季節が巡るように、自分にも「冬の時期」があることとそこでどう過ごすかについて
自分が大切にしておきたい言葉や、ハッとした言葉をまとめておく『自分のための魔法の呪文の書』なるノート作りを趣味としているオマミーヌ。
昔からシール類が好きだったのですが、もういくつか持っているのに買い足すのは「無駄遣い」だ!と我慢させて、本当に欲しくてもグッと諦める…というようなことを数年前までやっていました。
そして、ガマンして買うものだから
もったいなくて使えない
という貧乏性を発揮し、だから逆に「宝の持ち腐れ」になり、使っていない古い文房具がたくさんありました。
先月の誕生日を前にした仕事の休みの時間を利用して、明らかに色が変わってしまったものや全くときめかないものは処分をし、まだ使えそうだけれどこの先自分が使うか分からないものは実家に持っていきました。
妹や母が日常使いする他に、母のクリスチャン仲間の小さなお子さんたちに使ってもらえることになり、少し荷物がスッキリしました。
残ったものは、ここ数年で手軽に買ったものたち。
自分に過度なガマンをさせずに、軽やかにご褒美やプレゼントして買ったものだからか、以前とは違って割と気軽に使えているんですよね。
文房具を入れておく専用スペースを決めているのですが、いらないものを処分したおかげでスペースが大きく空いたので、これからまた自分が軽やかに使える「本当に欲しい」ものが少しずつ増えていくといいな~と思っています。
以前とは違って、購入してそのまま寝かせる…ということはないので、いい感じに「使って・足して」と風通しの良い感じになるといいな~。
自分への誕生日プレゼントに「無形のものとしてはマッサージ」をプレゼントしたのですが、それ以外にも、好きなノート作りをより好きに楽しむためのアイテムとして、シール類を厳選してポチッとしました。
ずっと気になっていたもののお店では出会えずで、「通販でわざわざ買うのもなぁ」と思っていたのですが、誕生日だもの!!と、ニッコリ笑ってポチリ。
「自分への誕生日プレゼント その1」と書いてある通り、もう一つ気になっているメモ帳があって、それは誕生日後が発売日だったので「その2」として先日ポチリました。
今日には届くかなー。ワクワク。
* * *
私は毎年、会社の年度替わり付近で「ドンッ」と気分が落ちることを繰り返しています。
それに加えて、季節もこれから徐々に暗くて寒い冬に向かっていくこともあり、つられるようにして気分も下向きになりがちな時期。
仕事に対する気分の落ち込みに関しては、自分なりの発見もあったので、また別のブログを書く予定なのですが、実は今年の春くらいから気分が滅入りがちというか、頑張ろうという意欲がわかずに「低空飛行」の状態が続いています。
私はだいぶゆるんできたとはいえ『自立』であることに加え、体力がないくせに『マグロ女子』で、動くをの止めたら死ぬ…と何かしら動こうとする性質があります。
当然ですが自立の先には「燃え尽き」が待っているので、類に漏れず…。
去年1年、自分のキャパオーバーをしていることには気付いていたのに、見ない振りして乗り切ろうとしたら、やっぱりちゃんと燃え尽きました。
燃え尽きて灰のような状態の自分のことを、以前だったら否定して嫌っていたはずですが、
何においても私に寄り添う
が自分に標準装備されていて、自分に対して「燃え尽きちゃったねぇ。」「これはしんどいよね…」「がんばれないねぇ」「落ちた状態から、いつ浮上できるかねぇ~。ヨシヨシ。」と側で理解し、
灰の状態でもいいんだよ!
といつだって言ってあげられて、自分を嫌わず大事に扱えるようになったことが、すごく大きな変化だなぁ~と、思えたのは力のない日々でのニッコリの発見でした。
が…
燃え尽きているのはやっぱりしんどいものです。
気持ちだってどうしたって沈みがちですし、ね。
燃え尽きて力のない日々の中では、思いきり足踏みをしている状態で、もどかしいし、ネガティブ寄りの思考にもなるので考え事も暗くなりがちでした。
自分を思いやり、自分をとことん受け入れ、すごく生きやすくなれたのに、また燃え尽きるのか…
と思うと、ガッカリしましたが
頑張れないときは、頑張れない自分に優しくしてあげたい!!
と思い、ひたすらじーーっと側にいて自分の背中をさすり続けました。
じーーっとしていながら、ある時フッと思えたんです。
螺旋階段を1つ上の段まで登ってきたら、変化していても見える景色はそんなに変わらないからなぁ、って。
問題が起きて変化しようと思ったり、今までの生きづらさから楽になれるように自分との関係性を良いものに変える努力をしている時間は、階段を上がっている期間です。
『変わりたい』と思った地点から、テクテクと螺旋階段を移動していくので、見える景色は変化します。
景色も違うし手応えもあって思いっきり頑張れますが、螺旋階段なので1階分上に近付くと
あれ?
変わろうと思って努力してきたけど、
この景色って、前見ていた景色と変わらないんじゃない?!
と、自分が変化していないように感じたり、スタート地点に戻されたような気分にもなりがちです。
私はマンションの4階に住んでいて、外が見える階段を使ってゴミ出しをしに行くことがあります。
4階から3階に降りた時に見える景色は、ほんのちょっと低く感じるもののあまり変わりません。
でも、階段を降りきると4階の時と見える世界はかなり違います。
多分またここから、螺旋階段をもう1段上がった時には「あっ、違っているかも?!」と思えるはずですが、1つ前の階段からの変化はあんまり感じないのだと思います。
そうやって『気付かないように見えながら』いつしか階段を少しずつ登っているのが、私たちの変化なのかもしれませんね。
同じように見えても、くるっと1階分上に成長していて、その積み重ねで気付いたら結構な変化を遂げてきているんですもんね。
私も以前は「ひとり暮らしでパートナーのいない世界を生きられる」なんて思ってもいなかったのに、トントントンと階段を登って、その当時感じていた景色ははるか遠くに感じているもんなぁ。
変化しても「階数」が近いうちは、あんまり変わったようには見えないと思えたら、なんだかすごく楽になれました。
と同時に、螺旋階段の1階分(くるっと回る円の部分)は、季節に似ているのかもしれないと思ったんです。
階段を登りだそうとするのが、春の時期。
少しずつ変化したくなって、芽吹いて行ける季節。
芽吹いてからどんどんと成長し、変化するのが楽しくて、何だってエネルギッシュに取り組めるのが夏の時期。
わーい、わーい!って何をしても楽しくて、どんどん吸収して伸びていける季節。
存分に伸びたところで一旦成長が落ち着き、ゆっくりと手ごたえを感じる収穫の秋。
取り組んできたことが自分の日常にすんなりと馴染み、変化してきたことをしっかりと受け取れる季節。
実りを存分に受け取った後で、次に芽吹くのを待つ静寂と蓄えの冬。
活動的にはなれずに、じーーっと過ごしつつも、この時期に春から秋のための土づくりや、疲れた自分をしっかり労い暖かく包んで、英気を養い力を貯める季節。
私は冬が長い北国・新潟に住んでいて、冬の季節は「暗いし寒いし、もう春はこないんじゃないか?」と思うこともあるけれど、でもちゃーーんと移ろっていき春がきます。
今、ここからずーーっと私は同じかもしれない…
と思っても、季節が移ろうように自分も移ろいますが、季節が全て無駄なく大切なように、どの時期にもそれぞれの恵みや意味がちゃんとあるんですものね。
螺旋階段を1階分登った先や、秋の時期に受け取りたいと思っていた「理想の収穫」との差があるかもしれません。
冬の時期が早くやってきたように見えて、こんなに頑張ってきたのに達成できなかった…とガッカリしてしまうこともあるかもしれませんが、
勝手に理想が「1階上にある」と思い込んでいただけで、理想は「2階上や3階上」で叶えられるのかもしれませんもんね。
私は、新潟の冬の中でも雪が積もるのが本当に嫌で、これから寒くなって雪が降る季節が来る…と先を想像するだけで夏至を迎えた時に一度気分が落ちます。
嫌だよー。
雪の季節が来てほしくないよー。
と身構えている時はすごく気が滅入るのですが、不思議なもので一度雪が降ってしまうと「あー、降っちゃったか。でも、あと何回か降って2カ月もすれば春だもんな。」と受け入れて乗り越えます。
階段を1階分上がった場所に近付いたり、収穫を味わって静寂を感じ出した冬の入り口にいるときには、それを受け入れたくなくて抵抗しますが、抵抗した後で「しょうがないか」と冬を受け入れて過ごし始めると、またある時にちゃんと春の光が届きます。
動けない冬は、動けるようになるまでの様々なものを自分に蓄えて与える「労りの季節」なんだな、って思うんです。
外に出たら冷たくてキーンと刺すような風に体を硬くして、確かに軽やかさがなくて家に籠りたくなる時期です。
雪が深ければ、籠りたい…ではなく、籠らざるを得ないこともあって、窮屈さや不自由さを感じることもあります。
燃え尽きた灰の時間は、冬の冷たく寒い季節なのかもしれませんね。
春から夏にかけて、いっぱい努力してたり楽しんだり、新しいことにも挑戦して、そこから自分を成長させて落ち着いて過ごしやすい秋を過ごした後は、次の春に向けての静かな休憩時間。
自分と向き合い、自分をもっともっと大切にして、春に芽吹くための栄養を蓄え、疲れた土地を静かに耕す時間は、やっぱりとっても大事な時間ですね!!
そう思えてようやく、私は冬の季節を受け入れられて、ただいま絶賛『冬ごもり』の時期を過ごしています。
燃え尽きている自分に毛布を掛けて、暖かいミルクティーを飲みながら、春を待っています。
頑張れないし、カッコよくないし、本当はこの話をするのは「恥ずかしいから隠しておきたかった」けれど
これが私だもんね。
成長途中の私は、カッコつけた所で私だし!! ← 謎のドヤ感
ゆるゆる、ぬるぬるのカタツムリ速度なのは以前からなのに、どこかマグロ感を求める自分がいるので、動けない自分を嫌ってしまうのはまだ私の中に残っているみたいで、そんな自分も「あれあれ」と苦笑いしつつ受け入れています。
どんなに抵抗しても季節をコントロールはできなくて、移ろっていくに身を任せるしかできません。
それと同じで、自分もコントロールして何とか…できなくたって、でもちゃーーんと移ろって行けます。
今はだから、冬ごもりしている自分をどこまでも甘やかし、窓の外から少しずつ春の気配を感じるまでは自分に栄養を蓄えて地固めしてゆるゆるしていようと思います。
頑張れないおまみーぬも、今まで通り優しく見守って頂けたら嬉しいDEATH!!!
あっ、実は「冬を受け入れた」ので、もうだいぶ楽になっているんです。
受け入れるまでの抵抗期間は地味につらかったんですが、受け入れちゃったのでさらけ出せたりもしています。えへへ。
自己受容が出来て、自己肯定感も高まっても、冬はやってきますもんね!!
ではでは、せっかくの冬に学べるものを見つけながら、さーて、ホットミルクティーで自分をもっと骨抜きにしてあげようと思います。
楽しい金曜の夜を!!!