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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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魔女フェス裏話(?)と、正しさを求め過ぎずにいていいと思った話

オシャレしたゾウさんが パオーンって言ってるでち

なんだかんだと日常(と、サラリーマンの仕事)に追われていて、気がついたら夜も更けて…そしてまぶたもくっついて…と、ここ連日ブログを更新せずに過ごしていました。

なので、今更感が満載ですが、先週末に魔女フェスのために上京しておりました。

魔女フェスでは「先行ご予約期間」にお申し込みをいただいた方に、3魔女セレクトのラッキーアイテムの1つがお土産になる特典をご用意していました。

魔女っ子のセンターである「チサ・ウォーターヴァイオレット」は、フェスの前に微笑みの国・タイに『ラグジュアリー旅行』に出かけ、タイの地からラッキーアイテムを空輸。

ご参加者さんのみならず、2魔女にも「鼻を持ち上げた開運効果のあるゾウ」をプレゼントしてくれて、私は大好きな水色をいただきました。

キレイな水色で可愛いサイズですね~

ねーっ。
水色最高!!

チサちゃんからも説明を聞いたのですが、鼻を上げている象は「幸せの象徴」とされているのだそう。
この象がきっと、ますます我が家に「幸せ」を招き入れてくれるはず。むほほ。

しかもね、飾っておくのに邪魔にならないサイズ感も絶妙なのですが、象の頭や背中に「かわいい飾り」のモチーフが描かれていて、オシャレな象なのもまた「オシャレ女子・チサちゃん」のセンスの光ることろ。

こんにちは。日本のラッキーアイテム
赤ベコの美千代と申します。

赤ベコは「魔除け」つまり、悪いものから身を守ってくれる…

ジャパニーズ・ラッキー・アイテム!

日本とタイのラッキーアイテム同士が、ここでご挨拶とは、感無量DEATH!!
もう、この先には、いいことしか起きないに違いない!!

3者3様のそれぞれが選んだラッキーアイテムを前にして可愛い会場で秘密の魔女会!!

いざ、魔女フェスが始まったら、魔女っ子同士のお喋りに夢中になってしまい「会場の雰囲気・イベントの景色」を3魔女全員が取り忘れる…という痛恨のミス。

なので、魔女フェス開始前の写真しかないのですが、3魔女それぞれに「きっとこれが届いた人を笑顔にしてくれるはず」と思いを込めてラッキーアイテムを準備しました。

私が選んだものは新潟のパワースポット弥彦神社のかわいいお守り

新潟のパワースポットと呼ばれる「弥彦神社」。

奈良の鹿ほどの数はいませんが、弥彦神社にも鹿がいます。

鹿は「神様の使い」と言われる動物で、当然縁起のよいもの!
しかもかわいいし…

はっ!
鹿と「しかも」を掛け合わせてしまった。痛恨のおやじギャグ!!

夫婦問題の最中に、離婚を受け入れよう…と揺れつつも、まだそんなには元気になれずにいた頃に、私もこのお守りを自分のために求めたことがあります。
(仲良しのお友達にもプレゼントして、お揃いでお守りを持っていたのが懐かしい)

あの頃は、また誰かを好きになることができるのだろうか?と、未来のことを考えるだけで気持ちが暗くなっていたのですが、「開運縁結び」の鹿がカワイイお守りを胸に

きっときっと、また出会える♡

と思ったことが時間差で叶い、離婚後に突然、私の世界に好きな人が現れてくれました。
片思いだけどね!!!

だからこのお守りは、私の中で「自分の希望に繋がる後押しを知れくれるお守り」として、魔女フェスのラッキーアイテムとして持って行くことにしました。

かわいい金色の鹿が、ラッキーアイテムを手にしてくれた方の幸せの「援護射撃」をしてくれますように。

ちなみに、サトヒーヌのラッキーアイテムは「小さな宝石」でしたよーー。
石好きなサトヒーヌらしい、素敵なセレクトだなぁ~とニヤニヤ。

お茶とお菓子を準備。
お楽しみ会みたいな雰囲気。

お菓子を詰め込んだ「お楽しみ会風の小袋」の他に、詰め切れなかったお菓子や、私が買ったものの食べきれずに持参したチョコや、近くの雑貨屋さんで「かわいい!」と思ったあひるの入浴剤なども持ち込んだので、それらを並べてパチリ!

この後で、ご参加者さんからの差し入れもあり、テーブルは賑やかになりました!!

魔女フェスでは、みなさんからそれぞれに「今現在のお悩み」「報告したいこと」「決意表明」などなどを自由にお喋りいただきましたが、お悩みには不思議な共通点というか

その場に共通したテーマ

のようなものがあって、それがサトヒーヌの魔女フェスまとめブログによると

『今の自分に抵抗せずに過ごす』というもの。

お悩みを聞きながら、思考がやいのやいのと騒ぎ立てますし、行動できない時にもどかしくて自爆したりしたくなるけれど、それらもぜーーんぶまるっと含めて「どうしようもない今」「どうにもならない気持ち」のままでいることの大切さを、改めて考える機会でした。

いやね、しんどいんですよね。
右にも左にも動けない状態のときって。
または、右にも左にも動きたくないし、動いて現実が変わることへの恐れがあるときも、モゾモゾして苦しいですしね。

私自身、自分が動けずにグルグルしていたときに陥りがちだったのが「どうすれば正しい選択ができるのだろうか?」というもので、間違いたくない!!と思い過ぎて思考ばかりが先回りして、悶々として動けなくなっていました。

これは今も根強くて、私は未だに「思考先回り派」「石橋叩きすぎ派」に所属していますが、先日ちょっとした発見がありました。

* * *

今週、職場で「ISMS認証取得のための研修会」というものがあり、まる1日かけてコンサルの方からISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)認証について学びました。

正直、何言ってるか全然分からない…

いやね、PDCAサイクルを回しましょう!とか、情報は適切に管理しましょう!という話なので、意味は分からない訳ではないのですが、認証のための基準となる文言や理解をするための話が、私の頭ではワケワカメ。

認証については「これをしましょう」「この基準を満たす社内ルールや運用をしていきましょう」という話なので、それはおいおい会社の上の人たちが決めたものが降りてくるのだと思うのですが、コンサルの先生が言われた言葉がとても印象的でした。

法律なんてコロコロ変わるものなの。
ほんと、よく変わるの。

話を聞いていてもワケワカメだった私ですが、この言葉でハッと気付くというか、思い出したのがアンパンマンの作者である「やなせたかしさん」の言葉でした。

戦争が終わったとたんに、正義の論理はあっけなくひっくり返ってしまったのだ。
正義はある日、突然逆転するものだと骨身にしみて思い知らされた。
(引用:明日をひらく言葉/やなせたかしさん著)

戦争を体験したやなせさんですが、それまで「これが正しい」「こちらが義だ」とされていたものが、敗戦と同時にあっさり覆る体験をして、正義は不安定なものなのだと実感されたのだそう。

私は「間違わないこと」「できれば正しいこと」を選択したいと思って立ち止まることが多いのですが、そもそも

正しいことの基準なんて、不安定で、その時々に変わるもの

なんですよね。

だってね、法律って「守るべき正しい基準」として制定されるものなのに、コンサルさんの言葉を借りれば「コロコロよく変わる」んです。

えっ??
それって、これまで「こっち側が正しい」とされていたことも、法律が変わることで「こっちでもいいし、てか、こっちの方が正しいことにするわ!」ってひっくり返ったりする…ということですよね。

なんかね、今までずーーっと「正しくあるべき」と思っていたけれど、その外側にあった「正しさの基準自体が変化するもの」だなんて、思ってもいなかったーーー。

もちろん、人間社会を生きていく中で『不変の正しさ』っていうものも存在しているとは思っています。

例えば、人を殺してはいけないとか、盗んではいけないとか、その手の事柄は守るべきことだと思っています。

が…
コレだってよく考えたら「情状酌量」という言葉や、立ち位置によっては「正当防衛」などで、どうにもならなかった…ということだってあり得るものだから、『絶対なる善悪』とも言えないもの。
戦争も同じように、どの目線やどの国にいるかによっても「正しい」として教えられるものが違っているんですもんね。

法治国家ですから、法律を犯さないことは大切な事ですから、法を無視するということではないのですが、外側で作られた「正しさの基準」は、法律と呼ばれるものであっても変わるものであれば、正しさにこだわり続ける必要ってないんだなぁ、って思えました。

憲法だって改正案というものがあるように、変わっていくもので「絶対的な正しさ」なんてないものですもんね。

間違わないことや正しさにこだわり続けるよりも、自分がどう行動したいかを「自分に問い続けながら決めていく」ことが、人生ではきっと大切なんですよね。

その「問い」の中には、自分の良心が痛まないことや、自分が大切にしている守るべき基準があって、それを大事にしながら自分らしい生き方をしていけたらいいんだもんね!と、頭がパンクしそうな難しい説明を聞きながら思ったおまみーぬなのでした。

それにね、間違わないことや正しさにこだわり続けた私ですが、夫婦問題を通して思ったのが

私はいわゆる「正しい側」(被害者ポジション)だったけれど、正しいことが幸せなんじゃないんだ、ということでした。

そして、自分の選択に自信もなかったし、間違った道や遠回りをしたりもしたけれど、今となってはそれらは『間違い』ではなく、『自分の人生には必要だったこと』だと思えるように変化している事にもビックリです。

人生万事塞翁が馬の話のように、事件の最中にいるときには「もう、最悪…」「オワタ…」と思うような出来事も、過ぎてしまえば「あれがあったからだ!」「あの体験が学びになった」に移ろっていくもの。

だから、人生において「間違う」ことのほうが、難しいのかもしれないですよね。

だって、人生を締めくくる未来の私は、きっと「あの経験が…」って言うはずだから。
渦中にいるときには、少しも「問題のおかげで私は成長している」なんて思えないけれど、そんな自分をいつか「そう思ってたけど、でもやっぱりあの経験が私を成長させたのよね~」って未来の私は言うだろうから。

間違いを恐れ過ぎず、もう少し軽やかに動けるようになりたい!

のが私の目標ではありますが、動けないならば動けない自分のことも否定せずに受け入れて大事に並走したいと思っています。

動けない時期にも意味があるから。
私はその時期を「地固め」だと思っています。
固く踏みしめた地があるからこそ、大きく飛べるはずですから!

動けても、動けなくても大丈夫。
どの時間にも意味がちゃんとあるのだものね。

さて、ここまで書いてきてどうまとめていいかワケワカメになったので、唐突にドロン!
ほな、週の後半でお疲れの身体を、上手に休めて明日を乗り切りましょうねーー。

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