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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】どうしてこんな人間が生きているんだと思いますか? 生きていて良い理由がありません。

暦の上では春らしいですが 新潟はまた雪が降ってきたですよ。 まだ冬真っ盛りですよ。

こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。

節分を通り越し、暦の上では春になったとはいえ、私の住む新潟は今日も積雪がありまだ冬の寒さがしっかりと居座っています。
とはいえ、天気予報では雪よりも雨になる確率の方が高くなっていくという事も言っていたので、寒さはまだ残っていますがだんだんと春に向かって「冬の最後」の部分を過ごしているんだ!と思うと、雪が降っていても先の明るい見通しが立つ感じで気落ちせずにいられます。

とはいえ、明日の予報は「暴風雪」という事だったので、かなり荒れそうな感じでドキドキしているという私たちの暮らすエリアのお天気情報をお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

初めまして、黄色と申します。
私はおそらく自己愛性人格障害ではないかと疑っています。もしかしたらアスペルガーなども併発しているかもしれません(どちらも検査などは受けていません。自己診断です)

なぜそう思うか、ということを話すと長くなってしまうので割愛しますが、日々過大な妄想を繰り広げ(本当の自分はとても美人で芸能人から一目惚れされる素質がある/現実はドブス)(地頭がいいのでちゃんとやっていれば良い大学にも行けていたはず/現実は名前を書けば受かるような地方底辺短大卒。もちろん勉強なんてこれっぽっちもしなかった)(性格はとても良く皆から慕われている。いつも取り合いが起きる/現実は年末年始の挨拶をする人もいないくらいに孤独。孤独死まったなし)、そうじゃない現実に絶望したり、そりゃそうだろと思ったり、だからお前は最低なんだと思ったりしています。

人をコントロールしたいと思ったことはありませんが、上記のような強すぎる自己否定が基本的には全面に出ており、ネガティブでいることによって人をコントロールしようとしているんだろうなぁとも最近自覚しました。

もう30歳を過ぎていますが、両親とは反りが合わず、友達もおらず、恋人なんてましてや人に好かれたこともありません。
仕事も派遣なので、いつ首を切られてもおかしくなく、自分でもやりがいをもっていないので、苦痛の中、ただただPCの前に座っている毎日です。

こんな頭のてっぺんから爪先まで最低で良いところのない人間は、どうして生きているんでしょうか。
「いや、努力してこなった貴方のせいでしょ」と言われたら、ぐうの音も出ません。
それが事実で現在が作られているからです。
では今からできることを精一杯やって幸せだと思えるようにするしかないと言われたら、果たしてそれをして幸せになるのか?と、先に未来の保証が欲しいと喚いてしまうのです。
良い歳して恥ずかしい限りです。

どうしてこんな人間が生きているんだと思いますか? 生きていて良い理由がありません。
どうして死ねないのでしょう。自殺する勇気が出ません。
どうしたら勇気を出せますか。
そんなこと思わないで、と優しい言葉を投げ掛けられてもちっとも響きません。なぜですか?
なぜ私はこんな人間なんでしょうか。
なぜ私は言い訳ばかり並べてしまうのでしょうか。
努力したくないクズだからです。
それで生きてこれてしまったからです。
ではそれで良いじゃないかと聞かれたら、寿命が長すぎるんです。明日トラックに突っ込まれて死ぬくらいで調度いいんです。
ご相談:黄色さん

黄色さん、こんにちは。
生きるって、時に「理不尽だなぁ」と思う事がいっぱいありますし、なんで私はこうなっちゃったんだろう??と自分のことを受け入れられずに嫌ってしまう事も沢山ありますよね。

私も数年前までは、自分のことを好きだなんて言えませんでした。
どちらかと言えば「いなくていい存在」「なんで私なんだろう?」「愛される価値もないダメな存在」だと思い、自分に魅力や価値があるなんてどうやったら思えるんだろう?と思っていました。

いわゆる「自己肯定感」を高め、生きることを楽にしてあげたくて自己啓発本を何冊も読み、毎日自分を褒める「ほめ日記」がいいと言われれば『こんなことして何になるんだろう?』と心に響かない中で数年続けましたが効果なし。

結局、何をしても私は自分のことを好きにはなれない。
生きているのも辛いけれど、死ぬことを考えると怖いし、苦しいけれどこうやって生きていくしかない。
周りの人の「当たり前の幸せ」が羨ましくて、自分の今の状況を嘆き、時にあまりに辛すぎて「本当の私は…」とありもしない妄想の世界に逃げることも沢山ありました。

> 私はおそらく自己愛性人格障害ではないかと疑っています。もしかしたらアスペルガーなども併発しているかもしれません(どちらも検査などは受けていません。自己診断です)

自己診断でもしかしたら「自己愛性人格障害」や「アスベルガー」を持っているのではないか?と思うというのは、黄色さんがご自身の心の状態、生きづらさを何とかしたいと思い調べたから思い至ったのではないでしょうか?

きっと「なぜ私はこのような思考をするんだろう?」「楽になりたい」と感じたからこそたどり着けた自己診断結果だと思います。

言い換えると、自分のことをほっておけないから調べたんだと思います。
もしも「生きている価値もなくてどうでもいい」のであれば、生きづらさや思考のクセについて「なんでだろう?」と自分に対する興味を持てませんものね。

人格障害とは『パーソナリティ』と呼ばれるその人を作る個性の部分で問題を抱えているという事です。
私たちは生れてきた時に

よし!私はネガティブ全開で他社よりも優れていると妄想し、生きる価値のない私を生きてやるぞ!!

などと思って生まれてくるわけではありません。
私たちが生まれてくるのは「人生で起こるいろいろな出来事を体験し、泣いたり笑ったりしながらも幸せになるため」だと思っています。
誰一人この地球上に完全な人間はいませんから、間違う事や傷つくこともありますし、ある一定の期間は光が見えず絶望と並走することもあります。

そして、私たちは「今の自分」になるために、ある程度の長さの過去を体験してきています。
人格はもともとの気質や性格も関係するとはいえ、後天的な環境だったり体験を元に形成されます。

ネガティブにしか考えられない思考のクセについて考えて見ると、過去に体験した事柄に「ネガティブな結果」「不安を感じる事」「思った通りにならずに傷ついた」事が多ければ、何かをしようとしたときに

今回はうまく行くよね!

なんて楽天的に考えることは難しいですよね??
ポジティブに前向きに考えた方がいいはずだ…と頑張って前を向いた時に、それが思った形ではなく「またダメだったか…」という体験を繰り返してしまったら、いつしか前向きに考えようという気力すら持たなくなると思いませんか?

> こんな頭のてっぺんから爪先まで最低で良いところのない人間は、どうして生きているんでしょうか。
> 「いや、努力してこなった貴方のせいでしょ」と言われたら、ぐうの音も出ません。
> それが事実で現在が作られているからです。

努力することを笑われたり、努力して見たのにうまく行かなかったりすれば、いつしか「努力すること」を放棄します。
それは自分をこれ以上絶望させたくないからですし、自分を守るための黄色さんなりの精一杯のやり方だったのではないでしょうか?

努力しない = 何も起こらない = 傷付かずにすむ

のですもの。
努力しなかった結果が今を作っているのかもしれませんが、人格を形成するうえで「過去の体験」「環境」「不適切な扱い」などが黄色さんを委縮させてしまうようなことはなかったでしょうか???

それぞれの持つ「性格」「人格」といった個人の属性の問題だけではなく、子供時代から置かれた環境で『学習』するように自分のことを否定したり、うまく行かない事を繰り返すことで、パーソナリティ障害と呼ばれる人格面での苦しみを背負ってしまった部分も大きいと思います。

また、生きていくうえで自分が欲しいものが手に入らないならば、最初からあきらめよう。でも本当は手に入れたい…
そうやって葛藤する中で周りの人に自分を受け入れてもらえなかったり、対人関係で傷ついたり、親が忙しくて気持ちを分かってもらえなかったり…と、子どもながらに孤立してしまう状況があれば、自分を助けるために『妄想(ファンタジーの世界)』で自分を慰めようとしてしまいます。

現実は生きるのに苦しすぎる…と思えば思うほど、妄想の世界で自分がして欲しい扱いや笑顔になれる事、自分の価値を高めることを想像して、その世界で自分を愛そうとします。

黄色さんは、ファンタジーの世界に逃げるしかなかったのではないでしょうか?
そうやって自分を妄想の世界に置いてあげることで、なんとか心のバランスを取って頑張って生きてきたのではないでしょうか??

実は私も小さなころから「妄想の世界」の住人でした。
今も妄想は大好きで、こうなったらいいなぁ、楽しいなぁと「妄想の世界」をただ楽しい世界だと線引きして付き合っていますが、子どもの時はそれこそ黄色さんの言ってくれたような「自分は本当は特別な存在なんだ」という妄想をすることもありました。
妄想の世界で自分が特別で素晴らしい自分だと思うだけで、慰められて生きてこれたと思っています。
現実の世界では、私は私を少しも好きではなかったのですが妄想の世界では自分のことを大好きでいられました。
きっと、必要だから妄想していたんですよね。
私の心はずっと、自分に認めて欲しい・愛して欲しいと思っていたから「愛されて価値のある人気者の私」という妄想を必要としていたんだろうな、と思います。

黄色さんは、妄想の世界にいる時には気持ちは楽ですか??
現実は無視して、その世界にいると慰められて「幸せ」だなぁと感じられるのでしょうか??

妄想を楽しみづつけるのはダメなのでしょうか?
現実に戻ってきた時に落差はあるとはいえ、妄想はいつでも自由に、誰にも迷惑をかけずに自分の脳内で出来るものですから、ファンタジーの世界で自分を楽しませ続けてもいいと私は思っています。

> 人をコントロールしたいと思ったことはありませんが

妄想と現実の境目がなくなってしまい、妄想にあわない今の世界で人をコントロールすることをしていないのであれば、妄想を楽しんでいいのではないでしょうか?

その際に、自分がなんで妄想してしまうのか?を分かってあげてきちんと線引きが出来ていればなんの問題もないですよね。

現実が辛くて、生きている意味も分からないくらい迷子になっているから、せめて妄想の世界で自分を保とうとしている。

上手に妄想の世界を使って自分を満たすのであって、それを無理矢理に辞めてしまおうとしたら、どこで黄色さんは自分を満たしてあげられるのでしょうか??

> どうしてこんな人間が生きているんだと思いますか?
> 生きていて良い理由がありません。
> どうして死ねないのでしょう。自殺する勇気が出ません。

ここまで追い詰められてしまう位ならば、そんなこと考えないで妄想しませんか?

人生の意味は幸せになる事です!
人生の意味は自分を理解する事です!

と言われたら、黄色さんはどう思いますか?
もしも明確な答えがあったとして、ど正論を突きつけられてもきっと心は晴れませんよね。

人生の意味、生きる価値、そこに明確な答えを持つ人っているのでしょうか。
そもそも、みんながみんな「素晴らしきかな、私の人生!」なんて思って生きてはいないと思います。
テレビでその人の生い立ちや現在に至るまでを特集した番組がありますが、山あり谷ありの凄いグラフが紹介されますよね?
成功者と言われる人達なんかは一様にその振り幅が大きくて、どん底を経験している時期もあれば、人生向かうところ敵なし状態の時期もあります。
それぞれの「山や谷」にいる時にも、平坦な状態にある時にも、きっと自分の立ち位置を自覚できる人なんて少ないでしょうし、どの人もきっと迷い・悩み・葛藤し、時にネガティブに飲み込まれて人を羨みながらも、こんなもんだよね…とどこかで諦めたり折り合いをつけて生きているのではないでしょうか。

少なくとも私は、その時々で様々な感情に振り回され、自分を許せるようになった今だからこそ「あの時の自分がいたから今がある」と過去を振り返ることが「やっとできるように」なったばかりです。

> なぜ私はこんな人間なんでしょうか。
> なぜ私は言い訳ばかり並べてしまうのでしょうか。
> 努力したくないクズだからです。
> それで生きてこれてしまったからです。

数年前の私も、自分に対して黄色さんと同じ言葉を投げてしました。
努力したって何も報われない、愛して欲しくても愛してもらえずに捨てられる、いっぱい傷付き、自分自身を嫌い、何をしても変われないネガティブで否定的な自分のことが大嫌いでした。

死にたい…というよりは、消えたい・考えたくないという思考の方が強かったのですが、体は健康だし本当にどうしたらいいんだろう?と途方に暮れた事もあります。

ココロノマルシェに「なんででしょうか?」「死にたいけど死ねない」と書いてくれたという事は、きっと

こんなダメな私を好きにもなれないし息苦しいし
いっそ自分のことを諦めたいのに、諦めきれない何かがあるのが苦しい

と心の奥底の部分で「私を愛して欲しい」「私を分かって欲しい」「私を助けてあげたい」という黄色さんの思いがあるからじゃないのでしょうか?

自分のことを諦められたら、きっと淡々と諦めて生きていると思います。
でも、諦められずもがいているから、こんなにも苦しい・死にたいと思うのだと思うんです。

自分を諦めないって素晴らしい事です。
今すぐに自分を受け入れ・愛し・楽になる魔法はないけれど、トライアンドエラーでゆっくり時間をかけて、自分を理解して「これが私だからしょうがない」と折り合いをつけていけるようになれます。

死ぬことが出来ずに生きるしかないのであれば、急がずにゆっくりと自分を受け入れる方法を探すのも一つの手だと思いませんか?

それに、時折泣き言を言うのも大事ですよね。
生きていても楽しくないから、本音は死にたいんだ!と言いたい日だってあります。
ただ言うだけで、今日も何も変わらない1日だった。そうであってもいいのではないでしょうか?

人生や生きる目的・価値には必ず「これだ」という答えがなくてもいいと思っていますし、黄色さんがネガディブであっても死にたい気持ちを持っていても、今日「生きている」のであれば、それだけでOKと言ってあげてもいいと思います。

勇気を出せない、自分を好きになる努力も今はしたくない、身動きが取れないない事を「しょうがないよね」って言ってあげませんか?
妄想の世界で自分を慰め、そこで幸せであるならばその時間を楽しんで過ごしてもいいじゃないですか。
もしかしたら「人とは違う答え」「一般の物差しではよいと思われない答え」であったとしても、黄色さんが生きている日々が少しでも楽で、救われることが何より大事なことですものね。

今は死ぬことを考えてしまう位、しんどい状況で力が出せないのだと思いますから、ただ力を抜いて「あーあ、また今日も生きちゃった」という日を生きる事だけでヨシとして、黄色さんの気分がちょっとだけでも「行動したい」「変わりたい」と思える日を待ってみるのもいいと思います。
ただ身を委ねて力を抜いて生きる、というのも一つの生き方ですし、何にもしない頑張らない時期は「自分に栄養を蓄えている時期」だと割り切ってもいいと思うんです。

そうやって頑張る事を「いわば諦めて力を抜く」と、不思議な事に余計な力が抜けて頑張りたくなるかもしれませんし、頑張らなくても折り合いをつけて生きていけるようになるかもしれません。

世の中の幸せや成功、価値観と違っていてもいい。
黄色さんが生きる意味が分からないならば、ただ生きるだけでいい。

生きるって時にとっても理不尽で、苦しいと感じます。
もしかしたら人生の後半で楽しみに出会えるかもしれませんし、未来のことは分からないので、そうだったらいいよなぁ、と妄想の世界で自分を癒しながら多々淡々と日々を過ごす自分を「あーあ、しょうがない」と言ってあげられますように。

> 今からできることを精一杯やって幸せだと思えるようにするしかないと言われたら、果たしてそれをして幸せになるのか?と、先に未来の保証が欲しいと喚いてしまうのです。

幸せの定義・感じ方も人それぞれですし、頑張れば必ず報われるかどうかも保証されたものではありませんが、黄色さんと同じように自分のことを否定してネガティブに何十年も生きてきた私ですが、失敗を色々と繰り返して「本当に死のうと思った」事をきっかけに、少しずつ自分と仲直りをして、今は日々を幸せに生きています。

といっても、何かに秀でて成功したとか、パートナーが出来て自分の願いが叶った…という訳でもなく、泣き言も言いますしネガティブにもなりますが、私は自分のことを「これが私だもんね」と受け入れることが出来るようになり、息をして楽に生きられるようになりました。
日々の何気ない事を楽しめるようにもなりましたし、自分を慰めるだけの妄想の世界の扉を閉じ、自分をワクワクさせる「ビジョン」に近い妄想の世界の扉を開けられるようになりました。

必ずしも幸せになれる…かどうかは分かりませんし、変化の途中は手応えもなく「こんなことしてて何が変わるんだろう?」と思う事も沢山ありましたが、やはり自己肯定・自己受容を続けることで人は少しずつ変わって行けるとは思っています。

黄色さんが欲しかった「生きる意味」「死ぬ勇気」についてのお返事ではなかったと思いますが、過去の私と似ている部分がたくさんあるなぁと思い、お返事を書かせていただきました。

黄色さん、大事な気持ちを素直に届けてくれてありがとうございました。
生きる意味、私も模索中です。
答えが出るのはきっともっとずっと先になりそうですが、その時にどんな答えにたどり着くのかを楽しみに取っておくのもまた人生なのかもしれませんね。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

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ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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