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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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選ばなかったこと、こうあればよかったのに…後悔と共に生きていくのが私たちだから。

最強寒波っていうときはタイチョピだったのに 昨日からドンドコ雪が降ってきてるでちー

先週からずっと恐れいていた「10年に1度レベルの強烈な寒波」は、私たち3魂+1ベコが暮らす新潟市では強風と少しの積雪で過ぎ去ってくれて一安心…

と思いきや!!!

昨日からボソボソとした雪がずーっと降っていて、大きな寒波が去ってからの積雪が急増中です。

とはいえ、12月に突然の大雪だった時よりは積もっていないし…と思っていたのですが、一晩明けても雪は収まる気配がなく、ってか昨日より勢いを増している感じで、どれくらい積もるのかなぁ~とハラハラしています。

幸い、私の職場では火曜日の午後(強風と雪が舞いだしたタイミング)から『全社員在宅勤務』というボスからの勅令のおかげで、どうしても危険が伴う雪道での通勤をせずに済んでいます。
※基本は在宅ですが、週1~2でのローテーション出社があります

雪が積もってしまうと、何をするにも時間がかかって大変なんですよね。
肉体的にも「雪かき」や「慣れない雪道での歩行や運転」で疲れてしまいますし、足元がやはりおぼつかないので予想外の事故もありますし…。
どうぞ、雪の多い地域の皆さんがご無理なく過ごせますように。

昨日のお昼の雪撮影に
駆り出されてしまいましたわ

東京に住む妹から「雪、どう??」とLINEが来たので、「結構積もってきたよー」と写真を送る際に、比較対象ではないですが、美千代にも協力してもらって写真を撮って送りました。

が…
私には写真の構図を考える脳の回路とか、写真のセンスとかが「ゼロ」「今世はそこは諦めて生きるとお空の上で決めてきたっぽい」ため、まぁ、分かりづらいことこの上ない。

妹からは「分かりづらいね…。そして、雪に美千代置きたがるよね(笑)とLINEが返ってきました。
あはは。確かに私、雪に美千代を置きがちです。

こういうのが「分かる写真」ですよね…

普段は在宅が出来ているのに、この日はどうしても出社しないとできない仕事があるとかで会社に行った真ん中の妹が撮った、昨日の夕方の新潟駅付近の写真。

こういうのが「分かる!!」という写真ですよね。
私の with美千代 な写真と比べて、全然分かりやすさが違って驚愕でした。

* * *

雪情報も交えつつですが、昨日は久しぶりに「自分では何でか分からないけれど気分が沈んで、なんか泣けてくる」というメンタル不安定な日でした。

このところ、サラリーマンの仕事があれこれ忙しくて追われていることで疲弊しちゃったかな…とも思ったのですが、それだけではない「突然、奈落の底に突き落とされたような悲しみ」に戸惑うオマミーヌ。

なんだ?!
これは一体…

と半べそをかきながらシクシクしていたのですが、仁くんを胸に埋めるようにして抱きしめた際に

あっ、痛っっっ!!!

と両胸がパンパンに張っていて、ぶつかったらキューンとした痛み。
心なしかお腹も膨れているような…むくんでいるような…

どうやら「排卵に伴うPMS」だったようDEATH。

いやー、在宅勤務で家にいさせてもらっているので”基本ノーブラ”で過ごしているため、全く気付かなかったよねーー。(在宅じゃなくてもノーブラだという都市伝説も…)
てか、PMSって急に来るじゃないですか。

私は丁度1年前の今頃(厳密には節分の翌日)に、子宮腺筋症のため子宮全摘をしたので、その後は毎月一度の生理とサヨナラしました。

生理痛もさることながら生理前のPMSにも悩まされ、薬を飲んだり治療をするほどではなかったものの、突然悲しみに襲われたり、お腹がカエルのように膨れてせり出して苦しくなる…を繰り返していました。

子宮は摘出しましたが、女性ホルモンを分泌させて排卵する「卵巣」は残っているため、PMS的なものはあるとは言われていたものの、私は子宮摘出後はPMSがめちゃくちゃ軽減されて、いつしか気にもならないくらいになりました。
生理がないため自分の女性ホルモンバランスの周期みたいなものすら意識せずに過ごしていました。

そんな状態だったので、自分に「排卵があってPMS的な症状が出る」ということがスコーーンと抜けていたんですよね。えへへ。

なので、仁くんを抱きしめて気付けたので、「あぁ、ホルモンのせいなら何しても勝てないな。今日はひたすらこの”得体のしれない悲しみ”に飲まれてじっとやり過ごそう」と、いつも以上に無理せずに過ごしました。
夜になってもまだ気持ちは底から浮上していなかったので、ブログもお休みしました。

一晩明けて、理由も理屈もない悲しみのような気持ちが完全に消えたか…というと、まだどこかぼんやりと物悲しい気持ちがくっついてはいますが、ホルモンのせいならばしょうがないですしね。
でも昨日よりはずっと回復して、こうやってブログまでかけています。ありがたやー。

* * *

忘れていたけれど、ちゃんと卵巣が機能し排卵があるから、久しぶりに胸が張って痛くなってPMS的な落ち込みやお腹の張りもあった。
実際には、生理があった時よりは1/3位のPMSで、全然かわいいものでした。

身体ってすごいなぁ。

私には子宮がないので、排卵してくれても受け止め先はないのに、生殖年齢が終わりにならない限り『可能性』を生み出そうとするんだなぁ。

排卵は新しい命を生み出すための大元です。
卵子が生み出せなければ、どんなに願っても赤ちゃんはやってきてくれませんもんね。

卵子があったとしても、赤ちゃんを育てるベッドである子宮がないと赤ちゃんは宿せません。

さらに、卵巣や子宮が「ある」と言えど、必ずしも健やかな状態で赤ちゃんを迎える準備ができるわけではないんですよね。

私は不妊治療はしませんでしたが、残念ながら子供を授かることはできませんでした。

自分の体に命を宿して、産み、愛おしんで育てることは私の今世では叶わなかったけれど、それでもまだ「体」としては子供を持つ事ができる年代だよー!と、命の素を生み出し続けているんだなぁ…と思ったら、改めて体ってすごいなぁと思いました。

そうそう!

私は過去に卵巣のう腫の摘出手術も体験しているのですが、私の卵巣にできた嚢腫は「皮様のう腫(成熟嚢胞性奇形腫)」で、脂肪や髪の毛、歯や骨などの『受精していないのに卵子が勝手に分裂しはじめて、なぜか中途半端に人体の一部を作ってしまう』というタイプでした。

漫画・ブラックジャックのピノコちゃんも、皮様のう腫から生まれているんですよね!

なぜ受精卵じゃない卵子が分裂するのかは、まだよく分かっていないようですが、それだけきっと『体は命を作って未来につないでいきたい』と思っているのかなぁ。

だとすると、とっても健気ですよね。

で…
生理がある=ホルモンの分泌で骨の強度や丸みを帯びた女性らしい体つき…とか、メリットもたくさんありますが、正直、めっちゃ振り回されるじゃないですか!!!

周期は人によって違うけれど、だいたいが1か月の間に1週間近く出血するのでめっちゃメンドクサイですし、個人差はあれどPMSやら生理痛やら、まぁ、本当に不自由ですよね。

正直、生理がなくて済むならそっちのほうがいい!!!

体は借り物というか「入れ物」で、魂がこの地球での人間生活を体験するためのものだ…というのであれば、入れ物は使っているうちに古くなって朽ちていくもの。

人生の中で子供を持てる時間は限られていて、閉経してその可能性がなくなると…

今度は自由が待っているって、すごいご褒美が人生の後半にあるんですよね!!!

もちろん、失うものもは小さなものではないけれど(骨ももろくなりやすいですし)、でも人生の後半は、生理というものから解放されてすごく自由になれるんです。

私は昨年の丁度今頃、子宮全摘をして生理とサヨナラしました。

子宮に対する思い入れは少ない方だと思っていましたが、やっぱり「1つの未来」「もしかしたら」を手放す訳ですから、少しは喪失感を感じました。

いやね、パートナーもいませんし年齢的にも「ありえないでしょ」という話なのに、それでも

「もう一個の可能性のあった人生」を生きることはないんだなぁ

ということは、どういう訳か心に小骨のようにチクッとしたものを感じさせました。

人生、色々あります。

諦めなければいけないことも、あっちを選んでいたら…と選ばなかった方を想像してしまうこともありますし、思い描いたような未来を生きていないかもしれません。

私だって、別に離婚をしたかったわけじゃなく、できれば彼と生涯を添い遂げ、ギンちゃんと仁くんと朗らかに今だって一緒に暮らしている未来を歩きたいと願っていました。

願っていた人生ではなく、別の道を生きるなんて想像もしていなかったけれど、それでも新しい人生にも慣れて、笑って生きています。

バツイチになって一人暮らしでパートナーもいない…なんて、別に「今の私」の姿を、私が望んでいた訳ではありません。

望んだものではなく、できればもう一方の「彼と結婚生活を続ける人生」を生きたかったけれど、叶わなかった。

あーあ、道からそれちゃったよ。

というものがあっても、人生は続いていきます。
どこかで折り合いをつけて、また自分を生きるしかないんですものね。

人生は後悔の連続だったり、隣の芝生が青く見えることの方がいっぱいです。
誰かに人生を狂わされたように感じたり、自分にだけはいいことがないように思えたり。

でも、後悔のない生き方が出来る人なんていないんじゃないでしょうか?
願っていた生き方しかしていない!なんて人も、きっといないはずです。

みんな何かしらの後悔や、痛みを感じて生きているんですよね。きっと。

であればね、自分の人生には「選べなかった別の道があって、それが羨ましいかもしれない」し、「あの時にこうしていれば…」と後悔で苦しむこともあるかもしれないけれど、

自分が生きている「今」をいかに乗りこなしていくか、いかに味わっていくか、いい面を見つけていくか…しかできないし、そうしないと自分がもったいないですよね??

後悔って、何を選んでもするものです。
だって、選ばなかった(選べなかった)方の人生を、私たちはどうやったって体験できないのだから。

手にしていないから、そっちがいいのか悪いのかなんて分かりえないからこそ、きっといいものに違いない?!もしかしたら?って思える余地がありますもんね。

どっちを選んでも・選ばなくても・選ばれなくても”後悔する”のであれば、どっちだって同じだ!!っていい意味で開き直って、ならば「自分が手出しできる今」をいかに自分が快適に過ごせる道にするかを考えた方が、きっときっと、人生は幸せ度が高くなるはずです。

無駄に前向きに生きる必要はないけれど、後悔や自分が手にできていないものとも『共存』しながら、その中で自分を少しだけでも楽にする考え方や行動を見つけていき、自分をほどいていけたらいいですよね。

それにね…

いつ人生が終わるかは分からないけれど、今はまだ『道の途中』です。

ゴールにたどり着いて初めて「あの時のあの選択が」とか「これで良かった」って振り返れるんですものね。
道の途中にいる時には、分からなくて当然です。

だから今は後悔するようなことであっても、それがどう伏線回収されるのかなんて分からないし、はたまた回収されなくても気にもならなくなっていくかもしれませんし、それは自分の人生の終着点について見える景色で分かることですもんね。

今を生きる。

私たちにできることはそれだけだから、いかにして自分のご機嫌を取って寛がせ、愛して、喜ばせてあげるかを「自分が今やれること」で与えていくしかありません。
悲しければ寄り添い、怒りがあれば共に感じ、後悔があればそれを共に分かち合い、そこにとどまり続けずに少しずつ自分を楽な方に導いて行くことが、自分と伴走する醍醐味なのかもしれないなぁ~と、少しセンチメンタルな夜に考えたことをツラツラとお届けしちゃいました。

あの人も、この人も、私も。
みんな「何かしらの後悔」を抱えて生きていくのですから、やり切れなさをカバーしてあげちゃうくらい、自分に優しく暖かく寄り添ってあげらてたらいいですよね。

さて!!
雪が気になるので、また美千代を伴ってベランダに行ってこようとおもいます。

あちこち寒い金曜日のようですから、みなさんも暖かくしてお過ごしください♡

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