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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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当たり前の日々が「奇跡」だからこそ。

ミモザとギンにーたんと仁イヌ

今日もまるで桜が咲く季節のような朗らかな一日でした。

すっかり忘れていましたが、去年のちょうど今頃、私は入院して手術を受け、退院してきたばっかりでしたが
入院する日も退院する日も、はらはらと粉雪が舞う寒い日だったのを思い出します。

おはらチョッキンを説明する仁くん

あ、あ、あ、ありがとう。
マミコちゃんのビヨキ(注:病気)の事を簡単にまとめてくれて…

えーと、分かりにくかったと思うのでざっくり説明すると
お酒のせいでお腹周りが太った…というのを認めたくなくて、

お腹が膨らむ魔法にかけられたの♡

と周囲に言っていたのですが
PMSに効く漢方でももらいたいな~と婦人科受診をしたところ『卵巣のう腫』が発見されて
あれよあれよと手術することになりました。

卵巣のう腫の診断書

※自覚症状は一切ありませんでした
※卵巣のう腫は命に関わる病気ではないのですが、ある一定のサイズになると摘出しかないそうです

▼その時の入院記録と私の気持ちはこちらから

入院していた時はまだ人妻だった

グサッ!(← 刺される音)

そうだよね。
この時にはまだ別居をしていて離婚はしていなくて、振り返ると去年はいろいろドラマがあった1年だったね。

私が入院していたのは「婦人科病棟」で、産科がない病院だったため入院している女性は私と同じような婦人科系の病気の方ばかりだけれど
夜になると、ご主人が仕事帰りに顔を出してくれて消灯までの間、クスクスとおしゃべりしているのが羨ましいな~、って少しだけ思ったのを懐かしく思い出します。

手術してもう元気

うん。元気いっぱい!
なんだけれどね…

卵巣のう腫の検査でMRIを撮った時に『子宮腺筋症』という子宮筋腫のお友達のような病気が見つかり
そのせいで生理痛が重かったり、出血量が酷い理由が分かりました。

とはいえ、これも別に命に関わる病気ではなく「お腹がポッコリする」程度の悩みなのですが
主治医だったおじいちゃん先生がボソッと一言

卵巣のう腫と片方の卵巣が少し未熟なことと
子宮腺筋症じゃ、子どもは難しかったよね~

※どうやら子宮腺筋症は妊娠するのに少しの障害になるようです
※これも自覚症状がないので、大きくなるまでまったく知らずに過ごしていました

おじーちゃんお欲張り発言

あはははは。
おじーちゃん先生は悪気があって言ったのではなく

きっと色々あったんだよね。
けれど、内臓的な問題で子供に出会う奇跡が私にはなかったんだよね。

って伝えたかったの思うの。(超・自己都合解釈による)

手術を控えていた頃には、私は別居をしていて夫婦としては壊れていたけれど
もちろん結婚してから壊れるまでの間は、とても楽しく幸せな時期もあったわけで
その時に少しではあっても「私達に子供がやってくる奇跡」がない事を考えた事はあります。

結婚してすぐ彼が「うつ病」になり、
それに向き合っていた事もあり、子供の事をあまり深く考える前に夫婦問題があった…というのも事実なのだけれども。(えへへ)

いつもいつも、何かにつまづくと思いだすのが
リリー・フランキーさんの著書である『東京タワー』の一節。

子供の頃に予想していた自分の未来。
歌手や宇宙飛行士にはなれなくても、いつか自分も誰かの「お母さん」や「お父さん」にはなるんだろうなぁと思っている。

しかし当たり前になれると思っていたその「当たり前」が、自分には起こらないことがある。

誰にでも起きている「当たり前」。
いらないと思っていた人にも届けられる「当たり前」が、自分には叶わないことがある。

難しいことじゃなかったはずだ。叶わないことじゃなかったはずだ。

人にとって「当たり前」のことが、自分にとっては「当たり前」ではなくなる。世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、自分にとっては「奇蹟」に映る。

歌手や宇宙飛行士になることよりも、はるかに遠く感じるその奇蹟。

大人の想う夢。
叶っていいはずの、日常の中ある慎ましい夢。
子供の時は平凡を毛嫌いしたが、平凡になりうるための大人の夢。

かつて当たり前だったことが、当たり前でなくなった時。平凡につまづいた時。
人は手を合わせて、祈るのだろう。

平凡はとても素敵なこと

平凡とか平穏なありきたりの毎日は、その中にいると気付かないけれど、もうすごく幸せだということを
平凡や平穏からつまはじかれたときに、痛いくらいに感じます。

他の人には普通に恋人ができるのに、私には出来ないとき。
他の人は普通に就職して仕事をしているのに、私はそれが出来ないとき。
他の人は普通にプロポーズされて結婚できるのに、私にはプロポーズどころかお別れを告げられてしまった時。
他の人は結婚して子供を産んで家庭を気付けるのに、私には赤ちゃんがやってこないとき。
他の人は結婚生活をうまく行かせられるのに、私にはそれが叶わないとき。

どこをみても「当たり前」に起きている事が、私にとっては「奇跡」のようにしか見えない時。
人は世界がグレーになり、道に迷い、途方にくれます。

私も何度も、平凡につまづき、当たり前の事が当たり前でなくなる経験をしました。
その都度、何かに祈り、何かに頼り、私は見た目には分からないけれど、背中に無数の傷跡を持って生きています。

そしてそれは、私だけではなく、他の人も同じだと思うんです。

哲学ギンタ

平凡が奇跡に見えるくらいの出来事がないと、人は自分の生き方が自分にあっていない事を気付けないのかもしれません。
けれど、それが起きたときに

やったー!
私の生き方が変わる時だね!

などと思える事はなく、ただただ当たり前の奇跡に憧れて涙します。

けれど、どんな所にも必ず光は差し、私も時間はかかりましたが過去に起きた辛い事を振り返って
問題があったから、立ち止まれたんだ…よね???という位までは言えるようになりました。

まぁ、まだまだ「起きた問題に感謝♡」なんて言えてしまう神がかった域には達せていないけれど、ね。

それでも、問題から色々学んだ後の私は、前よりも成長もしているはずだし
今まで見ていなかった世界が拡がり、また違う形の「平凡な奇跡」を手にすることができました。

つまづいた時、助けてもらった手はとても暖かく、その優しさは一生心を温める小さなキャンディのような大切な宝物になります。

私はつまづいたときに出会った、同じ悩みを持つ友達もできました。
それはとても大切な宝物です。

私はつまづいたからこそ、心理学に出会い、たくさんの仲間といろんな思いを共有できることができました。

つまずいたら、そこから立ち上がる時に
小さな何か「おまけ」を神様は用意してくれているかもしれません。

その「おまけ」はその先の人生で、大きな力になる素敵なおまけ。

あれれ???
今日は「お腹チョッキン」の振り返りをしていたはずなのに、脱線しちゃってあれれれれ??と言うことになっちゃいました。(えへへ)

私は今日、平凡で当たり前の奇跡の1日を過ごせています。
また明日も、ギンちゃん・仁くんと一緒に「あはは。えへへ。」と言いながら、当たり前の奇跡の1日を送れるようにと祈りを込めて。

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