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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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「疲れたーーー!」って言う日に、自分にかけたい優しい言葉

強欲マミコちゃんが爆誕でち!

仕事復帰を果たして、2週目に突入。

長くお休みをいただいていたので、今まで「当たり前」の速度でやれていたことも、ヒーヒー言いながらペースを取り戻す感じの1週間を経て、今週からは体もようやく慣れてきた感じがあります。

が…

長期休み期間中に「こういうのんびりと家を整えたり、好きな時にお茶したり、本を読んだりお料理したりという生活が理想だなぁ~」と知ってしまったので、そんな未来が来るといいなぁ~と願いつつ『今』できることをできるだけ自分にとって快適にやれるようにして行こうと思っています。

ほら、今感じていることが未来を作っていくわけですし。

「こうなったらいいな」という思いがある『今の時点』では、そうじゃないから願うんですもんね。

つまり、今の時点では「ない」「不足」を感じているので、それを感じ続けていたらこの先にも「欲しがるばかりの現実」が待っている…し、叶えたい未来を描いたとしても、現実化するにはタイムラグだってありますもんね。

えっ?
そんなところから叶うの??

という、自分では思いつきもしない展開で叶うことがあったとしても、そうなる前までの時間は、叶うかどうか分からない「待ち時間」を過ごすわけですし。

今の自分が感じていることが未来を作っていくものになるならば、今ある現実を少しでも心地よく感じたり、自分なりに達成感や満たされた感じを増やしていければ、その先の未来だって心地よいものに変化していくのだろうと思うんです。

仕事も「ほどほど」をOKとすることで、できない・足りていない・ダメだを味わうのではなく、充分だ!を感じていこうと思っていますし、どうしたら「今の仕事」を少しでも楽しめるのだろうか?を考えるようにしたいなぁ…というのが、今の私の目標です。

そしてね、今の私は「サラリーマンの安定した仕事」があることに救われているので、いつか仕事をしなくても『私が休養中に描いたような生活』ができるようになるまでは(どうやったらそうなるかは、いわゆる天にお任せ状態です)仕事を続けるつもりですが…

●業務内容が変わることで、サラリーマンの仕事が楽しくなってもいいし
●働き方が理想の「フルリモート」になってもいいし

と、今のサラリーマンの仕事を続けながらも、「悪くない」になれたら、それはそれでもいいんですよね。

…と思っていた所で、原則週2のローテーション出社だったのを、私だけ週1の午前だけにしていたのを週2にするように上長から指示があり…

ちょ、思ってたのと違うやんけーーー!!(偽関西人)

と来週から「火・水」が出社になるという展開にショックを受けていますが、『案外こっちの方がバランスがいい』になるのか、『いや、フルリモートがやっぱり本音だわ!!』と気付き直すのか、まずはいったん受け入れて実践してみるか…と肩を落としつつも受け入れようと思っています。

でもね、ショックだしガッカリだし、なんでだよー!嫌だよー!!という気持ちは湧いてきます。

そういう気持ちは、抑え込まずに「そうだよね」「嫌なものは嫌だもんね」と、暴れている間は側にいて分かり続けてあげています。
そのうち凪いでいくまで、自分なりに納得や落としどころを見つけて受け入れていくまでは、無理やりに気持ちは押さえず、時間がかかってもいいからモヤモヤとも手をつなぎながら行こうと思います。

思いがけない嫌なこととか、望んでることと真逆な「そんなのいらないよ!」という現実が起きたとき、それが後に『あの出来事があったのが転機になった』と言う自分がいるなんて思えないですよね。

でも、数年前の私は「夫婦問題」が起きたことで、自分と向き合い、自己肯定感を育めるようになりたいと真剣に取り組み、結果として自分との関係を変えて「自分の一番の理解者」になることができました。

起きて欲しかった出来事ではないけれど、あの出来事がなければ自分と仲直りなんてできていなくて、生きづらさを感じたまま、罪悪感や犠牲することで愛されようとして自分をすり減らせて、周りからも雑に扱われるのを当然として受け入れていたと思います。

山頂で見たい景色を見るまでには、山を登る時間が必要です。

登山中は「まだまだつかない…」と不安になったり、疲れ切って「もうヤダ」と歩みを止めたくなったりもします。
思いがけない悪路で気持ちが萎えることもあるでしょうし、心地よい風や景色が見えて笑顔になれたり、見たことない鳥や植物に出会う素敵な体験もするかもしれません。

山頂までの経験があって、だからこそより一層、山頂に辿り着いた瞬間の達成感や喜び、そこで見る景色が染みるのでしょうし、感慨深い大切な思い出になりますよね。

でね、きっと山頂でこう言うんです。

山登りしてきた時間があるから、ここにいることが一層味わい深い、って。

あの経験が、あの体験があったから、ここにいることができるんだ、って振り返ったら言うはずです。

通過してしまえば、過去を振り返って肯定できるようになれるけれど、通過中の「現在進行をしている今」は、ただ苦しかったり、ただわけわからないことと対峙しているだけだから、味わい深さなんて感じるどころじゃないですよね。

今はただ、必死になるしかできなくても、その「今」の私がいてくれることがスゴイ!って自分をちゃんと評価してあげながら、望む未来のためにできることをコツコツとやっていく。

『今』できること、として私が取り組んでいることについては、長くなりそうなのでまた改めてブログを書けたら書きたいと思います。

…で、話があっちこっちに飛んじゃいますが、冒頭の仁くんを置き去りにしていたのを思い出しました。えへへ。

仁くんが「強欲マミコが爆誕」と言っていますが、昨日は出社当番日だったので、帰り道にご褒美として強欲にパインを丸ごと1個買い、カットしてみたら大きなタッパーがぎっしりとパインが埋め尽くされて、見ているだけでうっとり。

こんなにパインがあるーーー。
うれしーーー。
またフルーツでタッパーをいっぱいにしたーーい。

と、贅沢な欲が新たに湧き上がりました。
フルーツで大きなタッパーを埋めるなんて、欲深くて素敵よね♡

休養明けから、少しずつリズムを取り戻しているとはいえ、やっぱり休みとは違って仕事をするのは疲れます。

在宅勤務の方が望ましいけれど、出社当番日もありますし、出社すれば疲れ方は全然違ってクタクタになります。

他の人から見たら「当たり前」にやれることであっても、私にとっては力を入れて頑張ってやることだったり、疲れを感じるものならば、自分をしっかりと労って、ご褒美をプレゼントしたり休息をしっかりとるのも大事!!

寝る前に『はーーー、疲れたーーー』と思わず声が漏れるということは、それだけ自分なりに一生懸命に生きた、一生懸命に過ごしたという証拠。

頑張りの量は、人と比較する必要なんて一切ありません。

「私が」疲れた。
「私が」一生懸命だった。

だって、頑張ったり一生懸命過ごしていたから疲れたんだもの。
疲れたというのが、何よりの動かぬ証拠じゃないですか!!

今日を頑張ったことを誰よりもよく知っているのは、自分自身です。

自分だけは、自分の一生懸命さや努力、頑張っていたことを認めて評価してあげなくちゃ。

お疲れ様。
頑張ったから疲れたよね!!
今日の私も、すごく素敵な私だったよ。

疲れた私に、優しい愛情の言葉を添えてあげて、お疲れ様!と届けながら眠りにつけますように。

* * *

追伸:
来週から「週2出社」となりますが、上長に相談して…

両日ともに、午前中のみ出社して作業。午後から在宅OK!

のイレギュラーな許可をもらいましたーー。
ありがたい!!

希望が通るかどうかは別として、自分がお願いしたい事や希望を「伝えてみる」のは大事ですものね。
そこで、状況や相手の判断で『望みが通る』かどうかは分からないけれど、大前提として「伝えないと分からない」ですから、自分の希望はできるだけ伝えるようにしよう!と思っています。

結果、ありがたい折衷案を受け入れてもらえていることにも感謝です。

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