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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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受け取れなかったのは「与えるふりしてクレクレなテイカーだった」から。ゆっくり「受け取る」準備ができればいい。

作りかけで熟成させておいたキルトを また再開したですね

少し前に「糸で描く物語展」という手芸の展覧会に行きました。

手放した人を思いだした時に、幸せを祈れる自分が嬉しかったこと
手放した人を思いだした時に、幸せを祈れる自分が嬉しかったこと
展覧会初日だった先週土曜日に、メチャクチャ楽しみにしていた「糸で描く物語展」という、刺繍・布・ファッションに関.....
https://many-smiles.com/about-me/wish-ex-husband-good-luck

ここ2~3年、手芸を全くしていなかったこともあり、久しぶりにかわいい手仕事を見たら「手芸熱」がウズウズ。

数年前に手を付け始め、ずっと針が止まっていて「熟成」してきたホワイトキルトを久しぶりにチクチクし始めました。

昨日は久しぶりにチクチクとキルトを下のですが、やっぱり楽しい♡

もっともっと…と続けたくなりますが、寝る前の「30分」と決めていたのでキリのいいところで終了。
ついつい楽しいからとやり続けてしまって睡眠時間を削っちゃうことがあるので、ちょっとずつだよ!と自分をなだめながら、時間を上手にやりくりして夜寝る前に隙間時間を作ってキルトもしていきたいなぁ~と思いました。

作りかけのキルトは、140㎝幅くらいの小さめのマルチカバーサイズ。
出来上がったらソファーやベッドなどの「ギンちゃんや仁くんが座る場所」にカバーとしてかけたいなぁと思っているものの、まだまだキルト出来ているのは1/5にも満たない感じなので出来上がりがいつになるか。

30分でキルト出来る範囲はそんなには多くないのですが、やはり糸を引いてプクッと模様が浮かぶのを見ると「おおーっ」と思って嬉しい気持ちになるんですよね。
また今晩も、キルト出来る時間があるといいなぁ。

* * *

今朝、仁くんとお散歩している時に「そういえば私は受け取るのが苦手…だけど、今はどうなんだろう?」とぼんやりとした問いかけが浮かんできました。

なにせ、今の私は「受け取る」というシチュエーションが少ないこともあり、はて??と思ったんです。

過去の私は、もうバリバリに「受け取り下手」でした。
どんな「ギフト」も全て見事にスパーンと打ち返し、与えようとしてくれた人を悲しませてきたのですが、その反面、「なんで私の欲しいものをくれないのよ?!」と拗ねていじけて、自分をどんどんこじらせていました。

「受け取る」というと色んなシーンがあるのですが、私は特に『パートナーシップ』では自分のややこしさを目いっぱい発揮していました。

パートナーって「とても距離が近くて、特別でな関係」ですから、親にもらいたかったものもぜーんぶ彼から満たしてもらいたくなってしまい、依存の欲求が爆発しちゃっていた気がします。
さらに「愛してくれているんでしょ?好きなんでしょ?」という思いもあったので、好かれていることへの安心感というあぐらもかいていたと思います。

いやほんと、歴代お付き合いをさせてもらった男性陣には、重ね重ね「ややこしくて・重たくて・めんどくさい私でごめんね」と思っています。

私は「恥ずかしい存在」「役に立てないと価値がない」などの無価値観やら、宗教的な罪悪感やら、子供の頃に勘違いして思い込んだいろんな自己否定がたんまりあって、自己肯定感が地中にめりこむくらい低い状態で生きていました。

だから、誰かから「必要とされること」で自分に価値があると思いたかったし、私に手をかけてくれる・愛情を向けてくれる・評価してくれることで『足りていない部分が満たされるもの』だと思い込んでいました。

で、当然ながら「与えたガール」でもありました。

尽くすことが好き♡
と顕在意識では思っていたのですが、単純に「無条件で与えたい」のかと言えば、私が尽くしたがるのは『尽くすことで役に立てる私』でいたかったから。

無意識のレベルでの話なので、私は「自分が与えるのが好き」だとしか思っていませんでしたが、与えるの『裏』にはこんな気持ちがありました。

勝手に尽くして与える
 ↓
役に立つ私は大切な存在(になれるだろう)
 ↓
こんなに役立つ私を手放したくなくなる(だろう)
 ↓
役立つから「愛情」という見返りをもらえる(だろう)
 ↓
私はこのままでは空っぽだから(価値がない)、私を愛して満たして欲しい

と、尽くすことで「彼の愛情をもっともっと欲しい」と奪おうとし続けていました。

ホント、純粋なギブではなく、取引をしていたんです。

しかも、相手が必要としているかどうかに関係なく、勝手に私が「よかれ」と思うものを押しつけるようにして与えるという『押し売り方式』で与えておいて、「こんなに与えてるんだからちゃんと私の欲しいものを頂戴よ!」と、彼から奪おうとして躍起になっていました。

しかもね、ここで私が『察して欲しい』という無理難題をぶつけるんです。

彼はちゃんと私に「ありがとう」って言葉であったり態度、時には私を喜ばせようと彼が考える物や時間を与えてくれました。
でも、私はそれを受け取らなかったんです。

「滅相もない!受け取る資格なんてないし!」みたいなことを顕在意識では思っていたけれど、無意識では多分全然違っていて…

「こんなんじゃない!」って受け取ろうとしなかった。

私が欲しいものと違う!
私をもっと満たしてよ!!
違うの、どうして分かってくれないの?

私は自分で自分を大切だと思えていなくて、いつも欠けた部分を埋めたいと躍起になり、足りない部分を「愛してもらう」ことで満たそうとしていましたが、『穴の開いたコップ』の状態だったので、彼から愛してもらってもそれは一時的に満たされた気持ちになるだけで、いつも『足りない』『もっと頂戴』と欲しがり続けていました。

彼も困っちゃいますよね。

私が「何かしら欲しい」というオーラを発している訳ですから、好きな人のことを満たしてあげたい!と彼なりに考えて行動してくれるのに、何かするたびに「結構です!!滅相もない!!」と受け取り拒否。
『そんなの受け取る資格がない』と言いながら、でも本心はきっと『違う!それじゃない!!もっと欲しいものを頂戴』って跳ね返していたんだと思うんです。

でもね、その『欲しいもの』が、自分でも分かっていなかったんです。

自分には何かが欠けている、誰かから満たしてもらうしかないはずなのに、誰も私を満たせない。
そんな風に周りの人に対して拗ねて怒っているばっかりで、自分で自分のことを見てあげることをしていなかったし、自分のことをちっぽけな存在として無視していたから、自分の求めているものにも気付かなかった。

いくら大好きな人であっても、その人が「何を心から欲しがっているのか」は、完璧になって知り得ません。
想像力を働かせて「こうだろう」と考えることはしても、それが果たして本当かどうかも分かりません。

だから、欲しいものは「私はこれが欲しい」「こうしてもらえると安心する」「こうされるのは嫌だ」と伝えなければ手に入らないのに、どうしてかそこを『分かってもらえることが愛されているという証拠だ』と思い込んで、ものすごく複雑にしちゃっていたんですよね。

いやーー、改めて書いてみて、自分がいかに「メンドクサイ女」だったかに恥じ入るばかりです。てへへ。

当然ですが、私が私のことを虐めてコップの穴をふさぐどころか大きく広げ続けている上に、私を蔑ろにしているので「欲しいと思っているものが何か」すら分からないのに、いつも乾いていて満たされなくて、足りない・足りない…と焦り、「お願いだから私の探しているものをちょうだい!私を満たして!」と彼に対しては無意識レベルでクレクレ星人のテイカーになっていました。

自分の渇きを解決させることも、自分のコップを修理するのも、自分に足りないものを補うことも、全部自分が自分にしてあげるべきことで、人から与えてもらうのを待っていたら「欲しいものが届かない時に不平不満」に変わるだけです。

もちろん、人から愛されていると感じるのは嬉しいことですし、素敵なことですから、それを求めるのは当然ですが、「人からの愛情がないと埋まらない」なんてことはないんですよね。

自分が自分を満たし、自分の声を聞いて愛してあげることで、自分が求めているものも分かっていきます。

自分がどうされることを望んでいるのか?
自分が何をしてもらえたら喜ぶのか?
自分が何をされるのが嫌なのか?
自分がどういう関係を作っていきたいのか。

そして、私自身がちゃんと満たされることで「与えないともらえない」というものも解消されていきます。
取引ではなく「純粋に与えたい」が可能になっていけるんです。

私がちゃんと満たされていれば、取引のように「与えるからちょうだいね♡」ということをする必要がなくなるから。

そして、欲しいものがあれば「これが欲しいな」って言っていいし、言わなきゃ分からないんですよね。
でも、欲しいものが何かに気付くためには「自分が自分を大事に扱ってあげて、自分の声を聞いてあげること」をしないと分からない。

だからやっぱり『自分が自分を愛し、満たす』『自分を大切にする』っていうのが大事なんだなぁ~と、改めて思いました。

さらに、ここには「自分が自分に対する思い込み」があったりもして、単純な話ではないのですが、受け取れなかったんじゃなくて「受け取らなかったんだ」って過去の自分のことを別の角度で見たら、めんどくさいけれど必死だった私のことを、これからももっともっと愛してあげようと思いました。

ってことはですよ?!

あんなに必死に「自立だから受け取れない」とか言っていたけれど、いや、それもあるとは思うけれど、自分が自分を満たせるようになったら、そもそも『欲しい』のハードルがうーーんと下がるんじゃないのかな??

誰かに埋めてもらわなくても、認めてもらわなくても「私が満たされて」いたら、与えてもらわないと困る!と思わなくなりますし、無意識レベルでの「こんなんじゃない!」がなくなるので、ニッコリ笑って「ありがとう」って言いやすくなるんじゃないのかな??

そもそも、無価値観とか自己否定が減っていけば、「こんな事してもらえる存在じゃないんで!!」と受け取り拒否する必要もなくなりますしね。

誰かからの見返りが欲しい時は、自分が自分を無視して欲しいものをあげていないサインなのかもしれません。
過去の私は、いっぱい与えてもらっていたはずなのに、自分の欲しいものじゃない!って弾き飛ばして、そして「やっぱり愛されない」という思い込みを強固にしていって、いやーー、こじらせまくっていました。

今でもまだこじれているけれど、ほら、人間だもの!!

完璧な人はいないから、こじれている部分があるのはしょうがないとしても、少しずつその「こじれているもの」を緩めて「軽いこじれ」にして行けた方がいいですもんね。

頭の中では言いたいことがあるのに、いざ文章にしようとするとワケワカメ…になってきて、自分でもゲシュタルト崩壊してきたのですが、お散歩のときに思ったのが

受け取り上手になるためには、まずちゃんと「自分が自分に与えて、理解して、テイカー(奪おうとする人)になるのをやめること」じゃないかな??

ということ。
自分が自分を満たせるようになることで、同時に「受け取ることも」できるようになるのかもしれないなぁ~と思った朝でした。

次のパートナーシップでは、メンドクサイ私ではなく「純粋に与えることも受け取ることも楽しめる、成熟したパートナーシップ」を楽しみたいからこそ、自分をもっともっと理解し、側にいて分かってあげて、満たせるようになりたいな!

ではでは、唐突にドロン。

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