幸せの理由を考えてみると、今「ある」が愛おしくなる ~どこを見るかで世界はきっと変わっていくものだから~
「極力外出を控えるべき」という言葉共に、高温予報で日本全国が真っ赤に染まっていたのを朝の天気予報で見ましたが、雨の被害のある地域も高温のようですよね。
豪雨に暑さに…と、想像するだけでも大変な中だと思いますが、二次災害に気を付けつつ少しでも早く日常を取り戻せますように。
私たち3魂の暮らす新潟も、お昼を待たずにもわーーんとした暑さで、風はあっても網戸からは暖まった熱風が入り込むため、今日はお昼前からエアコンをつけています。
朝6時前に仁くんのお散歩に出かけるのですが、それでも6時を過ぎるとジリジリとした日差しの強さを感じ始めます。
朝の20分程度のお散歩でもしっかり汗だくになり、シャワーをした後に冷蔵庫に冷えているスイカの美味しいことといったら!!
冒頭のギンちゃんの写真もこちらのスイカ単体の写真も、なんかちょっとブレちゃっているのですが、(さらにギンちゃんのつぶやきの「買った」が「勝った」で誤植ってるし)近所のスーパーで大きなスイカ反玉が880円というお値段で、こんなに食べきれるかなぁ~?!といいながらも買ってきちゃいました。
ほら、スイカって別腹でしょ??
私はそんなにフルーツに精通してないので、ブランドスイカに全く詳しくないのですが、色んな名前のスイカが出回っていますよね。
新潟だと「八色スイカ」というのを昔からよく目にしますが、最近ではメロンと同じくらいの糖度の「ルビームーン」という小玉スイカもあるようで、どんどんスイカも品種改良されているようです。
でねでね、私はスイカに対してメッチャ無知なので、「空洞果スイカ」と書かれているスイカも、ブランドスイカの1つなんだと思っていたんです。
去年も「空洞果スイカ」がリーズナブルだったので、何度か買って食べたのですが、どれもジューシーで甘くておいしかったので
空洞果スイカっていう種類のスイカが好きかも♡
と思っていたのですが、はて、なんて読むんだろう??と思って調べてみたら、これ、ブランド名ではなくスイカの皮の成長に果実が追いつかずにスカスカして「空洞化」しているスイカのことを指すようなんです!!
確かに中が実割れしているものも並んでいたりもしましたが、スイカってたまにそういうのあるよね~、というくらいで気にもしていませんでした。
どうやらスイカの株から最初に実るものに「空洞化」が起きやすいようなのですが、一番果なので味はいいのだそう。
ただ、実割れしているものは「見た目」がよくないので、高値がつかないそうなのですが…
えっ?
リーズナブルに美味しくたっぷり食べられるなら、全然よくない?!
と、ニヤニヤしています。
880円で買ったスイカも、空洞果スイカですが、特に実割れも見当たらず、糖度11と書いてありましたがそれ以上に甘く感じるジューシーでシャリシャリしている美味しいスイカでした。
冷蔵庫があまり大きくないので、小さくカットしてタッパーに入れて冷やしていますが、冷蔵庫の中に大きなタッパーが3段にもなってスイカが冷えているのを見ると、これまたジュルリと言いながらニヤニヤしてしまいます。
空洞果スイカはリーズナブルに買えるスイカだとはいえ、ひとり暮らしの私が880円のフルーツを買うって、なかなかの贅沢だったりします。
でも、ありがたいことに私は「スイカを買う」ことで家計がひっ迫する…ということはなく、食べたいものを買うことが出来ています。
あー、嬉しいな!スイカが買えた。
こんなに大きなスイカだから、今週1週間は毎日スイカが食べられて幸せだ。
とてもささやかなことかもしれませんが、自分がニコニコできる、自分が幸せだと感じることができるものを買うことが出来るお金があるってありがたいことです。
自分が働いている…とはいえ、働ける環境があって、会社から安定したお給料をもらっているから、自分のお財布の許す範囲で自分を笑顔にするものを買えるんですものね。
私は大富豪でもセレブでもなんでもないサラリーマンなので、もらっているお給料の中で使える「予算」というものがあるとはいえ、もうこれしかない!と切羽詰まった状態ではなく、今のところは毎月きちんとお給料が入ってくるとういう安心感が「ある」んです。
「ある」からこそ、今持てる自分の範囲内で選べる自由を選択して買うことが出来る。
これって私にとってはしみじみと幸せな状態なんだなぁ~と感じています。
上を見ればもっともっと「ある」人はいます。
羨ましくない…といえばウソにはなるけれど、自分に「ある」ものを見もせずに、よその芝ばかり見て羨んでいても楽しくはないですもんね。
いいなぁ~と思うことがあっても、今の私の身の丈の中に「ある」もののなかにある喜びや心地よさも無視せずに見つけてあげて、「わーーい」って笑える方が、幸せが広がって気持ちよく生きられるのではないでしょうか?
私は「独身」に戻ってきた頃は、誰のことも好きになれない…と心が渇いていた時期があって、それはとっても不安だったしつらいものでした。
だから、たとえ片思いで一方通行であっても、チオビーという好きな人が「いる」ということが幸せです。
心が潤って、ドキドキして、チオビーを思うとキュンと出来る。
私の日常に好きな人が現れた、ってなんてありがたいんだろう。なんて尊いんだろう。
望んで始めた独り暮らしではないけれど、離婚前から務めていた会社があって、自分一人でもやっていける収入をもらえる場所があったからこそ、こうやって3魂ライフをノビノビと続けることが出来ています。
毎月決まった額が「ある」と分かっていることで、私は大きな安心を与えてもらっています。
有り余るほどではなくても、不足はなく安心できるお給料がある。
今すぐに路頭に迷うことはなく、私が辞めると言わなければ働ける環境がある。
毎日の生活の中では「あー、仕事しんどい」って泣き言もたくさん言うけれど、泣き言だって「今、安定してある」から言えるものなんですよね。
これがもし、明日にでも働く場所がなくなって切羽詰まる状態だったら、心も思考も大忙しになっていて、泣き言どころじゃなくなっているはずですもんね。
880円のスイカが私を幸せな気持ちにしてくれましたが、その幸せをもっと分解してみると、そこにあったのは「スイカを買うことができるお金を持っている」「買っても困らない環境」という『ある』でした。
すごくいっぱい「ある」わけではないけれど、なぁんだ、ちゃんと「ある」んじゃない!
そして、「ある」ってありがたくて愛おしいことじゃない!
世界は自分が見たいように見るものだから、ないと思えば「ない」がいっぱり見つかる世界に変わりますし、あると思えば「あるから幸せ」だと思える世界に変わります。
自分が選べるならば、あなたは何を自分に見せてあげたいですか??
幸せと一緒になっている「ある」を意識してみると、色んなものが愛おしく感じられるので、ぜひぜひ、あなたの今日の幸せと共に「ある」ものを数えてみるのはいかがでしょうか。
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