている事が楽しくてニヤニヤです。

今日もこれから、借りてきた本を読んだり気になっていた課題について考えたりした後、夜は先月終わってしまった動物グリーフの「懇親会」にオンライン参加するので、また刺激をもらえそうでワクワクです。

わーい。楽しい事をして夢中になっていると、勝手に口角が上がっちゃいますね~。
うふふ、うふふ。

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