みんなと違う私でもいい! ~自分のために思いついた言葉をチマチマと書きとめています~
過去に何度も「今年こそは!」と手帳を新しく準備して書き始めるものの、見事に1か月くらいで挫折してきたため、ある時からもう
私と手帳は相性が悪い
と分かり、手帳を買わずに生きることにしたのですが、昨年末に『悪性腫瘍かもしれない』と思ったときに、今の自分の気持ちを吐き出したり、感情の揺れ動きを残しておきたいと思い、日記のように使える小さな手帳が欲しい!とお迎えした「ほぼ日手帳」。
ほぼ日の中でも「細長い」タイプ(ほぼ日weeksというタイプ)なので、日々のことを書く面積が狭いことに加え、一週間ごとに設けられているノートスペースの量が丁度良くて、気負わず気楽に書き込めるので、予想外に日々、手帳に気持ちや気付きを書いています。
手帳をしっかり書こう!
ではなく、私は手帳が「続かないのが基本」だから、ちゃんと使いこなせなくて当然…という自己認識(のようなもの)があった上で
歯抜けになるのは想定内。
気持ちを書きたい時だけ書ければOK。
スッカスカ上等!
と思って購入したので、気負いが全くなく楽に向き合えていたのが「逆」に続けられることにつながったようです。
いやはや、本当に「Very Good」ではなく『Good Enough』なほど良く充分というのを目指すのが大事だなぁというのを、手帳を見ながらしみじみ感じています。
とかなんとかいいつつも、力まず「出来ても出来なくてもいいや!」とすべてに対して言えるわけじゃないですし、一生懸命やろうとして出来ない自分がいても「頑張ろうとして素敵」だし、どんな自分でもいいんですけれど、ね。
とはいえ、力まずやれる方が「ゆとり」「余裕」がある分だけ気負わず向き合えて、長続きしたり走り続けやすいのは確かです。
だから少しずつ、目標についてもゆるめ設定ができるように考えて行けたらいいなぁ~。
* * *
さて、この「ほぼ日手帳のノート部分」はフリーで好きなことを書けるので、思いついたらパパッと書き込めてとっても便利。
手軽ってほんと、大事なことなんだなぁ。(しみじみ)
つい先日書きとめたのは、こんな言葉でした。
ちょっと漢字を書き間違えているのを、なんとなーく誤魔化している部分もあるのですが、それくらい手軽で適当なのも、誰かに見せるのを意識せずに「自分だけ」の手軽さがあるから!(← という言い訳)
いやでもね、誤字があるのが私だから!!!(謎のドヤ顔)
誤字と言えば、マミコ。
間違ってもそれっぽい漢字風にして逃げ切るのが、イッツア マミコ・スターーーイル!!
書き込んだのは、ギンちゃんから学んだ出来事。
サンシャイン池崎さんでお馴染みになった「芸能人が保護猫預かりのボランティアを行う」番組がありますが、あの中でしばしば出てくる…
大多数のネコちゃんが喜ぶ、腰トントン。
ネコちゃんの気持ちを代弁してくれる(?)「ねこのきもち」にも、大多数のネコちゃんが腰トントンを喜ぶと紹介されていました。
過去に「腰トントンが喜ぶ」と知って、ギンちゃんの尻尾の付け根の部分を優しくトントンとしたら、激オコ!!
で、その後も私のやり方がうまくないのだろう…と、思い出してはトライするものの、何度やってもオコ。
その後はしばらくトライすることはなかったのですが、少し前にテレビでネコちゃんが腰トントンされているのを見て、時間も経ったし、あの頃とは違って腰トントンが好きだったりして?!と手を伸ばして腰をトンとしたところ…
腰トントンされるの、まじでイヤ!!!激オコ!!!(by 銀太)
トントンどころか、トンの段階でシャーーッと怒り声を出しました。
大多数のネコちゃんが「好む」ものであっても、それが嫌いだというネコちゃんだっているんですもんね。
そして、一般的とか多数派ではなかったとしても、別にそこに当てはまっていないからイケないなんてギンちゃんは1㎜も思っていません。
「ヤダ!!」「それキライ!!」ということを、シャーーッと唸り声をあげて表現しますが、後になって怒ったことに罪悪感を持つとかそんなこともなく、嫌だということを伝えたらそれで終わり。
みんながこうだから…に当てはまらなくてもいいし、みんながいいと言うものでも、自分にとって心地よくないなら「違う」「イヤ」ってちゃんと自分の嫌いを認めたり伝えていい。
私の好きや心地よさは、私が感じるもの。
人と違っても全然OK。
(私の手帳に書きとめた言葉)
違う・嫌い、ということを常に伝える必要はないかもしれませんが、自分がそこで居心地の悪さを感じていたり、伝わっていないことで相手が良かれと思って行動しているのであれば
私にとっては喜ばしいことじゃない。
私はこうされること、こういうのが苦手なんだ。
と自分の「嫌い」を伝えることで、相手に届けることも時には有用です。
それはまるで、ギンちゃんが「シャーッ(嫌い)」と表現するのと一緒で、あくまでも伝えるだけ。
責めるとか、何かを相手に強いるのではなく、『私が』それを好まないことを伝えるだけ。
例えば食べ物の好き嫌いなんかも、私はコレが苦手なんだよね~と伝えておけば、事前にメニューを考える際に嫌いなものを省けたりして助かるじゃない?
それと同じように、あの人はこういうのが好きじゃなかった、と気付くことでお互いに無理なくストレスを感じない行動がとりやすくもなりますもんね。
全部を伝えるとか、言わなきゃイケないということでは決してないけれど、自分の中に湧きあがった「これは嫌い」という思いがあったら、それは自分だけは見てみぬ振りをしないことが大事。
自分の感じる「快・不快」は、自分だけの大事なもの。
大多数が感じている「多数派の喜びや快」であっても、自分にフィットしないものであれば、それを無理して感じようと自分に押しつけたら、自分がギュッと委縮しちゃいます。
私には合わない。それだけ。
私にとっては、別の方法の方が好き。
大多数と同じじゃない自分だけど、それが私。
私の好きや心地よさは、私が感じるもの。
だからどんどん、自分にフィットする好きを見つけて心地よく自分を生きるためにも、大多数がいいというものにトキメキを感じない自分がいても、「おお、そうか!」ってニヤッとしながら自分の好きに敏感になりたいなぁ~。
もちろん、大多数の人が好きだと思ってるものと同じものが好き!という自分だっていっぱいいます。
人と一緒もいっぱいあるし、人と違うこともいっぱいある。
それが私だし、だからこそ愛おしいんですもんね!
ちなみに…
私は大多数の人が普通に着用できる「ブラジャー」「ブラトップ」などが大の苦手です。
ちょっとだって締め付け感があると、苦しくて全神経がアンダーバストに集中して1日持ちません。
人と違う自分だけれど、これが…
マミコ・スターーーーイル!!
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