自分の傷や痛みが『思い込み』になって、思い違いになっている「愛されている」があるのかもしれないと気付いた話
今日は週に1度の出社当番日。
通勤時間があるため、在宅勤務で仕事ができる日より30分ほど早く起きるのですが、今日はさらに早く起きて仁くんのお散歩に行ってこようと思っていました。
毎朝のルーティーンであるベットメイキングとギンちゃん・仁くんのトイレ掃除を終えて、顔を洗って基礎化粧と日焼け止めを塗った後は、ボサボサ頭を隠すべく帽子を被り、仁くんのお散歩用のバックに水を入れて…と準備し、仁くんにお散歩用のリードを付けていざ出発!と抱っこして玄関に向かおうとした時に
ザーーーーッ!
という強い雨音が網戸にしていた窓の外から聞こえてきました。
リードを付けて「お散歩気分満点」になっている仁くんを抱っこしたまま引き返し、窓から外を見ると、たった今まで曇っていたとは思えない強い雨にビックリ。
3分早く外に出ていたら、間違いなくビショ濡れになったはずなのですごいタイミングで濡れずに済んで助かりました。
今日は出社したので、仕事からの帰り道に『出社日特別ご褒美』をどうしようか?と考え、セブンイレブンのソフトクリーム(セブンプレミアムシリーズのワッフルコーン)が好きなので、それを買って帰ろう!と寄り道したら…
シュガーバターの木の春夏限定商品として「シチリアレモン味」があるではないですか!!
ショコラ部分にも生地部分にも「レモン」が使われているそうで、レモン味好きな私は、ソフトクリームではなくこちらを『今日のお仕事行ってきてエロイde賞』として自分にご褒美を贈呈しました。
今日の3時におやつタイムで食べようと思っていましたが、遅いお昼休みにバタバタと用事を足していたらおやつ時間をするっと過ぎてしまったので、今日のご褒美は明日の3時のおやつに持ち越しDEATH。
うふふ、明日はレモンのおやつが待っている~。
だからきっと仕事も頑張れる~。
話は変わり(← 何の脈絡もなく突然ハンドルを切るタイプです)、今日は少し照れ臭いけれど嬉しい出来事がありました。
所用があり、お母さんに『私が生まれた時間が分かるようなら教えて欲しい』とLINEしました。
私は朝の「4:55」にこの地球に飛び出して、生を受けたようです。
ずっと夜に生まれたとばかり思っていたので、朝生まれだった自分が意外な感じがしましたが、私が産まれたのはもう何十年も前のことだから、
例えば午前5時頃といった『ざっくしした時刻』
が返ってくるのかと思っていました。
どうやら「おおよそ」の時刻は覚えてくれていたけれど、やはり正確な時間は母子手帳を見て確認してくれたようですが、なんかね、その後に続く言葉がしみじみ嬉しくて、でもすごく照れくさくて。
私は3姉妹の長女で、両親にとっては初めての子どもとして産まれました。
長子あるあるだと思いますが、「赤ちゃん時代」の写真が他のきょうだいと比べても圧倒的に多く、アルバムにも祖父や両親のあったかいメッセージや添え書きなんかもあって、自分では全然記憶していないくらい子供時代に、うーーんと愛情を注いでもらっていました。
でもこれって、本当に記憶にないくらい小さな頃なので、思いっきり愛情表現をしてもらっていたことが思い出せないんですよね…とほほ。
そして下の妹たちが生まれると「お姉ちゃんなんだから!」と言われることや、両親だって人間で不完全だから感情的になって叱られたり、自分自身が誤解して受け取った出来事なども沢山あったりして、いつしか
私はお姉ちゃんなんだからしっかりしなくちゃ!
と勝手に自立しようとしました。
でもそれはね、私なりに「役に立てるようになってお母さんを助けたい」という思いがあったからなんです。
だから『小さなお母さん』になるべく、甘やかして抱きしめようとしてくれるお母さんの腕を勝手にすり抜けて、私なりに頑張り続けました。
私が「お姉ちゃん」としてお母さんの役に立ちたいと思ったのは、当時は勢いがありまくりだった『おばあちゃん』との問題を間近で見ていたこともありました。
いわゆる嫁姑問題なのですが、母が泣いている姿を見たり、当時は引っ越してきて間もなくて友達もいなかった母が、理解なんてできないのを承知で私に気持ちを吐露するのを聞いて、私がもっと何でもできるすごい子になったら助けてあげれれるのに!と子どもながらに思ったんですよね。(多分)
勝手に自立しようとして頑張ってバランスを崩すのは子供時代からのクセなのですが、いくら「お母さんを助けられる私になりたい」と思っても、まだ小学校低学年くらいだったので、勝手に頑張って潰れ、私は一時期心のバランスを崩しました。
異様なまでに手を洗う、物に触れることが出来ない(触れたらすぐに洗わずにはいられない)という、いわゆる『強迫性障害』の症状が続きました。
手を洗わずにはいられなくなった背景には色んなものがあり、原因はひとつではないのですが、私が「子どもらしく子どもをやれていない」ということを指摘してくれた人がいました。
それは、母と通っていたキリスト教をともに学んでいた仲間の方で、私より5つ年上のお嬢さんと3つ年上の息子さんを持つ「お母さん」でした。
私は「お姉ちゃん」が欲しかったので、5つ年上の彼女(名前を菊ちゃんと言います)が遊んでくれることが嬉しくて、菊ちゃんのことをお姉ちゃんとして慕っていたこともあり、ちょくちょくお家にお招きいただき、かわいがってもらっていました。
多分、私は菊ちゃんの前では「子ども」でいたのだろうと思います。
当時の私は小学校低学年で十分に子どもだったのですが、自立したり背伸びして「大人びた振舞い」をするのがデフォルトだったのに、お姉ちゃんとして慕っていた菊ちゃんや菊ちゃんのお母さんの前では、等身大の子どもとして振舞えていたんだろうなぁ。
とてもありがたいことに、手の皮がむけてもまだ手を洗い付ける私のことを、家族も周りの人も誰も「おかしいよ」とは言わず見守ってくれていましたが、菊ちゃんのお母さんが私のことを膝に抱き、ギューーッと抱きしめてくれて、こう言ってくれました。
いい子だね。
マミコちゃんは本当に、いい子だね。
そして、膝からおろした後で私のお母さんに「マミコちゃんをギューーッと抱きしめてあげている?お姉ちゃんとして頑張り過ぎているんじゃないかな?毎日1分でいいから、お膝に乗せて『愛してる』って言って抱きしめてあげる時間を持ったらいいんじゃないかしら?」と提案してくれました。
そこでお母さんはハッとしたようで、「ゆっくり抱きしめてあげていなかったね。ごめんね。」って泣きながら抱きしめられたのですが、なんだか居心地が悪いやら照れ臭いやらで、それからは毎日お母さんに「愛してるよ」と言われながら抱きしめられる度に、「もういいよーー」とその腕をすり抜けて逃げ回るのが我が家の日常の景色になりました。
そして、そんな「ハグされてすり抜けて追いかけっこになる」のが日常の景色になった頃には、私は執拗に手を洗うことがなくなっていました。
今日届いたLINEを見ていたら、あの頃の「抱きしめられることが恥ずかしかった」事を思い出したり、勝手に役に立ちたいと思って大人になろうとして奮闘し、出来ないことで勝手に無力感を感じて「役に立てない私は愛される資格がない」って、愛されてはいけないと思い込んでしまった自分の子供時代を振り返って、
あぁ、何だって勝手に誤解していたんだろう。
私はずっと愛してもらっていたのにね。
って、むず痒いような照れ臭い気持ちになりました。
おじいちゃんも、お父さんもお母さんも、妹たちも親戚も、ちゃんと私を「愛してくれている」事は知っていました。
でもね、その愛に応えられない自分、役に立てない自分、みっともなくて恥ずかしい自分、他の人より劣っている自分が「情けなくて」、愛される資格はない…って勝手にその愛にシャッターを下ろしていたのは、他でもない私なんですよね。えへへ。
私が産まれてきたことを、母は喜んでくれて「嬉しかったし、かわいかった」と思ってくれていました。
うん、知ってたよ。
でも、知らないふりをして「知りたくない」って逃げていたの。ごめんね。
でもね、今の私はいろいろ失敗して、転んで傷ついて、愛されたい!って思っていたことに白旗をあげて、自分のことを大事にしようって思えるようになったから、もう知らないふりはしないからね。
ありがとう。
私が産まれてきたことを「嬉しい」って感じてくれて。
私のことを「かわいかった」って抱きしめてくれて。
特別でも何でもない「出社当番日の午後」に突然大きな言葉のプレゼントをもらいました。
いやほんと、自分の考えでは思い付きもしないタイミングで、思いもしない方向から「産まれてきてくれてありがとう」なんて、全力で自分を肯定してもらえる言葉の贈り物をもらえるなんて、いつ何が起き得るかなんて分からないから人生は楽しい!ですね。うふふ。
照れ臭いけれど、思いっきり嬉しい。
ありがとう、お母さん。
私もあなたの娘になれたこと、心から、ありがとう。