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【ココロノマルシェ】現在、体調不良で休職中の23歳。エンドレス自己犠牲をやめたい。

じぃぃぃぃぃ

昔からずっと変わらない「洋菓子店のふにゃっとした皮のシュークリーム」って素朴な感じでいいですよね~。
小さい頃はこれこそがシュークリームだと思っていたので、おしゃれで小さくてカリカリしたシュークリームに出会った時は衝撃を受けました。

とはいえ、古くからやっている洋菓子店よりも人気店に行ってしまう事が多く、懐かしのシュークリームを食べる事はあまりなかったのですが、先日、近所のスーパーに【大阪屋のシュークリーム】が臨時で販売されているのを見て、思わず2つ買ってしまいました。(← 私は一人暮らしです。つまり、私が2つ食べるという事です。)

これ、絶対おいちーやつでち!!!独りじめダメでち!!!!

新潟にあるのに「大阪屋」というお菓子屋さんのシュークリームは、食べているとお腹部分が破裂してクリームが溢れちゃう系なのですが、それも込みでおいしいんですよね!

クリーム大好き兄弟にほんの1すくい零れたクリームをお裾分けしましたが、懐かしいシュークリーム情報を勝手にお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

初めまして。shiroと申します。現在、体調不良で休職中の23歳です。

相談内容は、タイトル通り『エンドレス自己犠牲をやめたい』というものです。
機能不全家族の家庭で育ったことから派生し、様々な心の問題に悩んでいた時、根本先生のブログに辿り着き、手さぐりながら奮闘を繰り返してきたのですが、人3倍の自己犠牲精神だけはどうしても言うことを聞いてくれないのです。

勉強も学校も部活もサークルも仕事も恋愛も…本当にとにかくクソ真面目に頑張りすぎてしまうのです。
それはそれは実直に。。。

ですが私も特殊能力などなく、普通の人間です。
クソ真面目の中には、相当な自己犠牲精神が共存していることは明確で、 最後には力尽き(体調不良、無気力、軽い鬱病)を発症し、再起不能になってしまう人生を繰り返してきました。

安定の流れで、新卒でやっと入社した会社も休職を余儀なくされてしまい、 休職期間の問題もあって、退社せざるを得ない状況にもなってしまいました。
正直、好きな業種を選択して入社した会社だったのでとても悔しかったです。

なかなか手ごわい相手だとは理解しておりますが、これから先の人生、 もう少し安定して長く付き合っていける人生をどうしても歩みたいと思うのです…。働くことも凄く好きなので、本当に頑張りたい。。。

そんな自分の気持ちを踏みにじるようなことはもうしたくない!!と ご相談させていただきました。
辛口アドバイスから優しいものまで、 オールマイティーお待ちしております。
相談者:shiroさん

shiroさん、こんにちは。
『エンドレス自己犠牲』という言葉を想像したら、どれだけ気を張って頑張り続けなくてはいけないのか…ととても重く苦しい荷物を背負っている状況をイメージしてしまいました。
ずっと心に重荷を背負っていらっしゃるんですものね。
疲れちゃうのは当然ですよね。

> 機能不全家族の家庭で育ったことから派生し、様々な心の問題に悩んでいた時、根本先生のブログに辿り着き、手さぐりながら奮闘を繰り返してきたのですが、人3倍の自己犠牲精神だけはどうしても言うことを聞いてくれないのです。

機能不全家族という事から、shiroさんは本来「自分が愛されて価値がある大切な存在だ」と思うために甘やかしてもらって愛される子供時代を与えてもらえなかったのだろうと思うんです。
子供は自分が置かれた家庭環境が「全て」ですから、家族としての役割が果たせていない場所に置かれていたshiroさんは、子供なら誰しもが感じる「愛して」という思いを飲み込んで、必死に家族の中で耐えてきたんですよね。

耐えるだけではなく、機能していない家庭の中でshiroさんが我慢した結果、お母さんが興味を示してくれた・喜んでくれた、お父さんが褒めてくれた・笑ってくれた、というように

私が我慢したり努力すれば、家族を喜ばせることができる

というのを覚えて、一生懸命身を削って犠牲をしてきたのかもしれません。
それはあまりに健気で、自分では意識していない位さり気なく普通に「犠牲」するのが当たり前になってしまう程に。

「自分さえ我慢すれば」「自分さえ頑張れば」と思っていても、誰しも自分の持つ力が枯渇したら、何も与えられず犠牲すらできなくなります。
車だって走ればガソリンがなくなり給油しないと走れない様に、私達も自分の中にある「与えるための力」が枯渇したら、ちゃんと自分を大切にして休ませてあげないと動けなくなってしまいます。

自己犠牲ってしんどさを伴うものです。
けれど、人の3倍以上も自己犠牲してしまう程頑張れてしまうのは、shiroさんの中に「私が頑張れば、私が我慢すれば、人を幸せにすることができる」という大きな愛があるからではないのでしょうか??

大切な人や関わりのある人の笑顔のため、快適さのため、自分を差し出しているんですもの。
その動機のずーっと奥には「誰よりも愛情深いshiroさん」がいる事、どうか受け取ってみてください。

私は自分を蔑ろにしてしまう程に自分を傷つけてしまってまでも、人を愛する事をしたい『愛情深い女性なんだ』って。

さらりと書かれていましたが「機能不全の家族の中で育ち、様々な心の問題に悩んでいた」とあり、随分shiroさんは苦しみの中で耐えてきたんですよね。
小さな子供には重すぎる家族の問題を、一生懸命に背負い込んでしまい、心の問題を抱えるようになったんですものね。

子供の時に自分が我慢する・犠牲する事で「良い家庭」の歯車として、自分の中の苦しい気持ちを押さえつけて「私が悪いんだ。私が我慢すればいいんだ。」と自分を責め続けてしまう…

子供時代というのは安心して遊び、時に親からお小言をもらいながら「楽しい子供時代」を伸びやかに送りながら心を育てていくのですが、楽しい子供時代を犠牲にすることで奪われ、自分を責める事が習慣化してしまうと、大人になって自分の家族がおかしいと気付いても『心のクセ』になってしまった犠牲をやめられず、自分を責めて良い子を演じ続け、そしてとうとう、そのせいで心が壊れてしまうんですものね。

shiroさん、本当によくやってきましたね。

shiroさんが家族のために自分を押し殺してきたおかげで、家族はきっとバラバラに壊れずにすんだのではないでしょうか?
とっても頑張ってこられましたよね。偉かったよね。本当に本当に、shiroさんの頑張りは表彰状ものです。

shiroさんの自分が犠牲になれるほどの愛を「尊敬」します。

でもね、こんなに大きな愛を「周りの人のため」に使うのは、もうちょっとお休みしていいと思うんです。
もう、犠牲するのはいいかな…って思いませんか?
すぐに犠牲をやめられなくてもいいですから、shiroさんにこんな言葉を届けてあげてみてください。

「こんなに頑張ってきたから、もういいよね。今度は私が幸せになる番だよね。」

ずっとずっと、家庭の中でも学校でも職場でも、どこにいても頑張ってきたんです。
人から見ての評価ではなく、自分の中にある精一杯・最良のものを差し出そうと奮闘し続けてきたんです。
もう十分です。これからはshiroさんが幸せになる番です。

> ですが私も特殊能力などなく、普通の人間です。
> クソ真面目の中には、相当な自己犠牲精神が共存していることは明確で 最後には力尽き(体調不良、無気力、軽い鬱病)を発症し、再起不能になってしまう人生を繰り返してきました。

うんうん!!
普通の人間だと自分に何度も言って聞かせてあげましょう。

普通の人間なのに、持てる力以上の事を頑張ってきた私ってすごくなぁ~い。

こんな風に頑張ってきた過去、燃え尽きるまで自己犠牲してきた自分の努力を思いっきり褒める時間を持ちませんか??
ちなみに、真面目に褒めようとすると抵抗してしまう事があるので、私は自分を褒めるときに

自由気ままで明るく、人の目なんか気にせず堂々としている『ギャル』を心の中に召喚します。
先ほどの「すごくなぁ~い」のくだりがそうなのですが、自分とはタイプが違うはずなのに、教室で出会うと話しかけてくれるギャルをイメージして、自分にたくさん褒め言葉を投げかけてあげください。

– – – – – – – – – –
人のために自分の休みを使うとかマジ無理。
それを普通にやっちゃうshiroちゃんって、神ってか仏??
ガチですげーヤバいくらい偉くね??
– – – – – – – – – –
その資料とか自分で作ればよくね?
なんで忙しいshiroちゃんが昼ご飯も我慢して作らなきゃいけいとか、マジイミフ。
文句言っていいのに我慢するとか、超偉いんですけどーー。
– – – – – – – – – –

他にもいーーっぱい、人の3倍以上頑張ってきたんですものね。
頑張れるって凄い力だと思うんです。偉かったな、頑張ってきたから周りが救われたんだなって、今こそ自分に「ありがとうの感謝状」を贈りませんか?

> 安定の流れで、新卒でやっと入社した会社も休職を余儀なくされてしまい休職期間の問題もあって、退社せざるを得ない状況にもなってしまいました。
> 正直、好きな業種を選択して入社した会社だったのでとても悔しかったです。

職場から離れて療養中でしょうか?
少しは体や心は軽くなってきていますか??
悔しい気持ち、それはきっと「これからはもっと自分を愛して犠牲をやめていい」と心が教えてくれているからなのかもしれません。

悔しい!って思う位じゃないと、なかなか変わりたくても変われませんもの。
いい意味で「チャンス到来」なのだとしたら、これから先のshiroさんはどんな「私」になりたいでしょうか??

ずっと自己犠牲するのが当たり前だと、そうじゃない「我慢しない私」というのを知りません。
我慢をやめて自由にしたい!と思いながら、我慢をやめた途端に罪悪感を感じたら、また自分を責めて心が壊れてしまいますから、まずは

自己犠牲をやめたらどんな私になるんだろう?
どんな私だと幸せだと感じるんだろう??

というのを、たくさんイメージしてみてください。
なりたい自分、憧れの人、たくさんワクワクする「目標」を設定しましょう。

そして憧れや理想を真似て見ながら、居心地の悪さや辛さを感じたら「私は何に対して遠慮しているのかな?」と考えてみる事も大切です。
漠然とした「我慢しなきゃ」と思っていたものが、実はshiroさんが我慢せずにNOと言っても大丈夫なものだった…なんてことも見えてきたりすると思います。自分にとって「どこが我慢のポイントになっているんだろう?」と自分を知るというのも、頑張らせすぎる自分を弱めていくために大事なヒントになってくれます。

shiroさんもお気付きかもしれませんが、自己犠牲してしまう心の奥には『自信のなさ・無価値観』といったものが潜んでいます。

自分に自信が持てないから、犠牲やガマンをして認めてもらおうとする。
自分には価値がないから、自分よりも周りを優先する事で役に立とうとする。

一時的には『役に立てている』『嫌われない』といった安堵感があるかもしれませんが、自己犠牲というのは【本当の私】を隠して我慢させている状態ですから、その状態で評価されてもモヤモヤしたものが心に残ります。
さらに苦しい思いをして犠牲をしているのに評価されなかったら「こんなに頑張っているのに」と怒りや周りへの重い感情を心に抱いてしまいます。

犠牲という言葉を辞書で調べてみたら、こんな言葉で定義されていました。

●神に供えるいけにえ。
●ある目的のために損失となることをいとわず、大切なものをささげること。

自分の大切なものをいとわずに捧げ、いけにえになる事が犠牲だとしたら、自己犠牲とは『自分という大切なものが損失になってもいけにえとして差し出す』ということになりますよね。

自ら進んで自分をいけにえとして差し出そうと思う人は、きっといないと思うんです。
shiroさんも、自分が我慢さえすれば…と脳裏に浮かんだら「私をいけにえにしていいの?」と立ち止まって考えてみる事をしてみてください。

いけにえですから傷付きます。
一時的に「ありがたい」と思われても、人はそれをいつの間にか忘れていきます。けれど、いけにえになった「大切なもの」はもうかえってはこないんです。

そう想像したら、自分を差し出すのが惜しくなりますよね。

また自己犠牲してしまう時というのは「私の声より周りの声」を聴いている状態でもあります。
人のために「喜んで」やっている事であれば、しんどさも感じませんし楽しめますが、自分の声である「本当はやりたくないのに」を無視してしまうと、自分を差し出して犠牲している状態になりますから、ほとほと疲れてしまいます。

いきなり集団の中で自分の意思を持って貫く!というのはちょっとハードルが高すぎるので、shiroさんにまずやっていただきたいのが

私はどうしたいの?という事を問いかけて意識する事。

自分を犠牲にしている時というのは、大概が人の意見・意思を優先しています。
自分がどう思うかよりも「あの人はどう思うか?」ばかりを考えている状態です。(他人軸という状態ですね)

自己犠牲が当たり前になっていると「私はどうしたいのか?」という問いかけをされるとキョトンとしてしまいます。
周りが優先で自分が後回しなので、食べたいもの・生きたい場所・やりたい事、どんなことに対しても「自分の意志」というのがなくなってしまいます。

なので、日常的に「私はどうしたい?」と問いかけて、自分の気持ちを知ることを練習してみましょう。

実は私も過去に「他人軸で自己犠牲」が当たり前になった結果、自分の事が分からなくなっていたことがあります。
スーパーに行って「食べたいもの」すら思い浮かべられず、大量の食品を前にして泣いたこともあります。

そこで実践したのが、毎日小さな事に対して「私はどうしたい?」と聞いてあげて、可能な限りそれを叶えてあげる事を徹底しました。

・今朝は何を食べたい?パン?ご飯?
・今日はスカートの気分?それともパンツ??
・疲れた私を癒すのに何をしてあげたら喜んでくれる?

些細な事なのに、いざ自分に問いかけると応えられない自分に絶句しながら、応えられない自分に対しては

「ごめんごめん。ずっと我慢させてたんだもん。分からないよねー。でも考えてくれてありがとう。」と寄り添い続けました。

「パンが食べたいのに買ってなかったよー。時間がなくてパン屋さんに寄れそうもないからご飯にさせてもらうね。ほんとにごめん!!!でも教えてくれてありがとう」と、自分がしたい事を叶えてあげられない時は、ごめんねを届けながら、教えてくれたことへの感謝を届け続けました。

これを続けて半年も経った頃には、当たり前に「私のしたい事」を見つけられて、それを普通に自分に与える事が許可できるようになっていました。
ついつい人の顔色を見て「ここで私が我慢すれば…」とクセが発動しても、習慣化した「それって私のやりたい事?私はどう思う?」と心の中で質問する事ができるようになり、やりたくない事をやるにしても「どこまでやるか」の線引きを出来るようになりました。
また、犠牲まではいかないものの「自分を頑張らせたり」「自分を我慢させた」後は、習慣のように

我慢させてゴメンね。
頑張らせちゃったね。助けてくれてありがとう。

と、自分を労うようになっていました。
すると、自分を評価すると同時に、私が私の事を理解してくれているから大丈夫!という不思議な安心感を持てるようになり、自分と仲良くなると、自分にとって嫌な事にNOを言える強さが持てるようになっていきました。

俗にいう『自己肯定感』を高める事でもあるんですけれど…

自己犠牲してしまう自己価値の低い自分・他人軸の自分立て直していくためには「自分を肯定する」という作業はとても大事です。
過去の私は自己肯定感が地中にめり込むくらい低かったのですが、そんな私が自分を助けて楽になりたくてあれこれやった話をブログで紹介させてもらっています。
自分の声を聞くための何かのヒントになればと記事を紹介させていただきます。

自分を頑張らせたい!と努力できるshiroさんが向ける思いを、ぜひ自分を「幸せにする」「愛する」ためにも使ってあげて下さい。
自分が緩んで余裕があるからこそ、人のために力を使えますし、自分を成長させるためにも「余力」を使ってあげられますから、ガチガチに頑張ろうとする力を意識的に緩める事も大切ですよ~。

そして人の3倍頑張れる…という事は、だいぶ「完璧主義」な部分もあるのだろうと思います。
でもね、完璧を求めると出来ない自分を責めて攻撃してしまいます。
頑張ってるのに褒められずにけなされたら、頑張る力が沸かなくなるのは必然だと思いませんか?

なので「合格点主義」に変えてあげて、合格点(今日はここまでできればいいな)を低く設定して、それを達成したら加点方式で褒めてあげる事も大事です。
その過程で自分にとってはちょっと「大変」に感じる事があったら…

大変な事にチャレンジする私。
大変だから助けてというチャンス!

と、色んな選択肢があるのですから「ねばならない」と思わずに、いくつもある選択肢を「私はどうしたい?どうしたら笑える?」と問いかけて選んでいくようにすることも、犠牲を手放すために役立ってくれます。

長くなってしまいましたが、自己犠牲的に愛を示せるshiroさんは、犠牲をやめても人の気持ちや痛みに気付ける「優しい敏感さ」を持っている素晴らしく素敵な女性だと思います。

私って優しくて愛情深いのよね~

と自分を褒めてあげながら、その優しさや愛情を自分のために存分に発揮しながら、余った分を周りの人にお裾分けしてあげながら、今度はshiroさんが幸せになるために自分の自由を許可してあげながら、少しずつ犠牲するものを手放していけますように。

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