おまみの歴史 ~辛い事から学べた事~
今日のお昼前、重たいファイルの受け渡しが在宅ではうまく行かずに短時間の出社をしてきました。
作業時間10分弱の、ちょっと作業してパッと消えるという感じの出社なので…
部屋着の上に薄手のコートを着て、着替えもせずに職場に行く
という、個人的には自堕落で悪い感じのことをやり遂げました。
もちろん、職場に入ってもコートは脱げません。だって、下はノーブラ&部屋着だから!!
えっへん。悪いだろぉ~。(← スギちゃん)
行き帰りを含めても30分にも満たない外出時間の間に、まさかのゆうぱっくさんが荷物を届けに来てくれていて、タイミング悪く不在だったため「宅配ボックス」に荷物を置いていってくれました。
マンションロビーにある共有の宅配ボックスなのですが、荷物を取り出すための暗証番号を配達員さんが設定していくのですが
4649(夜露死苦)というヤンキー風
で、なんとなーく楽しくも嬉しい気分になりました。
ほら、私は鬼畜生を目指しているから♡
ゆうパックさんが届けてくれたのは「乾燥に打ち勝つための加湿器」。
仁くんは「シューッ」とミスとが出るのを見て「武器でち。怖いでち。」と退散していきましたが、ここ数日、咳き込む感覚が短くなったり、寝ていても苦しそうに目を覚ましたりすることが多く、乾燥からくる気管への負担が少しでも和らげばいいと思い、通販でポチッと購入しました。
水曜日の夜にポチッたのに、もう届くなんて迅速対応に感謝です。
ねー。
機会なので運転音ってどうしてもしてしまうものだと思うのだけれど、とっても静かで安心しました。
耳を澄ますと時折水がちゃぽちゃぽいう音がしますが、それ以外で気になる音は全くしません。
私が買ったのは「エルズヒュミディファイアー」というメーカーの4Lサイズのもの。
もう一つ小さいサイズにしようか迷ったのですが、我が家はギンちゃんと仁くんのトイレの関係で、LDKと寝室の間の扉を常に開けているので加湿器も2台置きせずに1台で全体を潤わせられればいいよね?と「大は小を兼ねる」という事で10畳用の少し大きいサイズにしました。
加湿器をどこに置くか…はまだどうしていいものか分からず、とりあえずリビングの端で、私やギンちゃん・仁くんが一番長くいるソファーから近い場所に設置してみました。
カーテンからは30㎝、テレビなどの家電からは1m離すようにと説明書に書かれていたので、まじめに距離を測って設置。
お昼から稼働させて5時間くらいですが、仁くんは健やかに寝息をたてているので、ちょっとは乾燥が緩和されているのかな??
仁くんだけではなく、これからの季節の乾燥はおまみーぬのお肌にも攻撃的なので、加湿器設置で乾燥に負けず「うるおいを保ち」チオビーの気を引けるように…とヨコシマにニヤニヤしています。
* * * * *
突然ですが、知られざるおまみの歴史!として過去のことを少しお話させていただきます。
過去に「受験」についてお悩み相談をいただき、そこで少し触れているのでご存じの方もいらっしゃると思いますが
私は高校入試に失敗し、1年遅れで高校に入学しました。
そう、いわゆる「高校浪人」を体験しています。
多感なティーンの頃に体験した、とてもとても大きな挫折でした。
私の両親は父が県外で働いていた時に出会って結婚、しばらくは他県で暮らしていたのですが、父の仕事の転勤で父の地元に戻ってしばらく後にいろいろあり、父の実家に2階を増築する形での二世帯同居をしていました。
私が受験生になるころには大好きだったおじいちゃんは他界しており、祖母と両親・妹で暮らしていましたが、この祖母がとても強い人で、実の息子(父の弟)を絶縁して行き来がない…というかなりのつわものでした。
もちろん嫁いびりもしっかりしていましたし、頭も良くなくスポーツも秀でていない「パッとしない私」は、祖母からは「恥ずかしい・みっともない孫」という感じのことを言われたこともあります。
祖母は目に見えて価値のあるもの(学歴・経済力など)への執着というのものすごく、自分の息子たちを県内一の進学校に通わせて大学進学をさせているというのがどうやら誇りになっているようで、どの高校に通うかどうかはすごく重要な事として位置づけられていました。
ほんと、大人になった今思えば「しょーもな!」と思うのですが、長女だった私がどの学校に行くかについて、両親は散々祖母からなじられたようです。
結果、私の学力では県内一の進学校は逆立ちしても無理で、となるとその次の学力の共学校…と言われたのですが、もちろん無理。
そこで浮上したのが、その次の学力の女子高ですが、ハッキリ言っておきますが「私はお勉強ができないタイプ」なので、学力上位校への入学なんて全く持って合格判定からは遠い状態。
高望みもいいところです!!
ところが、この女子高には「普通科」以外の「専門学科」が2種類あり、そこは私がものすごーーーく頑張れば行けるかもしれない?!という事が判明し、中学3年の夏に志望校が女子高の専門学科に決まりました。(← すでに遅い感じがしますが…)
私なりに一生懸命勉強しましたし、頑張ったのですが「もともとがギリギリ判定」という状態だったので、残念ながら受験に失敗してしまいました。
滑り止めの学校も1校だけ受験票を出していましたが、私立の受験教科が「英語・数学・国語」だけという、私にとっては強烈に苦手な英語と数学のため、とてもじゃないけれど受かるレベルではなく、私は中学卒業と同時に「行く学校がなくなる」という体験をしました。
中学生時代の「1年」って、ものすごーーく大きな1年に感じていました。
先輩後輩というのがあって、私は1年遅れで高校に入学できたとしてもみんなとうまくやっていけるのだろうか?私だけが年上で周りから「先輩」とか言われちゃうんじゃないかとか、子供ながらに「ネガディブ全開」に悩み抜きました。
春に新しい制服、新しい環境に羽ばたいていく同級生たちが眩しくていっぱい泣いたなぁ。
浪人決定という事実があって、どんなに泣いてもわめいても、私は春から通える学校がないと分かっていたのに、過去を振り返っては泣く日々が数か月続き、私はこの時初めて「胃潰瘍」になりました。(子供ながらにすごくストレスだったんですよね。)
ひとしきり泣いて、吐いて、胃が荒れて散々な状態になった後、徐々に気持ちを立て直していきました。
中学3年生の夏から通わせてもらっていた学習塾の先生が「お値段そのままで毎日通って勉強しなさい」とご厚意で言ってくれたこともあり、予備校ではなく「学習塾」に毎日通う日々が始まりました。
塾のおじいちゃん先生からいろんな話を聞いて、計画立てる方法を学び、自分が立てた計画をこなして「達成感」を感じると、私の中で変化がありました。
それまでが全く吸収していないスポンジだったので、学ぶことがどんどんと吸収出来て、みるみる成績も上がり、自分が知らない事を知る楽しさに触れ、学ぶという事が好きになりました。
(決して勉強ができるわけではなく、知ることの楽しさを知った感じです。)
浪人をしていた1年間は、すごく悲しい気持ちや苦しい思いもしましたし、自分の中で「受け入れなければいけない現実」と向き合う事も必要で、とてもとても苦労したけれど、初めての挫折から、私はたくさん「得るもの」がありました。
今でも「学ぶ」「知る」という好奇心を持ち、それを楽しめるようになったのは浪人をしていた時間があったからです。
絶対に無理!と受け入れがたい現実に直面しても、ちゃんと気持ちを切り替えて向き合えるようになる事も経験しました。
だから、絶対どうにもならないことなんてきっとないよね、と思える力が持てました。(もちろん、問題や悲しみに直面したらしんどいですけれど)
今も良く使っていますが、私たちはダメだと自己採点していても、ちゃんと成長できる「伸び代を持っている」と、それまで分からなかった勉強が分かるようになり成績が伸びていくことを通して体験しました。
ほんと、うまくできない事って「この先にやり方を見つければぐんと伸ばせる未来の希望がある」ものなんですよね。
一番苦しかった「1歳年下の後輩たちとクラスメイトになる」という謎のプライドのようなものは、1年かけて消えて行き「希望した学校に合格できればそれでいい」とちゃんと手放すことが出来ました。
信じられないくらい緊張して1年後にもう一度受験をして、めでたく合格したときにはポロポロ涙がこぼれました。
本当に嬉しかった。行ける場所決まるって、とっても安堵しました。
手放したとはいえ、やっぱり1つ年上で浪人してしまった事は「負い目」のように恥ずかしい気持ちを持ってオリエンテーションにのぞみましたが、
なんと同じクラスに私と同じように中学浪人をした仲間が6人もいました!
私がリベンジして受験したクラスは、普通科ではなく専門学科だったため、どうしてもここに行きたい!という夢を持って受けてくる学生が多く、公立高校なのに倍率がかなりだったんです。
一番恐れていた「私だけが1つ年上」という状況はあっさりとなくなり、いざ実際に学校生活が始まってしまうと「あんなにこだわって悩んでいた年齢差なんて気にもならない」という事も体験できました。
悩んでいる時は大きいけれど、いざとなったら、ちゃんと順応できたりなんとかなるんだなぁ、って16歳の春に私は学ぶことが出来ました。
挫折や痛み、悩みや絶望は決して望ましい体験ではないけれど、その中で見つけられるものって必ず自分を成長させてくれています。
そして同時に、同じような涙を流す人の気持ちが理解出来て、寄り添える暖かさも身につきます。
私の名前は漢字で「摩美子」と書きます。
「ま」という漢字の中には「手」が入っていて、あまり見かけないマミコなのですが、とっても素敵な願いを込めてつけられた漢字であることを、過去に記事で紹介させてもらいました。
私たちはつまづいたり立ち止まったりした時に、そこで何かを掴んで前にすすめればいいんですよね。
傷だらけの手で、何を手にして未来を切り開くのか。
私はうっかりしているので、あちこちでつまずき、その度に泣きながら生きてきました。
つい数年前も大きく転び、この手で必死に傷を手当てし、涙をぬぐい、這うようにしながらも少しずつ立ち上がり、また「私を生きる」事を諦めずに進みだしました。
私の「手」は、同じようにつまずき、泣いているあなたの背中を優しくさすりたいと思っていますし、誰かを笑顔にして抱きしめるためにも使いたいと思っています。
どんな挫折も、絶望も、失敗も、そこからまた自分の手で大事なものを掴んで立ち上がれます。
でもね、それはとっても辛いからこそ、思い切り泣いたり励ましてもらったり、分かってもらえる場所で背中をさすってもらっていいんです。
辛い時は、無理しないでいいからね。
今、希望が見えない挫折の中にいるあなたがいても、本当に未来はどうなるかなんて分かりません。
未来はきっと、こんなに悲しんだ分だけ笑顔になれると信じています。
暗闇の中で、今、あなたは大きな何かを掴もうとしているのですもの!
あなたがどんなものを掴んで人生を輝かせていくのか、苦しいけれど、きっときっと乗り越えられるその日が来るから、その日まで、あなたの歩幅でゆっくりでいいからね。
私にも沢山傷はあります。
それでも今日、ちゃんと笑えています。
大丈夫!きっとあなたも大丈夫!!
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