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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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私は「優しい」を受け入れる。

青いお花買ってきたんですね

今週、我が家に飾るために選んだのは、よく飾っている白い可憐なマトリカリアと、初めてみたブルーのレースフラワー。

パステルっぽい優しいブルー

レースフラワーといえば白いものしか知らなかったので、ブルーに出会えてものすごーくウキウキしました。
お店の人が、まだ蕾が沢山のものを選んでくれたので、
きっとこれから順繰りに優しいブルーの花を次々に開いてくれるはずです。

ブルーレースフラワーの花言葉は『無言の愛』

言葉にすることがなくても、溢れる愛を大切な人に送り続けたい。
そんなことをふっと意識させてもらえました。

ゲーゲーしたけど怒らないですね。マミコ、優しいですよ。

ギンちゃんは冬毛から夏毛に変わる『換毛期』になり
少し神経質な性格もあり、グルーミング(毛繕い)が若干過剰な傾向があるため
ブラッシングや毛玉除去のお薬をあげていても、やはりこの時期はカポカポッとお腹に溜まった毛玉を吐き出してしまいます。

いくら猫ちゃんは上手に吐ける…とは分かっていても
やっぱりカポカポッと吐く姿は辛そうで、見ていると心配になってしまいます。

えーっと、私は心理学を勉強するようになって
「私の長所」や「私の魅力」について考えているのですが、どうしても納得できないというか、受け入れることを抵抗している要素があります。

それは…

私が「優しい人」だと言われることです。

マミコちゃんは優しいでちよ

私は元々、前に前に!とリーダーシップを発揮するタイプではなく
子供の頃から「ちょっとぼんやり」しているところも多く、周りの目が気になったり、自己主張を激しくできるタイプではありません。

そのかわり、周りに気を配ったり、周りの人のステキな部分を見つけることが好きだったり、できれば大切な人の役に立ちたい・笑顔になってもらいたい、という思いは強く持っていました。

そして、できれば私は「優しさ」を持つ人でありたい…とずっとずっと思い続けてきました。

小学校の卒業前に、授業の一つで同じ班の人たちの「長所」と「短所」をそれぞれ探し、みんなでシェアするという時間があったのですが
班の子たち全員が一致して伝えてくれたのは、こんな言葉でした。

「マミコの長所は優しいところ。」
「マミコの短所は優しすぎるところ。」

確かに長所は短所にもなり、逆にいえば短所は長所にもなるんですよね。
心理学なんて知らない子供なのに、ちゃんとそれが分かるなんて、子供の観察力って鋭いですよね。

子供の頃の私は、優しいということにそこまで抵抗はなく

そっかー。私って優しいんだねー。

という感じで受け取れたのですが、大人になって、結婚をして、離婚問題が起きた時に
私のことを否定する沢山の言葉の中で、とてもとても傷ついた言葉がありました。

お前は本当は優しくなんてない。
優しいふりをしているだけで、優しさを履き違えている。

お前の優しさは、人を苦しめる。
お前の優しさは人のためじゃなく「優しい自分に酔いしれるため」のものだ。

自己満足の優しさで、お前の優しさは見せかけのものだ。

離婚したい!と宣言した後に出てきた暴言はそれこそ沢山あって
女性としての尊厳を否定する言葉だったり、結婚するまで、結婚してからの時間、色んなものを拒絶するもので
その色々に、もちろん傷ついて泣いたけれど、私を深く深く傷つけたのは

私は優しくない、優しいふりをしているだけで、見せかけの自己満足でしかない

という言葉でした。

その当時、彼は私の知らぬところで浮気をしていて
罪悪感が強過ぎて、私を悪者にして自分を正当化しないと、自分がしていることで自分の心が潰れてしまうから、私のあれこれを否定したのだろうと
今ならばそう思えるので、言われた言葉は「罪悪感が言わせたんだよね」と言えるけれど
私はなぜか、優しくないという意見だけは大事に採用して、そこからずっと苦しむことを続けてきてしまいました。

私はずっと「優しい」自分を好きだった。
それは私の長所であり、私の個性だった。
けれど、それは偽物で、私は本当は優しくなんてなかったんだ。

彼が私に告げた数々の言葉の中で、他の人から見たら取るに足らないような言葉が、私をがんじがらめにし、どんなに頑張っても私は優しくなんてない、見せかけで嘘を付いているダメな人間なんだ、と強烈に思うようになりました。

だから「優しいね」と言われれると、全力で拒絶し
私なんて優しくないんです。嘘つきなんです。と、罪悪感をどんどん募らせ
だけれどやっぱり「優しい人」「優しさ」を持ちたいと願い続け、願えば願う程、それは手の届かないどこか遠くの誰かが持つもののように思い込んで行きました。

お弟子さんになり、仲間からのカウンセリングを受けると
みんな口々に「まみちゃんは優しいね」「優しさが魅力だよ」と言ってくれて
その言葉に、いつも泣きそうな私がいました。

私、優しさをちゃんと持てているのかな?
私の優しさは偽善じゃないのかな?
私の優しさは、誰かを傷つけているんじゃないのかな?

そもそも、優しいって何だろう?

学び始め、自分を癒し始めた最初の頃は、何度も何度も「優しい」という言葉を受け取ることに抵抗感があり、自問自答しました。

私はありがたいことに周りの人に本当に恵まれていて
可愛がってもらい、沢山の優しさをおすそ分けしてもらえています。

みんなが優しい。
それがものすごく嬉しい。

ということは…
心の世界では、私に見えるものは『投影』で、わたしにも優しさがあるから見えるのだ、と。

ねぇ、もう私は白旗をあげてもいいんじゃないかな?
ねぇ、私は本当は「優しい人」でいいんじゃないかな?

私は「優しいって何?」と分からなくなっていたけれど
それはきっと、私の中で「優しさ」というのは『当たり前過ぎる事』で、当然のように備わっているから、それ以上を探せないんじゃないのかな?

とはいえ、まだものすごーーく心の中の抵抗は強いけれど
そこはあえて「修行」として、自分が優しい人だというのを受け入れる努力をしようと決めました。

私、どうやらちゃんと優しい人(なのだそうです)。
私の長所、自慢できるところは優しい所(なのだそうです)。

かっこの部分は、私の心の中の抵抗だけれど
なのだそうです…から始めてみようと思います。

私は、人や動物に寄り添う事が大好きです。
そしてそれは、私の魅力だと疑っていません。
そしてもう一つ、優しさには自信があります(ということにします)。

あぁ、いつかそう遠くない未来に、かっこ書きの思いが取れて
自分の優しさを胸を張って自慢できる日が来る…よね???

自分のことは全然自分では見えない。
自分で自分に呪いをかけて苦しんでしまうなんておかしな事だけれど、それでもやらかしてしまうのが、人間なんだものね。

私も抵抗しつつ、けれど私が伸びやかに生きやすく日々を過ごすために自分に向き合っている最中です。

もしもあなたも、私と同じように自分に自信が持てなかったり
自分の生きづらさで苦しんでいたら
自分では見えない「自分の魅力」を私と一緒に探してみませんか?

どうも私は「優しい」(みたい…)ので、あなたに優しさをもって寄り添うことができそうです!

あぁ、それにしてもなんだって受け取ろうとするとザワザワして抵抗しちゃうのだろう???
ほんと、心って複雑で不思議だわ!

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