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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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「食べるは生きる」だと思ったことと、「当たり前だと思えること」がすごいのだと思ったこと

入院のお金の お手紙きたでちねー

今日も2月とは思えない暖かさ!!

うれし~!と同時に、目がかゆくてシバシバするし、鼻がグズグズするのは、暖かさとセットで花粉もいっぱい飛んでいるということなんだろうなぁ。

ギンちゃん・仁くん・私の3魂は、入院前日の夜から実家に身を寄せています。

予想よりずっとスムーズに動けるようになっているので、もうマンションに戻ってもいいのですが、あんまり早く帰ってしまうと、かえって周りの人に気を使わせてしまうので、もうしばらく「上げ膳据え膳」状態で甘えさせてもらう予定です。

というのも、今回は「甘える・助けてもらう」を旗印とし、何でも自分でやろうとしない…を練習させてもらう予定でいました。

入退院の送り迎えのお願いの他、コロナで15分のみと制限されている面会にも来てもらい、使用済みのタオル類を持って帰ってもらうなどの「お願いごと」をするつもりでいました。

がしかし、私が予想以上に早く退院できることになり、面会の機会を逸しました。チーン。

・入院当日 … 病院まで送迎
・2日目 … 手術当日で動けず(面会は午後時間のみで午前中は不可)
・3日目 … 尿カテーテルがあり動けず
・4日目 … 日曜で面会時間が短いため、平日で調整
・5日目 … 翌日退院が決まったので面会不要
・6日目 … 朝、病院までお迎え

さらに今回、コロナが流行っていることから手術中の病院待機も不要で、手術が終わるまで家で待機。
術後は先生から電話で手術説明が来ることになっていました。

私のことを気遣ってくれているからこそ「何かしてあげたい」「役に立ちたい」という両親や妹の気持ちがある中で、予想外の形で『あまりお願いすることがない』という状況でした。

帰ってくる場所を用意してくれていること、私の大事な「家族であり仲間」であるギンちゃんと仁くんを預かってお世話してくれることが、めちゃくちゃありがたいと思っているのですが、「体を休ませられるように」「無理しないように」手を貸したい!役に立ちたい!と思う気持ちも、受け取りたいし大事にしたい。

だってきっと「逆」になって、両親や妹が手術や入院をしたら、あれも助けたい!これもしてあげたい!!と思うはずだから。
そして、何もできないとガッカリしちゃうと思うから。

予想より体の痛みが少ないことから、こんなにダラダラ甘えていていいのかな?という気持ちが湧きあがったりもしますが

受け取ることや甘えることも、愛のひとつの形

だと思うので、上げ膳据え膳生活で骨抜きゆるゆるの日々をもう少し続けさせてもらおうと思います。

のんびりさせてくれて、ありがとう!!

* * *

2月と言えばまだまだ寒い日が続き、家にある観葉植物たちの水やりも土の状態を見ながら1週間から10日に1度くらいで大丈夫なのですが、予想外の高温続きで、今日は水やりや換気のためにマンションに行ってきました。

郵便受けを確認したら、入院の請求書が届いていました。

お世話になりました。

高額療養費制度の証明書を提示しているので、ある程度の予測は立ちますが、個室利用などもあるので「おいくら万円」になっているのか、ドキドキ。

入院期間6日、手術、個室利用や病衣レンタルを合わせて

総額:104,666円でしたーー。

思っていたよりお安く済んでビックリ。
内訳を見たら、個室料金が安価で「3,630円」でした。(めちゃくちゃありがたい!!)

退院時に会計のスタッフさんから、次回診察時に請求書を持参で支払ってOKと言われていましたが、請求書をよく見ると「2/29」が納入期限。
私は月をまたいで次月が診察日なので、次回診察時ではアウト。

なので、マンションでの簡単な作業を終えた後に病院へ寄ってお支払いをしてきました。

お金もお支払いが終わり、また一つ区切りがついた感じがします。
後は次回検診で病理結果を聞き、少し長めにいただいている休養期間が終われば社会復帰。

ちょっとずつ「当たり前」を取り戻している感じが嬉しい!!

* * *

去年の冬の初め、まだ自分の体の中に大きな腫瘍があるとは思っていなかった時期から、食べることに不調がありました。

毎日の「食べる」は、喜びと幸せにつながっていると気付けたことと、山の9合目の少し先まで辿り着いた話
毎日の「食べる」は、喜びと幸せにつながっていると気付けたことと、山の9合目の少し先まで辿り着いた話
ただいま「絶賛激務中」なのですが、そこに被せるように動物グリーフの認定講座の『発表当番』が重なり、一時は講座の.....
https://many-smiles.com/about-me/9th-station-of-the-mountain-and-meal

最初は、過去の手術で腸が癒着して動きが悪くなっているのではないか?ということで、腸閉塞を起こさないように気を付けるようにしました。

不溶性食物繊維は、腸の動きが弱っているときには詰まりやすくなると言われ、食べるものを自主的に制限するものの、なかなかお腹のハリが良くならず。

お腹のハリに加えて、胃が押されるような感じがあり、食べると苦しい…という状態で、一回で食べられる量が減り、こまめにチョコチョコと食べるのですが、食べるとやっぱり胃が苦しくなり、だんだんと食べる楽しみが失われていきました。

その後、腸閉塞ではなく「巨大卵巣腫瘍」が腸や胃・膀胱などを押しているのが分かりましたが、分かったところで食べたときの苦しい感じは変わらず。

結果、体が少し瘦せたため「あれ?腫瘍も小さくなってきた??」と思っていましたが、むしろ育っていてビックリ。

手術前後は絶食期間がありましたが、食べる量が減っていたこともあってか、苦痛を感じずに過ごすことができました。

術後初めての食事

手術を終え、まだベッドの上で色々な管につながれているときにそっとみぞおちからおへその方に向かって触れてみたら、今までポコッとせり出していたお腹が消えてペタンコになっていました。

ここまで押していたのかーー

とビックリしましたが、今まで体の他臓器を押しのけるようにして膨らんでいた腫瘍がなくなったことで、腸がグルッと動いたりお腹もグーッと鳴って、絶食の最後は少しだけ「お腹すいた~」と嬉しくなりました。

術後最初の食事はお粥と柔らかいはんぺん、くたくたキャベツのお味噌汁、やわらかく炊かれた白菜と人参。

もりもりペロリ!と行きたかったのですが、胃腸がまだうまく動いていないようで1/3程食べるのがやっとでしたが、ふかふかのはんぺんに染みたお出汁がジワーーッと口の中に広がったときに、何とも言えず泣きそうな気分になりました。

おいしい。
食べれるって、嬉しい。
お腹がすくって、嬉しい。

細かくカットされた桃の缶詰が最高でした!

お昼ご飯はトロトロした魚の煮つけ、里芋の柔らか煮。
やはりあまり量が食べられないので、一口ずつをじっくりしっかり味わいました。

朝と同様、1/3量でギブアップでしたが、デザートのヨーグルトと桃の缶詰は完食!!

シャリシャリとして甘く、口の中で柔らかくほどける桃がとってもおいしくて、桃缶最高!と拳を突き上げちゃいました。

夜はふわふわ触感のミートローフと、くたくたに煮てあるアスパラ。
少し粒の感じられるゴロっとしたポテトサラダは食べ応えがありました。

やはり1/3量くらいしか食べれなかったのですが、1日を通して「食べる」ことで力がみなぎっていく感じがありました。

点滴はまだ外れてはいなかったけれど、口から食べれずに点滴だけだった時と比べると、食べれるだけでずっと「生きている」実感がありました。

自分の口で食べれるって、すごく大きなことなんだなぁ。

お粥がゆるゆるから硬めに!!

食事ができるようになって2日目。
とろっとして水分の多かったお粥が、水分少なめの硬めのお粥になりましたーー。

食べるに加えて、嚙む力や消化する力も必要になる食事。

昨日よりさらに、食べることで元気になっていく感じがありました。

退院前の朝ごはん

常食になる前に退院が決まったので、病院で「普通食」を食べたのはこれっきりでしたが、退院前の朝ごはんは

しっかり食べれる。
生きる力を蓄えている。

と感じられて、普通のごはんを食べるってすごいことなんだ!!と感動しました。

* * *

入院中の食事も、退院してきてからの食事も、どうやら食べれなかった期間に胃が小さくなったことと、腸の動きがまだイマイチでハリがあるため(病院から下剤を処方してもらっています)、あまり量は多く食べれていません。

でも、食べたいものはいっぱいあって、おいしいと感じて食べられています。

当たり前のようにお腹がすいて、当たり前のように固形物を食べるって疑わずにいるけれど、食べれるってそれ時点で「状態がよい」んですよね。

病気以外でもメンタルが激しく落ちてしまうと、食べる・眠るといった「生きるための基本的な行動」に不調をきたします。

時に「あー、食べるのが面倒だなぁ」なんて思うこともあるけれど、面倒だと思えるくらい体や心が健やかな状態だということでもあるのかもしれません。

生きるというのは、積極的な行動です。
食べるというのも、自分を生かすために行う積極的な行動。

ただ命をつなぐために食べるのではなく、「味わって、楽しみ、喜びを感じて」食べることができるのは、不調や不安がないとき。

あー、お腹すいた!って言いながら、パクパクと食事がとれるのは、生きている何よりの証。

そしてね、生きているってすごいこと。
すぐに生死に関わる病気ではなくとも、病気をして「食べること」を楽しめなくなって、食べるは生きるだ!と強く感じました。

当たり前だと思うことって、やっぱり「当たり前」なんかじゃないんです。
当たり前にできるくらい「順調」なんです。

当たり前の今日は、それだけでマル!!

それに気付けるのはいつだって、当たり前が当たり前ではなくなって「手を伸ばしてつかみたい」と思うときなのが残念だけれど、ね。

当たり前に食べることが普通になる頃に、きっと私はまた「当たり前」をそれだけでマル!って思う感覚が鈍くなるだろうから、自分がいつでも大事なことを思い出せるように、自分のために記録として…。

あっ!
昨日のブログで書きましたが、私はただいま「柑橘大ブーム」のため、今日も食べたことのない柑橘を買ってきました。

スイートスプリング

という八朔とみかんを掛け合わせた品種のようで、ずいぶん前からある品種らしいのですが、私は初めて食べました。

みずみずしくて甘くて、一気にトリコになりました。
あぁ、おいしいって思って食べれるって最高!!!

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